冷たい視線。
誤字、脱字報告に感謝致します。
「……いやぁ、見事に無視されてません?」
生物学の授業を終えたウィリアムが周囲を見渡しながら肩を竦める。
王城へ報告に行った翌日、学園に復帰したものの、生徒の誰からも声をかけられないどころか目すらも合わせてもらえない。
ウイリアムが難問をスラスラと諳んじても、ゲオルグが授業の難解さに頭を抱えても皆スルーなのであった。
ローズ様の忠告の通りにもう少し落ち着くまで休むこともできたが、ゲオルグの単位取得への不安とエマの大好きな生物学の授業があるので三兄弟の復帰は早かった。
しかし、皇国に同行していたヨシュアはそうもいかず今週いっぱいは休むのだという。
綿の買えない庶民達がロートシルト商会の麻を求めて行列ができる程の売れ行きで忙しい上に、売り場に綿製品がないことで、貴族のクレームが絶えないらしく、人手が必要とのことだった。
「ローズ様の心配して下さった通りな状況になってるな」
ゲオルグが分厚い教科書を鞄に仕舞いながらため息を吐く。
夏季休暇に入る前なら授業後はゲオルグに勉強を教えに、ウイリアムに勉強を教わりに誰かしら話しかけてきたものだった。
「…………それにしても、姉様は驚く程にいつも通りですね」
ゲオルグのため息を聞いてウィリアムも表情を曇らせかけたが、姉の姿を見れば落ち込むのもあほらしくなる。
エマは授業終了とともに教室を出ようとした生物学の教師を掴まえ、休み前と変わらないテンションで質問の嵐を降らせていた。
「先生! 先ほどの授業の内容ですが……やはり将来的には虫食の可能性もあると思いますの。え? 虫なんて食べられる訳ないですって!? いいえ、先生、虫は貴重なたんぱく源で人間が必要とするビタミンも摂れるなかなか万能の…………」
「うわぁ、そろそろ止めに行くぞウィリアム……」
「はい。兄様……」
虫を食べるなんて授業はしていなかった筈だが、相変わらずエマの考えはぶっ飛んでいた。
皇国でミゲルとイナゴの佃煮について熱く語っていたのでその名残かもしれない。
「先生、たしかに虫の脚は歯に引っ掛かったりして食感は悪いかもしれませんが……幼虫ならどうでしょうか? きっとクリーミーな……」
「エマ、先生どん引いてるから勘弁してやれ。食感とか想像させてやるなよ……」
「姉様、お話はまた次の機会にして、そろそろ昼食に行きましょうよ」
虫食のあたりから教師の顔が青ざめていた。
ゲオルグとウィリアムの制止でやっと解放された生物学教師は逃げるように教室を後にした。
「もうっ、二人とも大事なところだったのに!」
不満そうにエマはゲオルグを睨む。
身長差があるので睨むというより上目遣いな角度になり、見た目は普通に可愛いのに、その口は一生懸命に虫を食べることによる利点を力説しているのだから、うちの妹はマジでヤバい。
「……お前、虫の話は学園では控えろとお母様に言われてただろ」
ゲオルグは睨み付ける妹にデコピンする。
「いったっ! 兄様、虫の話ではなく虫を食べる話です!」
「余計に悪いです!」
エマの反論にウィリアムが突っ込む。
ただでさえ、スチュワート家は良く思われていないと忠告を受けたばかりなのに。
聖女うんぬんでその中でもエマは一番反感を持たれているのに、兄弟の心配を余所に本人は至って通常運転であった。
「それにしても、今日の光合成の授業からどうやって虫食の話になっていくんですか?」
「え? 説明する?」
「いや、しなくていいです」
「なら、先生も帰っちゃったし、ご飯に行きましょ。虫食の話なんてしたからお腹空いちゃったわ」
「「うわぁ……」」
エマの言葉にゲオルグとウィリアムでも、さすがにドン引きした。
◆ ◆ ◆
「「エマ様ー!」」
食堂で昼食をとった後、中庭へ出るといつもの四阿には刺繍の授業で同じグループの友人達が集まっていた。
双子のキャサリンとケイトリンが三兄弟を見つけ、笑顔で手を振っている。
「まあ、皆様! お久しぶりです! ご一緒してもよろしいですか?」
エマは嬉しそうに四阿へと駆け寄り、ゲオルグとウィリアムも彼女たちの変わらない様子に安堵しつつ、エマに続く。
「勿論ですわ、エマ様。先ほどキャサリン様とケイトリン様からご帰国されたと伺ったところでしたの。もう学園に復帰なさっていたのですね? お元気そうで安心しましたわ」
「皇国は未知の国、土産話を楽しみにしていたよ」
フランスチェスカとマリオンも笑顔で迎え、変わらない友情を示してくれたが、中庭にいた他の生徒達は双子のエマを呼ぶ声で三兄弟に気付くと賑やかに談笑していた声を潜め、冷たい視線を送っている。
「…………ここは一段と視線が痛いですね?」
ウィリアムが鞄を抱き抱えるように持ちキョロキョロと突き刺さる視線を確認しながら座る。
たまに聞こえてくる「偽物聖女」はエマへの悪口だろう。
刺繍グループの令嬢だけが異質で、他の者達は午前中の授業で一緒になった生徒に近い反応だった。
「この時期は王都で一番過ごしやすいからね。中庭を利用する生徒が増えるし、我の強い連中が四阿を占領していつも使っている生徒は追い出されてるからじゃないかな?」
三兄弟の後からアーサーも中庭に現れ、我の強い連中……第一王子派に属する生徒の顔ぶれが変わっただけだからと、気休めのフォローをしてくれる。
「あ、アーサー様! お久しぶりです」
第一王子派だろうが手出しのできない高貴な身分の公爵家子息のアーサーの登場にウィリアムが安堵の声を上げる。
「やあ、三人とも無事に帰って来たみたいで良かったよ」
学園内で王子の護衛をしているアーサーは三兄弟が遊びに皇国へ行ったわけではないと察していた。
表情の変わらない冷たい印象の王子エドワードはエマの事になると分かりやすい。
「アーサー様もお元気そうで良かったです」
チリッとアーサーが周囲を睨むと、ひそひそ声が止む。
「いつからこの誇り高き学園は、動物園になり下がったのか……悲しいねぇ文句がある者は先ず、私が聞こう。いつでもどうぞ?」
中庭に聞こえる声で牽制してからアーサーはゆっくりと座る。
スチュワート三兄弟が気に食わないからといって、誰も騎士団長の息子で公爵家のアーサーを敵に回そうという者はいない。
不躾な視線がアーサーの声に逃げるように消えてゆく。
「ありがとうございます、アーサー様。なんとなくローズ様からも忠告頂いていたのですがここまでとは……」
ゲオルグがホッと息を吐く。
腕に覚えのあるゲオルグは下手に敵意を向けられると神経が過敏になるし、直接攻撃されでもすれば守るべきエマとウィリアムがいる分、過剰防衛になりかねない。
相手が魔物ならそれで事足りるが、人間相手だと加減が分からない。
来年は狩人の実技だけでなくて騎士の実技も選択しようかなと頭をよぎる。
「気配に敏感なゲオルグ君は大変だろうね。でもまあ、ロバートほど気合を入れて嫌がらせするヤツはそうそういないから大丈夫だと思うよ。……それにしてもエマ嬢は、凄いね。王国に帰ってきたら聖女じゃないなんて言われて落ち込んでいるかと思ってたけど……」
友人たちに囲まれ皇国の土産話ならぬ土産の話に花を咲かせていたエマにアーサーが驚く。
日に日に悪く言われるスチュワート家の評判に妹のマリオンもフランチェスカも双子も心を痛めていたのに、エマはそんな心配をさせる余裕を与えない元気な姿を見せていた。
「マリオン様とアーサー様には皇国の剣である、カタナを買ってきましたの。フランチェスカ様には皇国のお米で作ったお酒(大量)に鮮やかなニシジンオリの布地。キャサリン様とケイトリン様にはお揃いのカラクリニンギョウと椿油とクシのセットにしましたわ。どれも本日中にはロートシルト商会経由でお宅に届くようになっています」
ふふふと、聖女であると言われた方が納得するほどの笑顔でエマが笑う。
生まれた時から教会の影響を存分に受けて育ってきたアーサーだが、初めて教会に疑念を抱いてしまいそうになる。
やはり、あのフアナ嬢ではなくエマ嬢が聖女なのではないかと。
「エマ嬢、学園で嫌な思いはしていないかい? 何かあったら私に言うんだよ? 私も、殿下もエマ嬢の味方だからね」
せっかく健気に元気そうに振舞うエマに心配の声を聞かせるのは不粋かと思ったが、何かあった後では遅い。
「エマ様、私もエマ様の味方だ。そこらの令息よりもよっぽど強い自信がある。いつでも頼ってくれ」
「エマ様、私も。頼りにはならないかもしれませんが絶対にずっとずーっとエマ様の味方です!」
「学園中を敵に回しても、私はエマ様につくわよ! ケイトリン」
「学園中を敵に回しても、私もエマ様につくわ! キャサリン」
アーサーに倣ってマリオンもフランチェスカも双子も、矢継ぎ早に味方だと声を重ねる。
「みんな……」
「ありがとうございます!」
ゲオルグとウィリアムは厚い友情に感動する。
肝心のエマはというと、急な友人たちの言葉にきょとんと首を傾げ、暫し考えた後、にっこりと笑う。
「私も皆様の事、大好きですわ!」
「くっ……破壊力、強いな……これ……。……エマ嬢、ちゃんと本当に困ったら頼ってね? いつまでもこんな冷たい視線、堪えなくてもいいんだから」
アーサーはエマの笑顔に絆されそうになるも、甘いマスクで数々の浮名を流してきた意地とプライドで持ち直しつつ大事な事を念押しする。
「冷たい……視線……ですか? そういえば皆さん少しピリピリしていましたわね?」
今気づいたと言わんばかりにエマが頷く。
「は? 姉様、今?」
「平気そうとは思ってたけど……鈍すぎないか?」
エマの言葉にさすがに兄弟も驚く。
「だって、そんなもの……」
ふっと明るかったエマの表情が陰る。
「おばあ様の視線に比べれば、ミジンコみたいなものですもの……」
そう、本当の恐怖をエマは既に体験していた。
【マナーの鬼】ヒルダ・サリヴァン公爵からのマンツーマン指導である。
指導中のヒルダの視線はエマにとって死線も同義。
学園の生徒達が束になろうが、死線をくぐり抜けたエマに怖いものはない。
(たしかに……)
【マナーの鬼】を思い浮かべた兄弟、友人たちは、エマの言葉に心から納得した。
……物凄く、不穏でピンチな感じを出そうと必死な作者。
……何故か安心して読み進める読者様。
……解せぬ……。
皆様、いつも『田中家、転生する。』を読んで下さりありがとうございます!
なんと!
『田中家、転生する。』二巻の発売が決定しました!
発売日は、一月五日でございます!
本当にありがとうございます!
二巻からは王都学園編です。
フランチェスカも、マリオンも、キャサリン&ケイトリンもアーサーも素敵な、素敵なキャラデサをして頂きました!
そして、国王陛下のイケオジっぷりがもうっ!
これからも『田中家、転生する。』を読んで下さると嬉しいです。
よろしくお願いいたします!