魅了の魔法。
誤字脱字報告に感謝致します。
「ほっ、本当によろしいのですか? フアナ様」
スチュワート三兄弟が学園復帰した翌日の昼休み。
聖女フアナを囲んだ生徒達から驚きの声があがる。
「ええ。こちらは王国の商人が購入を拒んだものを教会が買い上げた生地です。皆さんお困りのようでしたので私から司教様にお願いをして分けてもらいました。これで新しい下着を作って下さい」
教会から持ってきた綿生地をフアナが笑顔で手渡す。
「さ、さすが聖女様……」
「本物は違う……」
「聞いたか? スチュワート家のエマ様は綿が無いのなら絹を使えばいいなんて言ったらしいぞ?」
「まぁ! お金持ちの領は違いますわね? きっと普通の暮らしなんて何も分かってらっしゃらないのだわ」
「それに、絹だなんて教会の教えに背く行為ですわ。なんて罪深い方……でも、仕方ないかしら、偽物聖女ですもの」
ロートシルト商会が価格とあまりの質の悪さに買い取らなかった綿の全てを教会が買っていた。
費用は毎年寄せられる膨大な寄付金で賄われたことを知る者は少ない。
「やはり、フアナ様が本物の聖女様ですね」
「エマ様が教会に認められないのは、それなりの理由があるってことだな」
質が悪いのに遥かに高い相場で購入された綿を生徒達はありがたそうに受け取りながら、フアナを称えエマを蔑んだ。
その様子を満足そうに見て、フアナは一人、また一人と綿を配っては魅了を深めてゆく。
「貴方達もどうぞ?」
綿とフアナに群がる生徒達を、遠巻きに見ている令息達に気づいたフアナは、その者達にも恵んでやろうと綿生地を差し出す。
「…………いえ、結構です」
一旦受け取ったものの、その令息は綿の状態を見てフアナに戻す。
「?」
フアナは首を傾げる。
おかしい。
この状況でフアナの好意を断れる人間がいるなんて信じられなかった。
今、フアナを中心とした半径10メートルは【魅了】魔法の効果範囲内である。
みすぼらしい黄ばんだ生地一枚一枚にも、せっせとよく見えるように魔法をかけてある。
これに触れば更に魅了の効果は高まるはずなのに、目の前の令息は何故か正気を保っているようだった。
「あの、ですが……綿がなくてはお困りになるのでは?」
王国の豪商だというロートシルト商会が買う予定にしていた綿は膨大な量だ。
それが全て教会の中にある。
他の商会、貴族と帝国商人の間で個々で取引されたものだけでは、全然足りないはずなのだ。
そのため王国では今、簡単には綿を手に入れることはできない。
「この綿で仕立てた下着を着るくらいなら、まだ絹や麻の素材の方がマシですね」
黄ばんだ綿生地を一瞥して、その令息は首を振る。
魔法が………効いていない?
精神に働きかける魔法は、相手を選ぶ。
意思の強い者、死線を潜り抜けた者、欲のない者には効力がやや弱いことは経験則で認識はしていたが。
ここまで全く無効なのは、はじめてではなかろうか。
この令息……どこまでも意思強く、数多ある死線をくぐり、それでいて全くの無欲だと言うのか?
パッと見、普通のその辺にいる令息と違いなどないのだが。
「あの、では、後ろの方々は……?」
わざわざ強靭な精神力をもつ魅了の効かない生徒を相手にするのは得策でないと、後ろにいるその令息の友人達にターゲットを変更し声をかける。
驚きはしたが、たった一人に魅了がかからなくても大きな支障はない。
むしろ、その者の周りを取り込み、じわじわと孤立させて仕舞えばいい。
「……黄色いな……僕もこれは要りません」
「…………お気持ちだけで大丈夫です」
「うわっ……これは……いらないかなー……」
だが、フアナの企みを嘲笑うかのように、その友人達もこぞって綿を返してくる。
「なっっ!」
信じられなかった。
彼らにも魅了が効いていない。
「お、お前達! フアナ様のせっかくの好意を、失礼だろう?」
「フアナ様、お気になさることはありません。あの者達は少々オカしいのでしょう」
まさかの事態に驚きを隠すことができずに立ち尽くしていると、フアナに魅了された生徒達が令息に声を荒げる。
「い? いや、だってこんなの下着にするの抵抗があるだろ?」
「王都育ちの綿素材の下着へのこだわり……理解できないんだけど?」
「着たらなんか変なぶつぶつ出そうだしな、それ……皆こそ、ちょっとオカしくないか?」
目がなんか……イっちゃってる……。
と、令息達は魅了された、焦点の定まらない目の生徒達の様子を訝しげに見て心配すらしている。
「………………」
「おっ、オカしいのはお前達だ! フアナ様、こんなやつらに関わってはなりません」
「そうです。ただの嫌がらせですよ。フアナ様が聖女だと教会が正式に認めたものだから……負け惜しみですよ」
どうやっても魅了がかからない謎に考え込むフアナに、聖女フアナ派と呼ばれ始めている魅了済みの生徒達がフアナの擁護に声を張る。
以前から王都は魅了魔法のかかりが悪いとなんとなく感じていたが、学園敷地内とフアナの半径10メートル内では効果の強さの桁が違う。
直接魔法をかけた生地に触れても正気のままでいられる者が何人もいるなんて通常あり得ない。
だが、しっかりと魅了が効いている者も多いので自身の力が弱くなったとも考え難い。
「あ! そろそろ食堂棟の中庭へ行かなくては!」
「本当だ、今の鐘、何個目だっけ? 昼休みが終わってしまう」
「急がないと! 悪いけど綿は他の欲しがってる人にでもあげてやってくれ」
昼休み中に15分ごとに鳴る鐘が鳴り、魅了の効かない令息達はなんの抵抗もなくその場を後にした。
「あっおい! フアナ様に謝罪してからっ!」
「どうせまた、あいつらエマ様に菓子でも持っていくんだろう?」
走り去る令息達の背中を見ながら、生徒がため息を吐く。
「エマ……?」
それは学園でフアナと同じくらい生徒達の話題にのぼる名前だった。
フアナの前に聖女と言われていた少女の。
「あの、あいつら全員エマ派なんですよ」
「そうです。我々が聖女フアナ派と呼ばれるようになったので、あいつらは対抗して天使エマ派なんて言い出しているのです」
「エマ嬢は教会に認められてない偽物、フアナ様が気にすることはありません!」
王都で暮らして、度々耳にするエマ・スチュワート伯爵令嬢。
社交界で一時的に持て囃されていただけの令嬢と気にしていなかったが、魅了魔法に問題が生じている今、些末な事にも慎重に対処しなくては計画が瓦解する可能性も出てくる。
「本格的に邪魔になる前に排除しなくては……」
「え? フアナ様? 今、なんと?」
「私、エマ様と会ってみたいわって言いましたの。今度ご紹介して頂けますか?」
にっこりと、フアナは笑う。
エマの笑顔が天使ならば、フアナのそれは聖女ではなく、悪魔に近いものだった。
その悪魔の微笑みにうっとりと聖女フアナ派の生徒達がより深く魅了されてゆく。
「仰せのままに。しかし、エマ嬢なんて全く普通のただの令嬢です。フアナ様が誰よりも一番綺麗なのですから」
◆ ◆ ◆
「まあ! クリス様、お久しぶりです。え? クッキーですか? 嬉しい! ありがとうございます」
フアナから逃れた令息達は、エマに差し入れを持って会いに来ていた。
ずっと心配していたが、昨日から学園復帰したと耳にし、急いで商店街までクッキーを買いに走ったのだ。
「やっぱり、かわいい」
「まさに天使」
「癒される」
プレゼントのクッキーを美味しそうに頬張るエマの姿を令息達は満足そうに愛でる。
……いや、どっからどう見てもエマさんが圧勝だろ?
フアナ嬢…………? いや、可愛さの次元が違うよな?
そもそも、あのゴミみたいな綿をどや顔でプレゼントって……大丈夫か?
「あ、そうだ! 船旅中にたくさん御守り作ったんです。良かったら皆様貰って下さい! 皇国の神社……教会みたいなところで売っているものを参考にしたので変わったデザインと思われるかもしれませんがお清めの塩が中に入ってて……」
クッキーのお礼だと、大きな鞄からエマが手作りの御守りを令息に手渡す。
「よ、よろしいのですか!? こんなデザイン初めて見ます」
「うわあ、なんて素敵な刺繍……」
「これも、毎日持ち歩こう!」
エマがお菓子のお返しにプレゼントする手作りの小物は、スチュワート家で試作された絹や糸が使われており、ヴァイオレット(蜘蛛)の糸が混紡されているものも多い。
ヴァイオレット(蜘蛛)の糸には【対魔法効果】がある。
夏季休暇前、聖女だと噂されていたエマの人気はすさまじく、笑顔見たさにお菓子を差し入れする生徒は後をたたず、地元が近い令息達以外にも少なくない人数がエマに菓子を差し入れた。
エマは大好きなお菓子を貰う度に喜び、お礼も忘れなかった。
エマも、ヴァイオレットも、猫も、ウデムシも不在だった王国で、フアナの魅了魔法が王都に完全に浸透しなかったのは、このお菓子のお礼のお陰だったりする。
生徒 「エマ嬢なんて全く普通のただの令嬢です」
メルサ「ふふふ、中々上手くやっているようね、エマ」
王子 「バカな! エマはかわいい!」
ヨシュア「天使以外の何者でもありませんが?」
ゲオルグ&ウィリアム「そうだったら……どんなにいいか……」
読者様「 」
穴埋め問題。
作者予想「この生徒は正気を失っている」
いつも『田中家転生する。』を読んで下さり誠にありがとうございます!
二巻の発売が十日を切りました!
そわそわがもう、やめられないとまらない日々を過ごしております。
なんと、電子書籍で一巻がセール中らしく、とってもお安くなっているようです。
(コソッ)年末のステイホームに一巻、年始のステイホームに二巻と田中家づくしの正月休みも楽しいですよー。
これからも続けて読んで下さると嬉しいです。
皆様良いお年をお過ごし下さい。




