一章:殺人日記 05
葵と茜が二人で準備してくれたお茶と茶菓子を、榎凪と水豹さんとの間に漂う険悪な雰囲気の中で僕が食していると、おもむろに榎凪が口を開いた。
「お前がもし本当にセイの恩人なら……」
不機嫌そうな榎凪の声。
気のせいか、僕はその中に苦々しさのような声色を感じとった。
そして繋がる言葉を聞いて、確信が持てた。
「お前がここにもって来た用事があるのなら聞いてやらないこともない可能性がなきにしもあらずのような気がする気分だ」
素直になれない子供が言葉を覚えて必死に本意を隠しながらもバレバレな言い回しをしてしまったかのような榎凪の台詞。
というかそのまんまだ。
そのことに自分自身でも気付いているのか、榎凪はバツが悪そうにそっぽを向いた。
水豹さんはそんな榎凪に忍び笑いで返しながら、それを決して声色に出さぬように喋り始めた。
「じゃあ、その言葉に甘えて話をさせてもらおう」
水豹さんは一度笑うように、ふっと息を吐く。
「私がここに来たのは他でもない、彼に会うのも一つの要素ではある」
水豹さんは僕を一瞥した。
そんな水豹さんを榎凪は思い切り睨んだが、水豹さんは嫌らしい笑顔で受け流し、言葉を続けた。
「が、何分忙しいこの身だ。それだけを理由に日本は訪れられない。ここに来た今日の用事、それは――」
水豹さんはもったいつけるように一つ間を置いてゆっくり瞬きをしてから、自分の言葉を疑うように確かめながら言葉を発した。
「――秋宮榎凪、貴様に殺人の嫌疑、及び警察への協力要請が出ている。私は警察庁への出頭、及び協力要請の通達へ来た」
殺人容疑。
協力要請。
僕の中で渦巻く、水豹さんの口から生まれた二つの言葉。
確かに榎凪は疑いようもなく、誤認しようもなく『殺人経験者』ではある。が、それは別に怨恨や金銭、衝動などの人間の本質的な欲求にかられてしたわけではなく、殺しにきた相手を殺し返した、というものだ。
しかも殺人を行ったのは法律の整っていない、文字通りの無法地帯だ。そんな場所でなければ相手は手を出しようがないし、法律外での調整もちゃんと行っている。
殺人という『罪』はある。
法律という『罰』はない。
『罰』を与えようがない『罪』なのだ。
殺伐とした話ではあるが、事実ではある。
「受けんな、そんなどうでも良い話。私にあるのは聞いてやる義務程度だ」
榎凪はその言葉の下に水豹さんの要求の一切を斥けた。
榎凪の国家とか行政がからんでるときのデフォルト反応だ。
別に権力に対する恐怖とかではなく、本当にただ『何となく』でその反応。
真実かどうかは知る由もないことだが。
「例え、それを貴様が仕事としてもってきたとしても、な」
「…………」
「私は仕事を受ける必要もなく、金は有り余ってるからな。普通にセイと暮らすにはもう仕事をする必要はない」
沈黙する水豹さんに対し、言い訳じみたそんな言葉を次いだ榎凪。
確かに普通に生活するなら仕事をする必要はないだろうが、誠に残念な事に榎凪が普通に生活できるはずもない。
恐らく20年後には財産が尽きる。
もともとあった財産はこの邸宅に大部分を費やしてしまったし、それでも豪勢にくらして20年もつのだから、榎凪の財産が化物じみていることを再確認した。
でも確かに、20年はもつのだ。
今すぐ仕事しなければならないことはない。
水豹さんの頼みであれば聞きたいのは山々なのだが、榎凪が聞くつもりがないなら僕がこれ以上何か言うつもりはない。
『恩人』の水豹さんには悪いが、僕のプライオリティは榎凪の方が上なのだ。
僕のやっていることは、果たして榎凪を優先しているかどうかと聞かれれば、疑問を懐かざるをえないのだが。
「さぁ、貴様の用事は済んだだろう?何ならもう一度答えてやる。殺人嫌疑については、嫌疑じゃなくて確証にして、証拠付きで出直してこい。協力要請は却下。以上」
「…………」
「まぁ、セイを救ってくれたことは感謝してるさ。立ち寄るくらいは許可してやろう」
早くも追い出しモードに入っている榎凪。
流石にゆっくり話する時間くらいは与えてほしいと思い口を挟もうとした瞬間、水豹さんが言葉ぼそりと呟いた。
僕らを硬直させるに十分な言葉だった。
「『理由なき剣』」
ぽつりと。
はっきりと。
「この話には『理由なき剣』が関わっている可能性がかなり高い」
そう水豹さんは呟いた。