悩める私たち
休み時間。
葉菜はクラスメートたちとおしゃべりをしていた。
「ウチの彼氏ったらサイテー」
一人が、憤懣やるかたないという調子で語りだす。
「この間さ、初めて彼氏の家へ遊びに行ったのね。両親がいないからって」
両親がいないから、というくだりから想像できる展開に莫大な興味を惹かれ、葉菜を含めた一同、主婦が人生相談の番組を見るような熱心さでウンウンと続きを促す。
「コッチもさ、出掛ける前にシャワーを浴びて、上下の下着も新しいやつに変えて、覚悟を決めて出向いたワケよ」
「それでそれで?」と一人が目を懐中電灯のように爛々と光らせる。
「お邪魔しまーすって部屋に入って、意外と片づいてるな~って感心してた。彼氏も結構緊張してたみたい。飲み物持ってくるって彼氏が急いで出ていくのに、普段なら絶対言わない、お構いなくなんて声かけたりしてさ。その間なんとなく手持ちぶさたになって、コッソリ色々覗いてみたわけ」
それでまあ何が出てきたかは、アイツの名誉の為にも詳しく言わないんだけど、という付け足しを聞いて、一体どんな怪しい物体を発見したんだと全員が疑問に思ったが、それには触れずに続きを拝聴する。
「で、よくベッドの下にエロ本隠してるって言うでしょ? でもあたしって彼女がいるんだし、ウチの彼氏に限ってって思いながら布団の下を探ってみたわけよ」
「どうだった?」
一人がワクワク感を前面に押し出して訊く。問われた彼女の凄まじい形相が、全てを物語っていた。
その後彼女は、冷たい飲み物を持って戻ってきた彼氏からお盆をひったくり、背中から服の中にその液体を注ぎ込んだ後、冷たいと跳ね回るスケベ男を件の雑誌で殴り倒して帰ったという。
未だにお怒りは解けてないらしい。話している間にも、もう三件もメールを受信していた。多分、彼氏の詫びメール。彼女は中身を開きもせずに削除している。
その彼氏にほんの僅かな同情を抱いていると、園生が耳打ちしてくる。
「柾樹先輩も実は持ってるんじゃない?」
「えっ!?」
何をいきなり。
若干動揺しつつ、耳を離して園生を見ると、唇を吊り上げて何かを含むようにニンマリ笑っていた。
べ、別に柾樹がそんないかがわしい類の雑誌を持っていても葉菜には関係ないし、むしろキャラ的に充分あり得るし。
そう自分を納得させながらも、その晩葉菜の足は何故か刀根家に向いた。
「お、葉菜じゃん。いらっしゃい」
お姉さんの美智香さんが出迎えてくれる。おじさんとおばさんはまだ帰ってないらしい。今は七時半。こんな時間まで大変だなあ、と思いながら葉菜も挨拶を返す。
「こんばんは。お姉ちゃん、柾樹いる?」
「今風呂入ってるよ。部屋上がって待ってる?」
葉菜の問いに、髪を耳に掛けながら美智香さんが答える。このお姉様はこんな仕草がとても艶やかで色っぽい。柾樹の年上好きはこの人という要因も大きそうだ、と葉菜は常々考えている。柾樹の取る美智香さんへの態度はぞんざいだけど、姉弟ってのはそんなものだろうし。何より、柾樹は美智香さんに頭が上がらない。これも姉弟とはそんなものなんだろう。
そうする、と答えて葉菜は家の中へと上がり込んだ。勝手知ったる幼馴染みの家、案内されなくても場所は分かる。
そして二階にある柾樹の部屋に入り、ドアを閉めたところでハタと気づいた。
見慣れた、意外と整理された(というよりは物が少ない)無人の部屋。
これは、クラスメートと同じ状況ではないか!
その事実に思い至り、葉菜はそれがあらかじめ決められた行動だったかの如く、吸い込まれるようにフラフラとベッドへ近寄っていった。ゴクリとつばを飲み込み、震える腕を布団へと伸ばす。敷き布団に触れ、混沌の中を探るように恐る恐る手を差し入れる。
その瞬間――。
「葉菜、飲み物いるー!?」
「うわぁっ!」
階下からの美智香さんの大声が、葉菜の鼓膜と心臓を打った。パニック映画並みの叫び声を上げてから、急いで手を引っ込める。そして脱兎の如くに部屋から飛び出した。
「ごめん、お姉ちゃん。もう帰るね!」
「へ? もう?」
不思議そうな顔を覗かせる美智香の方もまともに見られず、葉菜は大急ぎで自分の家、それから部屋へと逃げ帰った。ぜえぜえと息を整えながら、顔だけをペタリとベッドに突っ伏す。胸に両手を当てた。
「ま、まだ心臓がバクバクいってる!!」
なにか、とてもやましいことをした気分に陥ってしまった葉菜だった。
翌朝、信号待ちの時に「昨日、なんか用だった?」と訊かれ、思わず車道に飛び出してしまい、焦った柾樹に引っぱられ、葉菜はなんとか難を逃れた。
それからこの一件はうやむやになり、葉菜は安堵している。