開戦
物凄い突風が治まり、巧真が目を開いた時、周りにいた人々はほとんどいなくなっていて、辺りは血臭に侵されていた。白い雪は絵具を零してしまったかのように赤く染まり、街路樹は飴のお菓子のように赤くなっている。そして、夕日はそれらを美しく照らしていた。
手を失って嘆く人。何が起きたのかわからず、立ち尽くす人。地面にへたれ込み、涙を流す人。
また同じ。
幸せが一瞬にして絶望へと変化していた。それを象徴するように、巧真とユリの手は離れてしまっている。
巧真はもう、人々の元へと駆け寄ることはしなかった。
偽善者が駆け寄ったところで、できることなど何もない。
「助けないのか? かっこよくないな」
ふいに聞こえてきた声の方向に目を向けると、駅舎の上、半分の夕日の中央が人型に黒く切り抜かれていた。顔は見えないが、その不愉快な声であの男だとわかった。
「まあいいか。……降りるからちょっと待て」
男は呑気な口調でそう言うと、駅舎から飛び降りる。高さは十メートル程あったが、見事なばねで着地した男はドヤ顔を巧真に見せつける。だが、どうして男が楽しそうなのか巧真にはわからなかった。――否、この男の感情が分かる者など、この世に一人もいない。
「どうだ? かっこよかったか? 一度やってみたかったんだよなあ。高いところからの登場」
「ふざけるな」
巧真の口はまるでそれだけで意志を持っているかのように勝手に動いた。
「ああ、ふざけた。……あっ、でも、ラスボスってのは、椅子に座って待っているものか。……まあいいや。かっこよければ」
巧真の声はまるで男に届いていない。
「ラスボスなら、いずれ倒されることが宿命づけられていますね」
ユリの口調は明らかに男を馬鹿にしたものだったが、男はやはり愉快そうに笑った。
男は以前とほとんど変わらず、白いTシャツに灰色のショートパンツという格好で、Tシャツには、『平和』の文字が書かれていた。ふいにふつふつと怒りが湧いてきて、巧真は自分でも驚くほど大きな声で叫んでいた。
「ふざけるなッ。何が『平和』だよ! お前が壊したんだろ。お前が、みんなの平和を奪ったんだろッ」
すると、男は青い目を細め、首を傾げた。しかし、そこでもやはり口角が上がっていて、巧真は馬鹿にされているような気しかしない。
「何のことだ?」
とぼけるのか。この男は、どれだけ人を侮辱すれば気が済むのだろう。男の異常さに巧真はゾッとした。
「いい加減にしろよ」
巧真は男を睨みつけるが、男の表情は変わらず、楽しそうな笑みが顔に貼りついたままだ。あるいは、この男は顔の筋肉を動かせないのだろうか? 皮肉だが。
「まあまあ怒るなよ。これが案外マジなんだ。マジで真面目に、俺は字が読めない。馬鹿なんだよ。……そうか。『平和』か。確かに俺には似合わねえな」
ぶははは、と男は笑う。男に似合わない、辛気臭い雰囲気が、一瞬漂った。
いつも笑顔な人は大抵、人より辛い思いをしているという。なら、この男も……。
巧真は思考を断ち切る。
例え過去に何があったとしても、人を傷付けていい理由にはならないだろう。
「さて、野次馬もいい感じに集まって来たし、開戦するか」
救急車の音が近づくにつれて、地獄と化したロータリーに野次馬も増えていた。救命にあたる者もいたが、ほとんどが巧真とユリ、そして男に好奇と疑心の視線を向けている。男は、この野次馬も虐殺する気なのだろう。巧真は犠牲を最小限に抑えなければならない。
――例え偽善だとしても、目の前にある生命は救えばいいんです。
巧真は脳内で、いつかユリが言っていた言葉を反芻させ、ゆっくりと深呼吸をする。冷たい空気が体内に入り、心を冷却する。生温かい息と共に雑念を振り払えば、今までよりもクリアに世界が見えた。生々しい血も綺麗な夕日も輝く雪も、全てが鮮明に見え、ここが紛れもない現実であることを脳内に叩き込む。
「あんたと戦った後、今度の戦いの武器は何がいいかって考えたんだ。刀がやっぱりよかったんだが、二度も同じだとあんたもつまらないだろう。そして、考えに考え抜いた末、思い付いた。何だと思う?」
「武器なんていらねえよ」
「おお。正解正解。武器なんんていらないんだよ。男ってのは素手で戦わないとね。……でも、今回は嬢ちゃんも戦う気らしね。嬢ちゃんは飛び道具でも何でも使うといい」
明らかに女性を見下した口調だったが、ユリは冷静な口調で返す。
「舐めないでください。私だって、素手で大丈夫ですよ。……そんなことより、あなたのあのスーパーボールみたいなやつは武器じゃないんですか?」
男は懐から赤色の飴玉みたいな球体を取り出し、親指と人差し指で摘まんで二人に、これかい? と見せる。
「これは観客をぶち殺すためにあるんだよ」
「お前の狙いは俺じゃないのかよ。どうして周りを巻き込む」
「いつ俺が、あんたを狙っていると言った」
巧真は、はっとする。確かに、この男は一言も狙いが巧真の能力であると言っていない。巧真が、敵の狙いが自分だと信じて疑わなかったのは、ユリがそう言ったからだ。
「まあいい。俺を倒すことができれば、俺の狙いも含めて、全てわかる」
「どういう意味だ」
「さあな」
相変わらず、ふざけている。この男の言うことをどこまで信じていいのかわからない。もしかすると、男が無差別殺人をしているのは巧真を錯乱させるためであって、本当の狙いはユリの言う通りなのかもしれない。だが、男のその言葉で巧真は決意することができた。例えこの男から真実が語られなかろうとも、ユリを問い詰めようと。
「さあ、開戦だ」




