約束
秋の茜色の光が差し込むリビング。
床いっぱいに広げた画用紙の上で、アオは色鉛筆を握っていた。
隣にはソラちゃん。バンズが夕陽で温かい。
アオはしばらく黙って色を塗っていたが、あるところで手が止まった。
「……ねえ、ソラちゃん。今日ね、ちょっと嫌なことがあったんだ」
ソラちゃんはパンのあいだから顔をのぞかせ、アオの頬のかすかな影を見つめた。
「帰り道でね、タクミくんが『将来の夢』の話をしてて。消防士になりたいんだって。『人を助ける仕事って、すっごく役に立つんだぞ!』って、胸を張ってた」
アオは指先で画用紙の端を軽く押した。
そこだけ紙がわずかに曲がり、夕陽の光が小さな淡い影をつくった。
「でね、そのあとぼくが、ポケットから紙を落としちゃって……」
アオは少し言葉を飲みこんだ。
「それ、絵だったんだ。空の形だけ描いたやつ」
ソラちゃんは小さくうなずいた。
「そしたらタクミくんが言ったんだ。『なにそれ、何の絵? よくわかんないや。』って」
アオは視線を落としながら続けた。
「そのあとね、『そんなことより、アオは大人になったら、どんなふうに役立つ仕事したい?』って聞かれた」
アオは思い出したように両手を頬に当てた。
まるでその言葉がまだ、そこに留まっているみたいだった。
「ぼく、絵って『役に立つ』って考えたことなかった。そう思ったら、なんか、口がぎゅってなって……何も言えなくなっちゃった」
夕陽がゆっくり角度を変え、アオの肩に細い光の帯を落とした。
「ねえソラちゃん、ぼく、大人になったら何になれるかな?」
「うーん。アオはね、何にだってなれるよ」
「ほんと?」
ソラちゃんは胸のあたりをポンとたたいて言った。
「うん。だってアオのここには、まっすぐな種があるもん。」
「まっすぐな種?」
「そう。自分の大事なことも、人の本当の気持ちも素直に考えられる種。それがきちんと育ってるかぎり、アオは何でもできる」
ソラちゃんは、懐かしいものを丁寧に拾い上げるみたいに話しはじめた。
「ねえアオ、幼稚園のときのこと、覚えてる? みんなでお絵かきしてた日」
少しだけ間を置いて、ソラちゃんは続けた。
「お友だちのリクくんがね、雲の形がぜんぜん描けなくて、紙をくしゃくしゃにしちゃったことがあったんだけど……その日の事ね」
アオは首をかしげた。まったく思い出せないようだった。
「ほかの子たちは新しい紙をもらいに行っちゃったけど、アオだけはリクくんの紙をじっと見てね、くしゃくしゃのしわを『山』みたいにして、隅っこに小さな太陽を描いたの」
ソラちゃんは続けた。
「そしたらね、しわだらけだった紙が、急に日の出の山みたいに見えて。リクくん、すごく嬉しそうに笑って……『見て!ぼくの紙、山になった!』って言ったんだよ」
アオは口をわずかに開けたまま、黙って聞いていた。
「アオはね、あのとき、リクくんががっかりしてるのを見て、その気持ちの続きを少しだけ描いてあげただけ。でも、そのときわたし、思ったんだ。あ、アオの中にはまっすぐな種がある、ってね」
夕陽の色が少し深くなり、アオの輪郭を柔らかく縁取った。
「じゃあ、もしその種をなくしたら?」
「そしたら、わたしが思い出させてあげる」
「どうやって?」
「パンのあいだから、『アオ!』って呼ぶから」
アオは口の端を少し上げた。
パンに挟まれたまま、どうにかしてアオを励まそうとしているソラちゃんの姿を思い浮かべると、なんだかおかしくなった。
その表情につられて、ソラちゃんも笑った。
アオは照れをごまかすように、パンの部分を押して「ふかふかだー」と笑い、ソラちゃんも小さく「もう!」と笑った。
「ずっと、いっしょにいてね」
「うん。ずっとずっとそばにいるよ。アオの描くものが、誰かを守る力になる日まで」
この日、ソラちゃんはアオとの最後の約束をした。




