*5
まさかここで会うとは思っていなかったのだろう。
私と同じくらいタカヤギ先輩も驚いていた。
「あっ…昨日の……。あのさ…怪我、もう大丈夫?」
「あっ…はい。おかげさまで腫れも引きました」
「…そっか。よかった」
安心したタカヤギ先輩の顔。
まだ触ると痛いけれど、あんなに申し訳なさそうに謝ってくれた人にそんなことは言えない。
「それと、昨日はこっちも混乱してたんだけどさ。……モモ、だよね?」
「―――っ」
息をのんだ。
忘れよう、忘れようとしていたこと。
記憶の底に沈めようと努力していたことが一気に膨れ上がる。
認めたくなかった。
だって認めたら、コウくんはコノミ先輩と…
信じたくなかった。
期待を裏切られたことを直視したくなかった。
それらすべてが一瞬にして頭の中を駆け巡る。
「誰の、ことでしょ…う」
「モモ、俺のこと忘れた?…まぁ小さかったからしょうがないことなのかもしれないけど」
一歩近づくタカヤギ先輩。
一歩後退する私。
「右肩に2つ並んだ黒子」
ビクッと身体が震えた。
確かに、私の肩には2つ並んだ黒子がある。
「肩に2つ並んだ黒子がある女の子を俺は一人だけ知ってる。そして、その子は俺のことをコウくんと呼んでた」
「……」
―――決定的、だった。
この高校に入学したからにはいつかコウくんに会うと思った。
こんな形だとは思わなかったけれど。
でも、もう覚悟を決めないといけないのかもしれない。
どんなにダサくても、太ってても、やせ細っていても良かった。
もしかしたらと予想していても、ショックだったのは私以外の女の人が隣に立っていること。
この状況を認めたくなかった。
タカヤギ先輩、いやコウくんの目を直視できない。
話を続けることができない。
「……コウく、ん」
「モモ」
「……」
「あのっ――ごめんなさい、昨日は逃げて。パニックになっちゃって」
「いや、あの時は俺も驚いてたし……」
10年ぶりの再会は、重苦しかった。
昔は再会したら走り寄って抱きつきたいとか思ってたけど、大きくなった今ではそんなの無理。こんな状況だともっと無理。
昨日走り去ってしまったこととか後ろめたいことが多すぎて、気まずくて仕方がない。
「ほんとに、コウくん?」
「うん」
今頃なんで再確認してるんだよ、ってどこか冷静に自分へ突っ込みをいれながら、それでも訊かずにはいられなかった。
状況は理解していても、うまく受け入れることができてないから。
―――それでも。
目の前にコウくんがいる。
……それで十分なのかもしれない。
少なくともコウくんに会いたいという目的は達成されたと思う。
――これで本当に王子様卒業。
10年間思い続けてきた王子様。
知らず知らずの間にその隣に在りたいという願いを持っていたことには、目をつぶって気付かないフリをしよう。
これは今更な問題なのだ。
私は自分で自分につけた鎖にとらわれることを終わりにしなくてはいけないのだ。
「――あのさ、モモ。遅くなってごめん…」
コウくんの真剣な声に、うつむいていた顔をあげて、思わずコウくんの目を見る。
昨日今日と見た顔は真剣味を帯びているだけではなく、さっきとどこか違うように感じられた。
なつかしいコウくんの顔。
キュッと締めた口元、笑うと細くなる目元、スッとした鼻筋は、それぞれ記憶にあるコウくんのそれだった。
どこかでコウくんであって欲しくないと思っていた私の一部も認めざるをえなかった。
やっとこの事態、この事実を受け入れることができた――そう思った。
今はまだ、それで精一杯。
「―――モモ、迎えに来たよ」
先輩の口から思いもよらぬ言葉が、急に飛び出した。
「迎えに来る」
ずっと、ずっと。長い間待っていた言葉。
でも、今ここで言うのは反則だ。
じんわり目に涙が浮かび上がる。
目を合わせたくなくて下を向く。
「…といっても、全然迎えに来たって感じじゃないな。ごめん、急に。…あっ……覚えて、る?」
声を出して返事をしたら嗚咽に代わりそうで、頷くことしかできなかった。
覚えてるも何も、そのために生きてきた。
10年間、コウくんを待ち続けて生きてきた。
お涙ちょうだいの絶望的な生き別れからの再会とかそんなんじゃない。
片方のガラスの靴のみを頼りに国中の女性から探し出されたわけじゃない。
森の中で永久の眠りから解放してくれたわけじゃない。
欲しかった言葉こそ真剣だったのに、その後のコウくんの口調は軽くて、それがなんだか恨めしい。
でも、その口調に現実を突き付けられた気がした。
――コウくんは約束を守ってくれたけれど、その先は望みもしていない。
自分の気持ちなんて一言も言ってないのに勝手に失恋した気分。
でも、それが現実で、心のどこかで予想していた出来事だった。
10年前の約束なんて普通は覚えてないだろうに、コウくんは覚えていて、しかも約束を守ってくれた。
それだけで十分じゃないか。
本当に優しくて、それでいて誠実だと思った。
コウくんらしくて、タカヤギ先輩らしい。
コウくんはタカヤギ先輩だった。
そして、タカヤギ先輩にはコノミ先輩がいる。
私の入る隙なんて一ミリもない。
とにかく、これだけは認識した。
コウくん、じゃなくてタカヤギ先輩とコノミ先輩を繋げたのは、心の傷を浅くするため。
コノミ先輩に直接コウくんを繋げようがタカヤギ先輩を繋げようが、結果は変わらない。
けれど、間接的に繋げることで、少しだけ心がラクになれそうだった。
もう少しだけ、コウくんは“私のコウくん”であってほしかった。
まるっとすべてを受け入れるまでの――私のわがまま。
「――約束、守ってくれて、ありがとうございました」
「…あのさ」
これ以上はキャパオーバー。何が来ても感情が決壊する。
だから何も聞きたくなかった。
「すいません。わたし…」
「――もう一つの約束、覚えてる?」
もう一つの約束?
そんな約束があっただろうか。
……記憶にない。
コウくんの雰囲気と「迎えに来る」という約束しかコウくんに関しては覚えていない。
逆を言えば、それだけを大切に抱え込んでこれまで生きてきた。
「もう一つの、約束?」
「…そ」
「…すいません。覚えてません…」
「―――そっか。それならいいんだ」
弱々しく微笑むタカヤギ先輩の顔にズキンと心が痛む。
いつも強くて太陽みたいに笑うコウくんとは違う笑顔。
タカヤギ先輩は私の知らないコウくんなのだと思った。
それだけ時間が経ったことをここでも痛感して、どうしようもない気持ちになる。
「…あの!」
「ごめん、時間とっちゃったね。気を付けて帰りなよ」
それだけ言うとタカヤギ先輩は足早に去ろうとした。




