王国にあって皇国にないもの。
誤字、脱字報告に感謝致します。
「エマちゃーん」
王の謁見が終わり、退室した途端にエマの腰にわしっとヤドヴィガが抱きついて来た。
「わっ! ヤドヴィ……ガ様??」
抱きついたままグリグリと顔を押し付けた後に上を向いたヤドヴィガは今にも泣きそうな顔をしていた。
「ヤドヴィは、ヤドヴィは、エマちゃんの事、大好きだよ!」
ぎゅううううっと両腕に込められた力で必死なのが伝わってくる。
「ヤドヴィガ様、私も大好きですー!」
よく分からないが、とにかく可愛いのでぎゅううううっとエマもヤドヴィガを抱き返した。
「ヘイ! 姉様っ!」
「……どうした、す○ざんまい」
ウィリアムの声に振り向けば、両手を広げて順番待ちをしている。
その表情は下心しか見えない。
「やっぱり、ウィリアムだけでも皇国に置いてくればよかった……」
フクシマ様の愛で更正できたかもしれない。
「ひっ……そんな恐ろしい事やめて下さい!」
心底嫌そうな顔でウィリアムが後退りする。
こちらとしては、す○ざんまいの弟を見るくらいならやむを得ないところなのだが。
「あらあら、ヤドヴィ。急に走り出したかと思ったらこんなところに」
ふわっとフローラルないい匂いがしたかと見上げればローズ様がメイドのメグを連れて歩いて来ていた。
「ローズ様!」
久しぶりに見るローズ様は相変わらず見目麗しい爆乳であった。
最高の持って生まれた素材に最高の努力と研鑽。
存在が、存在しているだけでもう……お礼を言いたい。
「お久しぶりでございます。今日も麗しい姿をありがとうございます」
スッとエマが臣下の礼をすれば、後ろにいた家族もそれに倣い膝を折る。
ヤドヴィガがくっついたままなので少々体勢が厳しかったが、仕方がない。
ウィリアムからヤドヴィガを守らなければ。
「本当よエマちゃん! もう、学園の夏季休暇はとっくに終わっているわよ。陛下も私もヤドヴィガもとっても心配したんだから。エドワードなんて毎日、毎日シモンズ領にスチュワート家の乗った船が到着していないか問い合わせの手紙を書いていたわよ」
臣下の礼を解いた後、ローズは頬を膨らませて帰りが遅いと怒る。
「ああ、ローズ様。申し訳ありません。でも、怒った顔もまた、素敵です」
エマの謝る声に、スチュワート家一同がたしかに……と同意する。
ぷいっとそっぽを向いた時の顎のライン、ふわっと広がる髪、細い二の腕からのトゥルントゥルンの肘……。
「皇国もとても魅力的な国でしたが……やっぱり、ローズ様のいる王国が一番です」
にっこりとゲオルグもローズの美を称える。
一家揃っての推しは一年前からローズ様一択である。
「……もう、そんなに褒められたら怒れないじゃないのっ!」
むぅ……とローズは照れる。
「照れてるローズ様、可愛い!」
「エマちゃんったらっ!」
必死で陛下からの褒賞の話を有耶無耶にしたばかりの一家にとってローズの一挙手一投足は最高の癒やしであった。
「ローズ様、積もる話もありますでしょうし……どこか部屋を用意いたしましょうか?」
メイドのメグが辺りを見回して眉を顰めて進言する。
あまり王城の廊下で騒ぐのは良くないのだろう。
「エマちゃんとお茶会ー!」
ヤドヴィガが嬉しそうに笑う。
「そうね。この後の予定は空いているかしら? 私の宮に招待するわ!」
ローズは側妃の宮へスチュワート家を招待した。
◆ ◆ ◆
さすがに招待されたとはいえ、王国側妃の宮に成人男性が足を踏み入れるわけにはいかないとレオナルドは辞退し、メルサもレオナルドと共に先に王城を後にした。
王城の最奥には王族の暮らす宮があり、特別に認められた者以外は中に入ることはできない。
王族の宮に招待されるということは、王家と親密な関係にある重要な人物だと内外に知らしめることだった。
宮へ続く渡り廊下には入出を記録する文官と近衛兵が常駐し、厳しく管理されている。
側妃ローズ・アリシア・ロイヤルの宮の入室記録に、ゲオルグ・スチュワート、エマ・スチュワート、ウィリアム・スチュワートの名が刻まれることは結構な大事であった。
それを大事だと、スチュワート家は誰も知らない。
いや、メルサは知っていたが、うっかり忘れていた。
パレスで使うことのない類いの知識は頭の奥に仕舞い込まれ、さらに頼子の記憶が混ざってうっかり事の重大さに気付けなかった。
それほど気軽にローズが宮に招待したことも原因ではあるが。
「うわー、素敵!」
ローズの宮は、予想よりも落ち着いた内装であった。
柔らかいクリーム色の壁紙にシンプルな家具。
「ふふふ、あんまり派手じゃなくてびっくりでしょう?」
言われて見れば、王族の住まいにしてはキラキラが足りない。
まだ、学園の食堂棟の方が豪華絢爛ではないかと思える。
「王城の調度品も素晴らしいのですが、こちらの方が僕達は好きです」
元庶民にも優しい落ち着いた空間にウィリアムも兄姉もほっと一息つく。
「ここは、陛下が寛がれる空間だから、ゆっくりして頂けるように華美なものは置いてないのよ」
ローズがにっこりと笑う。
国王陛下との仲は良好そうだ。
「あの、先ほどは失礼しました」
案内されたソファーに腰を下ろし、紅茶が行き渡ったところでメグが頭を下げる。
「ん? なんの事ですか?」
ロイヤルマークの入った香り高い紅茶に夢中のエマを横目にゲオルグが訊ねる。
謝られるようなことをされた記憶がない。
「王城の者の失礼な態度です。これまでこんなことはなかったのですが……あからさまにチラチラと見たり、こそこそ話したり不快でしたでしょう?」
王の謁見が終わってスチュワート家が出た大廊下には、次の謁見を待つ者、警備の兵、文官など少なくない人数が待機していた。
その大半が、スチュワート家に非難の目を向けていたのだ。
「…………そうでしたっけ? 全然気付きませんでした」
メグから詳細を訊いてもゲオルグは首を傾げる。
部屋から出てすぐヤドヴィガがエマに突進して、その後にローズ様の登場……周りを気にしていなかった。
目の前に、ローズ様ほどの絶対的美人がいれば周りは霞んでしまうので仕方がない。
「寛大なお心遣いありがとうございます」
メグから見れば周りの者の態度は目に余るものであった。
ここ最近のスチュワート家の評判は悪い。
エマが聖女ではなかったこと。
大切な社交シーズンを丸々皇国で過ごしたことが一部貴族から批判されていた。
公にはされていないが、陛下やエドワード殿下の心配の仕方を見れば皇国へのスチュワート家の遊学が言葉そのままではないのだろうとメグは確信していた。
きっとメグの想像を超えるような大変な事態を、スチュワート家は解決しに行ったのだ。
褒賞も何も受けとることなく、ただ使命感と海よりも深い優しさで困っていたであろう皇国へ手を差し伸べたのだ。
それが、スチュワート家なのだから。
きっと皇国は救われたのだろう。
非難されることが分かっていたとしても彼らは、誰かのために働くことを止めない。
それが、スチュワート家なのだから。
「そうだ。ローズ様はフアナ様をご存じですか? 教会が聖女だと発表したと陛下から聞きました」
しばらくゆるゆると談笑していた時に、エマが聖女フアナについて尋ねる。
聖女に選ばれるなんて、きっと性女と呼ばれるより大変なことが多いだろうなんて、軽い気持ちで話題に上げたが、フアナ……の名前を出した瞬間に場が凍りついた。
「エマちゃん……気を落とさないでね。大丈夫よ」
「エマちゃーん。ヤドヴィが守ってあげるからね?」
ローズ様だけでなく、ヤドヴィガさえも慰めてくれる。
「……? いえ、あの、えっと……ご心配なく?」
「ヤドヴィガの言う通りだわ! エマちゃん、学園で嫌がらせされたら私に言いなさいね。お茶会や夜会でもよ? 社交界って陰湿なところもあるから……むしろ、今はもう、しばらく休学した方がいいのかも……」
「こ、これ以上は休むわけにはいきません!」
ローズの忠告にウィリアムは無理ですと立ち上がる。
「え? 休めないって、何か特別なことあったっけ? ウィリアム?」
ゲオルグは呑気な声でウィリアムを見る。
「いや、兄様! 兄様の勉強が遅れるのが一番の問題なのです。僕や姉様と違って兄様にはパレス領の未来がかかっているのですよ!?」
何を悠長に構えているんだとウィリアムが兄を見る。
「……なんで俺ばっかり……」
長男辛い……とゲオルグは肩を落とす。
「……いえ、別に私が継いでもいいですよ? 女性でも条件を満たせば家督を継げる場合があるとおばあ様が仰っていたし……魔物学合格の可能性だけなら兄様より高いし……」
可哀想なのでエマが慰める。
「「そんな事になったら、パレスが虫まみれになる!」」
兄弟が揃って叫ぶ。
「でも、ウィリアムに領主は……無理でしょう?」
エマがダメならウィリアムということになるが、エマはきっぱりと言いきった。
「…………たしかに」
ゲオルグもエマの意見に賛成する。
前世のぺぇ太のダメっぷりを考えると責任ある仕事なんて任せられない。
「二人ともひどい!」
結局、ゲオルグが頑張るしかなかった。
「ふふふ、その様子だと大丈夫そうね。でも、本当に今は少しおかしなことになっているから気を付けてね? 皆気が立っているから」
三兄弟のコントに笑いつつもローズは更に念を押すように気を付けろと注意する。
「気が立っているとは?」
ローズの様子にウィリアムが尋ねる。
「毎年の社交シーズンで貴族達が綿をたくさん買い込むことは知っているでしょう? 今年はその綿が相場よりもうんと高かったそうなの。それでも貴族達はいつも通り、帝国商人から言われるがまま購入したのだけど」
「……だけど?」
はぁ……とため息を吐くローズにウィリアムが話を促す。
「……だけど、その綿は粗悪品もいいところで王国中の貴族が大損したみたいなの」
金儲けのつもりが苦しい財政を更に逼迫させる事態となったらしい。
「え? 粗悪品なら交換してもらうべきでは? そもそも買う前に商品を確認しないのはどうかと思います」
「エマちゃんの言う通りなんだけどね。なんとなく王国は帝国に逆らえない風潮があるのよね。相手が商人であったとしても……」
王国の教会の総本山は帝国にあり、王国民……特に王都周辺に暮らす者は影響が大きく、幼い頃より教会から帝国は偉大な国だと教えられている。
その教会自体がないパレスに住んでいた三兄弟には馴染みのない感覚であった。
教会は魔物を穢れたものとし、それを嫌って結界の境界を有する領地には建てられない。
王国で教会の助けを一番必要としているのは、魔物により苦しめられる辺境の領民なのに、教会からの施しは一切受けていなかった。
そして、領主一族は教会が建てられない自領で代わりにその役目を果たさなくてはならない。
基本辺境は貧乏くじを引かされている。
「……貴族の皆さん、そのまま泣き寝入りしちゃったんですか?」
それは、大損どころではない。
「そんな中で、綿を買うことなく損をしていない家があれば……面白く思わないわよね?」
「…………? 綿を買ってない貴族……って……あ、ウチだ……」
スチュワート家は一家揃って皇国に遊学していたために綿を買っていない。
皇国に行かなくても多分買ってない気もするけど。
「あと、ロートシルト商会もね。品質管理には厳しいと定評のある商会だから、粗悪品もちゃんと見抜いたのでしょう。でも……」
そういえばヨシュアがスラムの子供達に麻の加工を学ばせていたなとエマは思い出す。
つまり、ヨシュアは社交シーズンに入る前に、既に帝国の粗悪な綿よりも麻の方がマシだと判断したと考えられる。
「ヨシュアもヨシュアのおじ様もその辺の判断を間違えることはないから、帝国は相当悪い品を提供したのね? それって商売としてどうなのかしら……」
モノ作り大国ニッポンで生活していたエマにとっては信じられない雑さだ。
商品に対するプライドはないようだ。
そんな帝国よりも皇国との関係を深める方が絶対にいいと思ってしまう。
将来的にはどの商店にもお米が売られ、味噌と醤油は各家庭に常備される国になったらどんなに最高だろうか。
「自分達で使うには綿は品質が悪すぎる。庶民に卸そうと思っても元値が高いものだから安くは売れない。粗悪な高い綿を買うくらいなら庶民達は安い麻を買うわ。なら、綿の損益をどこで補てんするかってなると……領の税を上げるしかないから、庶民の生活も困窮する……」
「……悪循環ですね……。領主となる者はやはり、勉強をしなければなりませんね? 兄様?」
「うわっ……話が戻ってきた!」
まさかのブーメランにゲオルグが驚く。
「勉強も大切だけど、本当に気を付けるのよ?貴族達は我慢に慣れていないからイライラを誰かにぶつけようと生け贄を探していると思っても大袈裟ではないのだから」
貧すれば鈍する……的な?
お父さんのボーナスがカットされて、正月の餅すら買えない家が多い中、クラスの一人が親の仕事の休みに合わせて学校休んでハワイ旅行行ったみたいな感じ?
「なるべく学園では……姉様、大人しくして下さいね」
「なんとか学園では……エマ、大人しくするんだぞ?」
何故か、諦めた目でウィリアムとゲオルグがエマを見ている。
「なんで、私!? いつも言っているけど私が騒動を起こしているのではないのよ? 騒動の方が自主的かつ、積極的に私の方へやって来るだけなんだから!」
エマのいつもの台詞が出たが、これを言った後に騒動が起こらなかったことは一度もなかった。
毎度毎度のお約束の振りに、兄弟はまた巻き込まれる覚悟を決めたのであった。
久しぶりのローズ様。
エドワードは剣のお稽古中です。
スチュワート家が帰って来たとの知らせを受け、鎧着たままガシャガシャとローズの宮へ走りましたが、エマ達は既に帰ったあとでした。残念。
(シモンズ港に着いたのが深夜だったので、知らせよりも一家の報告の方が早かった模様)




