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青い目  作者: 黒糖パン
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 目を開くと、目の前に青い瞳があった。その瞳は青空のようで、底がないように見えた。記憶にある、深い海のようなユリの瞳とは大違いだった。

 巧真が目を覚ましたと見るや否や、ユリは泣き出した。巧真は胸に顔を押し付けて泣きじゃくるユリの頭を撫でる。

 柔らかい髪を手で感じながら、巧真は思った。

 ユリは襲ってきたあの三人と同じなのだろうか?

 考えたくはないが、瞳の色を見れば、そう思わざるを得なかった。

だが、目的がわからない。仮にユリの言う通りだとすると、巧真の能力を奪うためになるが、チャンスは何度もあったはずだった。それなのにユリが行動を起こさなかったということは、やはり何か別の理由があるのだろうか?

 ……いや。

 巧真は思考を断ち切る。

 ユリを疑う自分に嫌悪する。ユリの優しさが、ユリの笑顔が、嘘だとは思いたくなかった。それに、ユリを疑うには証拠がなさすぎる。全て、自分が見た記憶にすぎないのだ。その記憶が事実だという確信があっても、いや、確信があるからこそ、ユリを疑う証拠とするのは嫌だった。

 この記憶は、ユリとの思い出だ。悪いものではなく、いいものとして心に留めておきたかった。

 ――ただ、一度感懐したことは簡単に吹っ切れず、巧真の中にユリに対する不安が少なからず生まれてしまったのも事実だ。そしてその不安は、石に入った亀裂のように、簡単に大きくなってしまうものだった。

「いたい……」

 目を真っ赤にしたユリが顔を上げて唇を尖らせる。

 巧真はどうしたのだろうかと思ったが、すぐに、髪を撫でる手のことを言っているのだと気付く。どうやら、無意識の内に手に力を入れていたみたいで、ユリの髪を引っ張ってしまっていた。

 慌てて巧真は手をどける。

「ごめん」

 巧真が謝るとユリは笑顔を取り戻し(というより、巧真が反省の色を見せた時点で笑っていたが)、猫のように巧真に飛びつく。両腕を後ろ首に回し、頬ずりする様子は、まさに猫だった。いや、猫より猫らしいのかもしれない。

 ユリは上目使いで巧真を見る。

 嫌な予感。結論から言えば、巧真にとって嫌なことではなかった。けれども、その時巧真は確かに嫌な予感がしたのだ。

「巧真さん……」

 いつも通りのユリの透き通るような声色なのに、どこか含羞(がんしゅう)の色が混ざっているように感じる。

 ユリは文字通り、唾を呑み込んだ。ユリが、緊張していることが手に取るようにわかった。それと比例するように巧真の心の中にある嫌な予感――奇妙なわだかまりは広がり、心の半分を侵食しようとしていた。

「私、巧真さんのことが好きなんです」

 少しの間、巧真はユリが何を言ったのか理解できなかった。いや、脳が理解するのを拒絶していた。拒絶した理由は、やはりわからない。ただ、不可思議なわだかまりが原因であることは理解できた。

 やがて、侵略されなかった心の半分に言葉が響く。わだかまりが黒色でユリの言葉が青色だとすると、ピンク色のハートは見事にその二つに占拠されていた。

 巧真は身体が火照るのを感じる。あるいはそれは、ユリの、触れている肌の温度だったのかもしれない。とにかく、二人は暑苦しくない、むしろ心地のいい熱気に包まれていた。

 しかし、恍惚に溺れそうな空気の中で、巧真はある種の気持ちの悪さを感じていた。それは、ユリの告白に対するものではなく、酔ったような雰囲気に対するものでもなかった。どちらかと言うと、自分の中にあるような……そんな風で、異様な、奇怪な、胸糞の悪い感覚だった。

「キス……しませんか?」

 ユリの頬は、頬だけでなく、顔全体は、熟れたトマトのように真っ赤になっていた。しかし、言葉からは恥ずかしさを見いだせず、あるのは穏やかさだけだった。きっと、この時のために何度も練習してきたのだろう。

 その時、巧真は吐き気を覚える。それはやはりユリに対するものではなく、出所はわからなかった。

 ユリの柔らかい唇を見た巧真は、男性が誰しも感じるいやらしさよりも、胸が痛むような、不快な感覚に陥った。

 そして、その正体が露わになる。巧真の心が全て黒に塗り潰されたのだ。

 巧真は心から脳へ、脳から思考へ移ろうとする黒い液体を押さえつけるため、ユリの両肩を強く握る。一瞬びくついたユリだったが、次の瞬間には陶酔したように目を細めていた。

 巧真はユリに目を向けていながらも、しかしユリを見ることはなく、唇を重ねた。肩にあった手をユリの後頭部に回し、狂ったように強く唇を吸う。

 ユリは悦楽の海に溺れていた。

 巧真は快楽どころか地獄を彷徨っていた。

 瞼の裏に広がるのは、地獄にふさわしく、地獄絵図。裏を返せば、地獄絵図があるから、そこが地獄と言えるのかもしれない。

 地獄絵図の中心にあるのは、首のないまま立つ少年。伸ばす手は、まるで巧真に助けを求めているかのようだった。少年の周囲には、様々な年齢・性別の人が十数人立っていて、その全ての人が、オーラのような、血のような赤いものに包まれている。

 恐らくこれは、男が投げたスーパーボールで死んだ人々だ。見殺しにした巧真を祟って出てきたのだろうか? いや、違う。彼らは何かを訴えようとしていた。だが、その訴えがわからない。

 頭が痛む。また、胸糞の悪い感覚に襲われる。

 ベッドが、ぎぃと音を立てる。

巧真はユリを押し倒し、尚も唇を吸い続ける。このまま一線を越え、強制的に快楽に埋もれたかったに、巧真の身体を押し返したユリの手がそれを制止した。

「それ以上は……駄目です……」

 今度のユリの言葉は、羞恥に充ち満ちていた。今にも、穴があったら入りそうである。

 巧真はふいに我に返り、同時に罪悪感に苛まれる。それは何も、ユリを侮辱してしまったことに対するものではない。地獄絵図の人々へのものだ。

 人々の苦悶の表情が、瞼の裏どころか、目を開けている今でも視界に貼り付いている。

 どうして見殺しにしたのか。どうして助けられなかったのか。どうして願いが叶わなかったのか。

 自分を責めても彼らは戻ってこない。そんなことはわかっていた。だけど、考えざるを得なかったのだ。あの時、くだらないことを言わなければ、あるいはあの少年だけは……。

「でも……巧真さんからキスをしてくれたということは、好きということでいいですか?」

 ユリの問いかけは、巧真に聞こえていなかった。だが、ユリはその無言を、恥ずかしさによるものだと捉えてしまったのだろう、巧真を抱き締めて、「うれしいです」と囁いた。

 窓を大きな雪が叩いていた。雪は窓にぶち当たるとアメーバのように形を変え、分散して落下する。

『世界は雪のようだ』

 ふと巧真は、『魔法少女はいない』に出てきた言葉を思い出す。腐敗(さいとう)(さん)によって白く散っていく世界をそう形容したのだ。

 あの男は必ずまた巧真の前に現れ、無差別に周りの人を殺戮していくだろう。その時、この世界ではどのように形を変え、崩壊していくのだろうか? 『魔法少女はいない』のように白く美しく消散するのか、醜い瓦礫と化すのか。

 ……いや、破壊させてはならない。また、同じような後悔をしないためにも、絶対にあの男を殺さなければならないのだ。

 そこで巧真は内心で自嘲した。

 後悔しないために。まるで、自分のためじゃないか。


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