青い男
時刻は、午後六時。
まるで毛を刈られた羊のようだった木々も、今はたくさんの電飾を身に纏い、楽しそうだった。いや、そう感じたのは、周りの空気が幸せに満ちていたからかもしれない。
巧真とユリは、神社の灯篭のように、左右に等間隔で並ぶ木々の間を歩いていた。二人の周りには二人と同じように男女で歩いている人がたくさんおり、中には立ち止まってキスをしている人までいた。
冷たい風が吹き、ユリの長い髪を撫でる。
「寒いですね」
薄茶色のダッフルコートに白のミニスカートという格好。黒タイツを履いているとはいえ、さすがに寒いだろう。そして、夜空からゆっくりと雪が舞い落ちてくる。プレゼントはもっと温かいものがよかった、と巧真は思った。しかし、サンタさんはどうやらそこら辺の空気を読んでくれないようで、外見だけを美しく取り繕いたいようだった。
「最高ですね」
ユリは言う。声は震えていなかったが、ユリの足を見る限り、最高ではないだろう。
「最悪だよ」
「どうしてですか? ホワイトクリスマスですよ?」
「だって、もっと気温が下がるじゃないか」
「私のこと心配してくれているんですか?」
「まあね。もっと厚着させてくればよかった」
巧真の後悔を余所に、ユリは楽しそうに笑う。
「じゃあ、巧真さんのせいですね。責任を取って、手を繋いでください」
一体何の責任だろう? 確かに巧真は後悔しているが、お泊りグッズの中からその服装を選択したのはユリだ。
それにしても、と巧真は思った。
どうしてユリはここまで巧真の領域に入ってこられるのだろう。他人にここまで踏み入られると普通は不快感を覚えるものだが、ユリに対しては微塵もそれがない。数日間同居して打ち解けているからかもしれないが、そもそも同居初日にユリは巧真の布団に潜り込んでいる。さも当たり前と言った風に、だ。なので、もっと別の、明確な理由があるような気がした。だからと言ってその明確な理由がわかるわけではないが。
と、まあ色々考えるわけだが、結局巧真はユリの手を握る。冷たい手と冷たい手が重なり合い、熱を生んだ。巧真は手汗を掻いてしまうかもしれないと危惧したが、しばらくしても汗は出てこなかった。
円形の噴水広場を右に曲がると、電飾で彩られたアーケードが見える。そして、その奥には大きなクリスマスツリーが、まるで自分が主役であるかのように光り輝いていた。
アーケードを抜け、サンタクロースのコスプレをしてケーキを売っている人の前を通る。子供のはしゃぐ声が聞こえた。
巧真は、クリスマスツリーを見たのは何年ぶりだろうと思った。
いつの間にか、イベントというものを楽しめなくなっていた。クリスマスツリーの美しさに感動するなんて子供だと思っていた。それなのに、今、目の前に屹立するツリーを見て、巧真は感慨を覚えていた。きっとそう感じ得たのは、隣にユリがいるからだ。
「綺麗ですね」
ユリは穏やかな目でツリーを眺めていた。彼女の青い瞳孔に電飾の光が反射し、目が輝いて見えた。巧真はユリの横顔を見ながら握る手に力を込める。
放したくない。
これからどんなことがあろうとも、必ずユリを守ってみせる。絶対にユリを悲しませない。
それは巧真の決意であり、願いなのだろう。そして、きっとその願いは力に形を変え、ユリを救う――そう思っていた。それが幻想だったと巧真が気付くのは、世界の終わりが見え始めた頃だ。
「巧真さん……私、巧真さんに感謝しているんです。ずっと、こういう場所に来たいと思っていましたから」
ユリの涙を溜めた青い瞳は、ツリーではないどこか遠くを見ているようだった。
「俺も――」
ユリと同じようなことを言おうとして、しかし巧真の声音は突如響いた爆音に掻き消された。クリスマスツリーが吹き飛び、電飾が怪雨のように降り注ぐ。
場は狂乱に包まれていた。悲鳴を上げながら逃げ惑う人、呆然と立ち尽くす人、血を流し倒れる人。彼らに共通しているのは、幸福の絶頂から絶望の底へと放り投げられたという点だ。
巧真は数メートル先で倒れていた青年に走り寄り、膝を突いて青年を腕で抱きかかえる。青年の傍らでは青年の恋人と思われる女性が尻餅をついて目を見開いていた。
「大丈夫ですかッ」
青年の身体を揺すっても反応はなかった。まだ息があるのかもしれないが、素人の巧真にはこれ以上何もすることができなかった。
無力さに反吐が出る。
願った。この青年が意識を取り戻すことを巧真は願った。
だが、どれだけ経っても青年が目を開くことはなかった。
どうして?
願っているのに能力が発動しない。……きっとそれは、その願いが心からのものではないからだ。
しかし、巧真は気付かない。どうして能力が発現しないのかと、何度も何度の青年の身体を揺さぶる。青年は巧真の腕の中でぐったりとするだけだった。
もう生き返らない。
やっと理解した時、巧真は青年を地面に叩き付けていた。彼が生き返らなかったのは、彼がそれを望まなかったからだ。そんな見当違いも甚だしい結論に達していた。
巧真は腕が千切れて悶え苦しんでいた女子高生に駆け寄る。
「もう大丈夫ですよ」
巧真の言葉にその女子高生は安堵のような表情を浮かべた。きっと彼女は、救急隊員が来たと思っている。
だが、巧真には救急隊員よりもすごいことをやり遂げる自信があった。
巧真は願った。女子高生の手が戻るようにと。肩から流れ出した血が作った血だまりに手を浸ける。
苦しい思いをしている。救わなければ。
だが、いつまで経っても手は元通りにならなかった。女子高生は諦めたのか身体の力を抜いた。それを待っていたかのように血が噴き出す。間欠泉のように飛び散る血の勢いに気圧され――いや、違う。自分の力に絶望し、巧真は身動きを取れなかった。肩を押さえてあげれば、あるいは助かったのかもしれない。しかし、そんなことに気が回らず、巧真の頭に浮かぶのは、能力が発動しなかったことに対するいらだちだけだった。
その間、ユリはずっとその光景を憂いの目で傍観していた。ユリが何もしていないことなど、今の巧真にはどうでもよかった。
「終わったか?」
愉快そうな声が聞こえた。人生が楽しくて仕方がないといったような、夢に充ち溢れた若い男の声だ。
まだ何も終わっていない。巧真は歪んだ顔を上げ、声の主を睨みつける。
赤い短髪に赤い眉、耳と口にはたくさんのピアス。そして、見下すように細められた青い目。冬だと言うのにオレンジのTシャツにショートパンツという姿は、この男の異常さを物語っていた。
「お前は、正気を失っていないんだな」
今にも震え出しそうな唇を抑えて、声を押し出す。相手に弱気を悟られては駄目だと思ったのだ。
「失っていてほしかったか?」
「いや、聞いていた話と違っていたから気になっただけだ」
「あの女に聞いたのか?」
男は巧真の斜め後ろにいるユリに鋭い目を向ける。ユリは同じく青い瞳で男を睨み返した。
「どうしてそう思った?」
「俺と同じ、青い目だ」
「ユリはお前とは違う」
巧真がそう言うと、男はふっと笑った。
「どうかな」
「どういう意味だ」
男はユリを一瞥した後、「いや、何でもない」と口角を上げた。
「さて、そろそろ始めるか」
男はどこからともなく二本の日本刀を取り出し、一本を巧真に向かって放り投げる。巧真は手を払って柄を掴む。
「男と男の戦いといこうじゃないか。嬢ちゃんは下がっていてくれるかな?」
「いやです」
そう言うだろうと思った。それが、ユリの使命であるからだ。しかし、例えどんな理由があろうとも巧真はユリを危険な目に遭わせたくなかった。そして、自分の手でこの男を殺したかった。
「ユリ、下がっていてくれ」
「巧真さんがそういうなら仕方ありません」
ユリは不本意ながらも頷き、絶命した女子高生の横に体育座りした。
「一つ訊かせてくれ」
「なんだ」
「お前を殺せば、俺は正義の味方になれるか?」
「なんだあんた、正義の味方になりたいのか」
男は鼻で笑ったが、巧真は顔を変えずに首肯する。
「じゃあ、俺を殺せたら嬢ちゃんに訊けばいい。敵の俺に訊くのは愚問ってやつだぜ」
「そうだったな」
あいかわらず楽しそうな男に腹が立った。
巧真は刀の切っ先を男に向ける――その瞬間、男の姿が消えた。




