アニサ=ウィルキンス
太陽が傾きはじめた頃、俺たちは《風穴渓谷》で手に入れた奈落バイソンの肉を届けに、依頼主のもとを訪れた。
オアシス中央に建つ小さなレストラン。周囲に溶け込むような建物だが、漂う香ばしい匂いが、確かな実力を物語っている。
店の軒先には、手書きの木製看板が掲げられていた。
《アニサレストラン》――奈落の味、ここにあり。
「ここか。依頼主の店ってのは」
「わぁ……楽しみやなぁ……」
マリーの目がきらきらしている。奈落産の素材を専門に扱う料理人なんて、そうそういない。
扉を開けた瞬間、香ばしい肉の匂いが鼻を打った。
「おかえりなさい、冒険者さんたち!」
カウンターの奥で手を振る少女に、思わず目を奪われる。
鮮やかな緑のショートカット。快活な瞳と、引き締まった四肢。腰には小型の複合弓。軽やかな身のこなしと、猟師の勘が、見ただけで伝わってきた。
「君が……アニサ=ウィルキンスさん?」
「うん、サンライズシティの《アビスレストラン》の娘にして、今はここ《アニサレストラン》の店主。そして弓使いでもある、アニサだよ」
「アビスレストランの娘!?大将が心配してたぞ!」
「過保護だなぁ父さんは。まぁそんなことより…」
アニサはひょいっと身を乗り出して、クロスの手元にある包みを覗き込んだ。
「それが……奈落バイソンの肉、だね?」
「ああ。苦労はしたけど、確かに持ち帰った」
「ふふっ、ありがとう。ちゃんと調理してみせるから。ちょっと待ってて」
彼女は布包みを受け取ると、くるりと踵を返して厨房に消えた。
「……変わった子だけど、悪くはねぇな」
ジャンがぽつりと呟く。
「只者じゃないわ。動きが、普通の料理人じゃない」
エリスも鋭い視線を送る。気づいてる。あの身のこなし…戦場で鍛えられたそれだ。
そして、ほんの十五分後。
「お待たせ!」
アニサが手にした大皿を、軽やかにテーブルへ運んでくる。
「こちら、《奈落バイソンのグリルステーキ》。香草バターソースを添えてます。火入れと下処理には全力を注いだよ」
盛りつけられた肉は、香ばしく焼き上がり、溶けたバターと奈落の香草が食欲をそそる。
誰もが無言でフォークを手に取った。
……そして。
「うまぁっっっ!!!」
ジャンの叫びが静寂を破る。
「こっ、これは……! 繊維が……ほぐれて……でも噛むと旨味がじゅわって……!」
「煮込みやないのに……やられたぁ……!」
「……これは、間違いなく本物ね。魔獣肉でここまで仕上げるなんて」
全員が舌を巻いた。一口食べて確信した。これは、ただの料理じゃない。まさに、命を味わっている。
「奈落ってさ、怖い場所だよね。でも……命が溢れてる場所でもある。だから僕は、そこに惹かれるんだ」
アニサは静かに笑いながら言った。
「未知の食材がある限り、僕は弓を持って奈落に潜る。戦うためじゃない。味わうために、ね」
「……それでも、命は賭けるんだろ?」
「もちろん。でも僕は料理人だから、その命を活かす方に全力を注ぐんだ」
彼女の眼差しは、どこまでもまっすぐだった。
「今日はこれでおしまい。依頼報酬は冒険者ギルドから受け取ってね!連絡はしておいたから。肉の残りは責任持って保存処理するよ。次の料理の研究にも使わせてもらうから」
「また会えるか?」
「もちろん。また何か美味しい素材、持ってきてよ。僕、腕が鳴るから」
軽やかに笑って、アニサは厨房へと戻っていった。
彼女の姿と、料理の味は、確かにクロスたちの記憶に焼きついた。
奈落がもたらすのは、死だけじゃない。
それを越えて、生きる者の証もまた、そこにある。
【アニサレストラン・裏路地】
夜風に吹かれる路地裏。表の温かな灯りとは別世界の、静かで冷たい空気が流れていた。
その暗がりに、人影。身のこなしは異様なまでに静かで、空気さえその存在を避けるようだった。
その中の一人、銀の刺繍が肩口に走る七芒星。
「……なるほど。奈落バイソン、確かにここへ運ばれたか」
フードの下から聞こえたのは、低く、研ぎ澄まされた声。男は懐から紙片を取り出す。それは、クロスたちの似顔絵と戦闘記録が記された追跡文書。
この男は冒険者を狙う盗賊団の幹部。
「ふふふ…貴様らが今日、奈落バイソンを取って食ったように、今度は俺がお前達を食うのだ…!」
その呟きとともに、影は再び夜の帳に溶けていった。
キャラクター紹介 No.15
【アニサ=ウィルキンス】
高い運動神経と優れた弓の腕前もつ、奈落産の魔獣・植物などを料理に活かすことを信条とする料理人。
奈落へ潜る理由は「未知の食材を探すため」料理に対しては本気。命の価値を「味」で伝える。
明るく人懐っこいが、父に似て頑固な一面もあり、理不尽には決して折れない。




