第1話 「沈島」
そこは島だった。意識を取り戻した私はふつふつと血の湧くような暑さに悶える。周りに涼を取る場は見受けられない。木がない。日陰がなかった。唯一見えるのは島らしい砂浜と広大な紺碧の平面。ふと足元を見れば肌色の熱源があった。足がひりひりと焼けるようだった。自分ははだしの様だった。衣類はあった。暑苦しい燕尾服だった。
私がこの夢を見る者に思う所として、こんなところの夢を見るなら、せめて服装を選べ。と毒づいた。どうせ、私は夢を見ている人間が描く顔のない人型のソレに乗り移って性格を付与しているにすぎないのだ。何を言ったところで印象に残ることはない。印象はもちろん記憶すら残らないというのだから、何したところで、――いや、何を考えたところで――
ドリーマーには何も関係がない。
近くを見ていても面白くない場所だったのは間違いない。何もないのだから。海はあったが、興味はない。むしろ、この服で何をしろと言うのか。ひたすらに、歩くしかなかった。ふと望む。遠くに三角屋根が見える。ただまっすぐに見えた肌色と青色の紺碧の境界線は実はどうやら曲がっていたらしい。丁度三日月のように綺麗な孤を描いていた。ただそこに人工物らしさはない。自然に出来があったのだろう。そんな草もなく木もない自然にあふれた場所の夢に私はいるようだと察したのである。
ギラギラと照りつける火球とそれに照り返して灼ける砂の中は嫌気が差した。ただ暑いだけだった。せめて靴があれば別だった。それならばと、あえて地を歩かず、足を海水の冷たさに浸らせて涼を取ることとした。砂浜沿いにただ前を向いて三角屋根に向けて歩く。その人の気を見せる木製物以外に何も見えない。ありがちなごみの一つもない。
それは綺麗なだけじゃなくて夢の持ち主が描写するだけの脳を持ち合わせていないとも思える。
ただ一つポツンと建つ木製の小屋。
初めて島を認識したその場所から反対にあったようだ。かつてを振り返れば月の先端あたりから足跡があり、途中で水の中に埋もれているのが見えた。
三日月の――もし正確さを問うのであれば有明月と言うのだろう。この描き方が三日月とは異なるからだ――反対側が良く見えるようになると小屋の扉の前に老齢の男性が立っているのが見えた。入口の階段に座れば楽が出来るだろうものをわざわざ地盤の悪い白砂の上で杖を突きこちらを見据えているかのようだった。その老人は骨と皮で構成され、まるでその体を生きながらえさせる内臓を取り出されたかのうように生気を感じさせず、加えて天然ソーダにすべての水をしぼりとられたかのように死体然とした振る舞いであった。ただ、それにしてはやたらと足腰のしっかりとしたアンバランスさが彼に不気味さとともに人の形をした偶像のソレのような雰囲気を漂わせた。
ただ、その彼が纏う空気を私は殆ど感じ取れなかった。恐怖を感じていなかった。感情を感じなかった。興味はあった。
歩調を変えず、歩幅をのばし、水しぶきを越えて足を前へ前へと持ち運ぶ動作を続け、にわかに人工物の音を感じた。ただの咳払いか。
目の前に木造物があった。木はしゃべらない。
上から下へと目線を滑らせると、
再び音を認識した。
「……ここへ来たのは……初めて、だな?」
どこから声を出しているのか理解できないような音声。口も喉も動いているように見えない。一厘とも動かないソレに、中身が機械で出来ているのではという考えを抱かせる。カラクリ人形に生死も老衰もない。容姿はただ相手に信頼感を与えるかどうかでしかない。妙にしゃんとした足腰はそれによるものなのか。
不可思議が思考回路を固定した。
自分のものとは思えない音声で
「そうだ」
と返していた。ゲームではなかった。選択肢はなく、待ち時間は短い。コンマで返さなければ不自然。
「なら、この島の名前を……しらないだろうな。」
「もちろんだ」
「そうか……なら、今から面白いものが見られるじゃろう。」
「なんだ?それは?」
「――」
声は帰ってこなくなった。小さすぎる虫の声を聞き取ることはかなわず。その老人は何も話さぬモノとなった。波うつ音が聞こえる。
波しぶき。上がる水の粉。滑る砂。
静寂と自然音の入り乱れた月の先端にただ立ちすくみ、潮風を顔に受ける。べっとりとした水の気をふと思い出したかのように全身に感じた。足首をつたる汗と跳ね上がった水しぶきのはしくれが混ざり始め、自然音がしっかりと耳に入るようになった頃。
不自然な音が聞こえ始めるようになった。
足の底から伝わる振動。砂浜が揺れ始め、砂が流れる。青畳は何も変わらず、自らの周辺だけが異常なように感じた。地面からの響きは頭を突き抜け、どんよりとした痛みを全身にもたらす。節々が振動と共鳴したかのように震え、足腰が不安定になる。足首、膝、腰の順で向きに従って折れ始めた。手をつくしかなかった。強烈な重力を感じてるかのように頭を上げることが苦痛で仕方なかった。感情は無いのに痛みだけ感じる自身の仕組みを恨む。
――刹那
わずかに緩んだ地揺れを満て首を持ち上げる。崩れていく腕も気にせずに視線を無理やりあげ、興味もない燕尾服が潮にまみれていくのも見ずにさっきまであった家とともにミイラのような老人が砂地に喰われていくのを看た。
ふと消え去れば何もなかったかのように振動を忘れた。
自分が伏せているのが不思議なくらいだった。
脳裏に映る砂地に沈み込む瞬間の木造。何も後を遺さず消え去る瞬間は美しいとも思えたが、そう思えたのもそこまで。
同時に水が島を犯した。
すべて水面下に沈む。
そうして息が出来なくなる。
息を忘れる。
沈む島。
珍島。私は僅かな海が割れた隙間に立っていたにすぎないのだと悟った時には気を失い、暗転する。
私はおぼれ死んだのか、それともただ気を失ったのか。それは一切関係なく。夢ゆえにどうでもいい事である。もし、しいて気の利いたことを無理やりにでもひねり出そうとしてしまうのならば。
さしずめ、
夢オチ。
と言う言葉に終わる。
陰性をしめす水に沈む島より、少し経って陽性をしめす砂が現れ、細い細い砂の道が徐々に広がっていく。三日月程より大きく、弓引く月と為るころ再び木製の人の気を感じさせるソレは現れる。
再び現れた島に立つ老人は思う所である。
有明の月はいつか沈み、影に浸るものであると。
島の名前は沈島でも海割れの珍島でもない。
さて、なんなのだろうな。
老人の口は始めて動いた。横に切り裂いた顔、ちらりと黄ばんだ方形が映った。