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奈落の果ての冒険譚  作者: 黒瀬雷牙
第五章 深海都市編

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六大将、集う

【奈落 第十層 神殿エリア】

 通称・奈落の底。

 荘厳な柱が並ぶ神殿エリアの大広間。そこに集ったのは、奈落に君臨する六柱の災厄・奈落六大将。

 先の第四層で失われた“悲しみのペシミスティ”を巡り、彼らは今、久方ぶりに顔を揃えていた。


「チッ……愚かにもほどがあるわ、あの女ァ!」


 雷のような怒声が、石造りの空間を揺るがす。口を開いたのは、《怒りのアンガレド》。燃える鬣と赤い肌を持つ、異形の鬼王。巨体の拳が、会議卓を震わせた。


「人間を従える? 寝言は死んでから言えって話だ。弱く脆い人間など、駒にすらならん。ムラサメやアレクシオならば話は別だかな…」


 冷えた風のような声で応じたのは、《憎しみのヘティリド》。鈍く光る王冠を戴き、全身を黒衣で覆った、骸骨の王。目窩に灯る青白い光が、不気味に揺れている。


「盗賊どもはかなり信用していたようだが、俺を持ってしても妬ましくないぜ。…妬ましいのはムラサメの野郎だ、英雄として歴史に名を残すなんて…妬ましい」


 そう言って爪を噛むのは《妬みのジェラシア》。獣耳と尻尾を持つ、白銀の毛並みの獣人の姫。愛らしい容姿に反して、言葉遣いは男。その目は終始、冷たく光っていた。


「忌々しいのは、ムラサメの意志を受け継いだ冒険者どもね…あの人間の名が、また奈落に響くとは…恨めしい」


 椅子に深く沈みながら、《恨みのグラージャ》が低く呟く。黒薔薇をあしらった漆黒のドレスをまとい、肌は血を吸ったように蒼白。その瞳には、何世代もの恨みが燃えていた。


 四人の感情が、怒気と怨嗟と嫉妬と憎悪となって空気を重たく濁らせる中。一人、静かに佇む気配があった。


「……お気持ちは分かりますが、状況を軽く見すぎてはいけません」


 声の主は、《不安のシャスエティ》。女とも、獣ともつかぬ、不定形の蜘蛛の魔人。身体の中心から細い脚が何本も伸び、神殿の柱をまるで糸のように這っていた。


「ペシミスティは、確かに敗れました。しかし、それは凡庸な死ではありません。彼女は人間の盗賊を従え、四層以上に挑める冒険者の約半数を殺害することに成功しています。さらに、かつて伝説と謳われたムラサメと、実質的に相打ちという戦果……これは快挙と言ってもいいでしょう」


 アンガレドが苛立ちを露わにする。


「人間なんざ、いくらでも潰せる虫けらだろ。六大将が一人死んだくらいで、何を怯えてやがる」


 シャスエティは、どこか悲しげに首を振った。白い仮面のような顔の奥、目に見えぬ不安がぴたりと張りついている。


「……それこそが、あなたの慢心です。彼ら人間は、技を学び、知恵を受け継ぎ、進化する種族です。過去の英雄たちの技術は次代に受け継がれ、より鋭く、より早く、より深く……奈落へと進みます」


 そして、静かに、言葉を落とした。


「……次に倒れるのは、あなたかもしれません」


 一瞬、場が凍りつく。神殿の高い天井から、雫のように冷たい沈黙が落ちてきた。


 その沈黙を破ったのは――

 誰とも知れぬ、風の音だった。


【奈落 第六層 深海エリア】


 そこは漆黒の海に沈んだ、かつての文明の残骸が広がる神秘の領域だった。巨大なドーム状の構造物や崩れた塔、かつて人々が住んでいた都市の跡が、静かに海底に眠っている。


 この層にはいくつかの安全地帯が存在していた。魔法的な力により浄化され、外部の水圧や酸素不足を遮断した特殊な空間だ。そこでは呼吸が可能で、限られた人々が集落を形成していた。だが、そこから一歩でも外に出れば、そこは海そのもの。魔力の加護がなければ、即座に溺れて命を落とす死の領域だった。


 その一つの集落…名もなき安全地帯の一角に、盗賊団(ブラッドムーン)の残党たちが潜伏していた。


 リゼルグ・アルカトラ・ペイル。

 そして、名もなき盗賊団の魔法使いたち数十名。第四層で敗れ、生き延びた者たちが辿り着いた最後の避難所だった。


 アルカトラは、自らの影の魔術を駆使して仲間たちの居場所を隠し、監視の目をすり抜けながら生活を維持していた。魔法使いたちは空間制御や幻術を用いて、必要最低限の空気を安全地帯内に循環させ、周囲と同化するように暮らしていた。


「……ここには空気がある。だが、いつまでも隠れてはいられない」


 リゼルグはそう言って、海の底に広がる都市を静かに見下ろす。視線の先には、灯りのともる集落があった。


 その集落の住人たちは、長年深海での生活に順応した者たちだった。外の世界との接触を断ち、わずかな資源で生活を続けていた。リゼルグたちは、その集落に潜入し、物資の盗みを繰り返していた。


 食糧、水、魔導薬、装備。生き延びるために必要な物は何でも手に入れようとした。だが、その行動はやがて住人たちの反感を買い、警備は強化され、もはや安全地帯の内部ですら安心して動けなくなりつつあった。


「もう、ここにも長くはいられない」


 アルカトラが影を纏いながら呟く。


「次の層へ行くしかない……だが、その前に――」


 突如、地響きのような音が海底に響き渡る。遠く、深海の裂け目から、異様な気配が這い上がってくる。


「……来たか」


 リゼルグがゆっくりと振り返る。海底の裂け目から現れたのは、白銀に輝く巨大な影だった。


 第六層ボスモンスター・海竜レヴィアトル。

 その鱗は金属のように硬く、身体はまるで巨大な潜水艦のような威容を誇る。口を開けば渦を呼び、尾を振るえば都市の一部が崩れ落ちる。奈落第六層を支配する“海の王”が、侵入者の存在に気づいたのだった。


「全員、戦闘態勢を取れ。ここを越えなければ、俺たちに未来はない」


 リゼルグが声を上げる。アルカトラは影の槍を握り、ペイルは剣に魔力を集中させる。生き残った者たちが、絶望の底で再び武器を手に取った。


 ――深海の闇にて、絶体絶命の戦いが始まろうとしていた。

ボスモンスター紹介 No.6

【海竜レヴィアトル】

その姿は全長数百メートルにもおよぶ、白銀の鱗に覆われた龍。身体は潜水艦のごとき流線型で、頭部は鋭く尖り、眼光は水中を貫く灯台のように煌めく。

口からは高圧の水流や超音波を放ち、尾の一撃は都市ひとつを崩壊させる威力を持つ。

身体全体を覆う鱗は魔法をも弾き返すほどに硬質であり、剣や弓での攻撃はほとんど通用しない。

この存在は、単なるモンスターではなく奈落の意思に近い存在とまで言われている。第六層に到達した冒険者のほとんどが、このレヴィアトルの前に敗れ、深海の闇に沈んでいった。

その動きは常に静かで、感情を読ませぬ無機質な暴威。だが、侵入者がその領域に足を踏み入れた瞬間――

“海”は牙を剥き、“王”は目覚める。

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