燎火一閃
「お前が避けるから、百中の二つ名を語れなくなったじゃねぇか」
「はっ、今までザコばかり狙ってただけだろっ!」
地獄エリアの混沌を抜け、リゼルグの姿が目の前に現れる。イグニスは弓を構え、矢じりが冷たく光る。フローレンスは剣を握りしめ、気迫を全身に満たす。
「行くぞ、フローレンス!」
イグニスが声を掛ける間もなく、リゼルグは軽やかに動き、矢を避けつつその位置を瞬時に修正する。
フローレンスが斬りかかるが、リゼルグはノールックでかわす。撃たれ、銃で殴られ、まるで存在を無視するかのように扱われる。
「ふん、どこまでも愚かな冒険者よ」
リゼルグの声に余裕と冷徹が混ざる。イグニスは矢を放ちながら、リゼルグの動きを読み、反撃のタイミングを探る。
リゼルグは一瞬の動きで間合いを詰め、目に薄く影を落とす。
ーーーー
リゼルグの瞳に、ほんの一瞬、過去の光景がよみがえる。
あの頃、盗賊団ブラッドムーンは奈落を股にかけ、秘宝や武器を集め、富と権力を手に入れるために駆け抜けていた。
戦闘の最前線では、豪腕のゴリアテが巨大な棍を振るい、次々に迫る魔物を叩き伏せる。
「こいつら、相手にならねえ!」
彼の咆哮に応じ、冷静なアンナは縦横無尽にデバフ魔法を振るう。さらには敵の攻撃を的確に割り、仲間たちの死角をカバーしていく。
元騎士のオルテガは、槌技の精度と戦術眼で部隊を統率する。
「そこの弱点を狙え!」
その指示に従い、リゼルグやゴリアテ、アンナが連携して攻撃を加える。
その脇で、セラヴィオとサリヴァンも活躍していた。セラヴィオは笑みを浮かべながらも、攻撃の一角を支え、サリヴァンは迅速に背後の敵を排除する。夜のキャンプでは、焚火を囲んで笑い声がこだまする。
「昨日の冒険、結構うまくいったな」
「リゼルグ、やっぱりお前がいなきゃ俺たちは生き残れなかった」
ゴリアテの豪快な笑いに、アンナの軽い皮肉が絡む。
だが、そんな日々も長くは続かなかった。
仲間たちは次々に冒険者達に敗れ、命を奪われた。
盗賊団ブラッドムーン幹部・七芒星の秩序は崩れ、残ったのはリゼルグと、最後まで共にいたアルカトラだけだった。
アルカトラはリゼルグの心の支えであり、戦場でも安心して体を預けられる存在だった。
「……お前がいてくれれば、俺はまだ、大丈夫だ」
「リゼルグ…」
彼女との距離の温もり、互いに託した命、共有した笑い、体を重ねた夜――すべてがリゼルグの胸に深く刻まれていた。
そして、奪われた仲間や財宝の記憶と共に、怒りが静かに、しかし確実に燃え上がる
ーーーー
「全ての仲間を奪ったこと……絶対に許さん!」
リゼルグが低く断罪する声が響く。イグニスはその声に応じて、静かに笑みを浮かべる。
「そうか……だが、フローレンスも同じ気持ちだと思うぞ」
その言葉に振り返るリゼルグの視線の先で、フローレンスの剣が炎を纏い輝く。撃たれ、殴られ、血だらけの彼女の体から放たれた気は、緋断を凌駕する強さ…
「燎火一閃!!」
閃光のごとく放たれた一撃は、リゼルグを深く切り裂く。リゼルグは地に膝をつく。胸の奥で燃えていた怒りと権力欲も、炎に焼かれるように消えていく。
「……ぐっ……」
身体が重く、思考も朦朧とする。拳を握りしめた手から、力が抜けていく。
周囲の光景が、まるでスローモーションのように流れた。かつて共に笑い、戦い、夜を共にした仲間たちの姿。
――ゴリアテの豪快な笑い、アンナの軽口、オルテガの冷静な指示、そしてアルカトラの穏やかな笑顔。
最後まで自分を信じてくれたその存在だけが、今も鮮明に心に刻まれていた。
「……すまない、みんな……」
かすれた声で、かつて奪った仲間たちの名をひとつずつ思い浮かべる。後悔と痛みが胸を締め付けた。
視線を上げると、フローレンスがまだ剣を構え、静かに息を整えている。
彼女の目に映る光。怒り、悲しみ、そして決意。
その全てが、リゼルグの胸に刺さる。
「……アルカトラ……」
唇から零れたその名に、最後の想いを込める。
彼女と共に過ごした日々、互いに支え合った時間。
――すべてが愛しく、そして切ない。
最後の力を振り絞り、かすかに笑みを浮かべたリゼルグは、アルカトラに向けて静かに告げる。
「……ありがとう……愛していた……」
そして、身体は地に崩れ落ち、リゼルグの目はゆっくりと閉じられた。
戦場には、深い静寂と共に、彼の消えゆく存在の余韻だけが残った。
フローレンスの体はダメージと疲労で限界を迎える。全身から血と熱が噴き出し、力尽きたかのようにその場に倒れ込んだ。
「フローレンスッ……!」
イグニスが即座に駆け寄る。無傷の彼は、素早く彼女を抱え上げ、戦場の混乱を避ける安全な場所へと運ぶ。その腕の中で、フローレンスはかすかに意識を保ちつつも、深く息を吐き、熱と痛みで体を震わせていた。
「大丈夫だ……今は安全だ。少し休め」
イグニスの声は静かだが、揺るぎない安心感を帯びている。フローレンスはその胸に頭を預け、目を閉じるしかなかった。
イグニスはフローレンスを安全に守ると、再び弓を構え、戦線へと戻った。
戦いはまだ終わらない。
リゼルグの目的はなんだったのか
リゼルグ――盗賊団ブラッドムーンを率い、奈落を駆け抜けた男の真の目的は、誰にも明かされることはなかった。
彼の野望は、奈落六大将の力を奪い、失った仲間たちを復活させることだった(だが、その力を奪えるのかも、奪えたとしても仲間を蘇らせることができたのかもわからない)。しかし、運命は残酷だった。第八層で最後の仲間だったアルカトラを失い、リゼルグの心は完全に崩れ去った。もはや、力も名誉も、富も権力も――何もかもがどうでもよくなった。
その残された存在理由はただ一つ。
「冒険者を、倒す」
――それだけが、彼を突き動かした。
そして、彼が抱き続けた最後の想いは、アルカトラへの愛と感謝だった。
「……ありがとう……愛していた……」
消えゆくその声に、仲間たちの思い出と、彼が大切にした日々の温もりが重なる。
力も野望も、すべて失った後に残ったのは、唯一、心の奥底で輝く愛の記憶だけだった。
不安のシャスエティが懸念していた未来も、結局は空振りに終わった。リゼルグは、誰のためでもなく、何のためでもなく、奈落の闇の中で、最後まで己の欲望と愛に従ったのである。




