一章:殺人日記 04
「私の昔話はどうでもいいんだ。ついでに水豹の言うところの『迷惑をかけた人々』も、な。まぁ、セイが私の昔話が聴きたいというならいくらでも話してやるが」
榎凪のその言葉に水豹さんは少しムッとしながらも、すぐに平静の顔にもどし、榎凪の言葉に耳を傾けた。
僕は榎凪の過去に興味がないわけではなかったが、今は榎凪の話に傾聴する。
「で、セイと水豹、お前らはどういう関係なんだ?そもそも水豹、お前は長期行方不明で国籍も何も無くなってたはずじゃないのか?」
「はっはっは、情報が古いな」
气作さんは腕を組んで胸を反らし、豪放磊落に笑う。まるで何処かの勧善懲悪が大好きなご隠居のように。
「三年……いや、もう四年前と言ったほうが近いか。私は大学教授に就任したのさ。もちろん国籍もちゃんとあるぞ?」
「お前が何処で何してようが知ったことじゃねぇっての。ここでセイと一緒に余生をいちゃいちゃラヴラヴしながら過ごすんだからな」
「因みに、私がいる大学は――」
「誰も聞いてねぇっての」
適当にあしらおうとしている榎凪を余所に、水豹さんは嫌らしい笑みを浮かべながら榎凪に言った。
「アンリフェルト大学」
「…………」
大学の名前を聞いた途端、榎凪の眉が微かに反応した。
そんな榎凪の反応を見て、水豹さんは面白そうに付け加える。
「分かっているとは思うが、お前が消滅させた専門学校の跡地に立てられた私立の大学だ」
「…………趣味悪ぃ」
「何とでも言うが良いさ。これは貴様への意趣返しなんだからな。私からお前の云うところの『灰色の学校生活』でさえも奪った秋宮榎凪へのな」
相変わらずの嫌らしさ。
それを称えるような笑み。
榎凪はそれを無視するように閑話休題をした。
「で、結局お前はセイとどういう関係なんだ?」
「婚約者だ」
「ぶぇっふっ!」
盛大に吹いたのは榎凪でも無ければ、勿論水豹さん本人なはずもなく、僕自身だ。
因みに、僕が吹いたのは水豹さんの妄言に対してではなく、それを信じたらしい榎凪が僕を力一杯抱き締めて、確保に走ったからだ。
魔術を使いかねないほど本気。
まさしく一触即発。
このままではこの家どころか町ごと吹っ飛びかねない事態に冗談抜きでなってしまうので、僕が本当のことを明かすことにした。
「恩人、なんですよ」
「何のだ?」
「僕が榎凪から離れていた三年間の、です」
榎凪さんは苦虫を噛んだような顔をした。
ちょうどよい機会なので、僕は榎凪に全てではないけれど、全てを話すことはできないけれど、ほんの少しだけれど話すことにした。
「僕が動けなかった三年間、僕の世話をしてくれた人なんです」
「…………ちっ」
榎凪は僕の言葉を聞いて、結構長い間黙っていた。
榎凪と水豹さんは詳しいことは分からないが、学生時代に少なからず因縁があるみたいだし、一緒にいるだけでもあまり良い気分ではないんだろう。
そんな相手が僕の恩人だったとなれば、やはり葛藤が榎凪の中には存在するんだろう。
自分に置き換えて考えるのは僕には難しいけれど、榎凪がそれに近いことを考えているのは察せる。
だから僕は榎凪の次の反応をまつ。
結局、僕は榎凪にいつだって従うのだ。
「…………ちっ」
榎凪はこれ見よがしに舌打ちすると、僕の拘束を解いた。
そしてソファに深く腰かけると天を仰いで言った。
「葵、客だ。茶を出してやれ」
葵の上ずった返事が、遠くの方から聞こえてきた。