答え合わせ
「ユリッ」
巧真はユリの身体を持ち上げ、抱き締めるも、ユリはぴくりとも動かなかった。口に耳を当てても、息をしていない。
ユリが死んだ。やっと脳が理解し、次の瞬間に巧真は嗚咽を漏らしながら泣き喚いていた。よだれと涙の混じったものがユリに降りかかるが、ユリは気持ち悪いとも何とも言わずにただただ巧真にされるがままになっている。
「なあユリ。教えてくれよ。まだ俺、何も知らないんだ。どうしてユリの目が青いのかも、あの男が何者だったのかも。……なあ、全部思い出したんだ。ユリとの思い出。それを隠してどうしてユリが俺の前に現れたのか、知りたいんだ」
返事があるわけがなかった。それでも巧真は声をかけなければ気が済まなかったのだ。それに、ユリはきっと生き返る。だって、巧真がこんなに願っているんだから……。
「知りたいですか?」
ユリの声だった。はっとして手元のユリを見るが、白い肌がさらに白くなっているだけだった。
「ここですよ」
赤い目を上げると、そこにはユリがいた。黒い目に白い肌のユリが巧真を見下ろしていた。だが、何かがおかしい。そして、巧真はその違和感の正体にすぐに気付く。色がなかったのだ。正確には、白と黒以外の色がなかった。桃色であるはずの唇は黒く、
そして、奇妙だったのは、ユリだけではなかった。空は黒く、夕日は白になり変わっていたし、茶褐色であるはずの木は雷が落ちてもこうならないだろうというほど黒くなっていた。さらに、周囲の車、野次馬までもが、白と黒に色を変えていた。そして、モノクロのユリ以外全てが、まるで時間が止まったかのように動かない。
「ユリ……なのか?」
巧真もまた、白黒と化していた。
「そうです」
ユリはにたっと笑った。それは、今までユリがしたことのないような、人を嘲るような笑みだった。
「お前、ユリじゃないな」
きっと睨みつけると、ユリの顔がさらに歪み――かと思うと無表情に戻る。
「よくわかったね」
容姿が白黒のユリであることは変わらなかった。変わったのは、声だ。ユリの声が透き通るようなのに対し、今『ユリの形をした何か』が発した声は、お茶目な少女のようで、いわばアニメ声……もっと言うならば、愛子ちゃんの声にそっくりだった。
「愛子ちゃん……?」
まさかと思いながらも、声は巧真の口から漏れていた。
「まさか。現実と空想をごちゃ混ぜにしても、いいことは起きないよ」
白黒のユリは巧真を馬鹿にしたように笑った。しかし、一度愛子ちゃんとして聞いてしまうと、ますますそれにしか聞こえなくなってしまった。アニメの見過ぎだろうか?
「自己紹介をしよう。ボクは神だ。『あんなこと言っておいて何を言っているんだ、こいつは』と巧真は思っているだろう。だが、マジで、ガチで、ボクは神だ」
何を言っているんだこいつは。と巧真は白黒のユリが言ったこととまったく同じことを思っていた。途端に目の前にいる人物が胡散臭いものに見えてきて、巧真は何かのドッキリにかけられたのではないかと疑う。
「……おいおい。そんな顔をするなよ。痛い子みたいになるじゃないか。……まあ、ボクは子どもじゃなくて神様だけど」
何を言っているんだこいつは。
「さて、ボクが何の神かということが、本題に直結しているわけだ。……で、ボクは何の神だと思う? 貧乏神? 疫病神?」
何を言っているんだこいつは。
「はいはい時間切れ! 正解は、時間の神様でした!」
時間?
時間という単語が、左耳から右耳に抜けていく途中に眉間辺りで引っ掛かった。
「さてさて、本題に入ろう。巧真は、電車事故のことを憶えているかい? ……いや、思い出したね」
ふっと、口調が変わった。占い師のような、誰かを諭す口調だった。
巧真の脳内で夕日を前に思い出した記憶が再生される。揺れ。奇音。衝撃。激痛。そして、目の前には頭から血を流したユリがいた。
「何か知っているのか?」
「いや、ボクより君のほうが知っているはずさ。ボクは、君がそのことを思い出しやすい状況をつくっただけだよ」
「……じゃあ、あの男は……いや、最初に俺を襲って来た男も、傘を持った少女も、お前の手下ってことか?」
「手下じゃないよ。手伝ってもらっていただけさ。もちろん、ユリちゃんも。あと、ボクのことは神様って呼んでね」
青目。その正体があまりにもあっさりとわかってしまって、巧真は一瞬呆然としてしまった。しかも、それは巧真の予想を遥かに凌駕していた。
だが、まだ疑問はたくさん残っている。
「お前の目的は何なんだ?」
「神様ね。……ボクの目的を言う前に、君には思い出してもらわなければならないことがあるんだ」
神様は一度言葉を切り、黒い瞳で辺りを一瞥し、「場所を変えよう」と言い、巧真に背を向けてそそくさと駅舎のほうへ歩き出す。巧真はユリを地面に寝かせて、その背中を追いかけた。
改札を抜け、扉が開いたままの電車に乗り込む。中はやはり白黒で、綺麗な景色を映し出した広告も、これでは美しさが伝わって来なかった。
まるで、白黒カメラで世界を映したみたいだな。と巧真は思った。色がない世界を歩いていると、ここが現実ではなくて、どこか遠い世界なのだと錯覚してしまうが、夕日の温かさはまぎれもなく、現実のそれだった。
白いソファーに座った神様の横に、巧真も座る。神様と言ってもユリが単に色を失っただけなので、自然と電車事故の日のことが――以前に思い出した記憶が蘇ってきた。そして、巧真は脳内で何かを掴みかける。暗闇の中をネズミ花火のように逃げるそれを必死に追いかけた。近づくと、予測できない動きをしてまた離れる。それを何度も繰り返している内に、徐々に花火の速度が落ちてきた。巧真は最後の力を振り絞って手を伸ばし、やっと捕まえる。
その瞬間、暗闇が、あの地獄のような光景へと変わっていた。
仰向けの態勢になっていて、眼前には、ユリの顔があった。黒い瞳と目が合っているが、不思議と見つめ返されている気はしない。それに、見えているのが首から上だけで、胴体はソファーか何かに隠れていたので、いっそう不安に掻き立てられる。
首だけになってしまった。
そんな最悪な考えが脳裏に過ぎって、そんなわけがないと首を振る。不安になっているのだ。ユリが動かないから、もう死んでしまったのではないかと不安で仕方がないだけなのだ。
肩を動かすと、千切れるような激痛が走った。身体が、鉄のような何かに板挟みになっていたから、ろくに身体を動かすこともままならなかった。それでも、ユリに触れたくて、手を伸ばした。頬に触れると体温を感じられたのに、ユリは死んでいるみたいに反応しない。
ふいに目が熱くなって――そう思った時にはもう頬を涙が伝っていた。そして、涙が生きている証のような気がして、どうしてユリは泣いていないのだろう。と思った。
地響きのような揺れが起こって、瓦礫と化した周りのものが位置を変える。それと同時にユリの顔が落ちてきたような錯覚に陥って、顔に血が降り注いだのを感じて錯覚じゃなかったと悟る。ユリの顔は、すぐ真横に転がっていた。ゆっくりと、横目で見るとユリと目が合って、やっぱり見つめ返してくれなくて、絶望する。
ユリが死んだ。
理解していた。理解していたが、その事実を受け入れることを、本能的に拒絶していた。
きっとユリは生き返る。
そんな非論理的なことを考えて、自分が狂っていることに気付いて、でもユリを失ったことが悲しくて――
そうしていたら、本当にユリが生き返った。
いや、正確には生き返ったのではなかった。電車事故自体がなかったことになっていた。
「思い出したかい?」
神様は、二つのつり革に両手を突っ込み、ぶら下がって遊んでいた。
「ああ、思い出したよ」
白い夕焼けを見ていて、しかし焦点が合わず、巧真は自分が身震いしていることに気付く。
「君がユリのことを知っているままだと不都合があったのでね、ちょっと君の記憶をいじくらせてもらったんだ。ごめんね」
巧真には突っ込む気力も生まれなかった。
「……では、事件解決といこうか」
尚も身体を揺らしながら、神様が言う。口調は真剣そのものなのに、行動があまりにも対蹠的で、彼女(彼?)がどういう心持ちで巧真と話しているのかわからなかった。だけど、巧真は構わずに白い陽を眺め続ける。
「まず、こんなにふざけているが、ボクは本当に神様なんだ」
神様はつり革から降りて、再び巧真の横に座る。そして、巧真と同じ場所に目を向けた。
夕日が一瞬だけ黒に侵された気がして、だけど、巧真が瞬きした後にはやはりそこにぼやけた白い半円があった。
「そして、さっきも言ったが、ボクは時間の神様だ。君が過去を変えてしまったものだから、君に罰を与えなくてはならなくなってしまった。それが、今回の事件だよ」
「罰……?」
「ああ、そうだ。それと、そのせいで時間軸がずれてしまった。だから、ボクは、時間を戻した」
時間を戻した……?
虚ろだった視界と記憶が元に戻りつつあって、巧真は脳内で神様の言葉を反芻させる。何度も聞いている内にやっと理解して、巧真は思わず口を開いていた。
「そんなことしていいのか? 俺に罰を与えるために時間を戻すなんて、本末転倒じゃないのか?」
「いいんだよ。だってボク、神様だから」
全く悪びれた様子のない神様は、舌を出して、拳をこめかみに当てる。いわゆる、てへぺろ。そして、すぐに元の態勢に戻った。
「それに、すぐに元に戻るだろうからね……」
何やら意味深な言葉を呟いたが、巧真がそれについて訊く前に神様は「さて」と話を変える。
「さて、君への罰。どうして罰を受けることになったのか、君にはわかるかい?」
不敵な笑みを浮かべていたが、その口調は真剣なもので、まるで尋問のような雰囲気を巧真は感じた。そして、手に鳥肌が立ち、身が引き締まる。
罰。
巧真は記憶を呼び戻す。あの時、ユリの死が受け入れられなくて、巧真は電車事故ごとなかったことにした。それがきっかけで巧真は罰を受けることとなった。
では、どうして罰を受けることになったのか。
巧真は神様に言われた言葉を心の中で反芻し、一本の糸を創り出す。その糸は長くなり、やがて何かの形を成していく。
――青い目
――願いを叶える能力
――助けられるユリ
――救えない人々
――幾度となく覚えた既視感
――電車事故
――罰
その糸が「何か」になった時、巧真は答えを得る。
白い夕日がまるで白い絵具に水を垂らしたかのように下方から滲んでいた。しかし、それは水ではなく、巧真の涙だった。
巧真はゆっくりと頷く。その時水滴が巧真の目から零れ、頬を伝って顎から巧真のズボンへと落ちる。
「さあ、答えを出したまえ。そこから君は、ボクが与えた罰の数々を心にしっかりと刻み込むことになるだろう」
神様みたいだな、と巧真は思って、今横にいるユリが、白黒のユリが、神様なのだと改めて認識する。
さて、答え合わせをしようか。




