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描きかけの未来

 季節が巡り、少年だったアオは、制服が私服に変わり、誕生日を迎えた回数と同じだけ、少年の面影を手放していった。

 思い描く未来は現実の輪郭を帯び、夢は努力という名の重みを持ちはじめていた。


 細長い窓から差し込む朝の光は、アトリエの床に光の帯をつくっている。

 窓ガラスには、夜のあいだについた指紋がうっすら残っていた。

 机の横の棚には、子どものころから使っているペン立てと、買い替えそこねたままのスキャナが並んでいた。

 そのいちばん上の段に、ソラちゃんが、しばらく会っていない古い友だちのような顔をして座っている。


 白い紙に鉛筆の先が触れる。

 最初の一本の線は、いつもかすかに震えた。

 教室の隅で夢中になって描いた空の青さや、ノートの端を走らせた風の線を思い出しながら、アオはいま、自分の物語を一枚ずつ積み上げていく。


「もう少し、こういう顔がいいかな……」


 人物の表情、背景の家具、吹き出しの余白。

 線が増えるたび、紙の静けさは少しずつ賑やかになっていった。


 午後になると、別の種類の線がアトリエに現れる。

 ポスター用のイラストや広告のカットだ。

 指定されたサイズと締め切りが、モニターの端に小さく表示されている。

 その線は、振り込まれる金額と結びつき、家計簿に書き込まれる数字になる。

 アオはそれをよく分かっていて、一本一本を丁寧に、どこか機械的に引いていった。


 夕方から夜にかけて、アオはもう一度、絵本のページに戻る。


「よし、これでいこう」


 日が暮れるころ、アオは出版社へのメールを書きはじめる。

 件名の欄には、いつもの言葉が、ほとんど習慣のように打ち込まれる。


「絵本企画のご提案」

「ポートフォリオ添付のご連絡」


 本文には、簡単な自己紹介と企画の概要、データを添付している旨だけを、過不足のない文章で並べる。


 最初のころ、憧れていた出版社から返信が届いた夜を、アオはよく覚えている。

 スマートフォンの画面に、その社名の文字列が現れたとき、心臓がひとつ多く鳴ったように感じた。

 指先が汗で滑り、何度か持ち替えながら、開封のアイコンを押した。

 そこには、丁寧で、よく整えられた文章が並んでいた。


「拝見しましたが、今回はご期待に添えませんでした」


 文末には、「今後のご活躍をお祈り申し上げます」と書かれていた。

 その一文を、アオは何度も読み返した。

 祈られている「今後」が、本当に、まだ続いているような気がして、その夜は、あまり眠れなかった。


 二通目、三通目と返信が増えるうちに、アオの情熱とは裏腹に、返ってくるのは、本質的には同じ内容の返信ばかりだった。


 祈られているはずの「今後」は、行き先を失ったまま、冷たいアスファルトの上に置き去りにされている。


 アオはスマートフォンの画面を消し、ポケットにしまった。

 帰宅のための電車を待とうとして、足は自然と、いつもの改札へ向かう。


 家路を急ぐ人々が、灰色の流れとなって横を通り過ぎていく。

 その歩調には、ためらいがない。

 誰もが、進む先を疑わずにいるように見えた。


 その流れから少し外れたところで、アオは立ち止まった。


 改札の上に、泥を固めただけの小さな巣が残っている。

 中は空だった。

 夏のあいだ、あれほど騒がしく鳴いていたツバメの姿はない。


 冬になると、あの鳥たちはどこへ行くのだろうか。

 そんな、昔本の中で読んだ一文のような問いが、不意に胸をよぎった。

 冷えた巣を見上げる視線の下で、駅は変わらず人を吐き出し、飲み込んでいく。

 巣だけが、季節の置き去りにされた痕跡のように残っていた。


 季節が巡れば、賑わいは跡形もなく消え、そこに残るのは、ただ固まった泥だけになる。


 必死に守ろうとしている場所も、世間から見れば、もう役目を終えて放置された、空っぽの残骸に過ぎないかもしれない。


 電車のドアが閉まる音が、遠くで短く響いた。


*


 アトリエに戻ったころには、外の気配はすっかり夜に沈んでいた。


 アトリエの机の下には、丸められたストーリーボードがいくつも転がっている。

 大きな紙が、しわくちゃになりながら、ボールのようなかたちに変えられた。

 新しいページを開き、息をひとつ整えるほどの短い間をおいてから、アオは鉛筆を握る。

 紙から少し距離を取って眺め、首をかしげ、そして紙の端をゆっくりと破った。


「だめだ、今日はここまでか……」


 その様子を見下ろすような位置に、ソラちゃんが座っていた。

 アオが朝アトリエに入ってきたときも、夜遅く椅子から立ち上がるときも、ソラちゃんは同じ姿勢のまま、アオの背中を見ている。

 糸で縫い付けられたプラスチックの目は何も言わない。

 ただ、かつて白いクレヨンの風が吹き抜けていった場所を覚えているような静けさだけが、その小さな体に宿っていた。

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