第七層の洗礼
【奈落 第七層 樹海エリア】
湿った空気の中、クロスたちは息を潜めて進んでいた。足元の落ち葉が踏みしめられる音すら、この森では目立ってしまう。
森の奥では、低く唸るような獣の鳴き声が響き、地面を揺らす微かな振動が伝わってくる。
「……さっきから、なんかつけられとる気ぃせぇへん?」
マリーが小声で言う。クロスは剣の柄に指をかけ、後方に視線を走らせた。
「獣の気配……だが数が多いな」
樹海の影の中、黄金色の光が点々と揺れた。瞳だ。
その輪郭が徐々に現れ、しなやかな筋肉と鋭い牙を備えた、黒と灰の縞模様の巨獣・アビスタイガーが姿を現す。
「……六体、いや、八体か!」
フローレンスが低く叫ぶ。
次の瞬間、先頭の一匹が地を蹴り、影のような速度で突っ込んできた。
「くっ!」
クロスの剣が火花を散らす。だが、二匹目、三匹目が横合いから襲いかかり、隊形は一気に乱れた。
ジャンの斧が唸りを上げて一匹を弾き飛ばすが、別の虎が背後に迫る。
「させない!」
アニサが後退しながら弓を引き絞り、矢を連続で放った。
一本目は虎の眼前をかすめ、二本目がその前足を深く貫く。巨獣が悲鳴を上げ、動きが鈍る。
「ナイス、アニサ!」
クロスが叫ぶが、別方向から二匹が同時に迫り、退路を断とうとする。
「……凍りつけ、グラシアルランス!」
低く鋭い声と共に、エリスが両手を突き出した。
青白い魔法陣が空中に浮かび、そこから無数の氷槍が飛び出す。
突進してきた虎の一匹は正面から貫かれ、背後の木に叩きつけられた。
もう一匹も脚を氷に封じられ、動けずに牙を剥く。
「今のうちに……!」
その瞬間、マリーが両手を組み、淡い緑光を放つ魔法陣を展開した。
「スリープバインド!」
絡みつくような蔦の幻影が氷に捕らわれた虎の全身を覆い、その瞳が瞬く間にとろんと沈んだ。
巨獣はその場で崩れ落ち、深い眠りに落ちる。
「一匹は無力化したわ!」
マリーの声にクロスとフローレンスが頷き、残りの敵に集中する。
しかしまだ五匹が残り、包囲はじわじわと狭まっていく。
「……あかん、囲まれた!」
マリーの声が震える。その瞬間、上空から轟音が降ってきた。
「聖域結界!」
柔らかな白光が降り注ぎ、クロスたちを包む。衝撃が空気を揺らし、アビスタイガーたちの突進が見えない壁に阻まれて弾き飛ばされた。
「なっ……!?」
森の奥から三つの影が歩み出る。
先頭の女性は白銀の法衣を纏い、長い金髪をゆるく編み込んでいる。その手には聖なる杖。微笑みは穏やかだが、放つ魔力は雪嵐のように澄んで鋭い。マリーの瞳が大きく見開かれた。
「マ…マチルダ叔母さん!」
彼女の隣には、全身を黒鉄の鎧で覆い、大盾を携えた巨漢の男。大地そのもののような重々しい足取りは、一歩ごとに地を響かせる。その男の後輩であるフローレンスが息をのむ。
「……ガイア殿!」
最後の一人は、腰に巻いた龍皮の鞭を指先で弄びながら、唇に笑みを浮かべた褐色肌の男。
その視線は、群がるアビスタイガーを獲物としか見ていない。男の名は《龍鞭のダリウス》。
マチルダの声が響く。
「ガイア、前をお願い。ダリウス、右を掃討して」
「承知」
ガイアの盾が大地を穿つように叩きつけられ、衝撃波が走る。三匹のアビスタイガーが吹き飛び、樹に激突した。
同時に、ダリウスの鞭が雷鳴のように唸り、虎の首元を正確に絡め取っては引き裂く。
「ふふ……やっぱりこの階層は楽しいねぇ」
最後にマチルダが杖を振ると、白光の柱が天から降り、残る虎たちを浄化するように焼き尽くした。数息の間に、森は再び静寂を取り戻す。
「……助かった」
クロスが息をつくと、マチルダは微笑んで言った。
「無事でよかったわ、マリー。そして、あなたたちも」
アビスタイガーの群れを退けた後も、クロスたちは息を切らし、しばらくその場から動けなかった。
マチルダはそんな彼らを一瞥し、白衣の袖で血をぬぐう。
「…あなたたち、このエリアに来るには、まだまだ修行が足りません」
声音は冷静で厳しいが、どこか心配を含んでいた。彼女は振り返り、森の奥へと歩き出す。
「休ませてあげます。獣人たちの村に拠点がありますから、まずはそこで体を立て直しましょう」
鬱蒼とした森を抜けると、木の柵と見張り台に囲まれた集落が現れた。門前では銀毛の獣人騎士が柔らかく笑い、マチルダと握手を交わす。
「よく来たな、人間の冒険者たち。ここでは客人だ、安心してくれ」
クロスたちは丁寧に礼を返し、案内されたのは村の奥の大きな木造建物だった。
中は簡素ながら清潔で、二段ベッドが並ぶ様子はまるで寮のようだ。
「荷物を置いて休んでください。……それと、マリー」
突然名前を呼ばれ、マリーはきょとんとした顔で振り向く。
「あなた、その訛りは少し直したほうがいいわ。発声が乱れていると詠唱にも響きます」
「……ほーかほーか。ほな休もか」
あからさまにスルーしてベッドに荷物を放り込むマリー。マチルダは小さくため息をつき、クロスに視線を送った。
クロスは苦笑して肩をすくめるしかなかった。
「明日には一度、サンライズシティに戻ります。装備と物資を整えてから、再び第七層へ。今度は実戦訓練をしながら、潜伏している盗賊団を探します」
《数日後》
「クロス、いつも言ってるけど…必ず生きて帰るのよ」
「わかってるよ、叔母さん。必ず戻る」
ジーナに見送らせながら、クロスは自宅を後にする。サンライズシティで準備を整えたクロスたちは、再び第七層へ旅立つ。
マチルダ隊の指導のもと、実戦形式の訓練をこなしながら樹海を進む。
表向きは腕試し。だが、その裏の目的は別にあった。
深い森のどこかに潜伏している盗賊団の痕跡を探し出すこと。
湿った風が、緑の迷宮の奥から彼らを誘うように吹き抜けていった。
キャラクター紹介 No.33
【鉄壁のガイア】
身長190センチを超える大柄な戦士。鍛え抜かれた筋肉と重厚な塔盾を武器に、前衛で仲間を守ることを信条としている。
王国騎士団では防御戦術の第一人者とされ、「鉄壁のガイア」の異名で呼ばれる。防御一辺倒に見えるが、隙あらば鋭いカウンターで敵を怯ませる技量も持つ。
性格は実直で義理堅く、仲間想い。ただし時折、真面目すぎて融通が利かないところがある。




