16
※柾樹は残念ヒーローです。引かないでやってください、むしろ憐れむ方向でお願いします。
こんなふざけた話でほんとすいません。
とにかく次に柾樹が放った台詞は、葉菜にとっては期待外れにもほどがあった。
「あいつ、いい奴だったんだなぁ」
しみじみと。
間が抜けているとしか表現しようのない声だった。
胸を締めつけるような緊張感も霧散し、震える腕を止めようとする努力も忘れ、葉菜は訝しい表情と共に顔を上げた。
「先輩に反抗する生意気な後輩だとばっか思ってたのに、意外と可愛げがあるんだな」
柾樹は顎に手をやり、納得を噛みしめるように何度も頷いている。
「……じゃあ前にも自分で言ってた通り、やっぱりただ身体が目当てなだけでとっかえひっかえしてたってこと?」
葉菜の口から、テノール歌手の喉をひしゃげさせたような声が出る。自分でも信じられないような、それはそれは低く凄みの利いた声だった。
やっぱいいように解釈しすぎだったんだよ巡君。こいつはただの変態で腐れ外道だったんだよ。
人が好い巡君に、申し訳ない気持ちでいっぱいになる葉菜だった。
聞き慣れない声音と葉菜が固めた拳を目にして、柾樹は焦っているようだった。
「ちょ、まっ、落ち着け葉菜」
繋いでいない方の手を身体の前で忙しなく振ったりと往生際悪く抵抗していると思ったら、観念したように身体中から力を抜いている。
「身体目当てってのはその通りだけど、お前を守るためってのも間違いじゃないんだからな」
「どうだか」
すっかり柾樹を信用する気をなくして、葉菜は投げ遣りに返事をした。
どんな答えを耳にしても、詭弁を弄しているとしか思えないような気がする。
しかし次に続く柾樹の言葉は度肝を抜くものだった。
「本当だって。――俺からだけど」
「はあ?」
意味が分からない。柾樹から葉菜を守る?
どういうことだ、と葉菜は遠慮なく眉をしかめた。
「えーとだな。これ聞いて引かねぇでほしいんだけど」
柾樹がやましさを隠し通そうとするように葉菜から目を逸らす。それでも逃がさじとばかりにしっかり繋いだ手を持ち上げて、もう一方の手でがしがしと後ろ頭を掻いていた。
あまり望ましくない方向に話が進みそうな予感がして、葉菜は心持ち及び腰状態だ。
「男ってのはまあ人によるけど、大抵女よりも性的なことに興味を持ちだすのが早い……ってのはなんとなく分かるよな。そんで衝動の度合いも強い。ぶっちゃけ、好きな女を想像の中で脱がせて夜中にこっそり抜いたりとか――だから逃げんなって!」
葉菜は渾身の力で引っぱって、自分の手を柾樹から取り返そうと頑張っていた。いくらなんでもぶっちゃけすぎだ。
「これぐらい保健体育で習ってる範囲だろが。女子のワイ談だって相当えげつねーって知ってっぞ。別に今襲おうなんて思ってねぇから、話聞けって」
確かに、葉菜だって男の生理現象やそれが子孫繁栄のため重要な機能であるということぐらい、ちゃんと教わっている。女の子同士でも際どい話をすることはある。
しかし、ここまで生々しい体験談めいたものはまだ聴いたことがない。葉菜が加わる話なんて可愛らしいものだ。あらゆる経験が圧倒的に不足している葉菜には、柾樹の発言は少々刺激が強すぎる。
それでも長年を傍で過ごしてきた信頼、それから柾樹がなんだかんだで恋する相手なのは間違いないので、葉菜はしぶしぶと、おとなしく座り直した。
今度は両手で葉菜の手を捕まえ直して、柾樹は続けた。
「でまあ俺は自分でも思うけど、精神的にも身体的にも早熟だった。気力も充実してて、ヤることへの関心も高くて、でも早すぎるってことで実践の機会がほとんどない中一の頃なんてのは、言ってみれば盛りのついたサル状態だ。そんな時に、手の届く場所に好きな女がいる」
一度言葉を切って、柾樹はきまり悪げに視線だけを葉菜と合わせた。
さりげなく好きだという言葉を被せられた嬉しさよりも、その当時の自分がいかに危険な状況に身を置いていたかの方が気にかかる。多分、欲望をそのままぶつけられていたらトラウマになっていただろう。
葉菜は背筋を冷たい指で撫で上げられたような気分になり、縮み上がってしまった。
「だよな、やっぱ普通に気持ち悪いよな」
そんな葉菜の心理状態は筒抜けだったらしい。
「俺が中一ってことは、お前はまだ小学校を卒業してもないってことだ。同級でも理解して受けとめられる女は多くないだろうに、ましてや小学生の葉菜じゃ余計にな……。俺もお前に嫌われるのだけは死んでもごめんだった。でも手を繋ぐ程度のことしかできないのに、お前夢にまで出てくんだよな。朝起きたら――まあ家族に隠れてよくパンツ洗ってたよ」
「さっきから言いたかったんだけど、もうちょっとオブラートに包んだ表現しようと思わない?」
「こんなの充分婉曲表現だろ。そのまま言っちまったら夢せ――」
「分かった、分かったから!」
叫び声を上げて有無を言わさずストップをかけた。保健体育で習う用語など、ここで耳にしたいとは思わない。
冷や汗が出る。これ以上聴いていたら何が飛び出してくるか分からない。けれど若干の怖いもの見たさも手伝って、葉菜は続きをどうぞと手振りで促した。
「俺には全然関係ないことでトラブルに巻き込まれたり、肝心の葉菜じゃなくて見たこともない女にばっか告白されてて。欲求不満とかも手伝ってヤケになってたんだよな。あの頃俺、結構限界きてたんだ。ある日三年の先輩に呼びだされてお決まりの台詞告げられて、どうでもよくなって言ってみた。他に好きな奴がいるけどヤらせてくれるんなら付き合ってもいいって」
「さいってー」と葉菜は思わず本音を吐露した。
「自分でもそう思う。けどその先輩の答えが意外でな。あ、いいよいいよって。やけにあっけらかんとしててさ。こんな簡単なもんなのかって拍子抜けだったさ。軽い先輩だったけど、随分助けられた。結局その人に本命ができるまで付き合ってもらった。その時にやっと気付いたんだよ」
「何に?」
「どうせ巡に聞いたんだろ、俺の喧嘩履歴」
ごめん、ばれちゃったよ巡君。どうせ否定しても無駄だろうと、葉菜は正直に頷いた。
まあ巡には後で思い知らせてやるとして、と柾樹は続ける。
「お前がさっき言った、あいつが善意に解釈してくれたことだよ」
「ああ」
葉菜を巻き込まないために、割り切りタイプの美人とばかり付き合っていたという件だ。
「俺にはそんな考え全く頭になかった。あの時の俺は、自分のことで一杯一杯だった。あれは、結果的についてきた副産物みたいなものだったんだ」
柾樹は叱られた子供のように、悄然と視線を落とした。
「葉菜や巡がどう思ってるか知らねえけど、俺はそれほど器用な人間じゃないよ――がっかりした?」
年上の幼馴染みが、自嘲を漏らして緩く笑いかけてくる。これほど自信なさげな柾樹を見たのは初めてで、葉菜は目の覚める思いで瞬きをした。
日向さんの時も感じたものだけど、自分には相手が同年代の子供だということを都合良く忘れるクセがあるらしい。
――柾樹にだって、弱い所はいっぱいあるんだよなぁ。
まあ日向さんにしても柾樹にしても、葉菜よりはよほど少ないのだろうけど。
人前と二人きりの時とで柾樹が態度を変えていた理由に、なんとなく思い当たってしまった。
「もしかして、私が前に泣いた時」
あの時も、実は。
「喜んでたのって、結構本気だったりする?」
柾樹は妙な素直さで頷いた。
「お前がいきなり怒り出してマズったって思ったけど。とにかく俺、葉菜が俺を想って泣いてる! ってことに頭がいっぱいで、それ以外考えらんなかったから」
……そうか、あれは本気だったのか。
脱力している葉菜を尻目に、あの時はこのまま野垂れ死ぬかと思った、と柾樹は目を虚空に彷徨わせている。
まったくしょうもない、この変態は。呆れ果てて何も言い返す気力が湧かない。かつて怒り心頭だった自分が滑稽に感じる。
余裕そうに見えるのに、案外不器用だったのだ、この幼馴染みは。
あまりにも馬鹿馬鹿しくて、お腹の底から温かい気持ちが込み上げてくる。葉菜は自然と微笑んでいた。
隣合う柾樹が、海の底から空を見上げた時のように淡く目を細める。きっと葉菜の笑顔にこんな反応を返してくれるのは柾樹だけだ。そんな相手をずっと大切にしていきたいと思う。
「だったらさ」
捉えられている手をきつく握り返し、もう片方の手を柾樹に向けて伸ばす。腰を僅かに浮かせてから、戸惑う顔の下にある首に目標を定めて、えいとばかりに腕を回した。
引き寄せると、柾樹の上体はされるがままに傾いでくる。
腕の中の身体は力が入りまくりで硬直していた。不安定な体勢で抱きしめられ、葉菜の肩口に顔を埋めている状態に、柾樹は面食らっているようだった。
柾樹の背中をこの角度で見下ろすのは新鮮だ。座っているからこそできることなのかもしれない。そう思いながら、自分でも大胆なことに色素の薄い髪へ頬を擦りつけた。
「ちゃんと全部受けとめてあげるからさ、もっと弱いとこ見せてよ」
葉菜が柾樹の未熟な部分を知らなかったのは、本人が晒そうとしなかったせいもあるだろう。けれどそうさせたのは、きっと葉菜なのだ。
視界の先に、闇の合間を映す電灯の明かりがぽつぽつ並んでいる。浮かび上がる狭い景色はそれぞれが離れ小島のように見える。
今、葉菜と柾樹は二人きりで夜の公園という海を漂っている。
「私じゃ頼りないかもしれないけど。赤ちゃんの頃から知ってる相手に今さらがっかりするなんて、どうやったって難しいじゃん。変なところだっていっぱい見てきたんだから。柾樹は私のことを考えたわけじゃないって言うけど、次に付き合った人の時もそうだった?」
柾樹の身体から、段々強ばりが抜けていくのが分かる。
しばらく間を置いてから、声は返ってきた。
「――二人目の時からは、ちゃんと計算してた。相手も俺に好きな子がいるってことはちゃんと理解してくれてた」
「ほらね、やっぱり」
まあ、いくら割り切った付き合いだったとはいえ、褒められた行為でないのは確かなのだけど。
葉菜に嫌われたくなかったと言いながら結局の所は性欲に負けて、色んな女の人と楽しんだのではないか。そんな柾樹を不潔だと思ってしまうのも、葉菜の片隅にある本音だ。
それでもこんな答え一つで余計に愛しく感じるようになるなんて、恋とは本当に人を愚かにするのだと葉菜は実感した。
葉菜も、小学生の頃よりはずっと成長している。今ならもう、色んな柾樹を受け入れられる。
「好き」
柾樹を抱く腕に、思うさま力を込めた。
「柾樹が大好き。これからはもう相手は私一人だけにしててね」
胸が詰まりそうにドキドキしながら想いの丈をぶつけた途端、動かなかった手が解放された。離れてしまった温度を寂しく思う暇もなく、目の前を壁で塞がれぎょっとした。次いでその壁が迫ってきて、激突に備えるため肩を竦ませ堅く目を閉じる。
やっと抱き込まれていると気付いたのは、意外にゆっくり頬を胸に押しつけられてからだった。懐かしいような、よく知っているような香りが葉菜の中をいっぱいにする。
背中と腰の上を包む大きく優しい感触に倣って、葉菜も同じように腕を回した。
耳に伝わってくる鼓動が壊れたアナログ時計のように速い。それがどちらのものなのか、葉菜には判然としない。
「葉菜はさ、さっき暁には敵わないって言ってたけど」
肌を通して、低い声が身体中にじんわり染みこんでくる。その感覚が、ひどく心地いい。
「お前もさ、結構俺のことで女子連中から呼びだされたりしたろ?」
「知ってたの?」
「うん。俺が口出ししたら余計にややこしくなると思って黙ってた。でも、どうしようもなくなったら出ていこうかと思ってたんだけどな。なんだかんだでお前、全部一人で対処してたんだよな。上手く立ち回って、酷い事態にまで発展したことがなかった」
「……まあ、柾樹の情報結構売らせてもらったけど」
「ああ、でもそれも教えていい範囲のことだった。お前のそういうとこ凄いと思うよ。俺と暁は相手を徹底的にやりこめようとするから、その分強い恨みを買っちまうことがあるんだ。葉菜みたいにいい感じで気を逸らせて相手と折り合いをつけるなんて真似は、俺にも暁にもできない」
それは要するに、葉菜には受けて立つという芸当ができるほどの実力が、備わっていないだけなのではないだろうか。それに、柾樹が思うほど巧に対処できていたわけではない。
けれど、柾樹が自分も知らない長所を見つけだしてくれたということで、葉菜はなんともくすぐったい感じを覚えた。
「俺がな……」
胸の中にある感覚を満喫している葉菜に、柾樹は語り続ける。
「葉菜が高校に入ったぐらいから相手捜すの止めたのは、どうしてだか分かる?」
「トラブルが減ってきたから? それから身体の面で気が済んだとか、成長して自制心が効くようになったからとか」
少々意地悪く答えてやると、それもあると笑い含みに軽く返された。
返事とは対照的に髪を撫でてくれる手は慈しむように丁寧で、その動作で本当の気持ちを伝えられているような気がした。
「あとな、他の女に触るのがいい加減嫌になった」
どくん、と体内で大きな太鼓が鳴り響いた。くるみ込んでくれる温度が、どんどん高くなっていく。
「葉菜以外に、もう触れたくない」
掠れた声音に怖いほどの真剣さを感じる。葉菜は怯む気持ちをどうにかしたくて、腕が回りきらない広い背中をしっかり掴んだ。
けれど決して離すまいと思った手は、肩に力を加えられただけで意志に反して外された。
「目、つむって」
やんわり命令されたものの近付いてくる全てに視線を奪われて、葉菜はますます大きく目を見開いた。
もうすっかり見慣れていると思った薄い目の色は、どれほど綺麗な品を差し出されても敵わないくらい他に比類がないと思った。まつげは雫がのりそうに長く、整然と並んでいる。鼻筋がすっと真っ直ぐに通っていて、多分粘土で真似しようと思ってもこれほど形良くは作れない。
そして、丁度の場所にある全体の印象を損ねない唇が、くちびるが――
「…………やっぱ、なんか怒ってる?」
迫ってきたところで、葉菜は素早く手で自分の口を覆った。
別に怒っているわけではないので、証明するために急いでかぶりを振る。
「だったらなんだってんだよ! この状況で寸止めなんてあり得ねぇだろ。俺むご過ぎんだろ。全部受けとめてくれるんじゃなかったのか。泣くぞ。弱いとこ見せんぞこら」
憐れさ全開で一息に情けなく訴えられてしまったものの、ここで情にほだされて譲るわけにはいかない。
「あ、あのさ」
葉菜はアルバイト先で客に向けるような愛想笑いを浮かべた。
「準備期間が欲しいと思って」
「ああ? 準備期間?」
やさぐれ風な柾樹に対して、一つ頷いてみせる。
「そう。心の」
柾樹が葉菜に対して抱く想いは、もう疑いようもないほどビシバシ伝わってきた。間違いなく愛されていると思えて、それは今までに感じたことがない幸福感を葉菜に運んできてくれている。
ただ、それ故に――
一度キスを許してしまうと、今度は考える間もなく次の段階へ連れていかれるという、確信を伴った危機感を覚えてしまうのだ。
葉菜としても柾樹が相手ならやぶさかではない――というよりは、柾樹でないと絶対に嫌なのだけど、こちらはまだキスも未経験な初心者なわけで……
やっぱりもうちょっと待ってほしいと思う心理は、ぜひ一つ理解してもらいたい。
あまり性急にことを進められると、どこかで身体が目当てなのでは? という考えがよぎってしまうかもしれない。それは断じて避けたいのである。それから柾樹が感付いているように、今まで苦しめられた意趣返しをしたいという気持ちもちょっとはあるのかもしれない。
「心の準備ってお前」
そうやって葉菜が繊細かつ切実な思考を巡らせていると、柾樹が爆弾発言を落としてくれた。
「俺たちキスなんてとっくに済ましてっけど」
「はあ!? なにそれ」
聞き捨てならない。
柾樹は葉菜の肩に置いていた両手をまた背中に移動させて、緩く抱き込む形を取る。目を剥く幼馴染み兼彼女に説明を始めた。
「他の記憶はなくても、初めての時はしっかり覚えてる。あれは俺が三つの時だった。純真で可愛い盛りの俺がちゅうしていいかと訊くと、二歳のガチ天使だった葉菜が嬉しそうににっこり笑ったんだ。あれは明確なOKの返事だった。あのとろけそうな顔はまだ脳に焼きついてる」
それはただ単に幼児特有の現象で、わけも分からず笑いかけただけなのでは?
葉菜は防護壁のつもりで柾樹の胸に手を添え、恐る恐る尋ねた。
「……もちろん、ほっぺにちゅーとかの微笑ましいやつなんでしょ」
「バッカお前、そんなのがキスの内に入るか。それから機会見つけてはキスしまくって――言っとくけどお前も結構喜んでたからな。どこで知識仕入れたんだったかな? その変はっきりしないが、幼稚園の年長の頃には舌入れるディープなやつに移行してったなー」
「し、した、でぃーぷなやつって……」
目が回りそうな思いで再び問いかけると、いい笑顔で実にあっさり柾樹は答えてくれた。
「いわゆる、べろちゅうってやつ? マセてたもんだよな、俺も」
マセているにもほどがある。くらくらする頭を抱え、ベンチに腰かけているのでなかったら、確実に自分は倒れていると葉菜は思った。
「けど、お前年中のある時期から事が分かりだしたのか、恥ずかしがって嫌がりだしたんだよ。最後にしたのは何時だったかな?」
葉菜を腕に抱いたままくだらないことを思案深げに考える柾樹を前にして、何故か突然巡君の顔が浮かんできた。
『あんだけギャラリーぽかんとさせといて? いたいけな幼い俺に衝撃と心の傷を与えておいて?』
ま、まさか。
血の気が足元に向かってざらざらと流れていく。
「ねえ……」
そんなはずはない、あるわけがない。いくら柾樹でも、そんなこと。
祈るような気持ちで、いまだにあれこれ思い出そうとしている柾樹の腕をぐいぐい引っ張った。
「さすがにあり得ないと思うんだけど、まさか幼稚園でみんなの前で、なんて……なーんてあるわけないよね!」
懇願にも似た思いを乗せて視線を送ると、柾樹がそれだと大きく叫んだ。夜の静かな公園に場違いなうるさい声が響いた。
「それそれ。あの頃、巡の野郎が妙にお前の周りうろちょろしてたからな。どんだけ追い払ってもすぐ戻ってきやがる。別に人前でしようと思ったわけじゃなかったけど、途中で追いかけてきた奴らに隠そうともしなかったから同じことか? これ以上ちょっかい出さないよう巡に引導渡すためにも、丁度よかったしな」
あ、開いた口がふさがらない。明日学校で、どんな顔をして巡君と対面すればいいのか……!
「というわけで葉菜――」
脳天気な柾樹が放心している葉菜の後ろ頭を包みこみ、そっと上を向かせる。
柾樹の姉、美智香さんにも貞操の危機を感じた時は躊躇するなと常々言われている。
再びがっついてきた柾樹に対して、葉菜は行動で応えた。日向さんに振るったよりもなお、なおのこと強い力を存分に目前の頬へと叩きつけた。
小気味よい音がしたあとに、「いてぇ!」と柾樹が騒がしく頬を押さえる。家に帰ったら、鏡にさぞ鮮やかな紅葉マークを見つけることだろう。最近暴力的になってきた気がして、自分がちょっと怖い葉菜だった。
「三ヵ月!」
柾樹の鼻面に、ビシッと三本の指を突きつける。
「三ヵ月の間、指一本触れないで!」
そう言いながら、葉菜は己の肩にしつこく残っていた手をはたき落とした。
「おま、そんな殺生な……!」
「ダメ? 待ってくれないの?」
すかさず気弱な表情を作ってやると、抵抗を示していた顔がぐっと怯む。
「……抱きしめるのも禁止?」
「当たり前」
「手を繋ぐのは?」
「……それはいい」
柾樹は腕を組み、苦悩するように俯くと、うううううと唸りだした。
「ああ分かったよこんちくしょう!」
それからとうとう決心したように顔を上げると、ヤケクソめいた声を張り上げた。
「そこまで言うなら待ってやるさ。どうせここまで我慢したんだ、三ヵ月なんてあっという間だ――帰るぞ、葉菜!」
「うん!」
未練を振り切るように立ち上がる柾樹に続き、葉菜も元気よく腰を上げた。
三ヵ月先が怖いような、楽しみなような。
「ほら」
柾樹が手を差し出してくる。
今は、手の繋ぎ方に相応しい関係になれたことが、この上なく嬉しい葉菜だった。