答え
「俺は、自分のことしか考えられないやつだ。ユリは助けられるのに、他人は助けられない。俺は利己主義者だったんだ。大切な人のためなら、他人なんてどうでもいいと考える。……そして、それを俺に思い知らせるのが、『罰』」
そう。たった、それだけだったのだ。ユリの前に巧真が現れたのも青目の能力者が巧真を襲って来たのも、多くの人が死に、絶望を味わったのも、全ては巧真が自分勝手な理由で過去を変えた――なかったことにしてしまったからだ。
「そうだよ。わかってくれてよかった。気付いてくれていなかったら、全てが台無しだからね」
神様はわざとらしく、ほっと息を吐く。
「ボクも神様として無垢な人々が傷つくのは見ていて心地のいいものではなかったよ。でも仕方がない。君に、骨の髄まで思い知らせるためだからね」
ああ、思い知ったよ。と巧真は心の中で呟く。
「ユリちゃんには悪いことをしたよ。君がユリちゃんの傷を治すことを見越して、何度も痛めつけられてもらったんだからね。でも、君のおかげでユリちゃんの身体は五体満足だ」
神様は、自分の胸に両手を持っていき、何やら手を動かす。それはもちろん、白黒だがユリとまったく同じ容姿をしているので、巧真は、心の内側から熱いものが湧きあがってくるような、何とも言えない気持ちになった。
心を落ち着かせるために視線を逸らし、息を吐いてから口を開く。
「一日が二十四時間じゃなくなったのは、俺が過去を変えたからなんだよな?」
「そう。君が過去を捻じ曲げたものだから、時間軸が歪んでしまったんだ。このままだと、いつかこの世界は時間を失ってしまう」
「時間がなくなったら、どうなるんだ?」
「ボクの存在価値がなくなっちゃうね。真に遺憾だね」
「そんなことを訊いているんじゃない」
巧真が少し怒りの混ざった口調でそう言うと、神様はおどけた顔で巧真をなだめる。
「冗談じゃないか。『私、冗談が好きなんです』」
「やめろ」
「本題に戻ろう」
さすがの神様も巧真の気迫に負けたようで、くだけた顔を再び真剣なものへと戻す。
「時間がなくなれば、人間生活は成り立たなくなるだろうよ。一日が二十四時間でなくなった今でこそ適応しているが、それはまだ時間が存在しているからできることだ。なくなってしまえば、話が違う。時間に取りつかれている人間は、絶滅だろうね」
いつか、ユリもそのようなことを言っていた。
全ては、巧真のせいだ。巧真が、例え無意識だったとしても利己的な行動を取ってしまったから、大勢の人が傷ついたし、世界崩壊の危機になってしまったのだ。
自分のしたことの重さを改めて認識して、巧真は今回の事件で傷ついた人々全員が自分の背中に乗っているような錯覚に陥る。これが、罪の重さなのだろう。
「ちなみに、君を最初に襲った男も傘を持ったロリもボクとキャラが被っているあの男も、電車事故の犠牲者だよ。君の都合で生を再び受けてしまったんだ。一度は天国まで逝ったのにね。……君は無宗教かい?」
神様が何気なく放った言葉に巧真は激しく狼狽していた。なぜなら、巧真は彼らを殺したのだ。自分の勝手で生き返らせておきながら、殺したのだ。これほどの皮肉があっていいのだろうか?
もしかすると、神様は今の言葉を何気なく言った風に装っていただけで、その実は巧真を後悔の念に駆らせるためだったのかもしれない。
「……神様の前で無宗教なんて言えないだろ」
平静を装ってそう言って見せたが、神様の顔には何かの企みが成功した時のような笑みが浮かんでいた。
「それもそうだね」
そう言うと神様は立ち上がり、巧真のほうに振り返って巧真を見下ろす。その目は穏やかに細められており、頬には笑みが浮かんでいた。例え白黒だったとしても、その姿がユリだったので、巧真はドキリとした。
「さて、答え合わせをしようか」
「え……?」
答え合わせはしたのではないか?
「どういうことだ?」
「だからね、君が導き出した答えが合っているか、答え合わせをするんだよ」
「いや、でも、『そうだよ』って同意したじゃないか」
「もちろん、その部分は正解だ。そして、ほとんど正解している。だけど、惜しいね、九十点だ。そして、君が間違ってしまった残り十点が非常に重要なんだ。君は要点をわかっていないね。ちゃんと、授業を聞いていたのかい?」
「早く教えてくれ」
神様はニヤっと笑う。こんな歪んだ笑い方をユリはしない。
「では言おう」
神様は言葉を切って息を吸いこみ、吐き出すと共に捲し立てるように言葉を発する。
「君はどうして電車事故で生きていた? 電車がばらばらになったのに、どうして傷一つなかった? 運がよかった。奇跡だった。――本当にそうか?」
巧真は何も言えなかった。何か言わなければと思うけれど、言葉は、解けていく雪のように脳から消える。
「君は、ユリの死が受け入れられなかったと言ったな。そのせいで能力が発現して、電車事故がなかったことになってしまったと。……確かにそれは事実だろう。君はユリちゃんを愛していた。けれど、君が無意識の内に選んだ大切な人はユリちゃんではなく、自分自身だったんだ」
いつの間にか、巧真の胸の鼓動は速くなっていた。血管が縮まったかのように、身体が内部から締め付けられるような感覚に襲われる。その苦しさはきっと、自分自身への怒りから来るものだ。
「俺は……俺は……」
巧真は言葉を発しようとして、けれどその言葉の束が気管に詰まって喘ぐ。
「正義の味方になる方法を、教えてほしいかい?」
なれるわけがないと巧真は絶望していた。目から生気が抜け、まるで廃人のようになってしまっている。だけど、なぜか巧真の首は縦に動いた。この期に及んで、まだ巧真は正義に憧れているらしい。根拠のないことだが、神様の声、つまりは愛子ちゃんの声がその気持ちを増幅させていたのかもしれなかった。
「ボクは君に正義の味方になってもらうために時間を戻したんだ。十二月三十一日に君は、ユリちゃんと電車に乗るね? そしてそこで何も願わなければいい。……必然的に君は助かるだろう。だが、ユリちゃんを助けるな。目の前で朽ちていくユリちゃんを目に焼き付けろ。そうすれば、君は正義の味方になれるだろう」
あまりにも残酷すぎる言葉が剣となって突き刺さり、巧真の全身から鮮血を溢れさせる。喉元にも刺さっていて、巧真は何も言葉にできず、ただひゅーひゅーと言うだけだった。
だけど、ふいにそれが残酷ではなく、当たり前なのだと気付く。ユリはその電車事故で死ぬべきなのだ。また同じことを繰り返せば、ユリは、ユリだけでなく、青目の彼らが苦しむだけだ。なら、そうするしかないのではないか。
巧真は息を大きく吸い、吐き出す。それも、一度ではなく、何度も。
徐々に気持ちが穏やかになってくる。その気分は、限界を超えた時に感じる、安楽のようなものに似ていた。
「わかったよ」
「そうかい。よかった」
安心したのか、神様は溜め息と共にその言葉を吐き出した。
生気を取り戻した目が神様の、ユリの黒い目を捉える。その目はしっかりと巧真を見返していて、一瞬だけ、本物のユリと見間違えてしまう。
その巧真の思考を切り捨てさせるように、神様は愛子ちゃんの声でこう言う。
「君はもう充分罰を受けたよ」
神様は立ち上がり、巧真の前に来ると、手を伸ばして巧真の瞼に人差し指と中指を当てる。そして、そっと瞼を下ろした。巧真の視界に暗幕が下ろされる直前、何やら神様の口が動いたが、巧真には何と言っているのかわからなかった。ただ、また、あの何かを企んでいるような悪戯っぽい笑みを見せていたような気がした。
いつの間にか入っていた肩の力が抜け、巧真はソファーに全身を預ける。だが、目を閉じているとなぜか浮遊感があって、本当に座っているのがソファーなのかわからなくなってしまう。
視界を横切るように、一瞬だけ光が走る。
世界が変わったような感覚がした。
目を開く。
世界は色を取り戻していた。
白い肌にほの赤い頬、桃色の唇。そして、青い瞳。いつもと何も変わらないユリが目の前にいた。ソファーだと思っていたのはユリの暖かさで、背を預けていたのは背もたれではなく、ユリの手だったようだ。
「もう、また助けちゃったんですか?」
困ったような表情。だけどその中には、嬉しさが混ざっていた。
「ああ、ごめん。助けちゃったよ」
巧真は笑おうと口角を吊り上げたが、目は誤魔化せず、不細工な笑い顔になってしまった。その顔を見て、ユリは可笑しそうに笑う。
「それにしても、神様もあまのじゃくですね。私には答えを教えるなって言っていたくせに、あっさりと答えを教えちゃうんですから」
「あいつならきっと、『いいんだよ。だってボク、神様だから』って言うぜ」
「ふふふ。そうですね」
ユリの青い目には涙が浮かんでいて、まるでサファイアに水晶の粒をくっつけたように見えた。
ユリは全てを知っている。だから、これから自分が死ぬことも知っているのだ。だが、ユリが泣いているのはきっと、別れが悲しいからじゃない。巧真との会話が、本当に可笑しくて仕方がなかったのだ。
「私も巧真さんに謝らないといけないことがあるんです」
ユリの言わんとしていることは、何となくわかっていた。
「私、巧真さんにずっと嘘を言っていました。本当にごめんなさい。……でも私、冗談が好きなんです」
やっぱりと思って、巧真は笑う。つられて、ユリも笑った。
少しの間二人で笑った後、人差し指で涙を拭ったユリは、何かに気付いたように空を仰いだ。
「巧真さんも見てください。綺麗ですよ」
ユリに言われた通り、巧真は空を見上げる。
朱色の夕日の代わりに空に浮かんでいたのは、星空だった。黒い画用紙に白い絵具を散らばせたような――小学生の時にした工作に似ていて、さらにそれは、画面を介してしか見たことのないような風光明媚な空だった。
「これらの星が生命だとして、巧真さんはこれから、どれだけ多くの生命を救うことができますか?」
ユリは右手を高く上げ、人差し指を立てる。
ユリが指差した莫大な数の星が瞬くこの空にはきっと、ユリの命は含まれていないのだろう。そのことに、巧真はこの世の不条理というものを感じた。一度生命を取り戻したのだから、もう死ぬ必要はないのではないだろうか? また死んでしまったら、それこそこの世界に異変をきたさないのだろうか?
そこまで考えて、巧真はまたしてもエゴに走る自分に吐き気がした。




