一章:殺人日記 09
僕らの家に続く長い石段を上る途中、僕は榎凪にずっと疑問に思っていたことを尋ねた。
「榎凪」
「どうした?」
僕の手を引きながら前を歩いていた榎凪は、僕の呼び掛けに立ち止まって振り返る。
「一つ、訊いてもいいですか?」
「一つと言わずいくらでも訊いていいぞ。ただし――」
榎凪はベタつくような笑いを浮かべ、余った方の手を僕の白い髪の上に乗せた。
「質問の回数×十秒間のハグは譲れないな」
「…………」
相変わらず過ぎる榎凪だった。
あんな光景を見た後だと言うのに。
飽きれ混じりに僕はため息を吐くと、榎凪の言葉を聞かなかったことにして質問をした。
「探偵ごっこ、続くんですか?」
「おしっ!まず一個っ!」
質問したら恥ずかしげもなく僕の頭に乗せていた手でガッツポーズする榎凪。
本当に精神年齢が掴み難い人だった。
未だに行動が掴めない。
榎凪は一頻り喜んだ後、ようやく返答を始めた。
「続けるぞ」
答えたのはそれだけ。
いつもなら頼んでもないのに、沢山喋ると言うのに。
不思議に思いながらも僕は会話を続けた。
「だからわざわざパート1なんて言ったんですか?」
「まぁ、そうだな」
まただ。
別に心此処に在らずとか、返事に気が入っていないと言うわけではない。
だが、回答が素っ気なさすぎる。
「あの……榎凪?訊いていいですか?」
「構わないぞ」
「もしかして、怒ってます?」
「いや、全然」
「機嫌が悪かったりは……?」
「むしろ機嫌がいいくらいだ」
「本当ですか?」
「本当だ」
「本当の本当にですか?」
「本当の本当に、だ。いくらなんでも心配しすぎだ、セイ」
榎凪は笑顔でクシャクシャと僕の髪を撫でた。
手を繋いでいる以上逃げようもなく、でもされるがままなのも恥ずかしいので、顔だけを離しながら喋る。
「でも何でですか?」
「何がだ?」
「もう『アレ』が関わっていないことは分かったんですよね?」
「まぁな。私の目は節穴じゃないからな」
ならば、榎凪が『探偵ごっこ』などする必要などどこにもない。
『アレ』が関わっていない以上、僕らが首を突っ込むべきではないのだ。
「どうした、セイ?」
「いえ……何でもないです。『アレ』が関わってないのに、わざわざ関わるなんてどうしたんですか?」
「んー……」
榎凪は手をピタリと止め、思案するように空を仰いだ。
抜けるような青空。
雲一つ無い快晴。
『連続殺戮事件』など、そもそもなかったかのような平和さだ。
「興味本意だな」
榎凪は言った。
「仮にも私は魔術師だからな。魔術師という人種は難問には興味を引かれるものさ」
他人の命などどうでもいいかのように。
榎凪が建前でも、弔いのため、などと口にするとは思っていないが、こう隠さず言うのはどうかと思う。
「まぁ、下手したら『アイツ』が関わっているかもしれないからな」
「『アイツ』、ですか?」
「あぁ、お前もよく知っている『アイツ』だ」
僕の知っている人間なんてたかが知れているが、それでもピンと当てはまる人が思い至らなかった。
「アレだけの人数を殺したんだ。おのずと方法も、それができる人間も限られてくる。まずはそいつから当たる」
知り合いでも容赦なく疑う榎凪。
疑うと言うよりは可能性から引かずに冷静に見ているんだろうけど。
「ところでセイ。一つ質問してもいいか?」
榎凪は突如、話のテンポを変えて質問してきた。
「それで質問は全部か?」
「えぇ、まぁ、そうですけど」
「そうか……」
榎凪はぐったりと項垂れ、目に見えて落ち込んでいた。
「まぁいいか。九十秒なら上出来か」
「え?」
突然、僕は榎凪に抱擁された。
きつくではなく、体全身で包み込むように優しく僕を抱きすくめる榎凪。
「ちょ、榎凪!?」
「九個の質問の代金だ」
それだけ短く言って、榎凪は僕を抱き締める力を少し強めた。
それから喋ることなく、きっかり九十秒ハグされて漸く解放された。
白昼堂々、階段のど真ん中で。
いくら人通りが殆どないとはいえ、流石に恥ずかしかった。
「仲がいいことだな」
突如、上から声をかけられた。
真上ではなく、階段の上。
僕らの家がある場所から。
「久しぶりだな」
慌てて仰観する。
そこには黒い髪をなびかせ佇む男性、人形使い『絲状災厄』希崎時雨がいた。