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奈落の果ての冒険譚  作者: 黒瀬雷牙
第三章 奈落の大迷宮編

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最強の影

 その場所は、まるで外界から切り離されたかのように静かだった。


 かすかに聖なる気配が漂い、冷たい石床には結界の残滓が微かに残る。迷宮の中とは思えぬほど穏やかな空間にて、冒険者たちは仮初めの眠りから目覚めた。


 迷宮に朝も夜もない。だが、魔力の巡りや体内の感覚からして、十分な休息をとれたのは確かだった。


 ジャンがまばたきをしながら身体を起こすと、すでに起きていたエリスが記録紙と地図を手に、光石のそばで何かをまとめていた。


「……調べがついたよ。第三層のボスのこと」


 その一言で、クロス、フローレンス、マリーも目を向ける。


「メイズシャドー……それが、ここの層の主。過去の記録だと、遭遇したパーティのほとんどが全滅か、撤退。あまりに犠牲が多いため、出会ってはならない魔物とまで明記されてる」


 エリスは魔導紙を広げ、続ける。


「理由は明確。メイズシャドーは……その迷宮で最も強かった者の影として現れる」


 空気が重くなった。


「最も強かった、って……それ、敵がってことか?」


 クロスが言う。


 「ううん。今までメイズシャドーが()()()()()、一番強かった人間よ。それを模した影として、私たちの前に出てくるの。そいつとまともにぶつかるのは、ほぼ不可能」


 フローレンスが眉を寄せる。


「つまり、逃げるしかないと」


「そう。……それが、勝ち筋のない勝負を避ける、唯一の方法。今までも、それでなんとか突破してきた冒険者がいる」


 全員が静かに頷いた。


「じゃあ、慎重にいこうか」


 ジャンが口を開く。


「もうすぐ、この層も抜けられるはずだ」


「……うん」


 マリーが立ち上がり、そっとメイスを握る。


「気配、ちゃんと探るよ。絶対、見落とさへん」


 その後の探索は、かつてないほど慎重だった。


 マリーが小声で祈りを紡ぎ、聖印を地に描きながら罠と異変を探知する。エリスも魔導器を展開し、気流や瘴気のわずかな変化を分析していく。


 霧と錯覚で歪められた迷宮は、探索者の心を削る構造をしていたが、二人の探知によって、危険をいくつも回避できた。


 やがて、一行は巨大な石の門へとたどり着いた。


「……次の層に続く、ゲートだと思う」

 

 エリスが告げる。


「よし、あと少し……!」


 クロスが剣を持ち直す。その瞬間だった。ピリリ、と空気が張り詰める。誰より早く、マリーが叫んだ。


 「来る、来るっ!気配……最奥の、ど真ん中から!」


 地を這うような低い振動。空気が、闇が、全てのものが後退する。迷宮の霧がねじれ、門の前に()()は現れた。


 それはただの影、ではなかった。影であるはずなのに、その存在はまるで、生きた神話だった。


 黒き鎧に身を包み、堂々たる体格。背には大剣のような巨大な斧を背負っている。


 その姿を見て、クロスが呟く。


「ムラサメさん……か?」


「いや、違う。体格が大きすぎる」


 フローレンスが即座に否定する。


「アルガードさん……にしては武装が重いな」


 そう言ったのはエリス。


 だが、ジャンだけは動けなかった。


 言葉も出ないまま、その影を凝視していた。


 その斧の持ち方、構え、堂々とした立ち姿…どれも、聞いたことがある。幼い頃から何度も何度も、祖父エルドの口から聞かされた、伝説の勇者。


「…ア……アレクシオ……様……?」


 その言葉が漏れた時、影が一歩、前に踏み出した。斧を構え、無言のまま、ジャンへと向かってくる。それは、影になってなお、ただならぬ威圧感を放っていた。


 迷宮が見せる、最強の幻影。ジャンが生涯で聞かされてきた理想。だが、それが今、敵として、彼の前に立ちふさがっている。


 アレクシオの影が、地を踏むたびに迷宮がうめき声をあげる。


 その威容は、伝承通りの英雄だった。


「……むりや……戦ったら、絶対に……」


 マリーの声が震える。彼女の祈りで支えられた結界が、出現の瞬間にひび割れていた。


 フローレンスが一歩前に出る。


「時間を稼ぐ。みなさんは……!」


「待て!」


 クロスの叫びが、全員を止めた。迷いはなかった。彼の瞳は冷静に周囲を見据えていた。


「戦っても勝てない。逃げても追いつかれる。なら、やるべきは――突破だけだ」


「クロス……?」


「ここが扉の前。つまり、ボスを倒さなくても、向こうに行けるルートがあるってこと。やるしかない――足を止めるな!」


 クロスは身をかがめ、懐から閃光玉を取り出す。即席の結界符を取り出すと、マリーに投げ渡した。


「これで視界を遮る!フローレンス、足場を破壊して奴の前進を一瞬でも遅らせろ!マリー、転移魔法陣の起動を頼む!ジャン、トドメが来たら……お前を信じる!」


「……任された、相棒!」


 ジャンが短く返す。仲間の目が一瞬で覚悟に変わる。


「行くぞッ!!」


 クロスが地面に閃光玉を叩きつけた。


 眩い閃光が迷宮を白く染め、影の英雄の視界を奪う。フローレンスが滑り込むように踏み込むと、剣で足場の支柱を斬り崩した。岩盤が崩れ、アレクシオの影が一歩、沈み込むように体勢を乱す。


 その一瞬――


「今しかないッ!」


 一行は扉へと突進した。背後からは、メイズシャドーの気配が怒気とともに追いかけてくる。踏み潰すような重圧がすぐそこまで迫っていた。


「見えた!魔法陣ッ!」


 マリーを先頭に、一行は魔法陣へ駆け込む。


 だが、あと数歩というところで黒き影が迫る。その斧が振りかぶられ、ジャンに向けて落ちてくる。


「あなたの話を聞くたびに……俺はずっと、憧れてた!」


 ジャンが叫び、全身で斧を受け止めた。


 《ガンッ!!》


 空間が軋むほどの衝撃。だが、ジャンは折れていなかった。


「でも……今は!仲間を守るために、俺はあんたに勝たなくていいッ!」


 影の攻撃を一瞬だけ止めたその隙に、全員が転移陣へと駆け込んだ。 


 白光に包まれ、視界が反転する。


 次の瞬間、一行は奈落の淵へ転移していた。


 倒れこむように地に着く全員。迷宮の気配は、すでになくなっていた。誰もが息を詰めたまま、その場にしばらく倒れ込んでいた。


「……生きて……るのか……」


 ジャンが、かすれた声で言った。クロスが口の端を吊り上げる。


「当然だ。……ここで死ぬわけには、いかないからな」 


 かくしてクロス達一行は、第三層を踏破することに成功した。

ボスモンスター紹介 No.3

【メイズシャドー】

かつて奈落第三層の踏破者が記録した、“遭遇してはならない魔物”。

メイズシャドーは、迷宮に侵入した者の存在を察知すると、それまでに《自らが戦った最強の冒険者》の姿と戦闘技術を完全に模倣した「影」となって現れる。

この影は外見だけでなく、戦闘スタイル、思考傾向、さらには戦意や気迫までもを再現するという報告がある。その能力から、ボスとしての討伐は極めて困難。

過去、メイズシャドーに遭遇したほとんどのパーティは、撤退あるいは壊滅している。

戦闘記録の多くは存在せず、複雑な迷宮構造を用いた非戦ルートによって層を突破した例が、ギルドにおける正規記録とされている。

なお、影の元となった実在の英雄や伝説級冒険者の情報が欠落していることから、メイズシャドーは奈落の深層に通じる観測機構の一部である可能性も指摘されている。

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