陰謀。
誤字、脱字報告に感謝致します。
「………………お前が聖女?」
王国滞在中に教会が発表した聖女に面会した正使は怪訝な顔をする。
帝国教会による聖女の指標で重要視されているのは何と言っても類い稀な美しい容姿である筈だ。
王国の教会が認めた聖女は、正使が責任を持って帝国へと送ることになっていたのだが、どう見てもフアナという女はどこにでもいる平々凡々とした容姿であった。
目が黒いだけ。
帝国には目が黒い人間なんていないが、王国のように神聖視されることもないので、それによる価値はないに等しい。
帝国王家の望む聖女は珍しい黒目の平凡娘ではなく、特別に美しい娘なのだ。
大昔はどうだったかは知らないが、昨今の聖女は帝国の王族が世界中の美女を手元に集め、楽しむだけのシステムに成り下がっている。
【聖女】と【性女】は発音だけでなく、役割も帝国王家にとっては一緒なのだと皮肉る司祭もいるくらいだ。
今や帝国も教会も爛れに爛れていた。
世界一の強国である帝国は宗教と綿を使って他国を支配しようとしている。
国外へと特例で移り住んだ宣教師達は、神の教えを説く一方で綿を広め、民を味方に付け、情報を集め、美女を帝国へ献上しながら、各国での地位を高めていった。
魔物の脅威が失くならない以上、不安が付きまとう人々は神に救いを求めることを止められないのだ。
身分に、生活に、重税に、飢え苦しむ民に甘い言葉と一片のパンを与えるだけで信者は面白いように増えていった。
国民の大半が支持する教会を、どの国の為政者も無視することは出来ない。
「………………ヨーゼフか。私はもう暫く王国に留まる。陛下にもそう伝えてくれ」
フアナの口から出た言葉に正使、ヨーゼフは息を呑む。
「…………は? まさか、貴方は…………っ仰せのままに!」
顔色が一気に青ざめ、身体が勝手にその場に平伏す。
まさか、まさか、そんな……。
王国の正使を長年務めるヨーゼフは、帝国でもそれなりの地位にある。
そのヨーゼフの名を呼び捨てに出来る人間など数える程しかいない。
フアナの姿に見覚えはなかったが、目の前の彼女の立ち振舞いや細かい仕草は、ある人を思い起こさせる。
身の程知らずの田舎娘の戯れ言と言い捨てるには、その人はあまりにも恐ろしい人物だった。
陛下は、帝国は、記念すべき初めての属国に王国を選んだのか……。
正使の全身から汗が噴き出す。
毎年訪れて来たこの国には多少なりとも愛着があった。
王国が王国として王国であれる時間は残り少ないのだと今知るまでは気付かなかったが。
美しい国民、帝国に次ぐ広大な土地、そして近年著しいシルクの発展。
目をつけられてもおかしくはない。
「まあ、そう長くはかからんだろう。この見た目であるだけで王族にまですんなり辿り着ける緩い国だからな」
フアナは自身の顎に手を当て、ニタニタと笑みを溢す。
まるで、ある筈のないアゴヒゲを撫でているかのようなその仕草を見た正使は、ガタガタと震え始めた。
◆ ◆ ◆
「フアナ様、次の授業の教室まで案内致します」
正使との面談を思い出していたフアナに、声がかけられる。
そうだった。
今は学園で授業を受けていたのだった。
尤も、いつの間にかその授業も終わってしまったようだが。
「フアナ様?」
返事が無いので声をかけて来た令息が心配そうに覗き込んでいる。
「……何でもない。案内を頼む」
「お任せください!」
とろんと、正気を失ったような表情の令息はフアナの荷物を当たり前のように持ち、次の授業へと誘う。
「フアナ様、ごきげんよう」
「フアナ様、今度ぜひ、我が家のお茶会へいらして下さい」
「フアナ様」
「フアナ様」
教室移動中に、そこかしこから声がかかる。
声をかけてくる者は、一様に先の令息のようなとろんとした表情。
そうでないものはその光景を不思議そうに眺めている。
本来なら、学園中がフアナの言いなりになっていても良い頃合いだった。
いや、王都へ来て数ヶ月が経っているのだから王都中がフアナの言いなりになっていてもおかしくはない筈だ。
あの者も、あの者も見覚えがある。
一度は操ろうと試みた記憶もあるのに、全く効いていないとは……。
まだまだ、本調子ではないということなのか?
こんなことは初めてで焦りを覚える。
「フアナ様、ご存じですか? 今日からスチュワート家のエマ様が復帰なされたようです。私の友人が前の授業で見かけたと言っておりました」
とろんとした表情の令嬢が次の授業の席に着いたフアナに報告する。
「スチュワート家……? のエマ様?」
どこかで聞いた名前だが、直ぐには思い出せない。
「フアナ様の前に聖女ではないかと噂されていた方ですわ。大事な社交シーズンに家族揃って外国に行っていたようです」
「ああ、何となく噂は聞いている」
正使が別れ際に陛下への聖女献上は、代わりにその娘でも探すかと言っていたのを覚えている。
王国にいなかったのなら、正使も連れ帰ることはできなかったとなると、教会の司教を操ったフアナと違って正真正銘の見目麗しい少女は、驚くべき運の良さで助かったことになる。
いや、逆か。
ふと思い付く。
その娘には悪いが、生け贄になってもらうか。
非難する敵を作り上げれば、人はより操りやすくなる。
「それにしてもその令嬢……大事な社交シーズンに旅行とは、なんて軽はずみなことを……」
フアナの言葉を聞いた生徒達の頭に更なる非難の言葉が押し寄せる。
ぐわんぐわんと目眩に似た衝撃と共に良心は虚ろに、代わりにムクムクと出所の分からない正義感が湧いてくる。
信じられない、それでも貴族なのかしら?
王国民としての自覚はあるのかしら?
すこし、我が儘が過ぎるのではないかしら?
「フアナ様も、そう思われますか?」
「実は、私もこれはおかしいと思っておりました」
「聖女などとほんの一瞬持て囃されたので調子に乗っているのでは?」
「聖女はフアナ様です。なんておこがましい!」
水面に波紋が拡がるかの如く、悪意が感染してゆく。
この些細な一言が、直ぐにでも刃となってその娘を襲うことになるだろう。
その娘が貶められるに比例して、フアナは高みに上り詰めるだろう。
この魔法は、悪意に乗せた方がより効果が高まる。
威力が増すほどに、フアナの力もまた本調子へと回復していくはずだ。
かわいそうだが、存分に利用させてもらうことにしよう。
◆ ◆ ◆
ところ変わって本日のロバート。
「うおーーーーーい! お前らちょっとは頭を使え! さっきから見てたら種を一ヶ所に何個も蒔きやがって! 土の栄養の取り合いで育ちが悪くなるだろうが!」
村人の畑仕事を眺めていたロバートは手際の悪さに我慢できず、思わず叫んでいた。
ランス領は農業も盛んだったため、次期領主としてロバートは学園で植物学の授業も受けていた。
作物を育てる知識だけは実は無駄に持っている。
「おいおいおいおいおいおい! 貴重な水を何ぶっかけてんだよ! 種が流れるだろうが!」
「ダリウス……そこまで言うならお前がやって見せておくれよ」
あー腰が痛いと、ロバートを拾った老婆が曲がった腰を伸ばす。
老婆に続いて村人達もそうだ、そうだと頷く。
この村に来て数ヶ月。
意外なことにロバートは村人に受け入れられつつある。
若い男は軍に取られ、若い娘は王都へ出稼ぎに。
逃げる体力のあるものは皆村を出て、残されたのは老人だけ。
痩せた土地に痩せた老人。
そんな農村に現れた若者ロバートは、ダリウスと呼ばれ村民皆の孫と化していた。
「っだから、種は等間隔に蒔いて、水は少しずつ種に行き渡るように優しく…………」
「うんうん」
「なるほどねぇ……」
「頷く暇があったら、お前らもやれーー!」
「ほっほっ」
「若者は元気だねぇ」
誰も詳しいことは分からないが、領主が変わったとかで重たかった税が一気に軽くなった村に、今日もたった一人元気な若者の叫び声が響き渡る。
何やら不穏な雰囲気に耐えきれず、ロバートを足してみる……。




