不器用な望み
窓の外を眺めると、月が空高く昇り、夜も更けてきたのがよく分かる。本当はもう少し早く行動したかったんだけどな、と後ろですやすやと寝息を立てるポン子を見て、苦笑いする。
学校から帰ってきた後、手伝いと称し散々引っ掻き回してくれちゃって。さらに、風呂上りに体を拭かずに家中走り回るわ、相変わらずクッションくわえてぶん回すわ、ただの犬だったころの困った癖も健在で。しまいにゃ寝るまで物語(今日はグリム童話)を読んでやりゃならんし。
でも、手のかかる子ほどかわいいもの、ってのは本当だな。
ポン子の頭をそっと撫でる。耳がピクピクと動き、なにやらむにゃにゃと聞き取れない寝言を言っている。人の苦労も知らず、気持ちよさそうに寝っている姿は、とても愛おしい。まあ、大切な家族だしな。
だから、手放したくないんだ、この日常を。
……んー、ちょっと大げさに考えすぎてるか? だけど、昼間の騒動はなにかしら、めるくに影響を及ぼしたに違いない。あの時のめるくの失望したような顔を思い出す。あんな顔させるために、昼飯に誘ったわけじゃなかったのに。
だからもう一度、あの幼い外見(おそらく中身も)の神様と、話し合わないと。人間との関係が、修復不可能になる前に。ってやっぱり大げさだな。どうも、ポン子のことになると、心配しすぎてしまうな。この辺が、親バカといわれる所以かもしれない。
めるくのことだ、オレンジジュースでも持っていって説得すれば、きっと大丈夫だろう。
一通り気持ちの整理がついたので、出かける前にもう一度ポン子の寝顔を覗き、ささやく。
「それじゃ、行ってくるよ」
記憶を頼りに、めるくが住んでいるらしい神社に向けて、学校の裏山を登る。所々苔むした石段の名残が、久しく人が通っていないことを表している。やはりめるくは、相当長い間一人だったのだろう。たまに山を降りていたと言っていたが、おそらく人の日常を隠れてみていただけだろうしな。そして、何かきっかけがあって、ポン子たちを妖獣にすることを思いついた。
ではなぜめるくは、普通の野生動物ではなく、ペットを妖獣化させたのだろう? これに対する答えを用意できてはいるのだが、後はめるくを納得させられるかどうかだな。まあそれは出たとこ勝負だ、もう着いちゃうし。
神社の前には、例の「妖」の文字が中心に書かれたダサ……じゃなかった、めるく力作の魔法陣が描かれている。そしてその中心にめるくは立ち、空に手を掲げて、ちょうど何かしようとしていたところだった。
危ない、ギリギリだった。まさか、本当に行動を起こそうとしていたとは。
「ふん、やはり来たか」
めるくは俺が来たことに驚きもせず、謎の作業を続けようとする。いったい何をしているんだ?
「妖獣どもを集めるんだよ。強制的にな」
めるくは目をつぶり、掲げられた手の中に、赤い光が立ち込め始める。おい待て、その前に俺の話を聞いてくれ!
「お前の言いたいことは、聞かなくても分かる。おおかた、昼間見たような輩はほんの一部で、他の人間は違う、とかそんなとこだろう」
めるくは、俺の伝えたかったことを、まるで関心がないとでもいうように、こちらを向かずに言い当てる。だが、本当に、ああいうアホなことするやつらばかりではないんだ。それに、妖獣とまだあまり接点を持たない人もたくさんいるだろうし、お互い理解を深めるには、まだ時間が必要だと思うんだ。ってもらえないだろうか?
「待っていれば、アホどもや見ているだけで助けようともしなかった連中が、心変わりするとでも?」
皮肉な笑いを浮かべ、こちらを見るめるく。確かに市民全てが「妖獣大好き」なんて風には、ならないだろう。だからって、もう結論を出すのは早すぎるだろう?
「歴史を見れば、少数のバカが原因で起こった戦争などは、いくらでもあると思うが? それに、結論などは、もう何十年も前から出ている」
外見が小学生っぽいからつい忘れてしまうが、めるくは神様なのだ。俺の何十倍も生きている。じゃあ、俺が生まれるずっと前からすでに、人間とは決別しようと?
「そうだ。そもそも私は神などではなく、ただの犬の物の怪だ。それを、お前ら人間が勝手に私を怖がって、この神社を作り、供え物をするから、自分たちを襲わないでくれと言ってきたのだ。もともと襲う気などなかったのだが、私は毎年神社の前で祭りを行うことを条件に、神社から出ないことを約束した」
めるくは相変わらず皮肉めいた表情だが、少し昔を懐かしんでいるような感じもある。
いい思い出もあるのだろう。
「最初のうちは楽しかった。たくさんの屋台に、大勢の人。中に混じって、歌ったり踊ったり。だけど……」
それ以上は言わなくても分かる。今のめるくの悲しそうな表情を見れば、はっきりと。
時代が進むとともに世代が変わり、信仰が薄れて、みな神社にいるめるくのことを忘れてしまったのだろう。そして、行き来するのに不便な旧神社の変わりに、新しい神社を立て、そちらで祭りを開くことにしたという感じか。なるほど、俺が今まで参加していた目留駈祭りは、いつも主役不在だったわけか。
「先に約束を破ったのはそっちだ。だから私がここを出て行っても、何の問題もない」
ご先祖様たちが勝手にやったこと、という言い訳はなしだよな、やっぱり。でもそれと、妖獣たちを連れて行くのとは、何の関係もないじゃないか。
俺の問いに、めるくは悪意に満ちた笑顔に変わる。
「ちょっとした復讐だよ。約束を破った罰として、子供たちを連れ去った童話があっただろう?」
ハーメルンの笛吹きか。ちょうど今日ポン子に読んでやった、グリム童話の一つだな。
じゃあ、ポン子たちを妖獣化させたのは、童話になぞらえた復讐のため?
……いや違うだろう? そんなことのために、わざわざこんな手の込んだことをしたんじゃないはずだ。そんな悪者ぶってないで、正直に本当のことを言えばいい。
「うるさい! お前に何が分かる!」
めるくは怒鳴る。まるで子供のように。
めるくほどではないが、最近俺だって少し分かるようになったさ。一人で飯を食べる寂しさ、とかな。
めるくも、寂しかったんだろう? また人間と一緒に、遊びたかったんだろう?
だけど、物の怪なんて想像上の生き物になって久しいから、誰も相手にしてくれない。
だから、身近なペットを妖獣化して、ワンクッション置くことにしたんだ。自分に近い存在で、人間に受け入れられやすい存在を作ることで。
「うるさいうるさい! 私はただ、自分の手下を作りたかっただけだ!」
否定する声が若干かすれてきた。本当はめるくだって素直になりたいんだろう。ただ、積み重なってきた人間への不信が、ぬぐいきれないのだろう。
どうすればいい? もう一度、めるくに信用してもらうには、一体どうしたら……。
「それに、もう遅い」
ぐしぐしと袖で目をぬぐうと、めるくは神社の石段の方を見つめる。
「もう、集まってきている」
あわてて振り向くと、確かに続々と妖獣たちが石段を登ってきている。
先頭にいるのは、ポン子だ! 今まで見せたことのない無表情な顔が、俺に絶望感を与える。もう、遅いのだろうか。ポン子とは、お別れになってしまうのだろうか……。




