短編BL プラットホーム。
間もなく、3番線に電車が参ります。白線の内側までお下がりください。
良く晴れた夏の早い朝。
あたしはいつもの駅で電車を待っていた。7時20分発の特急。現在時刻は7時少し前。ひんやりする長椅子に腰かけていると、早くも温度を増した陽射しがじりじりと太ももを焼いてくる。ああ、今日も暑くなりそう。片手に持った甘い珈琲の容器が大粒の汗をかいていて、生ぬるい滴がぽたりと焼けた腿に零れた。
反対側のホームに赤い急行列車が滑りこんで来て、ひとしきりの乗り降りを済ませてまた走って行った。乗り換えがあるので、あたしの居る2番線にもちらほらと乗客がやって来た。階段の近くの乗り場は行列が伸びて、足元の線よりも人の列が長くなっている。
あたしはその階段よりだいぶ離れた1号車寄りの端っこに居る。特に意味は無い。端っこが好きなんだ、昔から。ホームを抜けてゆく風が少し冷たくて心地いい。ふう、と一息ついて珈琲を傍らに置き、ふと視線を上げるとあたしの目の前に男性が二人やってきて、1号車の乗車口の前で立ち止まった。どうやらこの人たちも特急に乗るらしい。あっ、可愛いな。そう思ったのは二人組の片割れで、華奢な体つきに色白の肌、少し伸びた黒い髪が良く似合っている。後姿だけだと骨格のしっかりした女性に見えなくもないけど、漏れ聞こえる甘えた低い声が確かに男性だと思わせる。横顔に浮かぶ細い黒縁眼鏡も良く似合っていて、大人しめのスラックスに半袖のシャツが可愛らしい。
その隣にいるのが先輩格で、日焼けした肌に野太い声が喧しい。こういう汗臭いのが嫌いじゃ。がっしりした体格で背中がグンと張っている。短く刈った黒髪の襟足を先程からしきりとハンカチでぬぐっている。この朝からほんとに暑苦しい。もう汗、かいてるのかよ。
「ねえ南さあん」
「あんだよ、馴れ馴れしいなおい」
「いいじゃん、ねえネクタイこれでいいですかあ」
「ああ?違うよお前、さっき結んでやったろ」
「えーだって」
「だってじゃねえだろ」
ん?なんか、じゃれつきだしたな。
あたしは読み始めた飴村行の文庫本を閉じて、でも視線は下に向けたままで耳を澄ませた。薄汚れたコンクリートの床の上で、真新しい黒い革靴と少し草臥れた茶色い革靴がわちわちと踊る。
「ほら、ちょっと顔上げろ」
「やだ!」
「や、やだってお前」
「ね、さっきみたいにして」
「は?」
「ねーえー、うしろからっ。」
う、後ろ?
んまあはしたない。
「いやだってお前ここ」
「ねーえー、あれじゃないと嫌!」
「嫌、じゃねえよもう」
「早く早く!」
「いやほら一応、先輩。俺。」
「えーでもー」
「でもじゃねえって」
「だって」
朝から仲がよろしい事。
「自分でほどいたのに」
「バカ、お前」
えっ!?
「はい、ほら結んで!」
「わ、わかったよ・・・・」
「南さんあったかい!汗かいてるー。なんでですかあ?」
「うるせー。はいよ、出来ましたよ岡本さん。」
「みどり、って呼んでよ」
「あ?」
「昨日みたいに」
「よせってお前、離せって」
チラッと顔を上げて驚いた。汗臭いのが可愛い子の背中から抱き着くようにしてネクタイを締めてやっている。いや、あれはもう抱き着いている。汗臭いのの腰が少し引けているのに気づいてしまったあたしは目のやり場を失って、そのまま彼らのやり取りをじっと見ていた。
「やだ!だめ!」
「だめじゃない!」
「いーや!」
「もういいだろ、ネクタイ」
「うん。ありがと、達ちゃん。」
「た、たっちゃんていうな!」
「だって嬉しくて」
「やめろよお前」
「だって本当だもん。」
「あ、ああ・・・・。」
「ありがと。」
「う、うん。」
おいおい朝っぱらから、おい、ここは駅のホームだぞ。もしかしてあたしに気付いてないのか?ああ、二人の顔が吸い付くように近寄って
「間もなく、2番線に、7時20分発、特急…」
あっ!いいところで!!
けたたましい構内放送とベルの音が鳴り響き、遠くに特急列車のヘッドライトが見えてくる。少し右に曲がった線路に陽炎がじりじりと揺れる。
あーあ、我に帰っちゃった。
「さ、行くぞ。岡本。」
「はい、南さん。」
やがて赤と白の派手な塗装が施された特急列車がホームに滑り込んできて、あたしも彼らの後について乗り込んだ。別途指定席を取っていたのだがなんとそれも彼らの後ろの席だった。
座席について机を倒し、そこに珈琲を乗せたり飴村行をかばんから引っ張り出したりしているうちに発車時刻になった。ああ、もうそんな時間か。と顔を上げた。目の前の座席にはさっき見た頭が二つ、寄り添うように互いに傾いて並んでいる。さぞかし幸せな時間を乗せているのだろう。この電車は。
一瞬、艶々した長い黒髪が窓際を向いて少し動いたと思ったら、何か濡れたものが擦れるような甘い音がした。それは動き始めた列車が線路を走るにぶい音に紛れて、二度、三度と続いた。
おしまい。