重量級。
誤字脱字報告に感謝致します。
「アーオ!」
「アーオ!」
「アーオ!」
「だ、旦那様。さっきから急にです」
門番のエバンから緊急だと呼ばれて来てみれば、コーメイがガリガリと屋敷を囲む高い塀に爪をかけ鳴いていた。
リューちゃん、かんちゃん、チョーちゃんの三匹も落ち着かない様子でうろうろと歩いてはチラチラと心配そうに門を見ている。
「エマに何かあったんだ……」
エバンはヒヤリ……と空気が冷たくなったような感覚を覚え、背の高いレオナルドの顔を見上げる。
「ひっ!!」
そこには、悪魔ですら逃げてしまいそうな顔をした主人の姿があった。
「学園に、行って、くる……」
奥歯を噛み締めた状態から絞り出すようにレオナルドが声を出す。
「で、ですが! 学園へは許可がないと……!」
学園は部外者の侵入を良しとせず、それは保護者であっても変わりはない。
ウデムシ事件の際、エドワード王子が騎士団の派遣を命じたことは特例中の特例だった。
王子ですら後始末に大量の書類の山を処理することになったと聞く。
目の前の主人は、王族ではない。
書類だけで済まされるわけはないだろう。
「学園の決まりなんか、知ったことか! エマを助けに行かねば!」
鼻息荒く、レオナルドはエバンの制止を振り切る。
魔物狩りで鍛え上げた屈強な主人を止めるのは初老のエバンには厳しい。
「ちょっと! 誰か! メルサ様を呼んで来てくれー!」
一か八か叫ぶも、スチュワート家の敷地は広く、使用人達は声の届く範囲にはいなかった。
「だ、旦那様が……誰か……」
「うにゃ!」
諦めかけた時、白猫のチョーちゃんが一声鳴いて屋敷へと駆け出した。
僕に任せて、と言わんばかり猫の行動にエバンはポカンと口を開ける。
「え? 猫? 通じた? え? いや、まさか……」
そんなわけあるか、自分も気付かないうちに大分一家に毒されてしまったようだ……と思ったのも束の間、巨大な白猫はその背にメルサを乗せて帰ってきた。
「うにゃん!」
おまたせ、とでも言うように猫が鳴く。
「…………え? チョーちゃん? あ、ありがとう?」
「にゃ!」
猫……空気読め過ぎ。
「あれ? ん? 猫……と会話ってできたっけ?」
たしか、エマ嬢ちゃんが猫語はノリと勢いだと言っていたが、あながち間違いではないのかもしれない。
「何があったのです?」
しゅたっと慣れた仕草でメルサが猫から降りる。
馬にすら乗れなくてもおかしくない元公爵令嬢、現在伯爵夫人が、颯爽と猫に乗って現れるとは……一番ちゃんとしているように見えても間違いなく彼女もスチュワート家なのだった。
「メルサ! 大変だ! コーメイさんがエマが危ないと言っている!」
レオナルドは今にも出ていく寸前であった。
その間も、コーメイはアーオ アーオと鳴きながら、塀をガリガリ掻いている。
「落ち着きなさい、あなた」
コーメイとレオナルドを交互に見た後、メルサが止める。
「落ち着けるわけがないだろう!」
エマがピンチなんだ! スライムの時のようになってからでは遅いとレオナルドも引かない。
「コーメイがここにいるなら、命にかかわることではないのでしょう?」
エマが死にかけた局地的結界ハザードの時は即座に飛び出して行ったのだ。
「コーメイは屋敷の敷地から出てはいけないという約束を守って我慢しているのですよ。あなたも我慢なさい!」
学園なんて甘やかされた貴族の子供の溜まり場。
最近、聖女が現れただのなんだのの影響でエマはいわれのない批判を受けているようだった。
本人はなんともケロッとしていたが、何度も何度も悪口を言われれば辛くなることもあるとメルサは知っている。
「でも、メルサ! こんな、こんなに、コーメイさんが鳴いてるのに!」
アーオ! アーオ! と鳴くコーメイに心が痛む……が。
「あなたも、コーメイさんも、娘離れしなさい! あの子今、何歳だと思ってるの!? 過保護が過ぎます!」
父親と猫からの愛が重すぎて、どんなに令息達がアピールしようと全然気付かない残念な子になっちゃったではないか。
孫無しの人生なんてもう、ゴメンなのよとメルサは言いきる。
「エマはまだ、十三歳……ゴニョ(とんで三十五歳)……じゃないか!」
「そうよ、十三歳と……ゴニョゴニョ(三十五歳)なのよ!?」
今の自分達と殆んど変わらない年齢なのだ。
ん? ……うちの娘……大丈夫か?
「何歳になっても娘は可愛いし、心配なんだよ!」
「あなた! そもそも何かあっても、ゲオルグとウィリアムが一緒にいるのですから…………あ!……そういえば今日は古代帝国語の授業がある日だったわね」
つまりはゲオルグが使い物にならない日。
「うわぁ! やっぱり、やっぱり学園に行ってくる!」
「あ、あなた! ちょっと、待て、こら!」
レオナルドが屋敷の門の横にある家族、使用人用の扉へと走りだす。
「っうにゃ!」
「ぶべっ」
メルサが止める前にレオナルドが吹っ飛んだ。
いきなりコーメイがなかなかの勢いで体当たりしてきたのだ。
人間としては巨体のレオナルドも相手がコーメイではひとたまりもない。
「うおっとっ……ちょっとコーメイさん、酷いじゃないか!」
数メートルは吹っ飛ばされ、それでもレオナルドはザッと不意打ちにしては上手く着地をキメる。
猫の容赦ない攻撃に文句の一つでも、と顔を上げれば先程目指していた扉が向こう側から開くところだった。
「あっ! コーメイさん! 姉様、コーメイさんが迎えに来てくれてますよ!」
扉を開けたウィリアムを先頭に、ヨシュアにお姫様抱っこされたエマ、ずぅぅんと暗い表情の(古代帝国語を終えた日ではお馴染み)ゲオルグが入ってくる。
「エマ!」
吹っ飛ばされた距離がもどかしいと娘の姿を見たレオナルドが駆け寄る。
「何があった? 怪我は?」
ぎゅうとヨシュアの首にしがみついているエマに反応はない。
「にゃー!」
ぬるっと心配するレオナルドの前にコーメイが割り込み、一声鳴く。
「っ! コーメイさん!」
その鳴き声に、弾かれたようにエマが顔を上げた。
ヨシュアの首からコーメイの首へと移ろうとする動きに合わせ、ヨシュアがエマをそっと下ろす。
「にゃん! にゃ?」
「コーメイさん、コーメイさん、コーメイさん」
「にゃ? にゃ!」
「なんで……?」
「にゃんにゃにゃ?」
「こわい、こわい、こわいの」
「にゃーん……」
ガタガタと震えるエマをコーメイがくるみ、優しく舐め、頬擦りする。
さらにリューちゃん、かんちゃん、チョーちゃんが擦り寄って来て周りをぐるりと囲んで心配そうにエマのにおいをスンスン嗅いでいる。
「ヨシュア君? これは、どういうことかな?」
「ひっ!! レオナルド様! 落ち着いて下さい! いけません! 人殺しは絶対にいけません!」
エマの様子を見たレオナルドがヨシュアに向けた顔は、エバンがさっき見た何倍も怒気をはらんでいた。
「お父様! ヨシュアは助けてくれたのです! 詳しいことは後で説明をしますから落ち着いて下さい! とりあえず、剣から手を離して!」
「お父様、冷静に! 情けない話ですが、俺達だけだったらまだずっと学園で震えてたかもしれません」
ウィリアムとゲオルグがヨシュアを庇う。
「そもそも、お前達がついていてどうしてエマがこんなに怯えているんだ?」
二人の声にレオナルドの怒りの矛先がヨシュアから兄弟へ移る。
「よ、予想外と言うかあり得ないことが起きたのです!」
「あれは、俺でも震えますよ!」
不測の事態で、対処も何もどうすればいいのか分からなかった。
エマだけでなく、ゲオルグもウィリアムも動けなかったのだ。
「レオナルド様、エマ様をよろしくお願いいたします。僕はこれで失礼します」
レオナルドの勢いに気圧される様子もなく、ヨシュアは猫に囲まれるエマを一瞥したあと、頭を下げて踵を返す。
「ヨシュア! 今日は助かった、ありがとう!」
普段のことを考えると驚くほどあっさりと帰ろうとするヨシュアにウィリアムが違和感を感じつつ、声をかける。
ヨシュアはそれに気にするなと笑顔で応えたが、何故かその表情にウィリアムの背筋がゾクっとした。
◆ ◆ ◆
「ヒュー、いるかい?」
スチュワート邸を後にしたヨシュアが、馬車に乗る前に呟く。
「もちろん」
しゅんっとニンジャの技術を学んだスラムの少年ヒューイが現れる。
「いやぁ……レオナルド様めっちゃ怖かったな……って、うわっ! ヨシュアの兄ちゃんも、なんて顔してんだよ!?」
ヨシュアの顔を見たヒューが一歩後退る。
「何があった?」
「廊下で言った通りだよ。聖女を見たら三人ともあの状態で……」
一部始終を見ていても何が何だかなんだよとヒューが肩を竦める。
「……とにかく怪しいのは聖女か……まずは状況把握だな。ヒュー、報酬は弾むからあのフアナ嬢について調べて貰えるか?」
「はいよっ、エマ様にはオレも世話になったからな。しっかり調べてやるさ。でもさ、皆ちょっと過保護過ぎねぇ?」
レオナルド、猫達、ヨシュアに王子まで……。
確かにあんなに怯えてたら心配だけどさぁ……。
貴族ってやっぱりわけ分かんないなとヒューは首を捻る。
「ヒュー、この世で最も愚かな行為は何だと思う?」
「へ?」
「エマ様から笑顔を奪うことだよ」
「いや、怖ぇよ」
ニンジャのヒューは、変態の愛の重さから逃げるようにフアナ嬢の偵察に向かった。
更新遅くなりました。
久しぶりに猫登場ですね。
シリアス&ピンチさん「頑張ってはいる」




