出港。
誤字脱字報告に感謝致します。
学園が夏休みに入り、スチュワート伯爵家が皇国へ出発する日となった。
ヨシュアの用意した商船には大量の荷物が運び込まれている。
王国最大のシモンズ領の港はロートシルト商会やスチュワート家の使用人以外にも、別の船の船乗りや漁師、シモンズ侯爵家の使用人等々手伝い人員が溢れていた。
「エマ様の初めての船旅が皇国なんて遠すぎて心配だわ、ケイトリン」
「エマ様の初めての船旅が皇国なんて遠すぎて心配ね、キャサリン」
旅慣れたシモンズ家の双子、キャサリンとケイトリンが使用人にテキパキと指示を出しながらエマを気遣う。
「ご心配ありがとうございます。キャサリン様、ケイトリン様。それに荷物の搬入や手続きまでお手伝い頂いて助かりました」
「エマ様にはいつもお世話になっているから当然よね、ケイトリン?」
「エマ様にはいつもお世話になっているから当然よ、キャサリン」
伯爵家一家の約二か月に渡る旅の荷物となると、それはそれは大量にある。
それに加え、皇国への支援物資。
食糧以外にも先を見越した復興のための木材、衣類用の布地、薬局が開ける程の量と種類の医薬品に、王国語(王国、帝国の共通言語。前世の英語的なポジション)の教材等が積み込まれていく。
「荷物の量には驚いたけれど、手伝いの人の数にも驚いたわねケイトリン」
「荷物の量にも驚いたけれど、手伝いの人の数にも驚いたわキャサリン」
メルサの功績により、スチュワート家が皇国との交流の先陣を切る形で皇国への訪問が皆に知らされたのはつい先日のことだった。
ロバートの騒動からよりエマに過保護になったフランチェスカはしきりに心配し、皇国のサムライの使う剣術に興味を持ったマリオンは、ゲオルグに土産に刀を一振りお願いする中、キャサリンとケイトリンは船旅の手配を一手に引き受けてくれた。
聖女出国の噂は各方面に知れ渡り、当日雇う予定にしていた搬入のための人員は、あっという間に聖女信者の善意の手伝いで事足りることになった。
「私もびっくりしましたわ。船乗りのジェイコブさんや弟さん達に、スラムの子供達、何故かお針子さん達とその旦那さん達までがお手伝いして下さって」
船乗りや漁師が荷物の搬入を、この時期、忙しいはずのお針子は船内を磨き上げ、旦那達は搬入された荷物の数をチェックし、スラムの子供達はこっそり忍び込ませる猫達や虫達の世話をしてくれている。
「エマ様の日頃の行いの賜物ねケイトリン」
「エマ様の日頃の行いの賜物よキャサリン」
今回の旅費の大半は王国持ち、つまりは国税からの出費になるので節約できるに越したことはない。
「エマ様、N-4(猫達四匹)とU-150(ウデムシ150匹)のコンテナ無事に(誰にもバレずに)搬入終わりましたよ」
ロートシルト商会とスラムの子供達を指揮していたヨシュアが冷たい飲み物を持って報告にくる。
「冷えた果実水です。良かったらお二人もどうぞ」
あの前世の日本の殺人的な夏の暑さとは違い、王国の夏は過ごしやすい。
それでも、荷物の搬入を手伝う男達は上半身裸で汗だくになって働いてくれている。
「! これは冷たくて美味しいですわケイトリン」
「! これは冷たくて美味しいですわねキャサリン」
夏場に冷えた飲み物なんて王国では貴族でもなかなか飲めない。
「同じものを手伝いの人達にも差し入れしておきました。スチュワート家からのお礼ということで」
「! こんな貴重な飲み物を差し入れですって? 流石ロートシルト商会は太っ腹ですわねケイトリン」
「! こんな貴重な飲み物を差し入れですって! 流石ロートシルト商会は太っ腹ですわキャサリン」
「気に入って頂いて良かったです。エマ様も果実水おいし……かった……で……すか……? あれ?」
エマの視線は、ずっと搬入作業に励む男達に向けられていた。
「素晴らしいわ、ジェイコブさんも弟さんも!!若い衆に混じっていても、全く引けをとらない肉体美!!あの背筋は一朝一夕で作られたものじゃないわ……あんな重たそうな荷物を軽々と……素敵……」
「…………姉様……」
偶然通りかかったウィリアムがおじ様ウォッチングを楽しむエマにため息を吐く。
「さ、さあーて……。僕もそろそろ搬入の手伝いをしてきますね」
何かを察したヨシュアは、ぐっと親指を立ててからシャツのボタンを開け始める。
「いやいやいや、ヨシュアっちょっと待ってよ!……ああっ脱いじゃダメだって!!違うから、ヨシュア、そーゆーの、なんか違うから!!」
必死でウィリアムが止めるが、エマの視界に入るためだけに搬入作業に加わってしまう。
「…………思ったより、良い体してたわね、ケイトリン?」
「…………思ったより、良い体してたわ、キャサリン」
少々顔を赤らめながら、双子は勢い良く脱ぎ捨てられたシャツを回収する。
王国一の商会の息子で一見、頭脳派、細身のヨシュアだが意外にも、しっかりと鍛えられた筋肉がついていた。
情報の収集、分析が得意な彼がはじき出した答えは〈エマ様は割とマッチョ好き〉であった。
その日から、一日たりとも筋トレを欠かしたことはない。
ヨシュアをヨシュアたらしめるのは、努力を怠らない精神力である。
たった一瞬。
一目エマの視線の中に入るためならば、毎日の筋トレなんて苦ではないと。
「あ、果実水。冷えてて美味しい♪」
残念なことに、エマの視線は渡された果実水へ移っていたが。
「っっっ姉様!!タイミング!!!」
「ん?」
「……不憫ですわ、ケイトリン」
「……不憫ですわね、キャサリン」
数時間後。
「皆さん、お手伝い本当にありがとうございます。お陰様でタスク皇子が到着次第スムーズに出港できますわ」
聖女のためならエンヤコラセっと手伝いに来てくれた者全員が一生懸命働いてくれたので、予定よりも大分早くに出港準備が整った。
「何言ってるんですかエマ様っ。こんくらい当たり前だよ」
「聖女様のためならなんだってやるぜ」
「聖女様、どうかご無事で帰って来て下さいね」
「…………あの?皆さん?いつも言っていますが、あの、その性女って呼ぶのは……困りますっ。私は絶対に違いますからね?あのっ違うんですからね」
「聖女様は本当に謙虚な方ですね」
「エマ様程聖女にふさわしい方なんて、王国中探したって見つかりませんよ!」
「はははっ違ぇーねー!治療院でのことはこの辺の者ならみーんなよく知ってますからね」
体を病み、絶望の淵にいた船乗り達のために治療院を作った。
しかも自分の屋敷の敷地内にだ。
上流意識の高い貴族の多くは庶民が貴族街を歩くことすら嫌悪するというのに。
治療代どころか、豪華な食材が使われた食費も、清潔に保つためにと一人に数枚用意された寝衣の代金も何もかも受け取らない。
そして、その看病はエマ自らが率先して行っていた。
開いた古傷を洗い、薬を塗り包帯を巻く。
病気にうなされ、目を覚ますと傍らに寄り添い手を握ってくれていた。
食事を運んでくれ、起き上がることのできない者にはスープをそっと口元へ運んで食べさせてくれた。
貴族から虫けらを見る目でしか見られたことのなかった船乗り達に、終始嫌な顔一つせず、穏やかな優しい笑みで看病してくれた。
聖女、以外の何者でもない。
半ば強引に病に蝕まれた旦那を連れていかれた奥さん達は今生の別れを覚悟した。
昔、貴族に連れていかれた、美しい娘は帰ってこなかった。
昔、貴族に連れていかれた、たくましい青年は、見るも無残な傷を負って帰ってきた。
でも、予想は裏切られた。
スチュワート家に連れていかれた旦那は、自らの足で上等な服を着て、何よりも病を完治させて帰って来た。
一度罹れば、貴族ですら払えない治療代がかかる病が、すっかり治っていた。
聖女、以外の何者でもない。
「あ、あのもうっ本当に性女だけはやめて下さい」
しかも、謙虚だ。涙目で否定している。
「ううう、お願いですから……」
身から出た錆とはいえ、エマはどこまでも拡がる噂に震えが止まらない。
傷の痛みに耐えるイケオジをニタニタしながら見てたのも、眠っているのを良いことに手を握って寝顔をじっくり観察してたのも、ご飯あーんとかしちゃったのも悪かったけどもっ!
そんな、皆して性女なんて呼ぶことないじゃないか!
お母様に怒られるのは私なんだからね!
「……すごいな。エマ嬢は……」
シモンズ領の港に到着したタスク皇子が呟く。
王城で聞くエマの評判、エドワード王子や忍者達から聞く学園やスラムでの評判、そして目の前の屈強な船乗りや漁師、その妻達の様子。
誰も悪く言う者がいない。
ここまで一人の人間が好意を寄せられる事があるのかと半ば半信半疑だった時期もあったが、ハットリ・ハンゾウやイトウ、ハラ、チヂワ、ナカウラはそれほど彼女は頑張っているのだと口を揃える。
普通の令嬢だったらおしゃれと恋に夢中になるはずの年頃なのに、彼女は懸命に家業の養蚕や裁縫、スラムの整備に教育に仕事の斡旋、病で苦しむものを救済したりと毎日大忙しなのだと。
常に誰かのために働いている。
我が皇国にまで救いの手を広げてくれた。
オワタはもう、最終段階まで成長しているだろう。
皇国はもう、絶望的だとわかっている。
エマのためを思えば、スチュワート家の皇国行きの申し出を断るべきだった。
危険もあるだろう。
しかし、皇国の滅亡を静かに受け入れてくれた国民に、エマを聖女の恩恵を与えてやりたかった。
一人の少女の優しさにつけこんで、可哀想なくらい重い責任を負わせているのは分かっている。
分かっているが、自分が皇国の皇子として国民にしてやれることが、もうこれくらいしかなかった。
自分のエゴに少女を巻き込んだのだ、天国に行けるなんて思っていない。
「エマ嬢。私も貴女は聖女だと思っていますよ?」
「ひぃっ!た、タスク皇子まで何てことを言うんですか!」
ただ一つ誓えるのは、この小さな勇敢な少女を絶対に無事に王国へ帰すことだ。
皇国が滅ぼうとも、聖女だけはこの世界から失くすことは許されない。