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葉菜の異世界  作者: せおりめ
拍手小話、季節ネタ等 時期はバラバラ
20/26

クリスマス

 凍えそうな鼻の中がツンとする。

 雪の匂いだ。


 十二月も後半になると、夕方六時ともなれば大気に闇の色が濃く混じる。

 柔和でいて厳しい冷気を振りまく雪が、空の一点から無限に広がり落ちてくる。じっと仰ぎ見ていると、そこに向かって上昇し、吸い込まれていくような錯覚を抱く。

 吐く息が白く浮かび上がった。自分の体内ではこんなにも美しく儚いものが作り出されているのかと、一種の感動さえ沸き起こる。

 やがては静謐な寒さの中に溶けていくのだ。


「上ばっか見てると、また転ぶ」


 首を仰け反らせ、顔で雪を受け止めながら歩いていた葉菜は、声の方を向いた。

 すぐ隣では柾樹が、無駄に整っている顔に少し呆れた表情を浮かべ、葉菜を見下ろしている。わけの分からない反抗心を覚えた葉菜は、不満げに答えた。


「転ばなかったじゃん」

「俺が支えたからじゃん」


 からかうように語尾を真似た柾樹が、繋いだ指に力を込める。そんな仕草をされただけで幼なじみを直視できない気分になってしまい、葉菜は景色を眺める素振りで視線を逸らせた。

 寒い寒いクリスマス。例年通り葉菜は、午前中から柾樹と遊び倒した。

 昼過ぎから雪がチラつきだした。止む気配もないため酷くなる前に帰ろうと、今は家路についているところだ。

 家々の窓から、温もり溢れる明かりが漏れ出す。二人は住宅街を歩いている。前を向くと、電灯が当たっている場所にだけ突然現れたかのように、雪が降っている。まるで、光の当たっている部分だけが、切り取った異なる景色を映し出しているみたいだった。

 葉菜の右手はコートのポケットに、左手は柾樹と手を絡め、一緒にジャンパーのポケットに収まっている。二人とも、この寒さだというのに手袋は着用していない。足を滑らせてしまった葉菜の転倒を食い止めた柾樹が、何かの拍子に葉菜の指に触れ、「冷たい」と不満そうに呟いて、そのままこの状態になってしまった。『繋ぐ』のではなく、『絡める』という状態に葉菜はもの申したくなったけど、その気持ちも声になってはくれなかった。

 右肩にかけているバックがずれてしまい、手で直す。ポケットの中に入っていても寒いけど、外気はやはりもっと冷涼で、たちまち右手がこわばる。急いで元通りの場所に避難させた。


「柾樹さあ――」

「ん」


 なんとなく、左手の感触を意識しながら葉菜は問いかけた。


「毎年思うんだけど、なんでクリスマスに彼女と遊ばないの」


 葉菜はこれまでのクリスマスを、かかさず柾樹と共に過ごしてきた。別に葉菜の方からそうしようと提案しているわけではない。数日前になるとそれが当然であるとばかりに、必ず柾樹の方から「今年はどこ行く」と訊いてくるのだ。

 彼女を放っておいていいのかと尋ねても、いいからいいからとの一点張りで。

 同じ女の子と長く続かない上に、どうせこちらの意見なんて素通りするだけだろうからと、今までそれほど抵抗もなく付き合ってきた。けれどこれは余りにも、彼女に対して不誠実な態度ではないだろうか。

 葉菜も来年の春からは高校生になる。一年という月日は長く、その間に様々な物事を吸収し、学びもする。漠然と素通りしてきた問題も、昨年よりは今年という風に、歳を重ねるごとに、より彼女側の立場に寄り添って想像できるようにもなっていた。

 自分でも成長したと思うよなあ、と葉菜は心中で頷いた。

 ……でも何故だろう、と今度は視線を下へ持っていき考え込む。さっき問いかけをする前に、少し躊躇ってしまった。柾樹はただのお隣さん。いつも紛らわしいことを言ってくるのは、親愛の情からくるからかいに他ならない。柾樹が付き合っている相手は別にいる。二人は幼馴染みでしかないのだから。

 さっきから、右手は冷たいのに左手がやけに熱い。


「別に彼女といなきゃならないって決まってるわけでもないと思うけど。幼馴染みと一緒にいちゃ悪いって法律があるわけでもないし」


 そんな詭弁を弄すのだ、この男は。

 法律が見逃してくれても、世間一般における恋人同士の決まり事では、むしろ罪悪感を抱いた方がいいのではないか――

 内心でたわ言を反駁しても、左手からの熱は全身に伝わっていく。阻めない。

 静まれ。鎮まれ。

 放っておけば自分の心が取り返しのつかない状況に陥ってしまいそうで恐くなり、葉菜は瞬間おののいた。

 このままではいけない。なんか嫌だ。

 葉菜は勢いよく顔を上げた。


「じゃあ、今度は巡君も誘おうか。同じ幼馴染みだし」

「何が悲しくて、クリスマスに男と過ごさなきゃいけないんだ」

「それって、柾樹が言ってることと矛盾してない?」

「してない」


 きっぱり断定されてしまった。

 ますます墓穴を掘ってしまったような気がする。葉菜は妙に居心地が悪かった。胸がざわざわする。心臓が落ち着かない。浮き足立つ。

 襟元から忍び寄ってくるひんやりした空気も、葉菜の身体から発散されている熱で、湯気を立てて蒸発しているのではないかと思えた。



「――な、葉菜」


 呼びかける声にハッと意識を引き戻された。どうやら呆けていたらしい。


「まだ決まらねぇの?」


 葉菜は店先でアイスを選んでいる最中だった。初夏とはいえ今日はかなり暑い日で、涼をとるために買い食いをしようと、柾樹と立ち寄っていた。

 ――なんでこんな真逆の気温の中で、去年のクリスマスなんか思い出したんだろう?

 そこで思い付く。アイスケースの扉を開けた時に感じた冷たい空気と匂いが、記憶を刺激したのだ。

 あの後すぐに自宅の明かりが見えて、浮き出てきた感情を突き詰めずに済んだのだった。あのまま、まだ道が続いていたらどういう結論に至ってしまったのか。

 また考え込みそうになってしまい、咄嗟に首を振った後、葉菜はオレンジシャーベットを取って急いでケースを閉めた。

 手を離してから染み込んできた冷たさと、それに付随してきた心細さにも似た感情を、今は思い出してはいけない。


「お待たせ、これにする」


 すでにソーダアイスをかじっている柾樹に選んだアイスを見せ、葉菜はレジへと向かっていった。

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