オアシスの町
眩い光が収まり、クロスたちは第二層の地を踏みしめた。
風が、吹いていた。それは風と呼ぶにはあまりに荒々しく、容赦がなかった。砂を巻き上げ、音を奪い、視界を削ぎ落とす。そこにあるのは、ただ狂ったように渦巻く砂嵐。
「っぐ……こりゃひでえ天気だな……!」
ジャンが目を細めながら、呟いた。
「予想より、だいぶ……キッツいなぁ……!」
マリーの声は風にかき消され、ほとんど届かない。
クロスは地面を睨みながら、一歩ずつ足を進めていく。砂に埋もれかけた足跡は、瞬く間に風に消され、どこから来たのかも分からなくなる。
「こんな環境じゃ、地図も意味をなさないわ……!」
エリスが小さく吐き捨てる。フローレンスは無言で周囲を見渡し、すぐに手を掲げた。
「あっちの地形……風の流れが変わってる。何かある」
その言葉に、クロスは大きく頷いた。
「進むぞ。あの風の切れ目まで!」
荒れ狂う砂嵐の中を、五人は互いの手と視線で繋がりながら進んでいく。数分、いや、数十分が過ぎたようにも感じたその時――。
「……見えた!!」
ジャンが叫ぶ。砂の向こう、蜃気楼のように揺れていたそれは、水面だった。
オアシスだ。その周囲には、わずかだが人工的な建造物の影が見える。
「……人の、町だ……!」
クロスの声が震える。
砂に埋もれた異界に、確かに生きる人々の痕跡があった。
奈落第二層。異界の砂漠。
その最初の灯火が、ようやく見え始めた。
辿り着いたその町は、信じられない光景だった。
まるで、奈落じゃない。
確かに辺りは砂に覆われていた。吹き抜ける風には熱がこもり、遠くには巨大な化石のような骸が横たわっている。だが…
「……人が……ホンマに暮らしとるんやなぁ……?」
マリーがぽかんと口を開けたのも無理はなかった。
そこには、ちゃんとした石造りの家々が並び、道には水が撒かれ、砂を抑える工夫すらされていた。中央には広大なオアシス湖があり、子供たちが水遊びをし、大人たちは木陰で談笑している。
「店……?」
ジャンが呆れたように指さす先には、露店の屋台が軒を連ね、香ばしい香りを漂わせていた。焼いた肉の串、カラフルな果実、異国風の香辛料。
「奈落第二層とは思えない光景ね……まるで、別の世界だわ」
エリスも目を細めて言った。フローレンスは警戒を崩さず、町の中心に掲げられたある紋章に目を留める。
「え?あれ……冒険者ギルドの、分所?」
そう。オアシスの一角には、しっかりとした冒険者ギルドの出張所が存在していた。入口には「ギルド支部《サラティア出張所》」と刻まれた看板。中からは防具姿の冒険者が出てきて、軽くあくびをしながら宿屋に向かっていく。
「ギルド、宿屋、食堂まであるって……ここ、本当に奈落かよ」
クロスが呟いたその時、近くの宿屋から威勢のいい声が響いた。
「いらっしゃい!旅人さんかい?部屋、空いてるよ!」
陽焼けした若い女将が、手を振ってこちらを呼んでいる。その背後からは、焼きたてのパンの香りが漂ってきた。
「……生活がある。ここで、人が生きてる……」
クロスは実感とともに、強く噛みしめた。
異界の砂漠、死と隣り合わせの奈落第二層。
だがそこには、確かに人々の営みがあった。
サラティアの冒険者ギルド出張所は、オアシスの一角にひっそりと佇んでいた。石造りの壁、くすんだ布旗、そしてどこか殺風景な内装。
だが、その掲示板にびっしりと張られた依頼票こそが、この地に生きる者たちの生々しい営みの証だった。
「よし、確認してみようか。……この支部にも、俺たちが受けられる依頼はあるはずだ」
クロスがそう言って掲示板に目をやる。色とりどりの依頼票は、ギルド共通のランク帯で色分けされていた。
冒険者ギルドの依頼は、SランクからGランクまでの八段階。
そして、冒険者自身のランクは「奈落の最高到達層」によって決定される。
たとえば、奈落に挑んだばかりで、第一層にしか入っていない者は「レベル1」、Gランク依頼まで受注可能。
第二層に到達しているクロスたちは「レベル2」、Fランクまでの依頼が受けられる。
「ランク制限がある分、油断できねえってわけだな」
ジャンが顎に手を当てながら言った。
「でも、ここは第二層の支部。高くてもC止まりね」
エリスがそう付け加えた通り、このサラティア支部の依頼の大半はF〜Gランクだった。滅多に来ない高レベルの冒険者のために用意されているCランク依頼も、掲示板の片隅に数枚ある程度。
クロスはFランクの依頼群に目を移し、その中で気になる一枚を手に取った。
――――――――――
【Fランク依頼】
依頼名:奈落バイソンの肉 納品
内容:奈落第二層に生息するバイソンの肉(3kg以上)の回収と持ち込み
報酬:1200リル(+品質評価で最大3000リルまで)
依頼主:アニサ=ウィルキンス(酒場《カラクの盃》経営)
備考:焼き用・煮込み用で分けて渡してくれると嬉しいです♡
――――――――――
「……これ、良さそうだな。初手としては悪くない」
クロスが声に出すと、マリーが覗き込んで頷いた。
「依頼主さん、女の人っぽい名前やなぁ。酒場の人って書いとるし……」
「《カラクの盃》……あったな。あの、広場の角にあった焼き肉っぽい匂いの店」
フローレンスが記憶をたどるように言った。
「肉の焼き方まで指定してくるあたり、ちょいとこだわり強そうな人かもな……」
ジャンが肩をすくめると、エリスが真顔で言い添えた。
「料理人なら当然でしょ。素材の扱い次第で、報酬が変動するって意味でもある」
「この『リル』ってお金……サンライズシティのGとは違うんやなぁ〜」
マリーが素朴な疑問を口にした。
「異界の砂漠は、交易も独立してる部分が多いらしいな。オアシス圏じゃ、リルが主流みたいだ」
クロスが答えると、マリーは「なるほどやなぁ〜」
と感心したように呟いた。
「それに……このアニサって人、ただの依頼主じゃない気がする」
クロスがふと呟いたその言葉に、他の仲間たちが軽く首を傾げた。
――アニサ=ウィルキンス。
奈落の珍味を追い求め、あの有名なアビスレストランの大将の娘が、第二層に腰を据えている。
その名が、のちにクロスたちの旅路を大きく左右することを、彼らはまだ知らない。
オアシスの町・サラティアについて
奈落第二層の中心部に位置する、砂漠の中のオアシス都市、それが「サラティア」です。
過酷な砂嵐と絶え間ない危険が続くこの層において、奇跡的に水源を得たこの町は、冒険者や商人、職人、さらにはその家族や子どもたちまでもが生活を営む“人の町”として発展を遂げてまいりました。
町の一角には、冒険者ギルドの出張所《サラティア支部》が設けられており、第二層に挑む多くの冒険者たちの拠点ともなっております。
また、この地では地上の通貨「G」ではなく、独自の経済圏である「リル」が用いられており、物資や情報もサラティア独自のネットワークを通じて流通しております。
奈落に属しながら、奈落らしくない。
そんな暮らしの気配を感じられる、特異な町です。




