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葉菜の異世界  作者: せおりめ
本編
4/26

04

 葉菜の朝は、隔週で早くなったり遅くなったりする。前者の場合は五時半起きで、後者ではもう一時間のんびりできて、六時半に起きる。

 中学の時は七時起きでよかったのに。葉菜はほとんど毎朝ぶつくさ思う。中学校は何せ、自転車を飛ばせば十五分とかからない距離にあったからだ。

 ジリリリリ! と目覚ましが心臓に悪いけたたましい音を立てる。うう、と忌々しく唸り、心地いい微睡みの世界を打ち破ってくれる存在に手を伸ばす。手探りでスイッチを探し当て、ほとんど壊す勢いで手のひらをバチンと叩きつけた。

 小六の時に柾樹からもらった誕生日プレゼントだった。その当時、まだ母親に朝の目覚ましを頼んでいた葉菜に、「いい加減一人で起きろ」というありがたいお言葉と共に頂いた代物だ。

 別に文句を付けるわけではないけど、もっと爽やかな曲で起こしてくれる時計でもよかったんじゃないだろうか?

 不満を訴えると、これなら確実に目が覚めると涼しい顔で返された。確かに、憎たらしいほど一瞬で目が覚める。

 丸いアナログの文字盤は、今が五時半であると告げている。今週は早起きをしなくてはならない。今日はまだ火曜日だ。後三日もこれが続くのか。


「はあ」


 葉菜は諦めの溜息を一つ零し、うーんと伸びをした後に着替えだした。




「お母さん、おはよ」


 欠伸混じりに下へ降りていくと、朝の早い母親は既に起きて朝食の支度に取りかかっている。


「おはよう。今日も早いわね、意外と続いているじゃない。感心、感心」

「柾樹に負けたくないからね」


 腕まくりしてエプロンを締め、冷蔵庫を開けて卵を取り出し台所に立つ。


「柾樹君に勝てるようになるのかしらねえ? ま、頑張んなさい」


 励ましているようで、やる気を削いでいる。

 これが母親の言うことなのだろうか。入れ替わるようにしてリビングへ向かう母に対して、葉菜は顔をしかめておいた。


 入学が決まった後のある日、柾樹が高校での昼は一緒に食べようと提案してきたのだ。

 当然葉菜は断った。昼休みは園生や友だちと過ごしたかったし、柾樹といるととにかく周りの目がうるさい。学校内では必要以上に近付きたくなかった。


「週替わりで弁当作ってこような」


 それなのに柾樹は葉菜の意見を一切無視して、はしゃぐように話を進めようとする。更には間の悪いことに、この面倒な思いつきは田畑家のリビングで公表され、たまたまその場にいた葉菜の母親の耳にしっかり届いてしまった。

 娘の調理技術向上の機会を、海よりも深い親心が逃すはずはない。


「ぜひそうしなさい。嫌だって言ってもお昼代は出さないし、お小遣いもカットだからね」


 金銭援助の停止。伝家の宝刀を出されては、扶養家族としては従うしかない。

 そういう次第で、せっせと弁当作りに勤しんでいる葉菜だった。

 初めの内は要領も悪く、出来上がるのに二時間以上かかっていたものの、段々とコツも飲み込めてきた。前の日に済ましておける下ごしらえは準備しておき、抜ける手は抜いておく。この先もっと手早く作れるようになっていくだろう。

 上達が自分でも分かるのはやはり楽しい。さらには一緒に父親の分を作ってあげると、感動の声と共に思わぬ臨時収入が入ってきたりする。だからこれもまあ悪くないかなと思える。

 でも。

 ――柾樹の方が上手いんだよねえ……、と葉菜は時々いやになってくる。

 どこの愛妻弁当だと文句を付けたくなるほど、柾樹は素材の色と特性を駆使して凝ったものを作ってくる。和洋中とレパートリーは幅広く、食べるのが勿体なくなるようなデコ弁までこなす。お約束のハートマークが在中している割合は高く、葉菜は柾樹の弁当を食べる時は大抵、まずその愛の印を崩す作業に取りかかる。

 母親が専業主婦である葉菜の家とは違い、共働き夫婦の刀根家は子供たちも協力して家事を分担する。柾樹の料理は年季の入ったものだった。


 靴を履き、玄関の鏡で身だしなみを点検する。高校の制服はグレーのブレザーで、今は合い服の季節のため上着はベストのみを着用している。スカートの長さはデフォルトが膝丈なのだけど、葉菜は五センチ程度上げていた。先生もこのくらいなら注意してこない。

 女子だけブラウスの襟に濃いグレーの二本線が走っていて、赤いリボン型タイは大抵みんな外している。ついでにいえば男子のタイはネクタイ型で、やっぱり皆普段はしていない。

 制服は可愛くて気に入っているのだ。

 ――いるのだけど……

 葉菜は上から下へ流した目線を再び上に戻した。

 染めてないショートボブに、化粧気のないリップを塗っただけの顔。


「やっぱ、園生にメイク教えてもらおうかな……」


 別に顔立ちが悪い方ではないと思う――いい方とも思わないけど。

 周りに無駄に美形が多い分、どうしたって引け目を感じてしまう、柾樹といる時は特に。でも当の本人は、葉菜が化粧をするのを嫌がる素振りを見せる。ハッキリとは言わない。時々、何気ない会話の端々に否定の言葉を滲ませるのだ。それで葉菜は二の足を踏んでしまう。

 付き合っているわけでもないのに、どうして柾樹の言動をイチイチ気にしなくてはならないのか。


「自分は化粧の匂いプンプンさせてるオネーサマと仲良くしてるクセに!」


 朝、こうしてこの鏡を見て同じように毒突くのも、ほとんど習慣になってしまった。

 馬鹿馬鹿しい。


「行ってきまーす!」


 怒りの方向に上がってしまったボルテージを声を出すことで僅かに沈静化させ、二人分の弁当と学生の本分、勉強道具の入った鞄を持って葉菜は外に出た。




 正門を過ぎると、右手側にはテニスコート、左手側に駐輪場が見える。その間に挟まれた道を、沢山の生徒たちが校舎に向かって歩いていく。


「柾樹先輩、おはよう」

「おっはよ」


 見知らぬ女子が柾樹と挨拶を交わし、チラリと葉菜を一瞥してから走り去る。彼を先輩と呼んでいることからすると、葉菜と同じ一年生か。見覚えがないのは、クラスが離れているからなのかもしれない。


「今の子、誰?」

「んー? 知らね」

「あっそ」


 知らないのかよ! とは今更指摘しない。見目が好く、人懐っこい柾樹は男女を問わず、よく声をかけられる。


「おっ、もしかしてヤキモチやいてんの? 安心しろ、俺は葉菜一筋だ」

「寝惚けてろ」

「またまた、そう照れなくても」


 本当に、堪えない。ニンマリしながら戯れ言を吐いてくる柾樹を軽くあしらい、そのまま進んでいく。

 校門に面した正面玄関は教師と来客用になっている。ここを境に道が分かれる。右側へ折れれば一年生が使う第一校舎の靴箱へ。左は二・三年生の第二校舎だ。両校舎は各階の渡り廊下で繋がっている。第一校舎への道のりの方が長く、その分時間を取られてしまうのは、やはり年功序列というやつか。


「じゃ、また昼にな」


 ふざけた動作で投げキッスを寄越し、爽やかな笑顔を残して柾樹が自分の校舎へと向かう。葉菜は当然素早く避けておいた。

 葉菜も踵を返して歩きだしたところで、後ろの方からドッと騒がしい声が届いてくる。振り向くと、柾樹が葉菜の知らない人たちに囲まれ、建物の角を曲がっていくところだった。



 教室に入ってクラスメートに挨拶しながら自分の席へと歩いていく。


「どこ行ってんだ。お前、間違えてるだろ」


 いきなり後ろから声がした。声の持ち主を予想しながら振り向く。


「あ、巡君、おはよう」

「おはよ。昨日席替えがあったの忘れた?」

「あっ」


 そうだった。入学からひと月以上が経ち、周りの顔ぶれをそろそろ目新しくしたいだろうからと、放課後に行われたのだ。

 こういう場合、なんとなく気恥ずかしい。教えてくれた巡君に焦りながらお礼を告げて、葉菜は改めて自分の席へと向かった。前から二番目という、先生と仲良くなりやすい憂鬱な場所だった。前日までは一番後ろだったのに。せめてもの救いは窓際ということか。


「葉菜ー」


 椅子に座って鞄の中身を机に入れていると、今日も小綺麗な園生がやってきた。


「昨日は柾樹先輩に怒られなかった?」

「なんで柾樹に怒られなきゃなんないわけ?」

「そりゃあ旦那様としては、帰りが遅いと心配じゃん」

「旦那言うな!」


 彼氏よりレベルアップしている! 軽く睨みつけてやると、園生は笑いながら机の上に腰掛けた。


「今日のテスト、勉強してきた?」

「ほとんどしてない。でも現国だから大丈夫だと思う」


 葉菜の学校は週に二回、火曜日と金曜日の朝に小テストがある。ホームルームの時間を当てて実施される。回数が多いため、復習という要素が強い。真面目に授業を聞いていれば満点が取れるのは当たり前、というのが先生たちの言い分だ。

 でも得意科目ならともかく苦手な授業ほど意識は散漫になり、気持ち良く夢の世界に誘い込まれたりもして、集中することは難しい。昨日は帰宅も遅く、弁当の下ごしらえ、早起き、と時間がなかった。今日のテストが比較的点の取りやすい現国で本当に助かる。

 葉菜は昨日柾樹に説かれた内容を思い出した。確かに、こんな状態でアルバイトができるとは思えない。

 今からテスト範囲を浚う時間はなさそうだ。葉菜は潔く教科書を机の中に忍ばせたままにしておき、筆記用具だけを取り出した。赤い布製のシンプルなペンケースは、実は柾樹と色違いのお揃いだったりする。その時見たかった映画を奢ってもらうことを交換条件に、持たされたのだ。

 …………はあ、と葉菜は心中で溜息を零した。思いっきり流されてるよなぁ。


「園生さ」


 情けない方向へ転がっていく心をせき止めるために、質問を投げかけた。


「バイトと部活、両立してるよね。どうやってんの?」


 忙しそうなのに、ちゃんと授業にもついていけているし小テストも毎回平均以上を取っている。


「どうやってるって言われても。やっぱ慣れと要領じゃない? 何、もしかしてバイトしたいの?」

「それがさあ――」


 前髪をつついて整えながら尋ねてくる友達に、葉菜は昨日の柾樹とのやり取りを話して聞かせた。


「バッカだねー。葉菜、携帯持ってないんだから、それを理由にすればよかったのに」

「うわっ、その手があった!」


 気が付かなかった。葉菜はショックと共に顎を軽く仰け反らせた。

 スマートフォンとの二台持ちも珍しくない携帯電話。今時恐ろしいことに、どちらも葉菜は持っていない。締まり屋の母親には「誰が通話料払うと思ってんの?」と渋い顔を返され、買ってもらえなかったのだ。

 とはいえ園生を含め、葉菜の友だち連中は平気で家の電話にかけてくる。ちなみに母親と父親も主に自分の携帯を使うから、その電話はほぼ葉菜の独占状態といってもいい。

 そういうわけで、メールやアプリ、ネットを楽しむ園生たちを時々羨ましいとは思いながらも、葉菜は携帯を持っていなくてもそんなに不便を感じていなかった。だからすっかり頭から除外してしまっていたのだ。


「ちくしょー」


 葉菜は迂闊な自分を叱咤しつつ勢いよく体勢を元に戻し、胸の前で握り拳を作った。


「今日の昼にでもリベンジしてみようかな」

「やめときな。柾樹先輩に言い負かされるだけだって」

「なんで。理由があればいいんじゃない?」

「さあね。葉菜の世界を広げたくないんでしょ」


 園生は手をひらひら振りながら、意味ありげなふてぶてしい笑いを向けてくる。葉菜は始めに戸惑い、それからうんざりした。


「あのさあ、そういうこと言うの止めてくれない? 園生、勘違いしてると思うよ」

「勘違いってなにー? 化粧もバイトもしちゃ駄目。学校では周りに牽制しまくり。どう見たって葉菜は俺のものだから手を出すなって公言してるようなもんじゃない……実際口に出してるか」

「いかにも冗談です、ってのが丸わかりの態度でね。大体、私と柾樹は付き合ってない」


 そう。柾樹と葉菜は幼馴染み以外の何者でもない。柾樹の彼女はいつも葉菜じゃない人だ。


「そこがムカツクんだよね。柾樹先輩何やってんだろ? 朝から晩まで授業の他はベッタリなくせに」

「朝と言えばさ」


 もう何を持ち出しても園生は聞き入れないと悟り、葉菜は話題を微妙に逸らすことにした。


「学校、園生も一緒に行こうよ。せっかく通学路が同じなんだしさ。お昼も一緒に食べようよ」


 お願い、と園生に精一杯の可愛らしさを装って祈るようなポーズを捧げ、パチパチと瞬きして見せた。柾樹と一緒にいる時の、周囲から漂ってくる微妙な空気は精神的に辛いのだ。

 しかしさすがに酸いも甘いも分かち合った親友である。返ってきたのは「ケッ」と歪めた顔と、けんもほろろな対応だった。


「そういうのは柾樹先輩にしてやんな。涙流して喜んでくれるよ。おとなしく二人でイチャついてればいいじゃん。私、先輩に恨まれんのはやだかんね」

「イチャつくって言うな!」

「誰が見てもそう思うって。――なんにしろ、柾樹先輩にちょっと意見されたぐらいで引っ込むような決意だったらバイトは止めといた方がいいよ。一応、言われてることは正論だしね」

「やっぱそう思う?」


 決意というほどの意気はなく、ほどんど思いつきだったのだから尚更だろう。


「うん、でも」


 一度言葉を切って、園生が再び続ける。


「柾樹先輩を理由に葉菜が何もできなくなるようじゃ、この先困るのはあんた自身なんだからね。もうちょっと自分主体に考えるようにしたら? 成績落とすのが心配って言ったって、心構えが違ってくれば案外なんとかなるもんだよ。苦手な授業も真剣に取り組めるようになるとかね。あ、ほら、チャイム鳴りだした。移動しよ」


 言うだけ言って座っていた机から飛び降り、園生はさっさとテスト用の席へ移動してしまった。

 アルバイトに反対なのか、賛成なのか。


「一体どっちだ」


 呟きながら、心中でも園生に愚痴り倒しておいた。


『柾樹を理由に』


 園生の台詞が耳に残って反響する。

 葉菜は改めて自分の思考パターンに思い当たった。確かに、葉菜は柾樹に反発しながらも、なんとかその意に沿おうとする。そして従っている自分に安堵を覚えながらも、本当にこのままでいいのかと何処かに不安を抱えたままでいる。考えてみれば、もう随分前からそうだった気がする。

 園生の指摘通り、まるっきり主体性がないってことだ。

 自らに呆れながらも、長年の間に培ってきた習性を変えるのは中々に困難なことで。


「結局、自分のやる気次第なんだよね」


 なんともなしに心理を呟いてみる。

 多分、昼休みに柾樹と会ってもバイトの話題は出さない。

 そんな自分を想像して、こういうのを不甲斐ないというんだろうなと自己嫌悪に陥りながら、葉菜は移動するべく席を立った。

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