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奈落の果ての冒険譚  作者: 黒瀬雷牙
第三章 奈落の大迷宮編

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命を賭けられる願い

奈落穿ちの《レコルダン》遭遇から二日後。

クロスは自室の窓辺に立ち、剣の手入れをしながら、静かに深呼吸をしていた。昨日、ジャンの母から「打撲と骨のひび、命に別状なし」と報せがあったが、完治にはしばらくかかるという。


「……無茶しやがって」


 ふと、指が止まる。あの金色の眼、無音で迫る気配。全身を刺すような恐怖。


 レコルダンはただの獣ではなかった。


 翌朝、クロスはフローレンス、マリー、エリスと合流し、再び第三層へ挑むべく集合した。ジャンの姿は、当然ながら、ない。


「ジャンさん抜きで行くとか……やっぱり不安やわ。前線では壁にも火力にもなってくれてたし」


 マリーが沈んだ声で呟く。


 フローレンスはいつも通り無言だったが、腰に差した剣の柄を握る手に、わずかに力がこもっている。


 クロスは頷いた。


「でも、今は立ち止まれない。ジャンがいない分、俺たちがしっかり前に出ないと。情報と素材の回収が目的だ、深追いはしない」


「戦闘継続時間も抑えましょう。今回はあくまで探り。本格攻略は、ジャンの復帰を待ってから」


 エリスの冷静な指摘に、三人は小さく頷き合う。


 聖なる魔法陣を思い浮かべて、四人の姿が奈落へ消える。


【奈落 第三層 迷宮エリア】


  探索再開からわずか一時間。迷宮の空気は、先日よりも濃密で重かった。構造変化によって、通路のいくつかは塞がれ、別の道が開いていた。


「くっ……雑魚モンスターの密度、高なってへん……? どんだけおるの……!」


 マリーが汗を拭いながら、治癒魔法を何度も使う。だが、その手からすぐさまメイスが振るわれ、目前のモンスターを打ち払う。


 その一撃には、明確な「重さ」があった。彼女のメイスは、ただ振るわれるだけでなく、敵の動きを読み、支援と攻撃の両立を意識した間合いを保っている。明らかに、後方に下がっているだけではなく、クロスやフローレンスのすぐ近くで戦線を維持していた。


 クロスは前衛を維持しつつ、常に視界の端でフローレンスとマリーを気にしていた。


 フローレンスは、いつもより動きが速く、強い。一撃一撃が深く重く、剣筋に迷いがない。だが、明らかに無理をしていた。


 背後でエリスが詠唱する支援魔法が、ぎりぎりのタイミングで交差する。


「交代しろ、前線を任せきりにするな!」


 クロスが叫ぶが、フローレンスは首を横に振った。


「問題ありません。ジャンの分、私が前に出るだけ」


「それで自分が潰れたら、意味がないんだよ!」


 剣と剣が重なり、魔獣の甲殻が砕ける。


 そのすぐ横で、マリーが倒れかけたクロスをかばうように、メイスを横薙ぎに振るう。鈍い音を立てて、迫っていた敵の側頭部を砕いた。


「……さっきのは、ちょっと冷や汗もんやったで? 次はうちが押さえる!」


 そう言ってマリーは、負傷したクロスの腕に短く治癒魔法をかけると、すぐさま敵に向き直った。攻撃と回復の連携。その切り替えは、もはや戦線の一部を預かる覚悟そのものだった。しかし、それからしばらくして…


「……やっぱ、ダメやな」


 マリーが小さく呟く。


「ジャンさんが戦線にいるだけで、こんなに負担が違うんや……今さらやけど、ほんま、うちらの中軸やったんやなぁ」


 クロスは、少しだけ笑った。


「ま、あいつが戻ったら調子に乗るだろうな。俺がいねぇとダメだろ?って」


「……その通りだから、否定できないのが悔しい」


 エリスがぼそりと呟き、三人は苦笑する。


「今日は、ここまでにしよう。中継地点のマークもしたし、素材も確保できた。撤収しよう」


「異議なし」


【サンライズシティ 夕暮れ】


 転移から戻った四人は、短く言葉を交わし、それぞれの自宅へと散っていった。


 クロスは帰宅後、静かに机の上の古い地図を広げる。奈落第三層の写し。未知の空間が、まだ数多く残されていた。


 歯を食いしばりながら、クロスは小さく呟いた。


「……もう一度、全員で挑もう。絶対に」


【サンライズシティ ジャンの自宅】


 窓から差し込む夕陽が、静かな室内を照らしていた。


 ジャンは椅子に深く腰掛け、腕に巻かれた包帯を見下ろしていた。痛みはまだ鈍く残っている。だが、それ以上に心を締め付けていたのは、隣室から聞こえてくる、かすかな呼吸音だった。


 妹、マロン。小さな咳き込みと、微かに漏れるうめき声。昼夜問わず、彼女の容体は悪化していた。


「くそっ……」


 ジャンは立ち上がり、壁に掛けた武具に手を伸ばした。まだ万全じゃない。分かっている。


「……待ってる暇なんて、ねぇんだよ」


 彼はそっと寝室の扉を開け、横たわるマロンに目をやる。細くなった腕、やせ細った頬、額には汗。


 それでも、彼が覗き込むとマロンはわずかに目を開け、微笑んだ。


「兄貴……帰ってきて、くれたんだ……」


「ああ……ちょっとな」


「また……奈落に行くの?」


 言葉が詰まりそうになる。


「……ああ。でも、今度はちゃんと……」


 口から出たのは、嘘だった。


 ジャンは1人、斧を担いで冒険者ギルドへと向かう。一刻も早く、百薬の水を手に入れなければ、危険な冒険を始めた意味も、仕事を辞めた意味もない。


「君は…ジャン?…その怪我で、どこに行くつもりだ?」


 振り返ると、そこにはアルガードの姿があった。


「……あんたかよ。関係ねぇだろ。放っとけ」


 ジャンは乱暴に装備袋を肩にかける。だがアルガードは一歩も引かず、真っ直ぐに彼を見つめた。


「手負いのお前が奈落に行くってのは、自殺行為だ。止める」


「っざけんなよ! 俺が行かなきゃ、誰が……っ!」


 怒鳴りかけた声が、震える。


「……妹が……マロンが、もう時間ねぇかもしれねぇんだよ……!」


 その言葉に、アルガードの表情が変わった。ジャンは拳を握りしめた。


「医者も薬師も、もうお手上げだってさ。だけど……奈落で見つかることのあると言われてる、百薬の水なら、助かる可能性があるって聞いた……」


「……だから、お前は行くつもりだったのか」


「……俺が動かなきゃ……あいつ、もう助からねぇかもしれねぇんだ……」


 ジャンの叫びに、アルガードはしばらく沈黙した。


 そして、静かに言った。


「……分かった。俺が行く」


「……は?」


「俺が行く。お前は、妹のそばにいてやれ」


 ジャンは目を見開いた。


「いずれにせよ、いまから君がどれだけの快進撃を見せたとしても、百薬の水が手に入ると言われる第八層には数年かかる。だから俺がいく」


 そう言い切るアルガードの声に、嘘はなかった。


「時間は三日。できれば二日。命を繋ぐために、俺がやる」


 ジャンは息を詰めたまま、その場に立ち尽くしたそして、唇を噛んでうなずいた。


「……すまねぇ、頼む……マロンを……」


「任せろ」


 アルガードはそれだけ告げると、振り返り、静かに冒険者ギルドを出た。


 まるで迷いのない足取りで、冒険者ギルドへと向かう。

 その背に、ジャンはぽつりと呟いた。


「……ありがと、アルガードさん。……ほんと、頼んだぜ」


 その頬には一筋の涙が流れていた。

キャラクター紹介 No.19

【マロン=アルバトロス】

ジャンの妹。年齢は十四。

長く病床に伏しているが、弱音を吐くことはほとんどなく、兄の前ではいつも微笑みを浮かべている。痩せた身体に儚げな印象を与えるが、その芯には、兄譲りの頑固さと誇り高さが宿っている。

ジャンが奈落へ挑む理由の一つであり、同時に、彼の人間らしさを最も強く引き出す存在でもある。

マロンのために命を賭けるジャンの行動が、アルガードの心に火を灯したように、彼女の存在は物語全体にも静かに、だが深く影響を与えていく。

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