幼馴染みの告白
今日は週に二回の部活日だ。
日直の仕事で遅れてしまった葉菜は、急いで旧校舎に入った。
旧校舎は今はほとんど使われていない。とはいえ薬草研究会だの囲碁部だのの、人数が少ない地味ないくつかの部に利用されている。葉菜が所属するダベり部もご多分に漏れない。
柾樹、雪乃さん、巡君という衆目を集めそうな人材が三人も揃っているダベり部に、部員が最低限しか在籍していない現状には理由がある。
部長の柾樹が部内全員に箝口令を敷いているのだ。この部の存在を、他に漏らすなと。
何やら秘密めいた匂いがする話だけど、なんのことはない。要するに三人目当てに寄ってくる、追っかけ気分な女子や男子の相手をするのが面倒なだけらしい。顧問の先生もあまりやる気がない人のため、部長の少数主義は願ったり叶ったりのようだった。
ちなみに「葉菜に変な虫がついても困るしな!」と良い笑顔で放たれた柾樹のたわごとは、無視しておいた葉菜だった。
なにはともあれつまり、大多数の生徒が存在を知らない部活たちは、この肝試しの会場にも使われそうな、古びた旧校舎に追いやられているというわけだ。
新校舎からそう離れているわけではないのに、外部の喧噪は旧校舎の玄関まで届かない。電灯はついているものの、光量は乏しく薄暗い。
もう大分慣れたとはいえ、ここに一人でいると訳も分からず後ろを振り向いて、誰もいないことを確認したくなる。靴箱のほとんどが使われていないことが、余計に寂しさを増幅させている。
他の三人は既に来ているらしい。そう思っていると、普段はあまり見ないもう一足が葉菜の目に入った。弓弦さんも来ているのか。
「珍しい」と呟きながら葉菜は、靴箱から部活用のスリッパを取り出した。素早く履き替えると部室へ向けて歩きだす。
沈黙が支配する廊下は、走って足音を立てることすら憚らせる。二人以上でいるとそうでもないのだけど。
木造の薄暗い廊下を、なるべく静かに、しかし可能な限り早足で進んでいくと、前方に部室が見えてきた。漏れている教室の灯りと人の話し声に安堵する。恐らく、今日のお題が出されて部活はもう始まっているのだろう。
遅れたことを詫びながら入室しようと息を吸い込んだ葉菜は、開いた扉越しに飛び込んできた声を聞いて、息と足をピタリと止めた。
「巡、俺、実は昔からお前のことが……」
葉菜は慌てて扉の陰に身を隠した。今の声は幼い頃からずっと耳に馴染んできたものだ。聞き間違えようがない、柾樹の声だった。
とはいえ声に間違いはなくても、内容は耳がおかしく変換してしまったのかもしれない。少し落ち着こうと深呼吸を始める葉菜の耳が、動揺する巡君の返事を拾う。
「な、何言ってんすか柾樹さん。俺はあんたの好きな女じゃありません。ほら、よく見てくださいよ。どっからどう見ても男でしょ。つかなんなんですか、その真剣な目は!」
うんうん、巡君の答えは正常だ。いささか必死すぎる調子で柾樹を正そうとしている。
あれ、と背中に扉の堅さと冷たさを感じながら葉菜は気付いた。ということは、やはり先ほど柾樹が発した湯気が出そうな台詞は、聞き間違いではないのか。
――これは今巷で市民権を得つつある、アルファベットの二番目と十二番目の文字で説明される状況なのでは……?
頭に手をやり大恐慌を起こそうとしている葉菜のことなど知らぬげに、血迷った二人のやり取りは続く。
「俺だってずっと悩んでたさ。自分の性癖が常識外れなんじゃねーかと思って、わざと色んな女と付き合ってみたりもした」
「そうですよ。節操のない女好きじゃないと、あんなほいほい付き合う相手変えたりできないですよ」
「でもな――」
普段ならすぐさま制裁を加えて矯正する巡君の無礼極まりない、でも事実をありのままに伝える失言を気に留めた様子もなく、柾樹は告白を継続する。
「どんな女が相手でも、満足できねーんだ。そりゃ、やるこたやれる。身体が正直に反応するたびに、俺は正常だと安心していた。直後はちゃんとスッキリする。でもな、身体が充足しても、心はダメだ。渇いたままだったんだよ。だからって、男の方がいいってわけでもないんだよな。他の奴じゃ、どう好意的に見ても友達以上には感じらんねえ。考えてみれば――」
ここで柾樹が儚く笑ったような気配がして、葉菜は全身に鳥肌を立てた。これは、もしかしたらシリアスな効果を狙っていたのかもしれない。巡君の、「ウゲッ」という心底嫌そうな呻きが聞こえる。
「お前には結構辛く当たってきたと思う。幼稚園から一緒の昔なじみだったってのに、お前が葉菜となんかしようとするのをいつも邪魔してきたな、俺は。砂場で山を作ってたらお前の分だけよろけたふりして踏み潰したり、かくれんぼではわざとお前だけ探さなかったりして。葉菜には呼び捨てさせても、巡にだけは敬語と『さん』付けを強要したり」
「そういや、あんた結構俺のこと苛めてくれましたよね……」
巡君の声が剣呑な調子を帯びた。
「刀根君ってガキ大将だったのね」
「柾樹って何気に酷いよね」
雪乃さんと弓弦さんの呆れたような合いの手も聞こえる。
「だからそれも、素直になれないガキの、不器用な想いの現れってやつだってことだよ。好きな子ほど苛めたいっつーあれだ。――だからな巡……」
ガタンと椅子が引かれた音がする。誰かが――恐らくは柾樹が席を立ったのだろう。
「タンマタンマタンマ。ちょっ待っ! 冗談ですよねっ、ねっ?」
またもやガタンと音がし、巡君の懇願するような、必死な声が響く。
「情熱的だなぁ柾樹」
「本当にね」
外野の無責任な感想も聞こえた。なぜ、雪乃さんも弓弦さんもこの喜劇じみた異様な状況を止めようとしないのか。
「俺の愛を受け取れ!」と柾樹が大音声に宣う。
「マジすか!?」と巡君が驚愕に叫ぶ。
足が身体を支える力を失い、葉菜は立て膝で廊下にペタリと座り込んでしまった。脳裏に、どういうわけか一面に咲き誇る薔薇園の風景が展開された。花びらが優雅に舞い散る。迷路のような花壇の合間を、巡君と柾樹が仲良くウフフアハハと走り回っている。
しかし何故薔薇なのだろう?
疑問に思い、次の瞬間ああそうかと別の場所で葉菜は納得した。いつの頃からかは知らないが、女同士の愛は百合で、男同士の愛は薔薇で表現されるものだ。乏しい知識の中から納得できる理由を引っ張りだし、妙に合点がいったと葉菜は思った。ついでにいえば、「バラ」ではなく漢字で「薔薇」と表現する方がより相応しい気がする。
ドスンバタンと人が暴れるような音、机や椅子が蹴倒されるような音が聞こえてきてハッとした。ショックで暫し別の世界へと旅立っていた葉菜の頭は、やっと正気に返った。
頭の中の想像を現実にしてはいけない。隣家の住人である柾樹の家族、それから巡君の合気道の師範である、彼の祖父の顔が頭に浮かんだ。
雪乃さんと弓弦さんはどうやらこの事態を面白がって見物しているらしい。
――私が止めなくて、誰が止める!
「柾樹! 巡君!」
妙な使命感に駆られ、葉菜は勢いよく部室の中へ身を躍り入れた。
全員の目が葉菜に集中する。葉菜の視線の先にはガップリと両手同士を組んで向かい合い、腕をふるわせ渾身の力比べをしている柾樹と巡君の姿があった。やや柾樹の方が優勢か。周囲には、倒れた机や椅子が散乱している。主に使っている会議机は位置がずれているだけで、無事のようだ。
「なんだ田畑、もう入ってきたの」と弓弦さんの拍子抜けしたような声が、しんとした中葉菜の耳にこだまする。
「助かった……」と巡君が力を抜く。
「ま、こんなもんだろ」と柾樹が腕を降ろした。
「葉菜ちゃん、おつかれさま」と雪乃さんはにっこりする。
「へ?」
事情が飲み込めない葉菜は、とりあえずぽかんとしておいた。
つまるところ、これは勝負の結果だったらしい。
退屈していた四人は、葉菜が来るまで何かしていようということで合意した。そこで弓弦さんが提案したようなのだ。
「せっかくだからゲームして、一位が下位になんでも命令できるってルールにしよう」
暇だった他三人は、うっかり同意してしまった。
ゲームの方法は単純に、素数を順番に挙げていくというものになった。理系で成績のいい巡君も、一年分だけとはいえ経験豊富な先輩三人には太刀打ちできなかった。そして僅差で三位になってしまった柾樹に、やはり僅差で一位になった弓弦さんが眼鏡を押し上げながら命令したのだ。
葉菜が首を巡らせた先、ホワイトボードには『幼馴染み』『告白』と二つのキーワードが書かれてある。並べるとなんだか胸躍る単語を、どうして男同士に適用させるのか。
葉菜が盗み聞きしていたことは、早々にバレていたらしい。それどころか二年生三人は即興で、いかに葉菜を欺けるかに目的をシフトしていたらしい。
騙されたことに腹を立てていた葉菜は、「ヤキモチか!」と嬉々として叫ぶ柾樹の脳天にお盆を激しくお見舞いし、帰りに全員からドーナッツを奢ってもらうことを確約させた。巡君も被害者ではあるものの、馬鹿な勝負に乗った当事者であることには変わりない。
二人の寸劇をビデオに撮っておけばよかった、売れたのに、と正直に呟いてしまった弓弦さんは、柾樹と、それから意外なことに雪乃さん両人にはたかれていた。




