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青い目  作者: 黒糖パン
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出逢い

   *


 十二月二十日。


「愛子ちゃん、ぐぅかわ」

 堀川(ほりかわ)(たく)()は、これと言って特徴のない顔が特徴的な十六歳の青年だが、実はアニメオタクである。……いや、実はという表現はおかしい。巧真は明らかに、どこからどう見ても(実際、どこがと言われると困るのだが)、アニメオタクなのだ。その証拠として、ワンルームの壁にはたくさんの美少女が貼られている。そして今、巧真は愛子ちゃんと密会していた。日本語訳すると、二ヶ月ほど前まで放送されていた『魔法少女はいない』の書籍版を早速購入して、読書していた。

 窓から射し込む月の光が、文字の羅列を照らしていた。

 ページをめくる。

『正義の味方になりたい』

 その文字に巧真の目は止まる。何度読み返しても理解できない文字がある時のようにその言葉を何度も往復し、脳内で反芻させる。どうしてそれに気が止まったのか、巧真には理解できなかった。

 しかし、いざ読むスピードを失ってしまうと、途端に集中力は切れてしまう。文字の代わりに巧真の脳内へと入って来たのは、時を刻む時計の音だった。愛子ちゃんとの世界にどっぷりとはまっていたいのに、この時ばかりはまるで体内に時計があるかのような感覚だった。

 巧真は書籍を机に置き、カチカチと音を鳴らすアナログ時計に目を向ける。

 時刻は十一時五十四分。秒針がもうすぐ一周するので、五十五分だ。

巧真はただ呆然と時計を見つめていた。

読書を邪魔されるのなら、デジタルに変えようかとも思うが、命を懸けて落札した愛子ちゃんの時計を手放したくはなかった。巧真の中では、読書より愛子ちゃんのほうが勝っている。しかし、なぜか今は時計の音が癪に障った。

 愛子ちゃんごめんね。

 巧真のそんな謝罪は、はたして愛子ちゃんに伝わっただろうか。

 秒針が十二を指す。その直後、妙なことが起こった。十一の手前にあった長針が、唐突に十二に移動したのだ。つまり、時計は十一時五十五分を飛ばして、十二時――〇時になったということだ。これでは、一日が二十三時間五十五分しかなかったことになってしまう。

 巧真はまず自分の目を疑い、その後愛子ちゃん(時計)の病気(故障)を心配した。立ち上がり、愛子ちゃん――もとい、時計に手を掛ける。秒針はしっかりと動いているし、一分待ってみると、長針はきちんと十二の地点から一つ動いた。やはり、故障とは思えなかった。

 巧真は気にしないことにして読書に戻ろうとするが、時計が気になって集中することができなかった。巧真は書籍を本棚に戻し、気分を変えるために少し外を歩くことにした。



 コートの隙間を縫って冬の寒い風が皮膚し染みる。腕を組んで両腕を擦るが、その程度で寒さが和らぐわけがなかった。帰ろうかとも思ったが、どうせ帰っても時計が耳から離れないだろう。

 巧真は階段を下り、夜の街に繰り出す。灯りは街灯だけだった。ほとんどの家が電気を消して一日を終了している。

 冬の夜の匂いが巧真は好きだった。夜に匂いがあるのかと言われれば返答に困るのだが、しいて言うなら、人がいない自然な空気の匂い、だろう。これは、日中には味わうことができない。

 コンビニにでも行こうと丁字路を曲がった時、巧真は後ろからの足音に気付いた。

 変質者? いや、自分は男だ。男を標的にする変質者がいるとは思えない。

 巧真は少し足を速めた。しかし、それと比例するように後ろの足音が速度を上げる。

 巧真は堪らず走り出し、曲がり角をいくつも曲がって足音を巻こうとする。体力が限界に近づいた時、巧真は自分が家の近くに来ていることに気付く。防衛本能が巧真の足をそこに向けたのかもしれなかった。

 巧真が安堵で溜め息を吐いた時、吐息のような声が耳にかけられた。

「見つけた」

 全身が総毛立つ。巧真の足は恐怖で棒になってしまっていた。人は恐怖を感じた時、本当に動けなくなるのか。

「ねえ、僕にちょうだい。君の力」

 再び耳に流れる男の言葉に巧真は上半身まで凍ってしまうのを感じた。声を出したいのに喉は焼けるように熱く、口は乾いていた。

「ねえ聞いてる?」

 男の口からは酒の臭いがした。むっとする臭いに胸が気持ち悪くなり吐きたくなるが、口は開かない。

 その時、男が少し顔を近づけたことにより、巧真は男の顔を横目で捉える。

 膨らんだ頬にたらこ唇、鼻はないに等しいほど低く、寒さのせいか赤くなっていた。そして何よりも特徴的なのは目だ。少し長い髪から見え隠れする目は、その男には明らかに似合っていない青色をしていた。そして、その目からは一切の生気を感じることができなかった。

 男の巨大な手が巧真の顔面を覆う。巧真の恐怖は頂点に達していた。

 何か抵抗しなければ。そう思うが、身体は主を失ったかのように動かなかった。

「ちから……ちから……」

 男の胸糞悪い声が耳元で響く。

 その時、ふいに巧真は身体が軽くなったのを感じる。一体何が起こったのかわからなかった。男がいるという事実は変わらないのに、普段生活する時と同じくらい身体が軽い。

 この機会を逃すわけにはいかなかった。

 巧真は肘打ちを男に食らわせ、男が怯んだ内に走り出す。ゴールはもうすぐそこだ。

 巧真は階段を駆け上る。鉄が振動して大きな音が鳴ったが、気にしている場合ではない。

 しかし、いつまで経ってもどれだけ階段を上っても、最後の段に辿り着くことはなかった。まるで、エスカレーターを逆走しているかのような感覚だった。

 次第に巧真の額に汗が滲む。男がもうすぐそこまで来て――――えっ?

 男は巧真の目の前にいた。

 青い双眸が、巧真を舐めるように見つめている。

 巧真は全身の力が抜け、階段から落下する。死んだと思った。しかし、覚悟した痛みはやってこなかった。

「よく頑張りました。後は私にまかせてください」

 ふいに幼い少女の声が聞こえ、巧真はその少女に抱き留められているのだと気付く。

 腰までかかるくらいの長い黒髪のその少女は巧真を地面に寝かせ、男を睨みつける。巧真には、月光の下で映える少女の瞳が青色であるように見えた。

 少女は立ち上がり、冬の冷たい空気を一気に吸い込んで吐き出す。少女の吐き出した白い息は反撃の狼煙であるかのように空高く上がり、霧散した。

 少女は地面を蹴り、階段を駆け上がる。そして少女はスカートであることを意に返さず、回し蹴りを放った。高速で放たれたそれは男に見事クリーンヒット。男は手すりを越えて階段から落下する。しかし少女の反撃はそれだけでは終わらなかった。地面に叩き付けられた男の腹部にどこから取り出したのか、サバイバルナイフを突き立てる。夜天に舞い散る血液、乱雑に揺れる少女の髪。少女は立ち上がり、頬についた血液を拭う。

 巧真は目の前で起こったことが信じられなかった。突如現れた少女が変質者を刺し殺す。あまりにも、非現実だった。

 巧真は地面に手をつき、半身を起こす。

「もう大丈夫ですよ」

 少女は長髪を風になびかせながら巧真に手を差し出した。

「君は――」

 何者だ? その言葉は続かなかった。男が起き上がったからだ。しかし、少女は気付いていない。

「あぶな――」

 巧真の言葉は間に合わず、少女の身体は震え、少女は目を見開く。男がサバイバルナイフを少女に刺したのだ。少女は驚愕に目を見開いたまま地面に突っ伏す。少し遅れ、少女は吐血した。

 その瞬間、巧真の中で眠っていた何かが目を覚ました。全身の感覚がシャットアウトされ、風の音が消える。ふいに力がみなぎり、巧真はやれると確信した。

 男は輝く青い目を巧真に向ける。男は不敵な笑みを見せながらゆっくりと巧真に近づいてきていた。

 男が眼前に迫った時、巧真はついに行動した。

 まずは足蹴り。それで男の態勢を崩すと、次に上段蹴りを男の頭部目がけて放つ。これも命中。さらに、地面に倒れた男の腹部を足で踏み、ナイフによる傷口を抉る。

 巧真は驚くほど冷静だった。巧真は武術を習ったことがないし、喧嘩というものもろくにしたことがなかった。身体が勝手に動いていたのだ。

 男はぴくりとも動かなくなった後、冷たい風と共に跡形もなく消えた。

内心で困惑するが、今はそれより大事なことがある。巧真はすぐさま少女の元に駆け寄った。

 巧真はもちろん専門家ではないが、出血量を見ると、少女が危険な状態であることは容易にわかった。

 どうすればいいのか。

 巧真は必死に考えた。しかし、巧真には人を治療した経験などない。ましてや、人の危篤状態を見るのも初めてだった。

 どこかで聞いたことがある気がして、巧真はナイフを抜かなかった。コートを脱ぎ、それでナイフの周りを押さえつける。見えてはいないが、コートに血が滲んでいくのがわかった。

 そうしながら、なぜか巧真は泣いていた。熱い液体が目から零れ、コートの上に黒い染みを作る。自分を助けてくれた見ず知らずの少女が死にかけている。なんとしてでも、助けたかった。

「いてててて」

 ふいに聞こえてきた声に巧真は押さえていた手を緩める。

 少女は手をついて身体を反転させ、苦笑いを見せた。

「痛かったんですけど……」

 巧真には少女が何を言っているのかわからなかった。痛かった? なぜ過去形なのか。

 その疑問に対する解答は、少女の腹部を見れば明らかだった。少女の腹部から血液は流れておらず、それどころか貫通しているはずのサバイバルナイフさえなかったのだ。

 一体何が起こったのか……。

「それにしても、巧真さんの能力は本当にすごいですね」

 能力? それはさっき男が言っていた「ちから」と同じものなのだろうか?

 巧真が口を開こうとすると、少女は端整な顔立ちをくしゃっと歪ませて笑った。

「ありがとうございました。おかげで助かりました」

 お礼を言われても、巧真の脳内には疑問符が浮かぶばかりだ。

 巧真は少女の青い瞳を真っ直ぐ見つめ、捲し立てるように言葉を連ねた。

「一体何の話をしているんだ? 力って何だ? それに、君は誰なんだ?」

 少女は、今度はにこっと笑って答えた。

「その話は後にしましょう。とりあえず、ここは寒いので、中に入りませんか?」

「中?」

「もちろん、巧真さんのおうちです」


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