War Is Over!
――後ろッ
巧真の第六感がそう告げ、理解するよりも早く身体が反転していた。振り返った勢いで目の前に飛び出していた刀が盾のような役割を果たし、男の刀とぶつかり合って朱色の光を飛び散らせる。右肩に伝わる衝撃を、しかし巧真は能力で吸収していた。
距離を取るために後退。その間、一度も瞬きをしなかったのに、再び男の姿が消えた。
直後、背中を蹴られて巧真は吹き飛び、傍らに止めてあった黒い車に衝突する。だが、破損したのは、巧真ではなく車のほうで、側面がへこんでしまっていた。
ころころと、何やらスーパーボールのようなものが転がってくる。危険を感じた巧真が横跳びした直後、スーパーボールが白く光り、車が爆発する。爆風に押された巧真は数メートル転がった後、灯りで着飾った木にぶつかって止まった。ゆっくりと目を開け、さっきまでいた場所を見ると、車は跡形もなく消え去り、残っていたのは爆発で発生した煙だけだった。一体、どう爆発させればこうなるのか。
視界の端にゆっくりと歩いてくる男の姿が見えた。
巧真は木に手をついて立ち上がり、刀を構える。しかし、こうなると刀の意味はないような気がした。
「どうして刀なんだ?」
十メートル程先で立ち止まった男に巧真は訊ねる。特に意味のない質問だった。ただ、できるだけ時間を稼ぎ、この状況を打破できる方法を絞り出さなければならなかった。
「別に。かっこいいと思ったからさ」
男の能力がいまいちよくわからなかった。突然消えたり、スーパーボール型の謎の爆弾を投げて来たり。もしかすると、何か一つの能力だと考えるのが間違いなのかもしれない。
「時代劇かよ」
しかし、そうなってくると厄介だ。男が繰り出してくる能力が手品のように多彩なのであれば、対策の取りようがない。そもそも、対策を取ろうとすること自体が愚かしいことなのかもしれない。それぐらい、この男の能力は先が読めず、奇想天外だ。
「時代劇か。見たことねえなあ。面白いか?」
「……いや、見たことない」
「ふん。時間稼ぎ終了だな」
男が視界から消えた。背後には木がある。となると、死角に入ることができる位置は一つだけだ。
巧真は刀を突き上げる。直後、甲高い金属音が響き、肩が後ろに持っていかれる。捻転しながら着地した男は、勢いを殺さずに回し蹴りを放つ。防御態勢をろくに取れなかった巧真は数メートル吹き飛ばされ、木を薙ぎ倒して止まる。
「弱いな」
背後で声が聞こえたかと思うと、巧真の身体は宙に浮いていた。数秒間の浮遊の後、ぱしゃりと音を立てて地面に落下する。身体に冷たい水が染みこんできて、巧真の服に重りを付ける。川に落ちたのかと思ったが、滝のような勢いで上から水が落ちてきていた。
そこで巧真は噴水に落ちたのだと気付く。
立ち上がると、内臓が破壊されたかの如き痛みが走る。全身から出る血が足元に広がる水を赤く変えていた。
底に沈んでいた刀を拾い上げ、空中を切って水を払い落とす。
痛みはいつの間にか消えていた。見ると、全身から傷がなくなっている。もしかすると、この水は傷を癒す力を持っているのかもしれない。聖水というやつだ。
「あんなに頑張ったのにここまで元通りにされると、やりがいがないな」
胸糞の悪い笑い声は、水の音にかき消されて巧真の耳には届かなかった。
「お前を殺す」
「そして、正義の味方になる……かい?」
ぽちゃん。
何かが水に落ちた。
巧真は床を蹴って跳躍。着地した時、噴水は影も形もなく消えていた。地面が異様に濡れていることが、そこに噴水があったことを証明している。
一秒前まで数メートル先にいたはずの男が数センチ先に現れ、巧真は反射的に身をよじるが、その甲斐もなく吹き飛ばされる。地面を何度もバウンドした後、摩擦で服が破れながらもようやく止まる。
刀を地面に突きながら立ち上がった時、服は直っていなかったが、打撲は治っていた
鳥の如きスピードで追撃してくる男をかわし、刀を横薙ぎする。金切り声のような音が耳をつんざき、脳を揺らす。しかし、巧真は地面を踏みしめて踏ん張った。綱引きのような拮抗が続く。刀が擦り切れ、歯ぎしりのような音が鳴った。
限界が来たのか、男の押す力が少し緩んだ。
巧真はこのチャンスを逃すまいと全体重を刀に預けた。右手が焼けるように熱く、血管が破裂しているようだった。
「あァァァァァァァァ」
目玉が飛び出そうなほど目を見開く。額に幾筋もの血管が浮かび上がった。
緋色の火花が線香花火のように飛び散った。
――正義の味方
この男を殺せば、きっとなれる。
あれ? どうして正義の味方になりたいのだろうか? いつから、正義の味方になりたいと思うようになったのだろうか?
わからなかった。
扉を開ける鍵がなかった。
――否、理由なんていらない。人々を助けることができれば、それでいいのだ。
男の足首が地面に埋まった。
もう少し……もう少しで……
次の瞬間、男の刀が折れた。咄嗟に男が投げたスーパーボールが巧真の刀に触れ、真っ二つに割れて爆発する。
爆風で紙切れ同然に飛ばされ、細い街灯を薙ぎ倒してシャッターの降りた建物に突っ込む。ほこりの舞うそこはどうやら倉庫のようで、段ボールがいくつも積み重なっていた。地面に落ちて形を変えた段ボールからは缶詰が転がり出している。
ひしゃげたシャッターを踏み、外に出る。
冬だというのに耳元で蝉が鳴いていた。煩わしく思って耳を手で掴んで、そこで蝉ではなく耳鳴りだと気付く。その耳鳴りは、周りの音を消していた。人々の悲鳴が聞こえないため、争いなんてなかったんじゃないかと錯覚してしまう。巧真を現実に引き戻すように煙の中から男が現れる。
「――――だな」
憎らしい笑みを浮かべる男の口が動く。
「耳鳴りがひどくて聞こえないんだ」
男は楽しそうに笑った。何が楽しいのだろうか? 争えていることが嬉しいのだろうか? それとも、人を傷つかせることが、楽しいのだろうか?
やがて蝉は遠ざかり、巧真は辺りの音を取り戻す。
「雪が綺麗だな」
しばらく経ってから、男が言った。男は手を突き出して空中を漂う雪を掴もうとする。
巧真は空を仰ぐ。小さな白い粒がいくつも落ちてきていた。その粒が雪ではないと気付いた時、巧真は咄嗟に刀を頭上に投げていた。刀が白い粒に触れた瞬間、爆発。さらにその爆発に誘発され、他の白い粒も爆発する。地上を襲う凄まじい爆風は立っているのもままならなくなるほどのものだった。
役目を終えた刀が巧真の傍らに突き刺さり、巧真はそれを引き抜く。
「いい判断だった」
男は拍手していた。純粋に巧真の行動を讃えているのだろう。しかし、その余裕が巧真を苛立たせた。自分のほうが上だと言われているような気がして、吐き気がした。
本物の雪が巧真の目の前を落ちていく。
悲鳴はもうだいぶ収まっていて、その代わりに何台もの救急車の音が交じり合っていた。その音が『魔法少女はいない』のオープニング曲、「War Is Over!」(争いは終わる!)のように聞こえた巧真の脳は、きっと狂っている。
争いは終わる……か。
本当にそんな世界ができたのなら、きっと正義の味方はいなくなるのだろう。
巧真は冷たい空気を肺に入れ、温かい息を吐き出した。その息は具現化されて煙のように上がり、霧散した。
巧真は姿勢を低くし、目を閉じる。周りの音をシャットアウト。瞼に映る暗闇には、男の白い影がシールのようにくっきりと貼り付いていた。
なぜ目を瞑ったのか。それはもちろん、全神経を聴覚へと集中させるためだ。
風が草木を揺らしている。誰かに蹴られたのか、小さな石が動いた。
普段の巧真ならきっと聞こえないであろう音が、今は明瞭に聞こえていた。
白が消える。
右から風を切る音。
左に身体を捻って刀を振る。空振り。
背後でシャッターを踏む音。
逆手に持ち替え、突き刺すが、感触はない。
音が消えた。いや、正確には、男が発する音が消えた。
巧真は目を開け、周囲を確認する。
灰色の地面にうっすらと雪が積もり始めていて、電飾をした木々も頭頂に帽子のように雪を被っていた。……その内の一本、電飾が外れかけている木の上に人型の影が見えた。目を凝らすまでもなく、それが男だとわかる。
直後、巧真の身体は、文字通り、瞬間移動していた。さきほどまで倉庫の前にあった身体は、自分でも気づかない内に男の背後を取っていた。
「なっ」
寸前まで笑っていた男の顔は、目の前の現象を畏怖するように強張っていた。
男は弾かれるように振り向くが、襲い来る刀の速度には勝てず、肩を深く抉られる。バランスを崩した男は背中から地面に落下。巧真はすぐさま追撃に出るが、そこはさすがの対応力で、刀を真剣白羽取りの要領で受け止める。
「立場逆転だな」
巧真は男の足を踏み付け、両手に体重を乗せる。いつまでも力の続かない男は、徐々に顔に刀が近づいてくるという形になった。
男は唇を噛み締めていて、血が滲み出していた。それを見て、巧真は自分が優勢であると確信した。
――いつの間にか男の姿が影形なく消え、そこには棒状のものが突き刺さっていた。それを巧真が無意識の内にかわしていたのは、能力があったが故だろう。
巧真は何が起こったのかわからず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「惜しいなあ」
さきほどまで誰もいなかったはずなのに、男は平然とした顔で地面に刺さった棒状のものを引き抜いていた。棒状のそれは、よく見ると黒光りしながら湾曲しており、刀だということがわかる。
「また折られたいのか?」
直立することもままならないほど、足が震えていた。圧倒的な戦力を見せつけられて、恐怖に駆られているのだ。けれども、巧真は強がって見せた。それは、相手に弱みを見せないと言う理由でもあったし、諦めなければ、願いを叶えるという能力が形勢逆転のチャンスを作ってくれると思っていたからだ。
「折れるのはお前の骨だよ」
刹那の後、巧真は臓腑をぶちまけたような痛みに襲われる。まばたきの間に眼前に迫っていた男が腹部に刀を突き刺したのだ。
噴き出した血潮が男にかかるが、男はまるでシャワーでも浴びているように、愉悦に浸っていた。
「どうせ元に戻るんだろう?」
男は刀を引き抜き、巧真を蹴り飛ばす――その動作に入った瞬間、巧真の傷は完全に消えていて、巧真は額を勢いよく男の頭部にぶつける。鈍痛と耳鳴り。男は思わず後退し、両手で頭部を押さえる。その隙を見逃さず、巧真が放った回し蹴りは見事に男の胸部に命中。男は飛ばされた数メートル先で身を悶えさせる。
まさに好機だった。
巧真は両手で柄を掴み、槍のように突きかかる。
刀が男の肌に滑り込んでいく直前で、巧真は気付く。腕の隙間から見える男の口角が上がっていた。
身の危険を感じた時には、もう遅く、巧真の周囲――半円形に囲むようにして、槍が集結していた。そちらに気を取られた隙に男は掻き消えていた。
深呼吸。
身体は熱かったが、脳は冷静だった。襲い来る槍を一つずつ――しかし、全て同時に対処していく。
乱雑に飛び散る火花。狂ったように奏でられる金属音。
時間にして一秒。巧真の体感では、数分だった。
霧のような煙が晴れ、巧真は地面に転がった無数の槍を眺める。本当に、よくやったものだ。
「いやあ、面白い。お前は面白いよ。もっと楽しもうじゃないか」
男は自分の真横に刀を突き刺し、懐に両手を入れる。次に男が手を露わにした時、男の手中にあったのは、十数個の多色なスーパーボールだった。
「なっ」
巧真の顔が歪むのと同時に男は周囲にそれを投げる。スーパーボールは思い思いに放物線を描いて宙を舞い、辺りの人々に雪と共に舞い降りた。一つのスーパーボールが杖を突いて歩いていた老年の女性に当たり、直後にその女性は霧のように飛び散る血だけを残して消える。また、一つが救命に当たる男性の元に降り、男性を消散させる。他のスーパーボールも同様に人々を血に変えていった。
その惨劇を目の前にして、巧真は何もすることができなかった。狂乱する人々の悲鳴は、巧真の知っているホワイトクリスマスとはあまりにも違い過ぎている。
一つのスーパーボールがビルの一部を削ると、穴だらけになって支えが足りなくなったジェンガのようにビルは崩れ落ちる。建物と共に破砕した人達は、何もわからずにこの世を去ったことだろう。
「きゃははははは」
男は狂ったように笑い出す。しかし、男の気が正気なのは、さっきからの男の戦法を見れば明らかだった。彼にとって、異常こそが正常なのだろう。
巧真の足は勝手に動いていた。
一瞬で距離を詰めた巧真は、目を見開く男の腹部に上段蹴りを入れ、くの字になったところを背中から刀で突き刺す。追い打ちとして血を吐き出す男の顔面に膝蹴り。それでもまだ動いたので刀を引き抜いて首に刺す。唾液と血の混じったものを吐き出す男を巧真は無表情で見つめていた。
「終わりだな」
男に告げる。案外、早く終わった。対策を取っても無駄ならば、何も考えずに戦えばいい。相手の多彩の攻撃を上回れば、必ず勝てるのだ。
「中々やるなあ」
喉を貫いているはずなのに、腹話術のように男の口が動いた。
「男と男の戦いじゃなかったのかよ」
巧真は刀を引き抜き、左手で男の首を絞める。地面から浮きあがった男は、しかし苦悶する表情を一切見せずにニヤッと笑った。
「ちと観衆が邪魔だったのでな」
「だったらッ」
巧真は男から目を逸らし、ある一点に目を向ける。そこには、逃げることもビルに目を向けることもせず、好奇の目で二人を傍観している少年がいた。
「あの子を殺せばいいだろッ」
言ってから、何を言っているのだろうと思った。しかし、無差別に殺戮される人々を見て、巧真の脳は錯乱していた。人の死がリアリティーを失っていく。
男は少しの間きょとんとした後、失笑した。
「正義の味方が面白いこと言うな。いいぜ。殺してやるよ」
男の背中から白い光が現れ、一直線に少年に向かう。そして、その光は呆気に取られていた少年の首を剥ぎ取った。宙を舞う首を、ほこりのように降る雪がデコレートする。
その時、巧真の口から声にならない声が漏れていた。
「ああ……ああ……ああ……」
男を地面に叩き落とし、その場に崩れ落ちる。
溢れ出した涙は塗装された地面に吸い込まれていく。
悲しい。苦しい。助けたい。願っている。
それなのに……
どうして彼は元に戻らないのだろう?
血が流れ続けている首をぽきぽきと鳴らしながら男は立ち上がった。そして、巧真の姿を見ると舌打ちして、巧真の胸倉を掴み上げる。
「お前が、殺せって言ったんだからな」
怒鳴り声が夜天に響く。
先ほどまでの男の笑みは消えていた。鬼のような形相が巧真に迫っている。
唾液が顔面に飛び散っていたが、巧真はそんなことどうでもよかった。
戦う気力を失ってしまった。どうなったっていい。殺されてもいい。
目を逸らした先の夜空に浮かぶのは、ユリの笑顔だった。少年の顔はもう、わからない。
しかし、男はつまらなそうに掴んでいた手を放し、巧真に背中を向けた。尻餅をついた巧真は、遠ざかっていく血だらけの背中をただただ見つめることしかできなかった。
遠くから聞こえてくるのは、『War Is Over!』だった。
War Is Over!
War Is Over!
ポップな曲調の中に哀韻が見え隠れしている。例えるのならば、祭囃子だろうか。とにかく、他のアニメソングとは違う、異質なものを持っていた。
巧真は光と闇の境界にいた。光の先には歌があり、闇の先からは何も感じられない。
巧真は手を伸ばして光を掴もうともがく。しかし、何者かに足を掴まれて闇に引きずり込まれた。




