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青い目  作者: 黒糖パン
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夢の中

 耳元で鳴っているかのような蝉の声が鬱陶しい。

 窓を閉めると蝉の音が一オクターブ下がるが、同時にむっとした暑さがやってきた。

 規則正しく並ぶ机の隙間を縫い、席に座る。

「文化祭練習 中庭で実施中」

 黒板に白チョークで書かれた文字の下には、女の子が踊っている可愛いイラストが描かれていた。

 どうして残っているのだろう。

 ふいにそんな感情に襲われた。家に帰れば、クーラーの効いた部屋で眠れる。それなのに、どうして今、教室に残っているのだろう。

 汗が白いシャツに滲む。紺のズボンは肌にへばりついていた。学校のズボンはどうして長ズボンしかないのだろうか。

 陽が傾き始め、朱色の光が窓から射し込む。

 そろそろ帰ろう。

 席を立たとうとした時、黒板横の扉が開く。

 教室に入って来たのは、長い黒髪の少女だった。白い肌は冷たそうなのに、頬には汗が滲んでいる。こちらに歩いてきた少女は自分を一瞥してきた後、ぷいっと目を逸らして隣の席に座った。

 そこで、この少女が隣の席の子だったことを思い出す。確か、美人なのに誰とも仲良くしようとしない子だった。そのため、クラスでは自分とは別の意味で浮いてしまっている。

「暑くないの?」

 教室内の温度は相当高くなっているはずなのに、この少女は入って来た時に何も反応しなかった。普通は、窓を開けたりドアを開けたままにしたりなど、何らかの行動を起こすはずだ。

「暑くないです」

 こちらも見ずに少女は言う。相変わらずのぶっきらぼうさだった。いや、答えてくれただけ、マシだろうか。

「帰らないの?」

「帰りたくないです」

 何があったのかは知らないが、こんなところにずっといたら死んでしまうだろう。まあ、ずっといた自分が言える義理ではないが。

「じゃあ俺とずっといるか」

 そう言うと、少女は少し困ったような表情を見せた。別に口説こうとしているわけじゃない。ただ、帰らないのなら必然的にそうなると思っただけだ。

「冗談だよ」

 冗談ではないのだが、一応。

「あなたはどうして帰らないんですか?」

 蝉の鳴き声の中に生徒の掛け声が聞こえた。

「俺もわからないんだ。いつもはすぐに帰るのに、どうしてか今日は教室に残ってた」

 机にできていた水たまりが床に落ち、コーヒー色の染みを作っていく。

「変な人ですね」

「君も相当だよ」

 この暑さの中、密室にいる人間を正常と呼ぶ人がどこにいるんだろうか。

 少女は笑う。初めて笑っている姿を見た。その笑顔が眩しく感じたのは、きっと夕日のせいだろう。

 うるさかった蝉の音が、やがて(ひぐらし)の穏やかなものへと変わっていく。

「なあ。屋上に行かないか?」

 暑さに耐えきれなくなったという理由ももちろんあるが、なぜか高いところに行きたくなったのだ。『何とかと煙は高いところが好き』と言うし。いや、意味が違うのか? まあいいか。

「いいですよ」

 教室のドアを開けると、まるで冷蔵庫に顔を突っ込んだ時みたいに涼しかった。周りの生徒は制服が皮膚に貼り付くほど汗まみれになった自分たちを不思議そうに見つめていた。

 屋上のドアを開くと、冷たい風が身体に吹き付けてくる。気温はもうずいぶん下がっているみたいだった。

 少女は楽しそうなステップで屋上に出ていき、黒い髪を靡かせながら振り返る。

 背景の夕日に照らされた少女の黒い姿は、まるで太陽に描いた切り絵のようだった。

柵の上で腕を組み、沈みゆく夕日を見つめる。

夕日が星ほどの小ささになった頃、少女は口を開いた。

「私、今の自分が嫌いなんです。嫌なことがあっても逃げてばかり。どうしようもない人間なんです」

 そんなことない。そう言いかけて、ぐっと押し留まった。この少女のことを何も知らないのに、根拠もないことを言っていいのだろうか? 生憎、優しさは持ち合わせていなかった。

「だから、今の自分をぶち壊して、新しい自分を作りたいんです。でも、どうすればいいのかわかりません。そして、私はまた、逃げようとしています」

 もしかすると、周りと何かが起こることを恐れてこの少女は同級生に対しても敬語なのだろうか?

「変わりたいの?」

「はい」

 今、この少女は自分に助けを求めている。これだけでも充分『新しい自分を作ろうとしている』と言えるのではないだろうか。そして、そんな頑張りを無下にしてはいけないと思った。

 首を横に向け、少女の横顔を見つめる。本当に綺麗だ……。

「じゃあ、ミスコンに出るっていうのはどう?」

 弾かれたようにこちらを向いた少女と目が合う。少女はわかりやすく狼狽していた。

「ミスコンっていうのは……その、文化祭……の?」

 他に何があるんだ。

「そう。文化祭の」

「無理です」

「変わりたいんでしょ?」

 悪戯っぽく言うと、少女は泣きそうな顔になった。そして、逃げるように走り去っていく。ドアが閉まった音が聞こえると、おかしくて堪らない気分になった。きっと、あの少女は勇気を出してミスコンにエントリーするだろう。そんな変な自信が自分の中にあった。

 そういえば、あの子の名前は何と言うのだろう。入学から三ヶ月ちょっと経つのだから、隣の席の人の名前くらい覚えておけばよかった。

 頭に浮かぶのは、さきほどの少女の顔。深い海のような黒い瞳から、涙が溢れ出てきていた。


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