斜め上の懸念。
誤字、脱字報告に感謝いたします。
「港がいた?」
人払いをしてから、家族は屋敷の西館へ集まっていた。
「あれは、みな姉のドッペルゲンガーです!」
「は?」
「ん?」
何があったか説明するウィリアムの口から出たのはなんともインチキ臭いオカルト話であった。
メルサもレオナルドも拍子抜けした声が漏れる。
「見間違いではないのですか?」
世の中には似ている人間が三人はいると言う。
ここは日本ではない。
ましてや田中港は、我々田中家は地震で全滅した挙げ句に転生までしているのだ。
港がいるわけがない。
あれは……私だったわ、と震える声で猫達に囲まれたエマが小さく呟く。
家に帰って来ても変わらず怯えた様子で猫達もエマから離れようとしなかった。
「母様、王国人と日本人では顔立ちが全く違います。みな姉のドッペルゲンガーはそこにいるだけで異物が混ざっているような違和感がありました」
日本で普通に港のそっくりさんを見ただけではない恐ろしさがあった。
明らかに違うのだ。
あそこまで違うのに、学園ではその違和感に関する噂は聞いたことがない。
いや、誰も気付いていないのか?
「俺もウィリアムも魔物狩りの訓練で【見極める】力をつけています。何よりエマが【そう】だと言うのなら見間違いはないでしょう」
虫の観察と裁縫、スチュワート家で自由にのびのび好きなことを突き詰めて育ったエマは一目見るだけでドレスの寸法を狂いなくあてられる特技を持っている。
エマが港だと言うのなら、港なのだ。
正確に【見る】ことのできるエマだからこそ、ここまで怖がり、震え、怯えているのだ。
【ドッペルゲンガーを見た者は死ぬ】
前世のオカルト話だと笑って済ませられる筈がなかった。
「でも、じゃあ…………それは、ドッペルゲンガーではないのでは? 本当にドッペルゲンガーがいたとしてエマの前に現れるのはエマの姿だろう?」
とレオナルドが首を傾げる。
「え?」
「そうね。エマのドッペルゲンガーならエマの姿じゃないとエマのドッペルゲンガーではないわね」
港の姿を直接見ていないレオナルドとメルサは、三兄弟よりも多少余裕があった。
「なら、姉様は死なない?」
「「死なない」」
ウィリアムの不安そうな問いにレオナルドもメルサも確証なんて一つもなかったが、安心させるようにきっぱりと答えた。
娘を簡単に死なすわけにはいかない。
「で、ですよね。姉様、良かった。大丈夫ですよ!」
「エマ、良かったな?」
両親の答えにウィリアムとゲオルグがほっと胸を撫で下ろす。
ドッペルゲンガーではないなら、見たら死ぬなんて救いのない迷信を相手にするよりも対抗でき得るというもの。
何にせよ信じるか信じないかは僕ら次第だ。
「でも……あれが……港なら……」
エマの声はまだ震えている。
エマが不安そうに下を向くとコーメイが大丈夫だよと頬を舐める。
「にゃーん?」
エマもフアナを見た時、一番に浮かんだのはドッペルゲンガーだ。
そういう世代というのもある。
あ、死ぬな……と思った。
でも、ずっと震えながらもエマの思考はぐるぐると回っていた。
いくつも立てた仮説の中で思いついてしまった一つが、どうしても頭から離れなくなった。
何よりも怖くて辛い事。
自分の方が偽物で、聖女フアナが本物だとしたら……と。
「あのね?」
怖い。
「にゃ?」
「コーメイさんは……」
訊くのが、怖い。
「にゃん?」
コーメイさんは港の呟き程の小さな声も聞き逃さずに相槌を打つ。
うん。なあに?
大丈夫だよ、言ってごらん?
だが、コーメイさんが優しければ優しい程にエマの恐怖は増してゆく。
「コーメイさんは……あっちの、港の方に……港の方が、私じゃなくて、あっちの港と一緒に……いたいって、思ったり……するかもしれないって」
ぽろぽろとエマから涙が溢れる。
自分が持っているのは港であった頃の記憶だけだ。
学園で見た聖女のフアナも同じような記憶を持っていたとしたら?
それは港だ。
偽物は自分の方だ。
エマは偽物で、フアナが本物。
学園でひそひそと囁かれていた悪口が、今になって心に傷をつける。
コーメイさんがそうだと判断したら?
コーメイさんが、エマから離れフアナの元へ行ってしまったら?
やっと会えたのに。
ずっと一緒にいるって言ったのに。
ずっとずっと一緒にいたいのに。
また、コーメイさんと別れるのは嫌だ。
また、あんなに痛くて苦しい思いは嫌だ。
それが、怖くて怖くて仕方がなくて、エマは動けなくなった。
「にゃーん……」
コーメイは必死に首を振る。
エマのそばにいる。
絶対に離れない。
ずっと一緒にいる。
そんな馬鹿なこと考えないでと。
でも、コーメイさんはまだ、フアナを見ていない。
フアナを見てしまったら、もしかしたら……。
「コーメイさんが、行きたいって言っても、私、私、いいよって言えない。コーメイさんと離れたくないっ……の。……ごめんね? ごめんね?」
エマはコーメイにしがみつく。
また、コーメイがいない世界で生きて行くのが怖い。
フアナが本物なら、エマは自分は何なのだ。
それに失うのは、コーメイさんだけじゃない。
家族もだ。
「お父さんも、お母さんも、航兄もぺぇ太も……わ、私がほんとは偽物でも一緒に、いてくれる?」
不安で怖くて苦しい。
聖女は漫画でも小説でも乙女ゲームでも主人公ポジションだ。
転生なんて創作の世界のような体験をしている今、明らかに敵になるのは偽物聖女と言われている自分だろう。
みんな、家族がみんな敵になってしまったら?
フアナと名乗る港がエマの場所を奪おうとしたら?
断罪後の悪役令嬢のように全部失ってしまったら?
この世界で楽しく生きられるのは家族がいたからだ。
その家族が、敵になるなら……ドッペルゲンガーなんかより、もっともっと恐ろしい。
震えが、止まらない。
「お前は……相変わらず斜め上の上のことまで考えて……」
はぁ……とゲオルグがため息を吐いてから、立ち上がる。
猫に囲まれたエマの頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でて、笑う。
「エマが俺の妹なのは俺が自信を持って保証してやる。なんの心配もない。コーメイもだろ?」
「にゃんにゃん!」
ぽろぽろと溢れるエマの涙をコーメイが舐める。
「兄様、ホントに? コーメイさんずっと一緒にいてくれる? 皆も?」
ゲオルグの言葉に必死にしがみつくようにエマが震える声で尋ねる。
「うぐぅ……エマ……そんなにパパのこと好きだったんだね? 絶対に離すわけない! たとえ港の姿をした者がいようとも、私の愛する娘はエマだけだよ! 絶対に、偽物なんかじゃない。この愛は本物なんだから!」
がばぁっと号泣したレオナルドが猫ごとエマに抱きつく。
「斜め上にも程がありますよエマ。この私が自分の産んだ子供を間違えるとでも? あなたは前世の港で今世のエマです。ほら、大丈夫だから泣き止みなさい」
メルサもエマの涙をハンカチでそっと拭いてやる。
「ひっく……うー……でも、あれは、港で……死ぬ前の、姿、そのままで……」
観察力の優れたエマだからこそ、あの姿は不安になるほど港だと分かってしまうのだ。
たくさんの物語を読みまくったオタクだからこそ、怖いのだ。
「大丈夫だよ、エマ。妹を間違えるほど俺はアホじゃない」
「にゃーん!」
「エマァ……うぐぅ……ひぐっ……エマはパパが守るから……泣かないでエマァ……」
「もう、あなたもエマもしっかりしなさい。ちょっと、ウィリアムも何か言ってあげなさい」
泣きじゃくるエマを家族が宥めているなか、一人考え込んでるウィリアムにメルサが声をかける。
「さすがは姉様……目の付け所が常軌を逸して……そうですね、……乗っ取りパターンはあるかも?」
ふむ、と田中家随一のオタクであるウィリアムはエマの仮説に頷く。
「ウィリアム!?」
この状況で今、言うか?
とメルサが睨む。
「いや……僕も間違いなく姉様は姉様だと思っています。ですが、ぶっちゃけ万が一、億が一でもあのフアナ様が本物だったとしても……僕はアラフォーのみな姉より見た目ロリ美少女のエマ姉様を選びますから安心して下さい!」
キリっとキメ顔でウィリアムが言い切る。
こんな明白なことに選択の余地はありません、と。
「うわーん……ぺぇ太がクソキモすぎるー」
それを聞いたエマがひときわ大きく泣き出す。
「ふふふ、その口の悪さは間違いなく、みな姉ですよ」
柔らかく笑ってウィリアムも立ち上がり、すでに猫と家族にがっしりと抱かれたエマに抱きついた。
シリアス「はあ、はあ、おれはやってやったぞ」
ピンチ 「おい、やりすぎ!! お前こんな派手にやるとあ
のお方が黙ってないぞ? この世界のドン、コメディの旦那がな!」
シリアス「大丈夫、コメディの旦那は正月休み☆だから」
ピンチ 「バカ野郎! もう、2月が来るんだぜ!?」
シリアス 「嘘だろ? もう、2月が!? まだ正月の餅、冷凍庫にあるぞ!?」




