七芒星(セブンスター)
宵闇が《オアシスの街》を包みはじめ、涼やかな夜風が砂と香草の匂いを運んでいた。
《アニサレストラン》の軒先では、営業を終えた料理人と冒険者たちが、穏やかな時を過ごしていた。
「……まさかほんまに、あんなに美味しいとは思わへんかったです…!」
マリーが腹をさすりながら、至福のため息を吐く。ジャンは無言で剣の手入れを続け、エリスは警戒を解かず、街路を見回していた。
厨房から現れたアニサが、クロスの前に椅子を引いて腰を下ろす。
「いやぁ、いい素材だったよ。奈落バイソンって、あんなにジューシーで繊細なんだね……!」
――その時だった。
ズドォォォンッ!!!
店の裏口が爆風とともに吹き飛んだ。
砂と火花が舞い、厨房の皿が棚ごと崩れる。アニサがとっさにクロスを庇い、二人は床に伏せた。
「くっ、なに……!?」
「エリス、敵か!?」
「……来た……最低でも三、いや――!」
エリスの言葉が止まる。煙の中から現れたのは、焼け焦げた革鎧を纏った屈強な男――ただ一人だった。
火薬の匂い、そして……圧倒的な殺気。肩に刻まれた七芒星の刺繍。
「やれやれ……先に動いたのは、俺たちだと思ったんだがな」
背に担いだ巨ハンマーを床に引きずりながら、ゆっくりと歩を進める。
まるで、逃げる隙を与える気など微塵もない。
「お前は……何者だ……?」
「ブラッドムーン盗賊団・オルテガ。元騎士団第三席。いまは“騎士狩り”の名で通っている」
その名を聞いて、エリスの目が鋭くなる。
「オルテガ……まさか、裏で奈落の秘宝を流していたという……!」
「知ってるのか?!」
「アルガードさんと同じ騎士…それも、歴史に名を残すはずだった男よ…」
「理想は裏切られた。だから現実を砕く。それだけの話だ」
オルテガのハンマーが炎を纏い、唸りを上げた。
「爆炎崩砕!」
その一撃が床を叩くと同時に、炎の奔流が爆ぜた!
「があっ――!」
クロスが剣ごと吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。剣は砕け、鎧の下から血が滲む。
「クロス!! クソッ……!」
ジャンが斬りかかるが、火煙の中から伸びた柄が一閃し、彼の腹を穿った。
「が……あ……!」
エリスが風魔法を放ち、砂煙で視界を奪う。
「っく……ウィンド!」
が、赤く光る眼が煙の奥に浮かび上がった。
「無駄だ。戦場を知らぬ者が、小手先の魔法で生き延びられると思うな」
地が爆ぜ、エリスの足場が崩れる。
マリーが盾となってアニサの前に立ちふさがるが、その手の杖は震えていた。
「これが現実だ。王も、理想も、守護も……脆く儚い」
オルテガが巨大なハンマーを振りかぶった、その時――
ズガァァァンッ!!!
雷鳴が夜を裂き、天井が砕け散った。
「そこまでだ」
銀の鎧に雷を纏い、長槍と巨盾を構えた騎士が天井から舞い降りた。
「……アルガード……さん!?」
ジャンが呟くその名は、雷槍の騎士。王国最強と謳われた男。
「雷撃刺突!」
雷光が閃き、放たれた槍がハンマーの軌道を打ち砕く。火花が弾け、爆風が周囲を吹き飛ばす。
「久しいな、オルテガ。……いや、騎士狩りと呼ぶべきか」
「貴様が来たか、アルガード……都合がいい。ここで叩き潰せば、最強の肩書も奪える」
互いに一歩、また一歩と間合いを詰める。
「第二層の調査中だったが……耳障りな爆音がしたのでな。ヒルダを向かわせたが、どうやら下っ端は片付いたようだ」
「……あの女も来てたか。ふん、やるな」
「だが貴様だけは、俺が相手をする。同じ騎士だったものとして、この手で責任を取らせてもらう」
「理想にすがるか、アルガード。……哀れだな」
「いいや。俺は信じている。人が誇りを持つ限り、理想は生きる」
雷と炎。剣戟の音。空気が裂けるような緊張。
クロスたちは、焼け焦げた床に伏せながら、その背中を見ていた。
立ち塞がる銀の巨体。炸裂する火炎を、雷の盾で受け止める。
「……あれが……英雄ってやつかよ……」
ジャンが呻くように呟いた。
「……うちら、ぜんっぜん、歯ぁ立たんかったのになぁ……」
マリーの手は震えていた。だが、それは恐怖ではない。憧れ。あの背に追いつきたいという、冒険者としての渇望だった。
数合の打ち合いの末、オルテガは舌打ちしながら距離を取った。
「面白くなってきたな……過去も未来も、その盾ごと砕いてやる」
火薬玉を叩きつける。爆煙の中、オルテガの姿は闇へと消えた。
煙が晴れると、焦げた床の中央に立つ一人の男がいた。雷光の余韻を纏う騎士が、振り返りながら言う。
「大丈夫か。……もう無理をするな」
その声は、まるで雷の後に降る静かな雨のように――温かく、力強かった。
…………
爆煙の消えた《アニサレストラン》には、焦げた空気と静寂が残っていた。クロスたちは応急手当を受けながら、テーブルを囲んでいた。そこにはアルガードの姿もあった。
「……助けていただき、ありがとうございました……」
マリーが深く頭を下げた。だがアルガードは、それを制すように手を挙げた。
「礼はいい。それより……よく、生き延びた。奴の相手をして、生きているだけでも十分な成果だ」
その言葉に、クロスやジャンは顔を曇らせる。自分たちは何もできず、ただ一方的に叩きのめされたのだ。
だが、アルガードは冷静に続けた。
「お前たちには、知っておいてもらわねばならない。今後のためにな」
彼の瞳は、まっすぐにクロスたちを見据えていた。
「さきほどのお前たちの敵…《ブラッドムーン盗賊団》。奴らは、奈落の第四層に拠点を築いている」
「第四層!?そんな危険な場所に……」
エリスが目を見開く。
「そうだ。普通の盗賊ならば、あの環境ではまず生き残れない。だが奴らは違う。奈落の深層そのものを利用し、過酷な環境を武器にしている」
アルガードの声は低く、重かった。
「奴らの目的は明確だ。冒険者狩り。奈落に挑む者たちを襲い、装備、持ち物、時には命までも奪う。そうして奪った装備は、地下の闇市場を通じて流通し、さらなる暴利と力を生む」
クロスたちの顔が険しくなる。あまりにも非道なやり口だった。
「だが、もっと厄介なのは――奴らの中枢、七芒星の存在だ」
「七芒星……?」
「ブラッドムーン盗賊団の中でも、選ばれし幹部七人。それぞれが、異なる色の刺繍をその身に刻まれている」
アルガードは指を折りながら言った。
「金、銀、銅、白、黒、赤、青。この七つの刺繍こそが、セブンスターの証だ。今日現れた《オルテガ》、あの男の肩にあったのは銀。つまり……No.2だ」
クロスたちは息を呑んだ。
「……あれで、ナンバー2……」
ジャンが唇を噛む。
「上が、まだいるってことか……?」
「ああ。間違いなく金の刺繍を持つ者が頂点にいる。さらにその背後には、奴らの比で早い後ろ盾があるそうだ。…だが、どの星であろうと、セブンスターに勝てる冒険者は少ない。騎士団の中でも、対等に戦える者は限られている」
アルガードの言葉は重く、それ以上に現実だった。
「下っ端どもには、刺繍はない。だから刺繍の有無を見れば、すぐに判断ができる」
「もし……刺繍がある者に出会ってしまったら?」
マリーが小さく問う。その問いに、アルガードは即答した。
「逃げろ。迷うな。仲間がいても、勝算がなくてもいい。刺繍持ちと交戦するのは、命を捨てる覚悟がある時だけだ」
誰も、返す言葉が出なかった。
「勘違いするな。逃げることは敗北じゃない。生き残ることで、お前たちは選択肢を得る。次に繋げるために、時には退くことも必要なんだ」
その言葉には、長年の戦いの重みと、騎士としての誇りが込められていた。
やがて、クロスがゆっくりと口を開いた。
「……じゃあ、俺たちは……」
「お前たちは、まだ生きている。だから、成長できる。そして、いつかはお前たち自身が、誰かを守る盾になるかもしれない」
アルガードの目は優しく、だが揺るがなかった。
キャラクター紹介 No.16
【騎士狩りのオルテガ】
元はオルデイン王国騎士団の精鋭。
若きアルガードと同時期に任を務めた経歴を持つ、かつての英雄候補の一人。だがある事件をきっかけに国家への信頼を失い、奈落で消息を絶つ。
その後、第四層に拠点を置く盗賊団の幹部となる。冷徹で暴力的な現実主義者へと堕ち、奈落に挑む冒険者たちを狩る側へと転じた。
かつての王の命令で“ある禁忌の秘宝”を地上に持ち帰ったことが引き金となり、騎士団は闇取引の片棒を担ぐこととなる。
その罪を口外できず、自ら堕ちる道を選んだ。表向きは裏社会の幹部だが、どこかに正しさを捨てきれぬ一片が残っている。




