おかえり。
誤字、脱字報告に感謝致します。
楽しい。
そんな訳がないだろう。
楽しい。
バカなことを。
楽しい。
ロバートは畑を耕しながら毎日、問答していた。
木の根を、石を取り除き、土にしっかりと空気を含ませるようにふかふかに耕された畑を見る度にえもいわれぬ充足感が体中を満たす。
王都にいた時、学園に通っていた時。
こんな気持ちになったことなんて殆どなかった。
遠い昔、常に母親が側にいた幼かった頃にはあった気がする。
母が亡くなってから、父親が次に娶ったのは屋敷で洗濯の担当をしていたメイドだった。
新しい母親は、ロバートに頭を下げ敬語で話す。
公爵家に生まれて、周りに自分より偉い人間は数える程しかいなかった。
だから、皆ロバートには頭を下げる。
義理の母も。
寂しいなんて言えなかった。
関心を得ようと庭を荒らしても、大きな声でメイドに怒鳴っても、学園で目についた生徒を苛めても、新しい母親は何も言っては来なかった。
素直に一緒に茶でも飲もうと言ったとて、彼女はただ、ロバートと対面している時間が早く終わるようにとじっと耐えているようにしか見えなかった。
会話なんてどうやっても成立しなかった。
父親は夜にしか屋敷にいない。
見計らって訪ねてみても面倒そうにロバートのことはお前に任せると言ってあるだろうと執事を睨むだけ。
問題を起こしすぎたロバートは母と妹と生活圏を分けられ、食事も毎日一人でとるようになった。
新しい母親が妹に接するようにロバートにも柔らかい笑みを一度でも向けてくれたら、今ここでこんなことをしていなかったかもしれない。
「ダリウスは力持ちじゃのう」
「畑がみるみる蘇っとる」
「私があと10年若かったら婿に欲しかったわい」
「……いや、10年前でも60超え……」
「60代は、ピチピチじゃあ……」
「ピチピチじゃなぁ」
「………」
公爵家のロバートより、農村にいる下着すら新調できそうにないダリウスでいる方が楽しいなんてそんな訳、ある筈がないんだ。
そんな事、絶対に……。
◆ ◆ ◆
「それにしても、なんで皆様ここまで殺気立ってるのかしら……」
エマが首を傾げて不思議そうに尋ねる。
綿での大損とスチュワート家の社交シーズン不在、エマの偽物聖女。
綿以外は他人事だし、大損したとしても貴族は定期的に領地からの税収入もあるのでパンが買えなくなる程困窮するようなことはないだろう。
怒って良いのは、バカな領主のせいで税負担が増えるかもしれない領民達だ。
「皆、下着を新調できそうにないから……だよ?」
エマが不思議がるのを不思議そうな顔でアーサーが答える。
マリオンもフランチェスカも双子もアーサーと同じようにエマを見ている。
「下着の新調ですか?」
ウィリアムも訳が分からないと詳しい説明を促す。
「教会からの教えにあるでしょう? 神の元に還るため、負のエネルギーの溜まりやすい下着は一年に一度、社交シーズンのあとに新しい物に新調すること。下着は麻ではみすぼらしく、絹では高級すぎる。綿が相応しい」
フランチェスカは幼い頃から何度も聞かされた教会の教えを諳じる。
「へ、へぇ……」
「そうなんですか?」
「変なの」
「え? ご存じないのですか?」
三兄弟のふわっとした相づちにフランチェスカが驚く。
「辺境には教会がなかったので……」
全くの初耳である。
なんなら王都育ちの母からもそんな事聞いたことがなかった。
……まぁ、スチュワート家が毎年下着を新調できるような財政になったのはここ最近で、ずっと貧乏生活だった。
下着を新しくなんて言い出せる雰囲気ではなかったし、財政難から解放された今でも貧乏性だけは治らなかった。
「エマ様、下着は一年に一度全て新しくしないと。肌に直接触れる下着は悪いものが溜まりやすいのです。悪いものを身につけることは神に対する冒涜です。しかし、ここまで綿が不足したとなると……手に入れること自体が難しくて皆、イライラしてしまうのです」
ふ、風水的なやつかな?
真剣に諭すマリオンにエマはまだ、傾げていた首が戻らない。
「あの、絹ではいけないのですか?」
スチュワート家は基本、自給自足生活だ。
領の税収は全部領のために使うと決めている。
自分達で蚕の世話をし、絹を織る。
だから下着も服も絹が多い。
パンツに穴があいても繕って大事に穿いている。
ちゃんと洗ってるから綺麗だもん。
「絹は贅沢なのよね! ケイトリン?」
「絹は贅沢なのよ! キャサリン!」
双子も下着は綿でなければいけないと言う。
そう言えば、ローズ様も絹の寝衣は欲しいと言って喜んだが、下着は断っていた気がする。
「あの、贅沢とは必要以上のものを求めることですよね? 今、綿が手に入らないなら手に入る絹の下着よりも綿の下着を求めることの方が贅沢なのでは? 新調できずに皆様我慢してモヤモヤイライラするよりはずっと良いかなと……」
あまり宗教に縁のない元日本人&辺境民なので、友人達の綿へのこだわりはちょっと理解できない。
第一に、さっきからずっと真剣な顔で皆でパンツの話をしているのに誰も変だと思ってない様子も謎過ぎる。
ぶっちゃけ、綿の生産世界一の帝国由来の教会が、綿をどっさり持った帝国商人が一番訪れる社交シーズン後に綿製の下着の新調を教義に盛り込むなんて……あからさまな気がするのはエマだけだろうか。
エマのもっともな意見に友人達は首を縦に振らず、でもやはり綿が……と口にする。
幼い頃からの教えに背くことへ抵抗があるようだった。
これ、ここまで来ると洗脳なのでは? とも思わずにはいられない。
王国貴族の大半が友人達のような気持ちなのだったら、綿の価格はどんどん高くなるだろうし、絹の価値は逆に下がっていくかもしれない。
「ん? スチュワート家……ピンチですかね?」
パンツの話を雰囲気にのまれて真面目に聞いていたウィリアムがポツリと呟く。
何が何でもエマと一緒にいたがるヨシュアが学園に来ていないのはそういう背景もあったのかと嫌な予感すらする。
ヨシュアがエマに会うのを諦める程のピンチなんて……これはもう大変な事なのでは?
スチュワート家も領地のパレスも大半の収入源は絹製品だ。
ロートシルト商会も手広くやっているとはいえ、絹の売上が下がるのであれば問題ないとはいかないだろう。
「兄様、これは大変なことになるかもしれません」
これから徐々に絹の価格が下がり続ければ兄が領地を継ぐ頃にはまた、あの貧乏生活が待っているかもしれないのだ。
ウィリアムは次期領主になる予定のゲオルグを心配そうに見る。
ただでさえ魔物の出現する領地を治めるのは大変なのに。
「ん? なんの話だっけ?」
ウィリアムの心配をよそにゲオルグは答える。
そう、残念な兄は難しい話はよく分からないのだった。
「それより、ウィリアム……明日の古代帝国語の授業、俺上手くやれるかな?」
ゲオルグがずんと暗い表情になって項垂れる。
古代帝国語は兄の一番苦手科目である。
夏季休暇と皇国の滞在を延ばして遅れた分を取り戻せるか、不安なのだろう。
「…………大丈夫ですわ、お兄様。そもそもお兄様が古代帝国語の授業を上手くやれたことなんて一度もありませんから」
よしよしとエマがゲオルグの頭を撫でて、慰める。
「姉様、それ、傷を抉ってるだけですよ?」
ウィリアムは、やれやれとため息を吐く。
将来の心配よりも、明日の授業の心配……。
いや、そういえば兄が領主になれるか自体が博打案件だったことを思い出す。
兄の古代帝国語のできなさといったら前世の英語を軽く上回る。
他の授業はできなくても、古代帝国語は魔物学(中級)以降に絶対必要になると母が言っていた。
……あれ? 将来困るの下手したら僕なんじゃ?
「兄様、今日は帰ったら古代帝国語、復習しましょう! 姉様と僕でみっちり教えますから!」
「え? ウィリアム、私は他にやりたい事あるのだけど……」
「ダメです! 姉様も協力して下さい! 兄様このままでは卒業できないですよ?」
「えー……でも………」
「ダメです! 勉強です! 兄様が四十過ぎても学園に通ってても良いのですか?」
「それは、ちょっと……嫌かな……」
「ですよね? 今日は勉強です!」
「はーい……」
三兄弟のコントのようなやりとりに友人達は、下着の新調ができないイライラをしばし忘れ、楽しそうに見守る。
「やっぱり、三人がいると賑やかで楽しいね?」
「なんだかほっこりしますわね、ケイトリン」
「なんだかほっこりしますわ、キャサリン」
「無事に帰って来て下さって本当によかったですわ」
落ち込むゲオルグ、必死なウィリアム、面倒そうに承諾するエマ。
いつもの、中庭の四阿の風景に友人達は三兄弟の帰還を喜んだ。
大半がパンツの話になってしまった。
スチュワート家の財力がピンチですよ(必死のアピール)




