ep.2
マジェスティック・レガシーとはレヴィアースと名付けられた世界が舞台のオープンワールド型アクションロールプレイングゲーム──と、クレイドが手に取ったマジェスティック・レガシー究極攻略ガイドブックという本に書かれていた。
メイリルにはただの絵本にしか見えないこの分厚い本は、クレイドの認識では前世の言語で書かれたゲームの攻略本。
クレイドにはゲーム映像の画像とその説明文が事細かに書かれているように見えているが、メイリルには記号や絵にしか見えないようだ。
記憶の奥深くにうろ覚えながら読める文字。
わぁー。綺麗な絵がたくさん! 字もいっぱい!
本を開いて軽く見たクレイドは、この本の美しい絵とその内容に興味を引いた。
「メイリルお姉さま、これ読んでても良い?」
分厚い本を持ち上げようとしたが──うっ……重い……と、重くて一瞬怯んだクレイド。
子どもの力では重たくて容易に持ち上がらない本──それでも、読みたい気持ちが上回りメイリルに許可を求めた。
「もちろん。良いわ。クレイドに見せるために出したんだもの。好きなだけお読み」
珍しい絵柄の分厚いこの本は、幼いクレイドに見せるために本棚から引っ張り出してテーブルの上の目に付きやすいところにメイリルが置いたもの。
だからクレイドの目を引いてクレイドが読みたいと目を輝かせた顔を見て嬉しくなった。
メイリルの許しを得たクレイドは早速、本に没頭。
メイリルは精巧に描かれた絵本に熱中するクレイドを可愛らしく思いじっと見つめる。
私に子どもがいたらこんな子だったのかな?
お兄様とお義姉様は亡くなってしまったけれど、私がこの子の母親になっても良いのよね?
子どもに恵まれなかったメイリルは五歳になったクレイドを実の母のような気持ちで見守った。
表紙をめくったクレイドはキャラクターの美しさに目を奪われた。
主人公とヒロインと思しき二人の少女。
金髪碧眼の主人公と一人の少女。もうひとりの少女は銀色の髪に赤い瞳。
次のページを捲るとキャラクター紹介と第して主人公の少年がデカデカと掲載。
勇者・リュカ──と、そう書かれていた。
操作するメインキャラだからか説明は簡潔。
レベルごとに必要な経験値や覚える魔法とスキルが列挙され、装備できる武器と防具なども書かれていた。
カスユージアという村の出身で王国騎士団に志願するために王都に向かっているそうだ。
ステータスは万能型で突出する数値はないものの満遍なく伸びるらしい。
剣技に優れており盾を装備することができるが剣技は伸びやすく、盾術は期待するほどの伸びはない。
どうやら多くの武器種に適正があるようだが、その中でも熟練度が伸びやすいものと伸びにくいものがあるらしい。
伸びにくいものでも使い続ければ熟練度がカンストしてマスターすることはできるが、それはやりこみ要素の一つなのだと読み取れた。
クレイドは読み進め、ページを一つめくる。
謎の美少女・カルミア。
銀色の髪に真っ赤な瞳が特徴的だった。
細身で背は低く凹凸に乏しい見た目の女の子。
登場時は十六歳というのだからそんなものなんだろう。
物語の最初で仲間になるキャラクターで魔法が得意。武器は弓や杖、一部の軽量な剣と小盾を装備することができる。
スキル欄や魔法欄に列挙されているものが多く、主人公格であることが伺えた。
お勧めの育成方針なんかも詳しく載っている──と言ってもリュカに書かれているのと同じように。
なるほどなるほど──と、クレイドは次のページを捲る。
盟友、ウィリアム・フォン・テイラー。
リュカと同じ金髪碧眼で短い髪と中肉中背が特徴の重装騎士。
両手剣や両手斧を装備できるが、大盾を装備して肉壁としてパーティの防衛に徹する盾役として最も使い勝手の良いキャラクター。
彼がリュカの二人目の仲間のようだ。
次のページを捲る──。
すると、今度は先程クレイドが聞いたばかりの名前が載っていた。
奴隷少女、ベルフラウ・フォン・メルキオール。
悪辣貴族に隷属する悲劇の美少女──と大々的に書かれていた。
クレイド・スカーの奴隷であり、成人後はクレイドとの結婚を強要される絶望のヒロインとして登場。
金髪碧眼で目を瞠る美貌を持つ傾国の美少女。ワンレングスの長い髪が巨大な乳房にかかり、女性らしくくびれた腰つきから絶妙なラインを描く大きなお尻、そして、スラリと伸びる長い美脚が強調されるように描かれていた。
さきほど見たばかりのベルフラウとは全く異なる容姿である。
ベルフラウの近くに掲載されていた画像にはクレイドの姿が小さく写っていた。
ゲームの映像──クレイドは黒い髪と黒い瞳の長身巨躯の恰幅の良い恵体として描かれていて人相が悪そうに見えた。
──これが僕? 僕ってこうなるの?
あまりにも醜い姿に嫌悪感がわく。
それもそのはず。悪く言えばただのデブ。
僕の名前で黒髪に黒目って絶対に僕だよね?
僕って大きくなったらこうなるの?
どう考えてもそうとしか思えない。
強まる不快感に耐えきれず思わず本を閉じたクレイド。
その急な動作にメイリルが何を見たのかと不思議がる。
「どうしたの? クレイド」
クレイドの様子を見守っていたメイリルがクレイドの頭を優しく撫でた。
「少し怖い絵があったので思わず閉じてしまいました」
嫌悪感、不快感が入り混じり、そこに将来への不安感が注がれる。
そんなクレイドだったがメイリルの優しさと暖かさに絆されて落ち着きを取り戻すと今度は好奇心が強まった。
その好奇心は恐怖心との相乗効果でクレイドの心臓に早鐘を打たせる。
五歳の幼児は将来の自分が怖くなった。
「そう。怖い絵があったのね。ムリはしなくて良いのよ。ほら、このおねえさんに甘えなさい」
メイリルはクレイドの不安を拭い取ろうと優しく抱きしめる。
温かくてふわりとしたミルクのような甘ったるい香りがクレイドの鼻を擽った。
甘えたい気持ちにクレイドの心は傾いたが、でも──と、クレイドは再び、恐る恐る本を開く。
キャラクター紹介のページは読み飛ばして序盤の攻略ページを開いた。
冒険はリュカが王都に向かう乗り合い馬車でウトウトする映像から始まるようだ。
ストーリーの概要説明を軸にダンジョンや街の出現する魔物、ドロップアイテム、取り返しがつかない要素などの情報が寄せられている。
クレイドが気になったのは自分が登場するかもしれないこと。
ストーリー開始のページから数ページで答えは見つかった。
クレイド・スカーはマジェスティック・レガシーの中では数少ない人型の敵キャラ。
メインストーリーの序盤に挑むボスキャラの前に戦う中ボス。
本格的なバトルコンテンツの前に受けるチュートリアルみたいなものとなるため、クレイド・スカーには様々な攻撃手法が用意されていた。
剣や槍、弓による物理攻撃。
各属性の魔法攻撃。
状態異常を及ぼす魔法。
リュカは二人の仲間とともにクレイド・スカーに挑み、ここでボスキャラとの戦い方を学ぶ。
チュートリアルが完了するとリュカの手によって止めを刺されてクレイド・スカーは死亡するのだろう。
ガイドブックにはクレイド・スカーを倒したらベルフラウが奴隷から解放されて自由の身となり、リュカのパーティーに加わると書かれていた。
ベルフラウに施されたのは契約魔法で結ばれた奴隷契約。
条件が達成した場合、または、主が死亡した場合に契約魔法が解除される。
その他、双方の合意があれば奴隷商人に頼んで奴隷契約を解除することも可能。
ガイドブックでは戦闘後にベルフラウが自由となって仲間に加わった──つまり、クレイド・スカーが死んで契約が解除されたのだ。
(そっか。僕、死んじゃうんだ……怖いよ。死にたくないよ……)
それからクレイドはベルフラウのことが知りたくてガイドブックを読み進める。
ベルフラウは仲間になってからリュカのパーティーを一度も離脱せずにエンディングを迎えるキャラクター。
回復魔法を中心にパーティーをサポートする魔法やスキルに優れているらしい。
とても有能なキャラクターで最後までリュカと共に戦える強力なサポートメンバー。
ラスボスを倒したあとはリュカと結ばれてハッピーエンドを迎える。
本に描かれたリュカとベルフラウの姿はとても幸せそう。
こんなに幸せそうなら、壊しちゃいけないね。
僕と奴隷契約を結ばれてしまったけど早いうちに解除しよう。
クレイドはベルフラウの幸せを望み自ら身を引く決意をする。
それから、やっぱり、自分が死んでしまう未来を受け入れることはできなかった。
両親が殺されたその姿を見てしまったから、口や鼻から血を溢し、目は見開いていて、母親は涙を流しながら右手を真上に伸ばしたまま硬直していたその様子。
悔やんでも悔やみきれない──そんな表情のまま死んでいた。
その記憶が思い起こされてクレイドは死にたくないと強く願う。
(僕はまだ死にたくないし……まだ、死ねない)
ならばどうしたら良いか。
この本はこのゲームのストーリーの進行に沿って書かれていて世界を細部まで完全に網羅する究極攻略ガイドブック。
ネタバレには極力配慮しているようだけど、大まかなストーリーは推し量るものがあった。
メイリルには絵本にしか見えないようだから他の人から見てもきっと絵本にしか見えないだろう。
クレイドは考える。
このガイドブックを読み、どうしたら死なずに済むほどに強くなれるのか。
きっとこの本に答えがあるはず。
クレイドは一言一句、読み飛ばさないように時間をかけてこの本を理解することから始めた。
クレイドは最初に強くなることを選んだ。
ガイドブックによるとレベルと熟練度を上げることで強くなれると書いてある。
魔物を倒して経験値を得ることでレベルが上がり、戦闘でスキルを使った回数で熟練度が上がる。
ステータスは強さを数値化したものでステータス画面を開いて確認──とあるが、その肝心のステータスというものがわからない。
心の中でステータスと念じても言葉にしても、ガイドブックに描かれているようなステータス画面は開かなかった。
ガイドブックはゲームについて書かれているけど、ここは現実だからステータス画面というものがないのかもしれない。
とりあえず──。
魔物を倒しに町の外に出ることはできないからレベル上げは先送りにして熟練度とやらを上げてみよう。
その日から木剣と小盾を握ってダミー人形と呼ばれる木彫りの人形に向かって剣で攻撃し盾で打つという日課を送ることにした。
クレイド・スカーはチュートリアルな敵キャラであるからか、武器は三種使用する。
片手剣と盾、槍、弓。
これらは近距離、中距離、長距離と言った具合で三つの間合いの距離や攻撃範囲を主人公に教えるためのもの。
つまり適正がありそうだから使えるだろうという理由でクレイドはその三種の武器を扱う武芸と盾術の鍛錬を繰り返した。
次に魔法。魔法は属性ごとに熟練度が設けられていて適正がなければ魔導書を使っても覚えられない。
幸いにもクレイドはチュートリアルのためのキャラクターで、操作キャラとなるリュカたちに魔法の避け方、ダメージの軽減方法などをレクチャーするために、全属性の魔法が使えるらしい。
ガイドブックでは全登場キャラクターの中で唯一、クレイド・スカーだけが全属性魔法適正を有する希少な魔道士だと書かれていた。
リュカたちとの戦闘時、クレイドはLv3と表示されているから、もし、NPCや敵キャラにもレベルや熟練度という概念があるのなら、熟練度を上げれば強力な魔法を覚えられる──かもしれない。クレイドは期待を抱いて日頃から低レベルの魔法を使って熟練度を稼ぐことにする。
五歳のクレイドには一人でできることが限られている。
だから最初は領城の騎士たちの訓練を真似て武器を振り、魔道士たちから魔法の使い方を聞きだした。
クレイドの傍にはメイリルがほぼ四六時中と言っても過言でないほど共に過ごしていて、クレイドのそういった様子を間近で見ている。
メイリルとクレイドは同室で過ごし、寝るときも一つのベッドで抱き合って眠るほど。メイリルはクレイドを溺愛してやまないが、クレイドの努力を咎めることはしなかった。
むしろヴェルク市内の熟練者を募ってクレイドの講師を勤めさせたほど。
メイリルは過保護だがただの過保護ではなくとんでもないくらいに過剰な過保護だった。
メイリルの過保護は執務室の移動から始まる。
執務室の窓からクレイドと共に過ごす私室と中庭が見える場所に移動。
公務で外に出る時は必ずクレイドを連れて出た。
こうして超絶過保護のメイリルの甲斐甲斐しさもあり、クレイドには上質な教育が施される。
それから月日は流れ数年後──。
「ご主人様。私はクレイド様の奴隷なのにどうして何も命じられないのですか?」
中庭で剣の訓練を受けていた合間──休憩をしていたときのこと。
クレイドの奴隷となって幾年月。一向に会話どころか接点を持とうとしないクレイドにベルフラウは業を煮やしていた。
僕が死んだら嬉しいくせに面倒くさいこと言わないでほしい──クレイドは辟易しながら顔を向けることなく言葉を返す。
「ベルフラウ様が奴隷だからといってどうこうしたいという気持ちは一切ありません。奴隷って言っても僕の婚約者ということになってますから、そのうちに奴隷じゃなくなりますから」
「それはわかっております。ですが、世の奴隷というのは、ご主人様と一緒に食事をしませんし、こうして普通に会話をすることもできないのでしょう? でもご主人様は私と一緒に食事をしてくれますし、お話も聞いてくださってます。こうしてご主人様のお傍で訓練のご様子を拝見させていただいておりますし、とても奴隷とは思えない厚遇です」
ベルフラウは一年の三分の一をこのヴェルク市の領城で生活する。
クレイドの下を訪ねたときはなるべくクレイドの傍にいてクレイドの言葉をいつも待っていたベルフラウ。
クレイドはベルフラウに話しかけることはしないがベルフラウが日常の出来事や家の様子などクレイドの共感を引きたくてよく話しかけてきた。
言葉は返らなくても、こちらを見なくても、クレイドはベルフラウの言葉に耳を傾けている。
ベルフラウはクレイドが気にかけてくれているという確信があった。
日々の生活ではクレイドは叔母のメイリルと料理をしてベルフラウと彼女の三人の従者に振る舞うこと然り。
奴隷としてではなく客人として扱っていること──それも、身分を意識させないように丁寧な応対をしてくれていることから悪しからず気遣っているとベルフラウは思っていた。
国王に命じられ、クレイドとメルキオール公爵家の間で結ばれた奴隷契約。
互いに十六歳を迎えた暁には結婚することになってはいるが、この世界の究極攻略ガイドブックを手にするクレイドはベルフラウが勇者リュカのヒロインで将来の結婚相手だということを知っている。
僕は殺される──だから殺されない程度に刺激をせず、できる限り可及的速やかにベルフラウを解放して自由になりたいと考えていた。
でも、よくよく考えたらそれは難しいのかもしれないともうすぐ十歳になるクレイドは気が付き始めている。
国王の仲介の下で結ばれた契約魔法。それを反故にすることは叛意があるとみなされるかも知れない。
ならば成人となるタイミングを以てベルフラウとの合意にこぎつけよう。それからなら婚約の破棄も難しくないはず──そう考えた結果、クレイドが選んだのは可能な限り放置するという手法だった。
ところが、最近になってベルフラウはクレイドにつきまとい訓練にもついてくる始末。
契約奴隷とは言え、ベルフラウは公爵家のご令嬢。子爵家のクレイドには完全に無視をし続けることができず。貴族としての立場を刺激しない程度に気にかけてきた。
だが、この日、休憩という合間の時間にベルフラウがクレイドに詰め寄る形となった。
「それともやはり、ご主人様はお父様のことを──」
恨んでいるのか。仇を討ちたいのか。
そう聞きたいのだろうとクレイドは察した。
ベルフラウが言いかけた言葉に、クレイドは何も返さない。
クレイドは口の端を柔らかく釣り上げて踵を返した。
訓練に戻っていくクレイドの後ろ姿。ベルフラウはクレイドから目を離さない。
彼の叔母、メイリルのように。