クレーム。
皆様、明けましておめでとうございます。
今年も「田中家、転生する。」をよろしくお願いいたします!
「大変申し訳ございません。当店では只今綿製品は取り扱っておりません」
「あの、それでは……困るのです。倉庫に少しくらいはあるのでしょう?」
「いえ、全く。今年、ロートシルト商会は綿を入荷しておりませんから」
「何故なのです? 下着の新調で毎年この時期、綿は絶対に必要なのに」
「何度も言っておりますが、今年帝国から寄せられた綿が我が商会が売るに値しない品質だったからです」
「でも、ほんの少しくらいは残って……」
「いいえ、全くございません」
「…………こんなことを言いたくないのですが、私の主人は侯爵家ですよ? ずっとこちらの商会を懇意にしていたというのに、どうにかならないのですか? これでは今後の付き合いを考え直さなければと主人に進言しなくてはならなくなってしまいます」
かれこれ一時間くらい、侯爵家の使いが店員をつかまえて綿を出せとごねている。
それが珍しい光景でなくなったのは、ヨシュアが皇国から帰国して数週間経った頃からだった。
三兄弟に遅れて学園復帰はしたものの、日に日に増えるクレーマーの対応に追われ休む日も多い。
「お客様、失礼致します」
何度も何度も、綿はないと言っても納得してくれない客に困り果てていた店員に代わろう、とヨシュアは目配せする。
店員はやっと解放されることへの安堵と、店の責任者とはいえ自分よりも十以上も若いヨシュアへ押し付けることへの居たたまれない気持ちが入り交じった複雑な表情を浮かべていた。
自分は大丈夫だからと、彼の背中をポンっと軽く叩いて頷いてみせてから客へと向く。
「我が商会には、大変上質な絹もございます。侯爵家でお使いになられるのなら綿よりも相応しいかと……」
「は? なんだ? お前? お前じゃ話にならないんだよ!」
年若いヨシュアに、客の態度が変わる。
「申し遅れました。わたくし、ヨシュア・ロートシルトと申します。王都でのロートシルト商会の店舗全てを任されております」
苦情は全て自分が聞きましょうとにっこりと笑い、横柄な態度に変わった客に丁寧に自己紹介する。
もう、営業スマイルが板につきすぎて戻らないのではないかと思う。
「責任者……っ? お、おい、じゃなくて…………いや、あの、おかしいですよね? 店に綿がないなんて! どう責任を取るつもりなんですか?」
ヨシュアの名を聞いた客がまた、態度を変える。
「我がロートシルト商会では、大切なお客様に満足して頂けるように商品は責任をもって厳選に厳選を重ねて提供しております。先程の店員も何度も申しました通り、今年の綿の質はお客様に提供するレベルを満たしておりませんでした。ロートシルトと名の付く店舗に、粗悪な商品を並べるなんて出来かねます。絹や麻なら品質の良いものが揃っておりますよ」
ないものはない。
父が一巻きの綿生地すら買わなかったのだから、事前に調べていた情報よりも、帝国の持ってきた綿は酷かったのだろう。
「バッ……っ。絹では贅沢だと教会の教えを知らないのか? それより、私の主人に麻なんかを身に付けろと言うのか!」
ずっと同じ事を繰り返すクレームに辟易するも、商会の者には、ないものをあると白を黒と言うことは絶対にするなと言い聞かせている。
信用は何より大切で、その場しのぎに逃げるような従業員教育はしていない。
「ただの麻ではございません。我が商会が自信をもって提供する最高級の麻です。お客様の仕える侯爵様が社交シーズンに買い漁りになった綿生地とは比べものにならないくらいの、清潔で肌触りの良い逸品でございます」
「なっなにを!」
クレームが増えるのに時差があったのは、貴族達は例年通り綿生地を帝国から買っていたからだった。
中身を確認せずに買っているのだから、黄ばんだ綿生地にはさぞや驚いたことだろう。
詐欺にあったと訴えるには貴族のプライドが邪魔をする。
そもそも帝国に面と向かって文句が言えるならここで騒いでいない。
売れそうにない生地は、購入した家で消費するしかなく、下着として仕立てて、使用したものの不具合があるのだろう。
ただ、絹か麻で下着を作るだけで問題は解決するのだが。
目の前の客を憐れむ。
店に入ってきてからずっともじもじと足を擦り合わせている。
目の前の客だけでなく、商会に綿生地を求めにやってくる者は似たような動きをしている。
きっと痒いのだ。
あんなもの下着にしたら変なぶつぶつができる上に、二、三回洗濯したらもう、穴が空くんじゃないか?
なんて父が言うくらいの粗悪品なのだから。
「綿製品は余るほどお屋敷にあるのでは? 今年、侯爵様が目利きして購入した綿生地の量くらい、うちは把握しています。商売とは売り買いの前から始まっているのです」
侯爵の失敗を擦り付けられた目の前の使用人も気の毒ではあるが、そのイライラをこちらが引き受けることまではしない。
この客が帰れば、午後からの授業に出れるのだ。
お客様は神様……のように一応は扱うが所詮、神様止まり。
「……早くエマ様に新作のジェラートを食べさせてあげたい」
ヨシュアには、神よりも遥かに大切な天使がお腹を空かせて待っているのだから。
◆ ◆ ◆
「兄様、しっかりしてください」
「あんなに頑張ったのに……やっぱり何も分からなかった……」
「兄様、結局毎回、全然ついていけてないですね」
学園の廊下をとぼとぼと歩くゲオルグにウィリアムとエマが励ます。
連日の予習も虚しく古代帝国語の授業は散々な結果だった。
皇国に行ったことによる遅れなんて微塵も感じさせない程に、元々全くできないのだ。
「なんで、あの教師……毎回古代帝国語しか話さないんだ? ここは王国だぞ?」
「兄様、古代帝国語の授業中にも後にも毎回言ってますけど、先生、王国語で説明してくれてますよ?」
「そんなわけないだろ? だって一言も頭に入ってこないぞ?」
「いやいや、兄様。苦手意識強すぎですって!」
肩を落とし、辛うじて歩いていられている程の気力しかないゲオルグを両脇からウィリアムとエマが支える。
ゲオルグが一番輝いていた狩人の実技の授業でのゴリラ並みの体力はどこに消えたのか、心なしか萎んですら見える。
「でも、古代帝国語を理解できないと魔物学の中級から困ることになりますよ」
別に試験に合格しろとまでは言わないが、理解できないと魔物学に支障がある。
魔物の知識は古代からの積み重ね。
脈々と伝えられてきた資料を読み解くには、古代帝国語は避けては通れない。
「分かってる……んだけど……分からないんだ……」
ガックシと、ゲオルグはその場で膝をつく。
こうなってはしばらく動かない。
「何がそこまで難しいのでしょうか……」
転生後の頭の出来がハイクオリティーなウィリアムには分からないことが分からない。
「だから、まず、教師もお前らも、王国語で教えてくれよ……」
「だから、先生も僕らも、王国語でずっと教えてるんですよ?」
何度も何度も言った言葉を、ウィリアムが根気よく諭す。
「バカな! それならなんで、俺は全く分からないんだ!?」
「「…………こっちが聞きたいです」」
皇国語が分からない王国人だって雑ではあるもののその場で聞けばヒヤリングができるというのに、兄はそれすらできない。
学園復帰から数週間経って、フアナ派VSエマ派の攻防は激しさを増す一方だったが、目下、三兄弟の心配は兄のお勉強であった。
社交シーズンが終われば、試験まで半年をきる。
いかにのほほんと暮らすスチュワート家も、試験だけは避けては通れないのだ。
「兄様、今日も帰って勉強です!」
「…………王国語か日本語で説明してくれよ」
「いつも、いつも、王国語ですって!」
「……嘘だと……言ってくれよ頼むから」
「姉様も手伝って下さいね?」
「え? そろそろ猫と遊びた……」
「姉様!」
「……はーい……ってあの人だかり何?」
渡り廊下の窓から下を覗けば多くの生徒が集まっていた。
これから昼食だというのに、あちらは食堂棟から随分遠い筈である。
「あれは例の聖女様が綿を配ってるんだよ」
シュンっと音と共に少年が現れる。
「あれ、ヒューじゃん? なんで学園にいるの?」
「ああ、ここでバイト中なんだ今」
ゲオルグから魔物かるたを盗んだ、スラムの少年ヒューイだった。
渡り廊下に他に人気がないのを確認して姿を現したのだ。
皇国のニンジャから忍術を学んだ彼は気配を消して誰にも見つかることなく、どこにでも侵入できるため、学園で依頼者の婚約者の浮気調査だったり、嫌がらせの犯人捜しだったりをして稼いでいるらしい。
「そうなんだ? 何の仕事? 手伝おうか?」
ヘロヘロの兄を廊下に座らせてウィリアムがヒューに声をかける。
「チッチッチッ。ウィリアム様、仕事にはシュヒギム? ってのがあるんだ。内容は教えらんねーよ」
「うわあ、カッコいい。プロっぽいね!」
「ヒューはスラムキッズで一番の稼ぎ頭だものね!」
ヒューのニンジャっぷりにウィリアムもエマも口々に褒める。
「へへっ、まーな。あ、三人ともあんまりあの聖女には近づくなよ」
ヒューは窓から見える人だかりを見つつ、釘を刺しておく。
今日の仕事の依頼人はヨシュアだ。
依頼内容はヨシュア不在中に聖女フアナとエマが遭遇しないようにする事。
独自のルートで、ヨシュアはフアナがエマに会いたがっているという情報を掴んでいた。
フアナの目的が分からない以上、何かあってからでは遅いとヨシュアが学園に行けない日はヒューを忍ばせていたのである。
ストーカーと紙一重というか……ストーカーそのものであった。
「んー……でもどんな子なのか気にはなるのよね」
窓枠に肘をついてエマは聖女を探す。
人だかりの中心、一際黒に近い髪色の女生徒が、遠目でも分かる黄ばんだ綿生地を配っている。
「ん? あれって……」
エマにとって髪色が黒に近かろうが大して気にすることではなかったが、聖女の髪色には何か、引っ掛かるものがあった。
よくよく見ようと凝視したタイミングで、聖女の顔が上向きに角度を変えた。
「っ! ひぃっっ!!」
聖女の顔が見えたのは一瞬。
だが、その一瞬で全身に悪寒が走る。
「な……んで?」
フアナの視線から逃れるようにエマはゲオルグの隣にしゃがみ込む。
「? 姉様? どうしたのですか?」
「どうした? エマ?」
突然のエマの悲鳴にウィリアムと項垂れていたゲオルグが尋ねる。
「あ……あれ! ……フアナ様の……顔……顔が!」
ガタガタと震えだしながら、エマは必死に窓を指差す。
「フアナ様? がどうし…………! うわぁ!!」
「!! おい! ウィリアム窓から離れろ!」
エマの示す窓を覗いたウィリアムもゲオルグもフアナを見た瞬間にしゃがみ込む。
「お、おい! 三人ともどうしたんだよ!?」
聖女を見た三兄弟の反応にヒューが驚く。
「あ、あれって……いや、なんで? え? なんで? どういう展開?」
「どういうことなんだ?」
「…………どうしよう、どうしよう、どうしよう」
ガタガタ震えるエマの肩を抱くゲオルグの表情は、さっきまでの項垂れた姿から一気に緊張感が生まれ、ウィリアムはウィリアムでぶつぶつとその回転の早い頭をフル稼動させて事態の収拾を図っている。
「なんだよ? どうしたんだよ!? ……あっ! ちょっと待ってろ? 動くなよ?」
ヒューが声をかけても、応える余裕のない三兄弟。
こんな動揺した姿は見たことがない。
しかし、ここは学園。
いつ、他の生徒が現れるか分からない。
こんな状態の三兄弟、見られでもすれば騒ぎになってしまうだろう。
困りに困った時、ヒューは近くに複数の生徒の気配を察知する。
その中の一つは、今日の依頼主のものだ。
もう、頼れるのは彼しかいない。
ピンチさん&シリアスさん
「最近、人使いあらくね?」
「まあ、まあそう言わずに、新年一発目ですから気合い入れて行きましょうよ!」
皆様、「田中家、転生する。2」発売いたしました!
何卒よろしくお願いいたします!
発売日より、本が書店に並ぶのが遅れたところもあったようです。
空振りしてしまった方がおられましたら申し訳ございません。




