面影
【サンライズシティ】
陽光が照りつける石畳の道を、一人の剣士が静かに歩いていた。
背には2本の長刀、影のように沈んだ眼差し。奈落第十層での惨劇から十八年。ようやくこの地へ、かつての友の元へと辿り着いた。
(……遅くなって、すまない)
目的地は一つ。かつての戦友ジーク・ユグフォルティスの家。そして、彼の残した家族と向き合うために。
扉を叩くと、しばらくして扉がゆっくりと開いた。現れたのは、時の流れを感じさせながらも芯の強さを感じさせる女性だった。
「……あなたは、もしかして……」
「ジーナ。久しぶりだな」
その名を呼ばれ、女性の目に微かな震えが走る。
「ムラサメさん……無事だったんですね……」
ジーナの声が震える。ムラサメは軽く頷いた。
「ジークと……グロリアに、挨拶をさせてくれ」
ジーナは静かに頷き、奥の部屋へ案内する。
そこには二つの遺影が並んでいた。
片方には、かつて共に剣を交えたジーク・ユグフォルティスの笑顔。
もう片方には、あのとき最期まで仲間のために魔力を振り絞っていた、氷の魔導士グロリアの凛とした横顔。
ムラサメは静かに跪き、黙礼した。
そのまま、長く目を閉じる。
(……ジーク。約束は、果たしに来た。お前の言葉……俺は、忘れちゃいなかった)
(グロリア……最後まで、俺はお前がどうなったのか、知らなかった。……すまなかった)
あの戦いが、脳裏を過る。
ーーーー
【奈落 第十層 神殿エリア】
別名、奈落の底。ジークのパーティは、冒険者史上初めて底に辿り着いた。しかし、そこに待ち受けていたのは、人智を遥かに超えた化け物達だった。
「ムラサメ!コイツらの存在をギルドに伝えろ!」
「バカな、俺も戦う!」
「他人の心配をしてる場合かな? 不倶戴天拳!」
紫の憎悪が爆発し、ジークが血を吐く。
仲間たちは次々と倒れていく――アシュリー、ギルバート、グロリア、ヴァンガード…
「はやく……いけ……ムラサメ……」
「くっ!」
逃げることしか、できなかった。
(生き残ったのが……俺一人だったことが、いちばんの罰かもしれん)
ーーーー
ふと気配を感じ、ムラサメが後ろを振り返る。そこには、一人の青年が立っていた。
クロス。ジークとグロリアの息子。かつて、2歳の幼子だった少年。だが今、その眼差しにはジーク譲りの強さがあった。
「……君が、クロスか」
ムラサメは低く言った。
クロスは戸惑いながらも頷く。
「はい。……あなたは、父を……?」
「ああ。ジークは、俺の親友だった。……グロリアとは、十八年ぶりになる」
クロスの表情に、複雑な陰が差す。
「……父も、母も、どうして死んだのか、詳しくは知らなかった。ギルドも、その時の記録は……消えていて」
ムラサメは一瞬だけ瞳を伏せたが、やがて、まっすぐにクロスを見据えた。
「……ジークを殺したのは、奈落六大将《憎しみのヘティリド》だ」
空気が凍りついた。
「……なに……?」
クロスの拳が、震え始める。
「母は……母は?」
「……わからん。だが、グロリアも最後まで戦っていた。……そのとき、俺はすでに魔法陣へ向かっていた。……すまない」
その謝罪に、ジーナがそっと口を開いた。
「あなたが逃げてくれたからこそ、あの情報がギルドに伝わった。ジークも、そうしてほしかったはずよ」
ムラサメは頷く。
そして、クロスの方を向き直った。
「俺は、奈落六大将を討つために来た。……ジークたちの仇を取るために」
クロスの目が、静かに燃えた。
「だったら俺も行きます。父と母の仇を――」
「……今の君では、届かない」
ムラサメの言葉は鋭かった。だが、それは突き放すのではなく、見極めた者の厳しさだった。
「まずは、自分の剣を磨け。ジークのように。……グロリアのように。でなければ、お前も……奈落に呑まれる」
「…………」
クロスは、何も言い返さなかった。ただ、その瞳に宿る炎が、ほんの少しだけ強く燃えた。
ムラサメは立ち上がり、二つの遺影に再び目をやる。
「ジーク……グロリア……俺は行く。今度こそ、終わらせに」
そして、静かに家を後にした。
面影と決意だけを残して。
クロスの家を出たムラサメは、冒険者ギルドへ向かう。
「少し変わったが、あの頃の名残があるな…」
ムラサメは懐かしさを感じながら街を歩き、やがて冒険者ギルドに到着する。
【サンライズシティ 冒険者ギルド】
ギルドの扉を開くと、昼下がりの喧騒がふわりと漏れ出た。多くの冒険者が集い、依頼掲示板の前で口論し、受付カウンターには次々と依頼処理の列ができている。
ムラサメはその喧騒に惑わされることなく、黙ってカウンターへと歩を進めた。
「いらっしゃいませ! 本日はどのようなご用件で――」
受付嬢の少女は、ぱっと笑顔を浮かべて対応する。年の頃は二十前後だろうか。明るく整った金髪をポニーテールにまとめ、制服の上から白いスカーフを巻いている。
だが、ムラサメの風貌を見た瞬間、言葉を止めた。
背に二本の長刀、黒い旅装、年齢不詳の静けさを纏ったその男は、ただ者ではない雰囲気を放っていた。
「あの……ご登録は、ございますか?」
「ああ」
ムラサメは懐から、深い色味の古びたギルドカードを取り出して差し出す。
「確認しますね……ええと、え?」
彼女の指がぴたりと止まる。
「……失礼ですが、お名前は……ム、ムラサメ、さん……で、間違いないですか?」
「ああ」
受付嬢の目が大きく見開かれる。
「え、えぇえ!? ムラサメさんって、あの……“伝説の第十層到達者”の!? 十八年前に記録が途絶えて……てっきり……!」
周囲の冒険者たちがその言葉にざわつく。
「ムラサメ……? あの……ジークたちと一緒に第十層まで行ったって……!?」
「うっそだろ……生きてたのかよ……」
ざわめきが広がる中、ムラサメは表情を変えず、静かにカードを受け取る。
「案内を頼む。奈落への潜行手続きを。……階層は、第八層以上だ」
「は、はいっ!」
受付嬢は慌てて書類を記入しながら、震えるように尋ねた。
「あのっ……失礼ですが……十八年ぶりに、どうして……?」
ムラサメは一瞬、目を伏せ――そして答えた。
「……仇を討ちに来た。ジークと、グロリア…ギルバート、ヴァンガード…そしてアシュリーのな」
受付嬢は言葉を失った。
「それと……今の奈落の構造や、六大将の動向。分かる範囲で教えてくれ。情報屋に回す分も構わん」
「承知しました……! え、えっと……あの、こちらの資料室で――」
彼女は慌てて席を立ち、ムラサメを奥の情報閲覧室へと案内する。
道中、何人かのベテラン冒険者たちが敬意と畏怖を込めてムラサメを見送る。その姿は、過去の英雄がふたたび“奈落”へと足を踏み入れる、その瞬間を見ているようだった。
(時代は変わった。だが、奈落は……まだ終わっていない)
ムラサメの視線は、静かに、しかし鋭く深淵を見据えていた。
十八年前の因縁。そして、六大将との最終決戦。その火蓋が、ふたたび切って落とされようとしていた。
キャラクター紹介 No.17
【ジーク=ユグフォルティス】
かつて王国にその名を轟かせた、歴戦の冒険者。
冷静沈着にして理知的。戦場では常に最前線で状況を把握し、パーティを的確に導く司令塔だった。
書物と魔道にも精通し、剣術と知識を融合させた独自の戦闘スタイルを確立。
「博識の冒険者」と呼ばれたのは、敵の特性や構造を瞬時に見抜く洞察力と、それを実行に移す冷徹な胆力によるものだ。
マギア家出身のグロリアを妻に持ち、一人息子・クロスに恵まれる。
戦いの中でも常に家族を想い、仲間を庇いながら、自らの命を懸けてムラサメに“未来”を託した。
そして――
親友に託したその未来は、今、成長した最愛の息子の手に届こうとしている。




