初デート
「柾樹って、私がお化粧するの嫌なんだと思ってた」
今、葉菜と柾樹は動物園にいる。
今日は初デートの日である。
これまで、二人で遊びにいくことはそれこそ数え切れないくらいあった。けれどそれはあくまで幼馴染みとしてのことで、恋人同士として出かけるのはこれが初めてだった。
せっかくだから初めてづくしにしようと、葉菜はある提案をした。
「待ち合わせしよう」
家がお隣同士ということもあり、出かける時はいつも、早く用意を済ませた方(主に柾樹)がもう一方の家へ出向いていた。
待ち合わせという響きに、葉菜は常々密かな憧れを抱いていたのだ。
そんな面倒なことをしなくてもと最初は渋っていた柾樹も、葉菜の意を汲んですぐに了解してくれた。
そしてついに迎えた記念日。
でも服装に気合いを入れ過ぎるのは気が引けた。
目の前には、ミニ丈のティアードワンピースがある。全体の色はオフホワイトで、七分の袖はさらにロールアップもできる。先日、園生と日向さんと三人で出かけた時に、あれでもないこれでもないと相談しながら買ったものだ。
この明らかに普段使いではない、お出かけ用のワンピースをそのまま着ていけば、柾樹は喜んでくれるだろう――多分。とはいえ、張り切っていると思われるのは恥ずかしい。でも、せっかく悩み抜いて買ったものだし……
と、迷っているうちにも時間はどんどん過ぎていく。
せめぎ合う心に折り合いをつけた結果、葉菜はカーキのベストと黒いレギンスを加えた。これなら女の子らしすぎず、やや活動的に見える。
それから、さんざん逡巡した上でメイクもした。初心者であるためあまり盛るような真似はせず、それでも塗っていることが分かる程度には仕上げた。これも園生と日向さんに選んでもらい、二人の指導の元に特訓した成果だった。薄付きでも何割増しかには見える。
アクセサリにトップが真鍮製音符マークの革紐のネックレスを引っかけて、鏡を覗き、まずまずだと全体の出来上がりに満足して頷いた。そして時間を確認して仰天し、急いで家を出た。
心臓が胸を突き破りそうにどきどきしていた。
最寄り駅に着き、遠目に確認した柾樹は普段とあまり変わりない様子で、格好も気負っているようには見えない。
自分の選択は正しかった。そう安堵した途端、待ち合わせの相手が誰かと喋っているようだと気付いて、綺麗に纏めた頭が総毛立つような気がした。外見に気を使っていそうな、美人な女の人だった。
何を話しているんだろう。気になってしまい、その場に突っ立って眺めていた。ほどなくして女の人が残念そうに離れていく。
ああ、逆ナン……
柾樹はとても見目が好い。ハーフのような顔立ち、それに見合った背丈に無駄のない筋肉がついた体格。気まぐれに巡君のお祖父さんから指導を受けているせいか、佇まいも端正でだらしない雰囲気がない――口を開かなければ、という但し書きはつくけど。おかげで服装に金をかけないくせに、それなりの物を身につけているよう目に映る。
ある一点を見つめている姿などには色気まで感じられて……、とうっかり考えてしまい、慌てて頭から追いやった。危ない危ない、脳内が柾樹の思考に影響されているような気がする。
余計な考えや、目の前で自分以外の女に持っていかれようとした事実も併せて、若干不機嫌になりながら葉菜は柾樹の所へ赴いていった。
「いつもかわいいけど、今日はもっとかわいい超かわいい」
柾樹の反応は上々だった。言葉を待っている葉菜に、ひと目見るなり嬉しそうにそう言ってくれた。
それだけで、虫の居所が悪かったことなどすっかり忘れてしまった。耳から身体満杯に極甘のシロップを注ぎ込まれた心地の葉菜は、柾樹に手を取られて目的地へ向かった。
定番のデート場所で、愛らしいのやらどう猛なのやらもふもふなのやら、動物を見て回っていた葉菜は、冒頭の通りふと疑問を抱いたのだ。
「だって、前に化粧覚えようとしたらいい顔しなかったじゃない?」
「そんなことあったっけ? 他の野郎の前ではしなくていいけど、俺の前だったら別に……。可愛くなる努力してくれてるって思ったら素直に嬉しいよ。でも、そうだな」
そこまで言ってから、柾樹はふと思いついたように喋りだした。
「化粧の味はあんま好きじゃない、とかは思ったかもしれない」
「味? なんで柾樹に化粧の味が関係あるの」
「あのな、葉菜」
柾樹はそんなことも分からないのかという風情で、呆れたように言った。
「化粧が関係あるのは女だけじゃねぇの。舐めた時にどうしても口に入っちまうだろうが。口紅なんか日本製のはまだしも、外国製のは匂いがついたの多いしな。ファンデーションとかがべったり舌につくのもちょっと。まあ実際する時にはそんなの気にしてる余裕もないだろうけど。あれ、やっぱ男のこと考えて、食っても無害なようにしてくれてんのかね? なんにしろ、葉菜の味が他のに邪魔されるのはもったいないなーと――痛ぇ!」
葉菜は柾樹の頬に激しいビンタを食らわすと、憤然と歩きだした。「おいこら、待てって!」と焦りながら柾樹が追いかけてくる。
どうして初デートで、大好きな人に紅葉マークをつけなければならないのか。デリカシーがなさすぎる。
「訊かれたから正直に答えたのに……。なに怒ってんだよ」
ぶちぶちと不満そうに零している横で手を振り上げてやると、やっと下心垂れ流し男は口を噤んだ。
やっぱり、キスはちゃんと期限まで待ってもらった方がよさそうだ。
本心から実感した葉菜だった。




