ある村にて 2
俺は思わず、食い下がるようにおっさんに言った。
「まだついていかないとも言ってないだろ。」
「ついてきたってインクィジターにはなれねぇぞ。」
「・・・・・」
「お前にはずっと、よく考えろと教えてきただろう。一時の興奮に身を任せると、落とし穴へ一直線だ。落ちたら死ぬぞ。」
掌で転がされるような展開に悔しさで喉が締まる。
俺は何とか言葉を絞りだした。
「町へ行く。」
「うん?」
「町へ行く。この家は空き家にする。おっさんには最初に寄る町までついていく。」
「ふうん。まあいいだろう。」
おっさんはニヤついた顔で鼻で笑い、改めて告げた。
「じゃあ4日後だ。ガスに見つかりたくないだろう、村長には俺から話しておいてやる。お前は明日にでも肉屋に話しておけ。当日は狩りの準備と同じで良いが、服は全部持ってこい。干し肉は準備してあるから、後は教えながらやるとするか。」
「わかった。」
おっさんは、もう夜になるというのに出かけるというので、一人で飯を済ませ寝床に潜った。
これからの事を考えると興奮して、しばらく眠れなかった。
翌日、肉屋へ行くと知らない男の後ろ姿があった。
そいつと話す店主は、露骨に嫌そうな顔をしている。
無理もないなと思った。
変わった服装という訳ではないが、上から下まで真っ黒で不吉だった。
髪は額からてっぺんまで禿げ上がり、伸ばしっぱなしで脂とホコリに塗れて、朽ちるのを待つ黒山羊の死体を思わせる。
髭も伸ばしっぱなしで、まるで黒いドワーフのようだった。
余所者であるおっさんに育てられた俺の感性からすれば、ここの村人も清潔感なんて持ち合わせていないのだが、そんな連中からも眉を顰められるには十分に見苦しかった。
普段なら即、追い返されているであろうが、交渉が続いている。
理由はそいつの持ち込んだ獲物にあった。
立派なツノを持つ牡鹿だ。
そのツノは、飾りに、ナイフの柄に、薬の材料にもできる。
村の現金収入源として、これほど頼もしいものはなかった。
大方、男がそんな貴重なツノを持って帰ると言っているんだろう。
気になって近づきすぎていた俺に気づいた店主は、苛立ちを隠さず俺に呼びかけた。
「おい、コイツ何なんだ?狩人みたいだが知ってるか?」
「知らないです。揉めてるんですか?」
「ツノを置いていけって頼んでるだけだ。そしたら代わりに、しばらく村にいさせてくれときやがった。」
「はあ。」
店主はそいつに少し待つように言ってから、そいつを視界に入れたまま距離を取って小声で話しかけてきた。
「今、村長からな、換金に使えるものをなるべく集めろって話が来てるんだ。だから逃したくないんだが、こんな奴と一緒のところを見られたら、村の連中に何言われるか分かったもんじゃない。」
「そうですね。」
「そうですね、じゃない。ツノを条件に、お前がそいつをお前の家に住まわせろっていってるんだ。それで、あとでツノを俺によこせ。」
「・・・・・」
こういう扱いは頻繁にあるわけじゃないが、昔から何かあると体よく使われる。
いかに身体が大きかろうが、立場が弱いというのはこういう事だと思い知らされる。
だが、これはさすがに俺にはどうしようもないだろう。荷が重すぎる。
店主は、俺が黙り込んだ事にイラついたようで、睨むように目を眇め念を押す。
「わかったか?お前の所の余所者と、余所者同士でなんとかさせろ。」
最初の命令の時点で既に、むかむかと胃の中で泥が泡立つような感覚が不快で、顔に力が入っているのが自分でもよく分かった。
が、もう村を出るのだからどうでもいいじゃないかと気づくと、心地よさとともにスッと力みが抜けていった。
俺は、従順な顔を心がけながら答えた。
「わかりました。」
「よし。ツノは次の狩りのついでにでも持ってこい。勝手に村長に渡すなよ。」
「はい。あ、それが」
できないんです。
俺はもう村を出ていくんだ。
「じゃあ早くそいつを連れていけ。気味が悪い。」
店主はそう言い捨てると、こちらの話を最後まで聞かず、店の奥に入っていった。
俺との相談の結果を男に話すどころか、一瞥もしなかった。
男は、薄っすらと困ったような、陰気臭い顔でじっとこちらを見ていた。
この村での暮らしは舐められたら終わりだ。
俺はぞんざいな態度で男に話しかけた。
「あんた、村に居たいって話は俺が聞く事になった。ついてこい。」
「ぁい。」
俺も、こいつと一緒にいる所を村の連中に見られたくなくて、いそいそと歩き出した。
「ぁの。」
男が話しかけてきた。
「鹿は、どうなりますか。」
「はあ?」
「肉と、皮は。」
「・・・・・」
ツノの事しか、まったく考えてなかった。
戻って店主に確認する方がいいか。いや、さっさと引っ込んだところを見ると、一刻も早くこいつと一緒にいる状態から逃げたかったんだろうな。
とはいえ、本来はツノ以外も必要な筈だろう。
肉と皮は、こちらで交渉していいという事なのか?
もう村を出る身としては、今更手のかかる獲物は困る。
今から干し肉になんてできない。
面倒だな、と思った。さっきから色々考えてばかりで、頭の使い過ぎでイライラした。
・・・考えてばかりか。
いや、おっさんから見たら、この程度の事は考えすぎじゃないと言われるのかもしれない。あと一歩、一手、何かいい方法があるだろうか。
おっさんの考え。最低限の身の安全か。
この場合はなんだ?
いい考えだという感覚が得られそうなアイデアは浮かばない。
最低限、最低限、最低限・・・。
よし、とりあえず、この話を知る人間の数を最低限にしよう。
肉屋の店主と、おっさんと、村長だろうか。
まさに最低限だが、これが今思いつく限界だった。
あと、店先からさっさと移動する事だな。
俺は男に答えた。
「家に着いてから話す。」
「ぁい。」
さっきから、話し始めの声が聞こえ辛いのが気になる。
訛りがあるようにも聴こえる。外国というのは、あるにはあるらしいのだが、人間の国は、どこも同じ言葉で通じるとおっさんには習った。
きっと、それでも方言のようなものはあるんだろう。
それを気にしてなのか、しゃべり方そのものもたどたどしい。
見た目以外にも不快な要素があるなんてな、と鼻で嗤ってしまった。
間近にいるので、ついまじまじと見てしまう。
丸い鼻、厚ぼったい瞼、そして不似合いな長い睫毛。
そして不思議な事に、身なりに反して不快な臭いはしない。むしろ何か香草のような匂いがする。
狩人の癖に不自然な香りがつく事をしているのか?
髪には白い筋がちらほらと見えるが、肌にしわは無い。
年齢も今一つ掴めない。
もう考え疲れているのに、ちぐはぐな存在感が思考停止を許さない。
本当に気味の悪い男だ、と上の空で考えていると、男の声に意識を引き戻された。
「ぁにか?」
「なんでもない。」
今は俺も人目に触れないよう早く家に連れ込んで、おっさんに相談しよう。
おっさんは結局、昨晩は帰ってこなかったがもう戻っただろうか。
住処の小屋に戻ると、戸口の前で俺は男に指示を出した。
「ひとまず獲物は裏で吊るす。縄は今持ってくるから、皮を剥ぐ準備をしておけ。」「ぁい。」
戸口の鍵はかかったままだった。
おっさんに相談できない不安を振り払うように大きく息を吐き、縄を掴んで男のもとへ向かう。
「一通り処理はできる思っていいな?」
「ぁい。」
「じゃあ皮を剥いだら残りは適当にやっておけ。俺は皮を掃除する。」
「ぁい。」
切り分けた鹿を入れる桶の用意をする為に小屋へ戻り、鼻から大きく息を吐く。
男に対して有利な立場なのに、虚勢を張り続けている事に疲れてきた。
さっさとおっさんにこいつの相手を変わって欲しい。
裏庭へ戻り、後処理をしようと剥いだ鹿の皮を手に取り、毛の側を下にして作業台に広げる。
綺麗に剥いである。
綺麗すぎる。異常なまでに綺麗だ。
皮に肉の膜や脂が何も残ってない。このまま次の作業に入れるくらいだ。
「おい。」
「ぁい。」
「これはどうやった?」
「どうとは?」
「皮だ。どうやったらこんなに綺麗に剥げるんだ?」
「ぁかりません。」
「お前がやったんだろう!」
「ぁい。」
求める答えも返さず、繰り返し薄気味悪さを感じさせるこの男に、段々と態度が荒くなる。
桶を準備する間に、皮の処理もしたというのか。
いや、そういう問題じゃない。どんな解体の名人がどんなに丁寧に剥いでも、こうなる筈がない。
男は続けた。
「狩りをして、長いもんで。」
バカを言うな。
おっさんの突然の告白から続く非日常のストレスに、俺の頭は役立たずになりつつあった。
「・・・続きをやっておけ。」
「ぁい。」
少しでも距離を置きたくなり、裏戸から小屋に入ったその時、同時に戸口が開いた。