ある村にて 7-end
インクィジター・アドルは困惑していた。
目の前で起きている現象は、大別して3つ。
カルティストに縁あるものが、黒き邪神エヌラの祝福を受けている。
村長の息子たるガスと取り巻きが撲殺されている。
そして、黒づくめの男が、潸々と泣いている。
邪神の祝福に身体を腐らせるこの男は、アドルが育ててきた人間だ。
カルティストを実の親に持つ者ではあるが、この10年、穢れの気配を感じさせた事はなかった。
ガスの死体については、黒づくめのあの男が生み出したと思って間違いないだろう。
だが。
男からは穢れが感じられない。
小屋の遥か外まで漂う、もはや結露のように物質化寸前の濃厚な穢れに満ちたこの空間に居ながら、穢れをその身から溢れさせるのは、仮初とは言え、息子であった筈の存在だけだった。
(インクィジターたるこの俺が、カルティストの芽を摘み損ねてたってのか?)
これ程の穢れを振りまくのは、並のカルティストにできる事ではない。
(どうなってやがる。あの男は先触<ハービンジャー>だったのか?この村に蒔いた種を起こしに来たのか?しかし・・・)
とるべき最適な行動を決めかねているアドルに、連絡係の男が声をかけた。
「ご指示を。」
「このまま穢れを抑えつつ、あの男と会話を試みる。一字一句逃すな。お前は必ず逃がす。何が何でもジジイの所へ持ち帰れ。」
息子だったモノの苦鳴を前に混乱はしたものの、アドルは冷静さを失うことはなかった。
(あの時死んでいた方が、マシだったくらいだな)
今しなければならないのは、この穢れの元を完全に絶つ事。
身体に溢れる神気の熱に己を奮い立たせたアドルは、聖遺物<レリック>を握る手にさらなる力を籠めた。
(さて。まずは泣き止んでもらわねぇとな。)
父親の情はないというアドルの言葉に、裏も表もなかった。
インクィジターという存在は、その肉片の一片、毛の一本に至る全てを己が信ずる神皇へと奉じている。
アドルにとって、穢れをその身に宿した存在など、この地上に一瞬たりとも存在する価値がないのはあたりまえの事だ。
一切の情を捨てるのには、穢れた事実だけで十分だった。
自ら望んで穢れたのでなくても。
(喉を焼くか)
アドルの熱き信心が、熱の形で顕現する。
熱波の放出を収束、指向性を持たせる事で、任意の一点に鉄が赤らむ程の熱を放射するのだ。
狙いを定めようと思ったその時、穢れの塊の悲鳴が止まった。
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真っ白だった視界が、落ち着いた明るさを感じる程度に暗くなると、俺の目の前には厳しい目つきをしたままのおっさん達の姿があった。
俺は、生きている?
若干見上げるような視点である事に違和感を感じ、足元を見た。
そこにあったのは足元ではなく、背中が服ごと破れ縦に裂けた、首のない俺の身体だった。
足ではなく、脊椎だけになった俺の、頭以外のすべてだった。
俺は、身体を見回す。
頭と脊椎だけになっていた。
痛みは感じない。
突然、身体の自由がきかなくなった。
すっ、と視点が持ち上がる。
くるり、と向きを変えられる。
正面には、あいつがいた。
すーっと、そいつの方へと少し進んだ後、地面に降ろされる。
脊椎だけなのに、まっすぐ立っている。
視界が急速に横に回転する。
目を回すほどの時間も立たない内に、俺は倒れた。
視界には椅子の足がぼんやり見えるだけだ。
耳もまた聴こえるようになったようだが、聴こえてくるのは男の声だけだった。
ふっ、くぅ。うっ。っぅあぁ。ひぐっ。
はぁぁあ。すんすんっ。ひぅう。
んぅう・・・
・・・・・・
・・・・
男の嗚咽が聴こえなくなった。
目が破裂しそうに痛み出した。
視界が再び白く染まる。
もう何も見えない。
何も。
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ぱぁん。
アドルは、息子だったモノの頭部が破裂する様を、ただ見ていた。
アドルは状況を整理する。
四つん這いで苦しんでいるかと思ったら、服を引き裂きながら、頭部を残して脊椎が起立した。
骨盤の前上で脊椎は千切れ浮上し、あの男の前へと降り立った。
くるくると回り始めたかと思うと、ぱたりと倒れた。
方角は、北。
(帝都の方角・・・マジか)
はっと、男を見やる。
相変わらず、泣いている。
その姿が、辺りを覆うカビのようなものに包まれる。
(ちくしょう、なんて声をかける?)
一瞬の逡巡の内に、霧のように蟠るカビがかき消えた。
残されたのは、死体、死体、死体、汚物、惨殺死体。
犯人は、アドル達にしか見えないだろう。
連絡係の男が、緊張の残る面持ちで言った。
「あの男、泣いているだけでしたね。」
「ああ。これだけのことをしでかしておいてな。だが、穢れはなかった。俺の知ってる範囲で似た事例はひとつもねぇな。」
アドルは、男を逃がした事について、まだ評価が定まっていなかった。
このインクィジターの判断基準は至って単純だった。
穢れているか、いないか。
なんなら、穢れを生まないカルト”ごっこ”には、厳しい罰を与えども殺しはしない程度に単純化した判断を下す男だった。
しかしこの異常事態を前にしては、その信念に揺らぎを覚えざるを得なかった。
「それで、この後はいかがされますか?」
連絡係の問いに、アドルは心の底から面倒くさそうな顔で答えた。
「だぁ~!もう仕方がねぇ。全部燃やして逃げるぞ。今大事なことは、穢れを呼ぶ穢れ無き男の存在、空間転移と思しき現象、そしてその方角が帝都だって事だけだ!!」
「了解です。」
「お前はジジイに報告だ。そのまま本部に留まって清めを受けろ。連絡係のポストは俺が兼任するって言っておけ。」
「はい。では、失礼します。」
「頼んだぞ。」
連絡係の男は、首に下げた握り拳の形のペンダントを口にそっと当て呟いた。
「<<神様、神様、私めを、帳の闇へ、どうか、どうか、身を隠して、どうか、どうか>>」
アドルがあきれたように言った。
「相変わらず幼稚な祝詞だな。」
「殺しますよ。」
連絡係の男が調子を変えず即答した。
アドルも即答する。
「すまん。」
「では。」
連絡係が、ペンダントを口に咥えると、その存在感は途端に希薄になる。
戸口からぬるりと、生温い風のように外へ消えていった。
(さて。そんじゃやるか。)
余所者であるアドルは、それゆえ村の外れにひっそりと住んでいた事に感謝した。
(派手にやっても、村の連中が気づく前に全部終わっちまうだろう。」
アドルはレリックの通し紐を首にかけると、両手で掬うように掲げ、額に押し付け、希った。
「<<父なる神よ!皇よ!我が魂の主人よ!聖名を呼ぶか弱き人の子に!その熱き抱擁の喜びを!お約束通り!この地に浄化を齎しまする!>>」
アドルの双眸が白く光る。
(<<アダンの火床>>)
アドルは白く燃える両手を床に叩きつけると、素早く後ろに飛び退き、小屋から出た。
白い炎が、すべてを焼き溶かし、沸かせ、霧散させるだろう。
村の連中は、何も知らなくていい。
4人ばかり消えるが、森で獣に食われるのと大差ない。
(あの男。仮にハービンジャーだったとしたら、この村に現れたのは幸いだったのかもしれねぇ。これが大きな街だったら・・・)
帝都は遥か遠く。
だがその間には大小いくつもの街があり、集落がある。
(俺の天命・・・)
アドルは帝都の方角を見つめ、しばし己自身について思い耽るのだった。