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葉菜の異世界  作者: せおりめ
本編
1/26

01

 その日は日曜日だった。

 部屋の床に寝っ転がって雑誌の『ヘアゴム特集』なんかを眺めていた葉菜はなは、喉が渇いたので台所へ降りるためにドアを開けた。

 いつもだったら味も素っ気もない廊下の白いクロスに、無邪気な幼い頃にアートした落書きが目に入るはずだった。葉菜の母親が消そうと奮闘した結果の滲みと共に。

 でも今、葉菜の前に広がっているのは――



×××



「それでは、今日のお題は葉菜が体験した異世界ってことで」


 車輪付きのホワイトボードに黒いマジックで『異世界』と書かれる。

 巡君はその下に二重線を引き、最後にポンと点を打ってマジックにキャップを重ねた後、葉菜の斜向かいに着席した。

 お題を書いた彼は沖谷巡おきたにめぐる君という。葉菜と同じ高校一年生で、クラスも一緒だ。

 染めてない短く刈った黒髪に、切れ長の目をした整った顔立ちを持っている。

 彼は幼い頃から合気道を習っているせいか、常に日本男児的などっしりとした男らしい雰囲気を漂わせている。鍛えられた身体に緩んだ箇所は見当たらず、かといって盛り上がった筋肉に覆われているわけではない。全然とっつきにくいところもなく、頼りがいがありそうということで男女問わずに人気が高い。


「巡君、体験したんじゃなくて見ただけだってば。しかもあれは”異世界”って言うよりどう考えても”異界”だったね。というか、”変な夢の世界”?」

「おい巡」


 葉菜が巡君に説明していると、隣に座っている柾樹が食ってかかるように机へ身を乗り出す。


「馬鹿なこと言ってんなよ。俺の葉菜がどっか行ってたまるか」

「柾樹、何回も言ってるけど、勝手に私を柾樹の所有物にしないように」


 またかという思いで、葉菜はうんざりした声を柾樹に向けた。


「所有物か……」


 柾樹は葉菜の方を振り向き、満面の笑顔を見せる。こいつはどんな言葉をぶつけてもビクともしない。


「それいいな! いやー、葉菜は人形にして部屋に置いときたいぐらい可愛いよなー」


 いかにも実感が籠もったような発言に、葉菜は苦い顔を返しておいた。


「柾樹さん、その人形部屋のどこへ置いとくつもりなんです」


 巡君の質問に、椅子へ座り直した柾樹が膝を打つ。よくぞ訊いてくれましたとばかりに頷いた。


「そりゃもちろん、ベッドへ寝かせて毎日――」

「お馬鹿、変なこと言うな!」


 それ以上トチ狂った妄言を吐かせてはならじと、葉菜は柾樹の頭を白い会議机の上に置いてあったお盆で勢いよく叩いた。「いてぇっ!」という悲鳴と共に、堅い木で出来たお盆はバコンと気持ちのいい音を部屋全体に響かせた。


「……愛情の裏返しか、葉菜――あいてっ!」


 頭をさすりながら尚も懲りないことを言い募る柾樹に、葉菜は無言で容赦なく第二撃を喰らわせた。今回も小気味のよい音が部屋にこだまする。

 さすがに連続打撃は効いたらしく、柾樹は蹲って頭を押さえていた。

 これでちょっとはまともになれ。

 この一歩間違えればストーカーと言われてもおかしくなさそうな変態発言の持ち主は、刀根柾樹とねまさきという。葉菜が認めたくはないことに、お隣同士で生まれた時からの幼馴染みだ。一つ上の高校二年生で、幼稚園から一緒だった巡君と葉菜とで、いつも三人一緒に遊んでいた。

 お隣のおばさん譲りな色素の薄い髪と、同じ色をしたおじさん譲りの目元は涼しげで、顔の造作はとても端正な部類に入る。純粋な日本人のくせに西洋の血が混じって見えるのは、おじさん方の家系的なものらしい。背だって高いのだから、口さえ開かなければあらゆる女の子の理想を体現していると断言していい。

 実際、小学校卒業までは頭も顔も素行も良くて、まさにその通りの男の子だったのだ。それが中学校に入学した途端、今現在のように妙な方向へはじけてしまった。

 昔は安心して憧れていられたんだけどなあ……。本人には絶対秘密にしておきたい甘酸っぱい思い出を、葉菜は遠い目をして考えた。

 でも昔の柾樹が無理をしていたんだとしたら――全然そんな風には見えなかったけど――自分に正直な今の姿は歓迎するべきなのかもしれない、とも考える。……変態発言は止めて欲しいんだけど。

 こんな性格に変貌した後でも容姿のおかげか、女子の皆さんからは黄色い声を浴びている。さらには変態的な性格がいい方に作用しているのか、男子からも嫌われていない。

 なんにしろ、幼馴染みが日々を幸せそうに過ごしているのを見るのは葉菜としても嫌いではない。

 でもやっぱり変態発言は止めて欲しいんだけど。


「葉菜ちゃんと刀根くんはいつも仲がいいよね。微笑ましいわ」

「雪乃さん、このやりとりって微笑ましいですか……?」


 大いに疑問です。葉菜は内心で繰り返した。

 口に手を当ててうふふと上品に顔を綻ばしたのは、葉菜の向かい、巡君の隣に座っている園岡雪乃そのおかゆきのさんだ。柾樹と同い年で、憧れたくなる先輩でもある。艶やかに黒いサラサラの長い髪に、影を落とすほど長い睫毛に縁取られた大きな目は吸い込まれそうに透明感がある。性格はおっとりしていて控え目で、麗しいお顔に女らしい清楚な雰囲気と相まって、やはり男女共に人気がある。

 最後に、葉菜の姓は田畑たばたという。今までの三人が美形揃いだったのだから、葉菜もやはり文句無しの美少女なのだ――と紹介したいところなのだけど、そうそう都合よくもいかなくて。

 残念ながら田畑葉菜に関しての特記事項は特になし。顔も頭も、可もなく不可もなくというところだ。

 以上、終わり。


 さて新緑の候、葉菜たち四人、実は部活動の真っ最中である。

 クラブの名前は <意見交換促進部>という。

 以下、部活内容とその主旨を説明すると。


『ある一つの論題を決め、それについて各人が忌憚のない意見を出し合い、更にはその意見についても率直な感想を述べ合う。積極的に会話を発展させていき、常に物事について考える癖を養うと共に、必要な場面で臆する事なく自らという個性を相手に伝えられる様に、日々練習を重ねる旨を目的とする』


 なんだか難しくいかにも意義があるように書かれている。とはいえ今のところ、弁論大会に参加することを目標にしているわけでもなければ、問題提起してそれについて深く議論し合うわけでもない。各人が適当な話題を振って、思うところをつらつら述べ合っているだけだったりする、限りなくゆるい部活だ。

 部長は発案者である柾樹で、副部長は協力者の雪乃さん。

 葉菜と巡君は入学して間もなく、右も左も分からないままに拉致されて書類へと名前を書かされ、この部の創設メンバーに仲間入りさせられてしまった。まるで町を歩いている時にアンケートの記載をお願いされて、いつの間にかどこかの会場で布団を売りつけられている子羊のようだった。部を立ち上げるには五名必要だったのだとか。

 そう、あと一人足りない。

 もう一人、柾樹たちと同じ二年で高梨弓弦たかしなゆづるさんという男子の先輩がいる。でもこの人は幽霊部員で名前だけの人だ。

 極たまに顔を出しては机に突っ伏して寝ていく。それで皆が話していると、不意に起き上がって意見を言ったりするのだ。接触回数が少なくて、葉菜にとっては今のところどんな人なのかよく分からない先輩だった。

 ともかく、要するにただ話をすることだけが目的の通称『ダベり部』は、柾樹の考えたわけの分からないお題目と、雪乃さんのお人柄であっさり先生を籠絡し、顧問と部室をゲットして今に至っている。

 部室は丁度、今はほとんど使われていないオンボロ旧校舎の教室が空き放題で、部屋の真ん中に鎮座している白い会議机は、許可をもらって備品室から拝借してきた。部費もお茶代と、ホワイトボードに書くためのマジック代くらいしか必要ない。お菓子は各人が好きな物を持ち込んでいる。予算があまりかからないという点も、ダベり部誕生には有利に働いたのかもしれない。


「それでは不肖、ワタクシメが今日のお題について先陣を切らせていただきます」


 口元に握った手を当ててコホンと咳払いの真似をした葉菜は、少し改まって口上を述べた後、目の前に置かれているコーヒーを飲んだ。マグカップの色はピンク。飲み物は銘々が勝手に淹れる決まりで、先輩後輩も、ついでに男も女もない。ちなみに葉菜はチョコレートなどの甘いお菓子を摘んで、紅茶やコーヒーは砂糖もミルクも入れないのが好きだったりする。お湯は柾樹が家から電気ポットを持ってきて、それで湧かしている。マグカップは色違いのお揃いを乏しい部費から出して購入した。ちなみに単価は五百円だった。


「なんて言っても、部屋のドアを開けたら変な光景が広がってただけなんだけどね」

「変な光景ってどんなんだった?」


 機嫌よさげに訊いてくる柾樹の前に置いてあるのもブラックコーヒーだ。カップの色は緑。柾樹は飲み物には特にこだわりがないらしく、砂糖無しの時もあれば、それはシロップと化しているのではないだろうか? と見ている方の気分が悪くなるほど甘くする時もある。お菓子は別に無くてもいいみたいだ。


「なんかね、グルグルしてる感じ。黒っぽい石で出来た床がずーっと続いててね? 遠くの方で白っぽい灰色の雲が渦巻いてた。それで床の一角にはだまし絵で見るみたいな上下が捻れている階段が作る水路があって、そこを水が滝になって降りたり、物理法則を無視して昇ってまた滝になったりとか? 後、大きな人の顔もあったかな。おじいさんの顔だと思ったけどよく見たらその中に実は風車小屋が隠れていたり、馬に乗った騎士みたいな人が隠れていたりだとか。とにかくわけが分かんない光景だったな、あれは」

「それは確かに”変な夢の世界”だな……」


 しみじみと呟く巡君の前にはミネラルウォーターが置かれてある。巡君はあまり味の付いた飲み物は好きではないらしい。せっかく買ったお揃いのマグカップはほとんど出番がない。ちなみに色は黒だ。燃費の激しい高校生男子のこと、お腹が空いたのか時々コロッケパンにぱくついている。


「でしょ? 普通異世界っていえば、緑豊かな風景が広がっていたりだとか、豪華な部屋のソファやベッドで気付くもんじゃない? あんな平衡感覚を侵されそうな怪しい異界にトリップする気にはなれないよね? 速攻でドア閉めちゃった」

「そうよねえ。目の前で金髪碧眼美形の王子様が微笑んでいるならともかく、得体の知れない生物が出てきそうな空間に立ち入る気にはなれないわよねえ」


 頷きながら賛同の意を表明してくれている雪乃さんの前にはオレンジ色のマグが据えられていて、お砂糖たっぷりのミルクティーが入っている。醸し出される上品な雰囲気にとても似合ってます、と葉菜はいつも心の中で賞賛していた。


「いや、待て待て」


 隣の柾樹が焦った様子で詰め寄ってくる。落ち着きがない。


「仮にだぞ、豪華な部屋で煌びやかな男が立っていたとして、お前ドアの敷居を跨いでなか入るのか?」

「あー、どうだろ?」


 葉菜は目線だけを虚空に投げかけて、考えながら答えた。


「確かに、ドアを開けた先にその光景が広がっているっていうんだったら、自分の目を疑ってまずは閉めるかもしれない」

「じゃあ葉菜、さっき言っていたみたいに、気がついたらベッドか長椅子に寝ていたならどうだ?」

「あら、それは王道よ、沖谷君。その王子様と恋に落ちるパターンまっしぐらよ」

「ちょっと憧れますよね」


 ねー、と葉菜は雪乃さんと朗らかに笑い合った。


「葉菜!」


 隣に座っていた柾樹が、椅子を蹴飛ばすガタンというけたたましい音と共に立ちあがった。いちいち騒がしい。


「お前、俺という愛しい恋人がありながら、なんつーことを……!」

「はぁ?」


 葉菜はフンと鼻を鳴らした。


「柾樹と私はただの幼馴染みじゃん、何言ってんの? 大体、浮気者の彼氏を持つ気はありません!」

「浮気?」


 柾樹が座り直しながら不思議そうに尋ねる。無垢な子供のような、とても純粋な目を葉菜に向けた。


「俺、今までに浮気なんてしたことねぇけど?」

「ええ、ええ、そうでしょうとも。柾樹はサイクルが早いだけなんだよね」


 とっかえひっかえ。

 中学の頃、柾樹が同じ人と半年以上保ったところを葉菜は見たことがない。見目が良く、身体も心も成長の早かった柾樹の隣には、中一の終わりにもなると常に彼女がいた。しかも派手系で人生を謳歌していそうな人や、外見は控え目でも話してみると意外なほどドライな先輩ばかり。時にはどこで知り合ったのか、柾樹よりも三つ四つは年上のお姉様だったりしたこともあった。同級生や後輩に興味はなかったようだ。そのくせ、校内で葉菜の姿を見るとここぞとばかりに声をかけてきたり、走り寄ってくるのだ。

 そんな男の戯れ言を、まともに取り合う気には到底なれない。

 しかし実態をつぶさに見てきた幼馴染みの嫌味に答える柾樹は、何を考えているのか真剣そのものな様子に見えた。


「あんまり長く付き合って、情を移されても困るって思わねえ?」

「困る? 好きだから付き合ってるんじゃないわけ? なんなの、その偉そうな理由」


 まるで、好きにならないことを前提に交際しているみたいな言い方だ。


「お前なあ、俺がどうして割り切りタイプとばっか付き合ってきたと思ってる」

「そんなの知るか!」


 葉菜は苛ついて返事を叩き付けた。果てしなくしょうもない質問に、真面目に答える気にもならない。

 何で分からないんだしょうがねえな、とばかりに柾樹が肩を竦める。


「身体が目当てに決まってんだろ」


 当然という調子で放たれたその一言によって、葉菜は自らの時間を止めた。他の二人もそうだったんだろう。周囲にはショックを受けすぎた時特有の、張り詰めた緊張感のようなものが漂っている。

 瞬間、葉菜の脳裏をとても秩序があるとはいえない想像が駆け巡った。

 堕落した男女交際。性の乱れ。荒廃した人生。

 ――ああ、ここは健全なる学舎で私の記憶が確かなら、今は学生生活をより豊かにするために奨励されている部活動に励んでいるはずだ。開け放たれた窓の外からは、運動部が威勢よく上げるかけ声が爽やかな風と共に入ってくる。ピーッと鳴るホイッスルの音はサッカー部だろうか。青春の代表といえるスポーツだ。とても清々しい。日は傾きかけているものの、まだまだ外は明るかった。

 葉菜はその光景の一部になりたかった。

 遠い……と絶望的な気分で考えた。壁とガラス一枚で隔てられているだけなのに、どうしてこんなに遠く感じるんだろう? まるで別世界。これぞ異世界。

 この教室を照らす蛍光灯の光は、やはり太陽の輝きには到底適わないのだろうか? だから隣に座っている男は平然と、影に塗れ、殺菌消毒の必要な汚染された心情を吐露するのだろうか?

 このままではいけない。柾樹の行く末は滝壺に真っ逆さま。今はそこに向かって猛スピードで突き進んでいる最中なのだろう。

 どうしよう、と葉菜は胸中で焦った。深く深く黙考した。

 幼馴染みである自分が目を覚まさせてあげなくて、他に誰がするというのか。家族? ただでさえ仕事で忙しそうなおじさんとおばさんが彼の所行に気付いているのかどうか。心労を増やすのは気の毒だ。弟の知道ともみち君の教育にもすこぶるよろしくない。折しも彼は中一、丁度柾樹が道を踏み外し始めた年齢で、肝心要のお年頃である。お姉さんの美智香みちかさんは逆にアドバイスとかしてそうだ、避妊方法とか。

 そこまで思考を彷徨わせて、一体自分は何を考えているんだろうと葉菜は落ち込みかけた。

 でもそんな場合ではなくて。

 小さい頃から柾樹を知っている者として、責任感が間欠泉のように猛烈な勢いで立ち上ってくる。

 葉菜は血の気が引いて青ざめた顔に悲壮な決意を込め、ゆっくりとした動作でお盆を引き寄せた。


「柾樹……」


 呼びかけた相手を縋りつくような目でしっかりと見据える。


「あんたのためなんだからね。避けちゃ駄目」


 葉菜は駄目という単語に合わせるようにして、首をゆっくり横へ振った。そしてただ事でない雰囲気を醸しだし、ゆらりと静かに立ち上がる。


「待て、まだ続きがあるんだって!」


 制止の言葉が聞こえない様子の幼馴染みに押されて、柾樹が椅子ごと後ずさった。


「おい、巡! 雪乃!」


 冬の木枯らしにも似た目線を寄越す同級生と後輩においでおいでと手を振って、必死に助けを求めている。


「仕方ないよな、柾樹さん。俺もどん引き」

「女の敵だわね」


 二人がとりつく島もなく断った。

 そして葉菜は、更正の願いを装填したお盆を手に叫んだ。


「問答無用!」


 部室には、この日三度目の小気味良い音が響き渡った。


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