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奈落の果ての冒険譚  作者: 黒瀬雷牙
第三章 奈落の大迷宮編

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誰かの背中を預かるということ

 薄明かりの中、五つの足音が、ひたひたと響いていた。


 ここは第三層、《迷宮エリア》。

 構造は無数の分岐と罠、そして視覚を狂わせる瘴気の霧で覆われている。

 視界が狭まり、音は吸い込まれるように消える。沈黙が、五人を包む。


 マリーは先頭を歩きながら、ゆっくりと祈りを唱えた。淡い金色の光が彼女の足元に灯り、罠を感知する魔法陣が浮かび上がる。

 メイスを構えた腕はまっすぐだが、その額には小さな汗が滲んでいた。


「……ここの罠、以前来た時よりも数が増えとる。誰かが仕掛け直したわけじゃなさそうやけど……自然増殖、ってやつ?」


「それは充分、ありえる」


 エリスが呟いた。彼女は後方で地図と手記を照らし合わせながら、周囲の霧を分析している。


「迷宮が生きてるって説がある。内部構造そのものが、意志を持って変化していると考える方が自然」


 クロスが肩越しに振り返った。


「つまり、こっちの動きに対抗してきてるってことか?」


「ええ。前回は退いて正解だったかもね。私たちのことを、ちゃんと見てる気がするから」


 その言葉に、フローレンスの眉がわずかに動く。


「見られてる…か。嫌な感じですね。影の中に目があるみたい」


 ジャンは皆のやりとりを聞きながら、最後尾で周囲を警戒していた。彼の斧は、かつてよりも静かに構えられている。だが今は、ジャンの内面よりも、他の四人の顔がよく見えていた。


 仲間たちが歩を進める背中。エリスは情報を探り、マリーは罠に備え、フローレンスとクロスは最前線を守っている。


 (……そうだ。俺は、みんなと一緒にいる)


 彼は一人で走らず、焦らず、歩幅を仲間たちと揃えた。


 そのとき――空気が凍りついた。


「止まって!」


 フローレンスの鋭い声に、全員が即座に身構える。


 通路の先。霧が収束し、闇の塊が地を這うように出現する。


 ねじれた獣の影。異形の四肢。

 そして、その中心で脈動する、瘴気の核。


「……レコルダン」


 エリスが低く呟いた。


 マリーが息をのむ。


「前に、一撃も入れられんかったやつや……」


 瘴気を振りまきながら、影の獣は蠢く。まるで彼らを嘲笑うかのように、足元から黒い触腕を延ばしてくる。


 だが今回は、誰も退かない。クロスが剣を抜き、フローレンスが剣先を下げて重心を落とす。


「同じ手は食わない…引かずに、やるぞ」


「全員で、だな」


 ジャンも頷いた。斧を静かに構え直す。


 その瞬間、レコルダンの目が赤黒く輝いた。


 レコルダンの咆哮が迷宮を揺らす。


 黒き霧が膨れ上がり、通路という通路を塞ぐように触腕がのたうち回る。瘴気の渦。その中心で、レコルダンは明確な意思を宿していた。まるでクロス達を試しているかのように… 


 「距離を取って!」


 フローレンスが叫ぶや否や、彼女は身を翻しながら斬撃を叩き込む。だが、触腕は霧のように形を変え、剣をすり抜ける。


 「物理が効きにくい……!」


 「後退!私が瘴気を切る…ウィンドスラッシュ!」


 風の斬撃が瘴気に染まる触腕を吹き飛ばした。


「エリス、ナイスだ!」


「今のうちに!クロス、左から行くよ!」


 フローレンスとクロスが一瞬の隙を突いて斬りかかる。鋼の刃が深々とレコルダンの体躯を裂く……はずだった。


 「ちっ……弾かれた!?」


 触れた瞬間、金属が鳴いた。肉ではない。レコルダンの身体は影を重ねた殻のように、堅牢な結界で覆われていた。


 「やはり……この核、瘴気を媒介に自己強化してるわね!」


 エリスが奥から声を張る。魔導計測器の針が狂ったように回っていた。


 「瘴気を吸って、どんどん再生してる!長引くほど、こっちが不利よ!」


 「となると……核を断ち切るしかないってことか」


 ジャンは斧を握り直した。


 仲間たちは皆、ベストを尽くしている。マリーの祈りは結界を支え、クロスとフローレンスが前線を保ち、エリスが道を切り開く。


 だが、その核へ至る道だけは、まだ誰も開けていない。


「……俺が、行く」


 ジャンが一歩、前に出た。


「ジャンさん?」


「瘴気の核を断つには、真正面から斬り込むしかない。それなら、俺の出番だ」


 マリーが手を伸ばす。


「でも、無茶や!あんたの斧、あの殻には……」


 ジャンは静かに笑った。


「やってみなきゃ、分からないだろ?」


 レコルダンが咆哮を放つ。黒い触腕が迫る。


 ジャンはそれを見据え、斧を構えた。


 ……だが、その瞬間――


 彼の脳裏に、静かな記憶の声が、蘇る。


ーーーー


「お前に、この技を教える日が来るとはな……」


 祖父・エルドの声。木漏れ日の差す縁側、鍛錬のあと、彼は静かにジャンの斧を手に取っていた。


覇刃(はじん)……俺の唯一の奥義だ。斧の重さを殺さず、斬撃へ変える。強さじゃなく、覚悟で振るう刃だ」


「覚悟、で?」


「そうだ。これは、誰かを守ると決めた時にしか撃てない。自分のためには使えない技なんだ。……だからこそ、俺は使うたびに斧使いでよかったと…この技を編み出した、アレクシオ様を目指して良かったと思えた」


 エルドの瞳は、どこか遠くを見つめていた。


「いつか、お前にもそんな時が来るかもしれん。そしたら、迷うな。誰かを守りたいと願ったその想いを、そのまま刃に乗せろ。それが、お前の覇刃になる」


ーーーー


「……じいちゃん」


 ジャンの目に、熱が宿る。


 自分の力じゃ足りない。けれど、仲間たちがいる。彼らのために、自分が踏み込む意味がある。


 ならば――

 

 ジャンが駆けた。


 瘴気が彼を喰らおうと蠢く。だが、斧が光を纏いはじめる。マリーが祈りを強め、エリスが魔法で空間を押し広げる。クロスとフローレンスが左右から敵の動きを止める。


 そのすべてが、ジャンの一撃へと収束する。


 


「覇刃ッ!!」


 


 渾身の一閃。


 斧の軌道は、迷いなく一直線に、レコルダンの核を貫いた。黒き瘴気が、逆巻くように砕ける。影の殻が割れ、内なる光が砕け散るように消滅する。


 レコルダンは、叫ぶ間もなく崩れ落ちた。


 静寂が、迷宮に戻る。


 ジャンは、崩れ落ちた膝を支えながら立ち上がる。


 仲間たちが駆け寄ってくる。


 「……やった……!」


 マリーの声に、クロスがうなずいた。


「今の一撃……やべぇな。必殺技だったぞ」


 エリスが囁くように言った。


「覇刃…記録書に残る、アルバトロス家の真の奥義」


 ジャンは一言、静かに呟いた。


「……ありがとう、じいちゃん」

 

 迷宮の闇の奥。そこには、まだ未踏の影が広がっている。だが、いま彼らは五人で立っていた。


 誰かの背中を預け、預けられる仲間として。

キャラクター紹介 No.22

【ギルバート=アルバトロス】

ジャンの父にして、かつて怪力無双と恐れられた冒険者。巨人族すら振るえぬ大斧を使いこなし、純粋な膂力と技で数々の魔物を屠ってきた。

奈落深層では怒りのアンガレドと拳でぶつかり合い、最期は戦死。その死はギルド内でも語り草となっている。

ジャンが父を知ったのは、祖父エルドと母の語る断片だけ。だが、その覚悟と戦い方は、今もジャンの中に息づいている。

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