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第9話 殺人試験

薄暗い部屋の中、少年三人は背中合わせに立っていた。

三人とも、白い病院服の所々が鋭利な刃物で切り刻まれ、血が流れ出している。

彼らの周りには、同年代の少年や少女達が、刃物で喉笛を切り裂かれ、無残な死骸となって転がっていた。


「通信が繋がらない……完全に遮断されたぞ!」


少年の一人がそう言う。

彼らは、手に何も持っていなかった。

ヘッドセットを地面に叩きつけ、もう一人の少年が言った。


「チッ。完全にジャックされてやがる。精神世界と現実世界が、これでもかと完璧に切り離されてる」

「大河内、何か構築できるものはないのか?」


大河内と呼ばれた少年が、青くなり震えながら言う。


「……出来ない……精神防壁が張ってある。石ころ一つ持ち上げられない……」

「しっかりしろ。ここであいつを倒さなきゃ、俺達もどの道犬死にだ」

「で……でも高畑……!」


高畑と呼んだ少年に、大河内は叫ぶように言った。


「丸腰じゃどうしようもないよ! みんな、完全に『殺され』た! 俺達も死ぬしかないじゃないか!」

「安心しろ、大河内、高畑。お前達は僕が必ず守る」


そこで、もう一人の少年が口を開いて、足を踏み出した。

そして腰を落とし、腕を体の横に回し、拳闘の構えを作る。


「腕一本になっても、お前達は僕が守る。高畑は僕のサポートを。大河内は外部との連絡通路を急いで構築してくれ。 一からでいい」


冷静に指示を出し、彼は周りを見回した。

一面、蜘蛛の巣だらけの空間だった。

時折、引きつったような奇妙な笑い声が暗闇に反響している。


「決して、何が起こっても慌てるな。僕が死んでも、お前達二人はすぐに現実世界に戻れ。分かったな?」


大河内が泣きながら何度も頷く。

そして、彼は空中の、目に見えないパズルピースを掴むような動作をして、それを見えないキャンバスにはめ込み始めた。

高畑が少年の脇で同じような構えを取り、低い声で聞く。


「……大河内はあの調子だ。何分もたせればいい?」

「二分……二分三十秒」

「最悪だな」


キチキチキチキチ。

金属のこすれる音がして、二人の前方に、奇妙な「物体」が現れた。


ドクロのマスクを被った人間の頭部。

そして、丸いボールのような体。

所々が腐食して崩れ、内部の歯車やチェーンが見えている。


ムカデのような足。

蟹股のそれらが、カサカサと蟲のように動いている。

手は、数え切れないほど巨大な、丸い体から突き出していた。


それらの手一つ一つに、ナタのような刃物を持って、振り回している。

また、キチキチキチキチと音がして、ドクロのマスクがこちらを向いた。


「スカイフィッシュのオートマトンか。でもどうして……」

「高畑、考えている暇があったら動け。来るぞ!」


少年がそう言って、こちらに向かって猛突進をしてきた奇妙な「物体」に向けて走り出す。

そして彼は、数十本の腕が振り回す鋭利なナタを一つ一つ、見もせずにかわすと、丸い胴体部分に、腕を叩き込んだ。


放射状の空気の渦が出現するほどの、早い拳速だった。

空気が割れる音と共に、 二、三メートルはある「物体」が数メートルは宙を浮き、足をばたばたさせながら、背中から地面に落下する。


大河内がそこで悲鳴を上げた。

振り返った二人の耳に、大量の、キチキチキチキチキチという、機械の部品がこすれる音が響く。

幾十、幾百もの「物体」が、こちらに向けて近づいてきていた。


「二分三十秒でいいんだな、坂月!」


高畑がそう言って腕を構える。

坂月と呼ばれた少年は、自分達を取り囲む「物体」の大群を見回し、一瞬だけ口の端を吊り上げて笑った。

しかしすぐに無表情に戻り、唖然としている大河内の頭を、ポン、と撫でる。


「いや、一分三十秒でいい」


彼の声に、大河内がすがるように言う。


「そんな短時間じゃ無理だ! 扉を作るのはいくら僕でも……」

「もう作らなくてもいい」


彼はまた、口の端を吊り上げた。


「スカイフィッシュ……僕を誰だと思ってる……」


彼は腰を落とし、醜悪に、舐めるように、呟いた。


「僕は、S級能力者の坂月。坂月健吾だぞ」



「汀ちゃん、しっかりして! 汀ちゃん!」


担架に乗せられて運ばれていく汀を、理緒が必死に追っている。

汀は、左腕を押さえて、意味不明な言葉を喚きながら、担架の上でもだえ苦しんでいた。


「痛い痛い痛い痛い痛い痛い!」


彼女の絶叫が響く。

担架を押しながら、大河内が、看護士に押さえつけられている汀に口を開いた。


「すぐに痛みは消える。もう少し我慢するんだ!」

「せんせ……死ぬ! 私死んじゃう!」

「大丈夫だ死なない! 私がついている!」


大河内がそう言って汀の右手を握る。

担架を冷めた目で見ながら、施術室の扉に、腕組みをして圭介が寄りかかる。

そこに、冷ややかな瞳でソフィーが近づいた。


「……どういうことか説明してもらいたいですね、ドクター高畑」

「何だ?」

「どうして、私まで強制遮断されて戻ってきてしまったのかしら? これは、故意だとしたら重大な過失だと思うのですけれど」


彼女の脇に、黒服のSPが二人ついて、腰に手を回して圭介を見る。


「施術は中止だ。予期しない出来事は、この仕事にはよくあることだろう?」


飄々と返した圭介に、ソフィーはバンッ! と壁を平手で叩いて怒鳴った。


「私一人でも治療できました! ドクターだって仰っていたではないですか、これは『競争』だと。なら何故、そちらのマインドスイーパーがミスを犯した時点でやめさせられなければいけないのでしょうか!」

「君一人が治療に成功しても、何の意味もないんだよ」


そこでソフィーは、発しかけていた言葉を飲み込んで固まった。

圭介が、ゾッとするような冷たい目で自分を見ていたからだった。


「で……でも……」


言いよどんだ彼女に、圭介はポケットに手を突っ込みながら言った。


「それに、君一人ではこの患者の治療は無理だ」

「何ですって!」

「君の事は、よく知ってる。調べさせてもらったからな。この患者は、特異D帯Cタイプだ。その意味が分かるな?」

「え……」


一瞬ポカンとして、次いでソフィーは青くなった。


「Cタイプ……?」

「聞いていた『情報』と違ったかな?」


圭介がせせら笑う。


「……人でなし!」


そう叫んで掴みかかろうとしたソフィーを、SPの二人が押さえつけて止めた。


「この件は正式に元老院に抗議させていただきます。ドクター高畑。あなたはマインドスイーパーを何だと思っているのですか?」


歯を噛みながらそう言ったソフィーを、意外そうな顔で圭介は見た。


「ん? 天才なら、とっくに気づいていると思ったがな」

「茶化さないで! Cタイプの患者に、よくも私を一人でダイブさせたわね!」

「君達マインドスイーパーは道具だ。それ以上でもそれ以下でもない」


圭介はそう、冷たく断言すると、押さえつけられているソフィーの前に行って、ポケットに手を突っ込んだまま無表情で見下ろした。


「道具は文句は言わない。もし言ったとしても、それは道具の戯言であって、ただのノイズだ。道具はただ、俺の思うとおりに動いていればいい」


圭介はせせら笑いながら、鉄のような目でソフィーを見た。


「図に乗るなよ。道具」

「この……!」

「次のダイブは三時間後だ。精々『情報』を整理しておくんだな」


髪を逆立てんばかりに逆上しているソフィーを尻目に、圭介は施術室を出て行った。



「薬で眠らせてある。大丈夫だ。精神世界と現実世界の区別がつかなくなって混乱していただけだ」


大河内が、赤十字の病室でそう言う。

汀は、ベッドに横になってすぅすぅと寝息を立てていた。

寝る前によほど錯乱したのか、ベッドの上は乱れきっている。

それを丁寧に直しながら、理緒は涙をポタポタと垂らした。


「ごめんなさい……ごめんなさい……私が、もっとちゃんと出来てれば……」


圭介は一瞬それを冷めた目で見たが、手を伸ばし、理緒の頭を撫でた。


「気にするな。俺も確実なナビが出来なかった。君一人の責任じゃない」

「高畑先生……私、やっぱり……」


そこで言いよどみ、しかし理緒はおどおどしながら続けた。


「私、大人の人の心の中にダイブするの、向いてないんじゃないでしょうか……今回だって、汀ちゃんの足手まといにしかならなかったです」


圭介と大河内が、一瞬顔を見合わせた。

そして圭介は軽く微笑んでから言った。


「そんなことはない。君がいなければ汀を制御することは今よりもっと難しくなってる」

「……本当ですか……?」

「ああ、本当だ」


圭介はそう言って、理緒の手を握った。


「汀を頼む。この子には、ストッパーが必要だ。君のような」

「すみません……ありがとうございます…


また涙を落とし、手で顔を覆った理緒を椅子に座らせ、大河内は圭介のことを、カーテンの向こうの隅に引っ張っていった。

そして強い口調で囁く。


「……まさか、ダイブを続行させるつもりじゃないだろうな?」

「察しがいいな。当然だろ?」

「二人とも、ダイブが出来る精神状態じゃない。ソフィーも協力する気が皆無だ。このプランは見合わせた方がいい」

「そうでもないさ」

「何を根拠に……」


大河内は、そこで入り口に立ってこちらを睨んでいるソフィーに目を留めた。

SP二人は、病室の入り口に立っている。


「……少し、話をさせて欲しいわ」


ソフィーはそう言うと、理緒を指差した。


「ドクター大河内、ドクター高畑、席を外してくださる?」

「え? 私ですか……?」


きょとんとして理緒がそう言う。

ソフィーは不本意そうに鼻を鳴らし、言った。


「他に誰がいるのよ」



圭介と大河内が病室を出て行き、ソフィーは椅子の上に無作法に胡坐をかいて、汀を睨んでいた。


「あ……あの……」


理緒が言いにくそうに口を開く。


「お話っていうのは……」

「とても不本意だけど、あなた達に協力を要請したいわ」


理緒はきょとんとして、彼女に返した。


「協力……? でも、私達とは競争したいって……」

「事情が変わったのよ。協力、するの? しないの? はっきりして」


ヒステリックに声を上げるソフィーを手で落ち着かせ、理緒は続けた。


「私としては、あなたのような優秀なスイーパーさんとご一緒できるのは嬉しいですけれど、汀ちゃんが何と言いますか……」

「こんなかたわ、何の役にも立たないじゃない。特A級なんて、聞いて呆れるわ」


彼女を蔑むようにそう言ったソフィーに、理緒は深くため息をついた。


「……めっ」


そう言って、彼女の鼻に、人差し指をつん、と当てる。

何をされたのか分からなかったのか、ポカンとして停止したソフィーに、理緒は言った。


「人を、『かたわ』なんて言ってはいけません。人を、馬鹿にしてはいけません。いつか自分にそれが返ってきますよ」

「こっ……子供扱いしないでよ!」


真っ赤になってソフィーが怒鳴る。

人差し指をそのまま自分の口元に持っていき、静かにするように示してから、理緒は汀の頭を撫でた。

小白が、汀の枕元で丸くなって眠っている。


「他人は、自分を映す鏡だって、私は小さい頃、私の『先生』に教わりました。怒っていれば怒るし、悲しんでいれば一緒に悲しんでくれます。それが、他人なんです。ですから、ソフィーさんは、もっと私たちに優しくしても、大丈夫なんですよ?」

「…………」

「それが、ソフィーさんのためになるのですから」

「……脅し?」


小さい声でそう聞いたソフィーに、慌てて理緒は言った。


「そ、そんなことはないです。そう受け取ってしまったのなら謝ります。私はただ……」

「まぁ、私を貶めようとしているわけではないことだけは評価してあげるわ」


腕組みをして、ソフィーは、この話は終わりだと言わんばかりに指を一本、顔の前で立てた。


「私達がダイブさせられようとしている人間は、D帯のCタイプ型自殺病発症患者よ」

「D帯? Cタイプ?」

「あなた、本当に何も知らないのね。そんなでよくA級スイーパーの資格を取れたものね。驚いて声も出ないわ」

「汀ちゃんも、この前気になることを言っていましたけれど……自壊型と防衛型とか……」

「ああ、日本ではそう言うのね」


ソフィーは頷いて、手を開いた。


「いい? 馬鹿なあなたに教えてあげる。自殺病は、大別して五つの分類に分けられるわ。一つは、通常、緩やかに進行していくAタイプ。緩慢型と言うわ」


指を一本折って、ソフィーは続けた。


「二つ目は、あなたがさっき言った自壊型。これは緩慢型が悪化したケースね。これにかかった患者は、精神分裂を起こし、結局は自殺するケースが最も多いわ。Dタイプよ。防衛型は心理的防衛壁が大きいタイプ。これがBタイプ」


すらすらと医者のようにそう言って、ソフィーはまた二本指を折った。


「そして、防衛型の反対、攻撃型。攻撃性が異常に強い患者の精神内壁のことを指すわ。これがEタイプ」

「そ……そうなんですか……」

「そしてCタイプ……まぁ、その中でもいろいろ種類があるんだけど、説明しても分からないと思うから、しない。とにかく、Cタイプは『変異型』という特殊な型が分類されてるの。その中でも、D帯Cタイプというのは、日本語で言えば『特化特異系トラップ優位性変異型』と言えるわ」

「どういうことですか?」


首を傾げた理緒に、髪をかきあげながらソフィーは続けた。


「簡単に言えば、マインドスイーパーに対する精神的トラップを、訓練によって心の中に多数植えつけた人間のこと。私達が最初に入った部屋とか、次に入った空間、異様に面倒くさい手順だったでしょ? 防衛型の特徴も出てるけど、ああいうのは、時間稼ぎをして私たちのタイムアップを狙ってくる、完全な意図的トラップなの」

「じゃあ、今回の患者さんって……」

「ええ。マインドスイープに深く関わっている人間で間違いないと思うわ。それだけに、危険性が急上昇するのよ」

「私達に対する対策を、知っているわけですからね……そういえば、中で私達の名前が呼ばれたような……」

「知ってるからよ。私達のことを。アミハラナギサって言うのは、気になるけど」


ソフィーは鼻を鳴らして、忌々しげに言った。


「それでも、私なら一人で出来ると思ってたけど、この患者、D帯ということは攻撃性も持ってるの。通常、D帯とCタイプが合わさった場合、専門のスイーパーでチームを組んで、十人単位のグループでダイブするわ」

「え……?」


思わず聞き返した理緒に、ソフィーは頷いた。


「私達、ハメられたのよ。あの高畑とかいう医者に。ドクター大河内も信用は出来ないわ」

「そんな……お二人とも、良い方々です」


狼狽しながらそう言った理緒を馬鹿にするように見下し、ソフィーは吐き捨てた。


「信じるのは勝手だけど、夢を見るのは結果を見てからにした方がいいと思うわ」

「お二人が私達を騙すなんてこと、ありません。ソフィーさんの思い違いです」


断固としてそう言う理緒を呆れたように見て、ソフィーは肩をすくめた。


「そう思いたいんなら、それでいいわ。時間がないから、話を進めるわよ。で、今回は、最低でも五種類の役割が必要になるの」

「五種類……?」

「まずは、トラウマ等の攻撃から、私達スイーパーの身を守る、アタッカーとディフェンサー。一番力のある、つまり脳細胞の働きが活発なスイーパーが役割に当てられることが多いわ」


眠っている汀を見て、ソフィーは続けた。


「この子みたいなね。言ってしまえば、一番重要な役割よ」

「他には……?」

「次は、トラップを解除する役割のリムーバー。この場合、私ね。そして治療を行う、キーパーソンが一人絶対に必要。この場合はあなた」


理緒を手で指して、ソフィーは続けた。


「最後はキーパーソンを守る、ファランクス(盾)が必要。それで、最低五人。通常は二人ずつ各ポジションに配置して、一つのチームとして運営するの。『危険地帯』へのダイブの場合はね」

「二人も足りませんけれど……」

「足りないのは七人よ。二チーム使うこともあるから、そう考えると二十七人の手数が足りないわ。圧倒的に、これは『私』をハメるためとしか思えないわ」


歯噛みして、ソフィーは言った。


「……最初に頭に血が昇ったのがまずかったわ。気づけばよかった……」

「…………」


彼女の勢いに圧倒されながら、理緒はおどおどと口を開いた。


「じゃ、じゃあどうすれば……」

「この猫は戦力に入れないとして、この子……高畑汀が、アタッカー、ディフェンサー、ファランクスの三つの役割を兼任するしかないわ」

「そんな……汀ちゃんは一人なんですよ?」

「でも、そのための『特A級』でしょ?」


せせら笑って、ソフィーは続けた。


「私達が仕事を完遂するためには、どうしても『守ってくれる人』が必要になる。だから、こうして馬鹿なあなたに説明をしに来たの」

「汀ちゃんが自分を犠牲にしてでも、私達を守らなきゃいけないって、そう言うんですか? この子は、私のせいで左腕が……」

「どうせ現実世界でも動かないんだから、関係ないじゃない」

「…………」


理緒が眉をひそめる。


「かたわは、かたわのままがお似合いよ」


ソフィーが鼻を鳴らしてそう言う。

そこで、理緒の手が飛んだ。

パンッ、と頬を叩かれ、ソフィーが唖然として目を見開く。

病室の入り口に立っていたSP二人が、急ぎ部屋の中に入ってきて、理緒とソフィーを引き離した。


「何するのよ!」


ソフィーが我に返って大声を上げる。

理緒は目に涙をためながら、押し殺すように言った。


「……協力は、お断りします。人の気持ちが分からない人とは、一緒に仕事はできません」

「何言ってるの? 説明したじゃない! あなた達に、あのパズルが解けるの? トラップを解除できるの? 二人じゃとても無理よ。私の力を使うしかないじゃない!」


色をなしてソフィーが怒鳴る。

しかし理緒は、SPの手を振り払って、ソフィーを睨んだ。


「あなたには出来ないかもしれない。でも、『私達』には出来ます」


理緒はそう言って、病室の入り口を手で指した。


「出て行ってください。汀ちゃんは、次のダイブまでゆっくり休まなきゃいけないんです。あなたも、休んだ方がいいと思います」

「ちょっと待ってよ。何いきなり怒って……」

「出て行ってください」


理緒は堅くなにそう言うと、汀の脇に腰を下ろした。


「手を出したことは謝ります。でも、お互いお仕事の仲間なのですから、これ以上お話しするのはやめましょう? お互いのためにならないと思います……協力は出来ませんが、応援はしています。お互い頑張りましょう」


目を合わせずに理緒がそう言う。

ソフィーはしばらく鼻息荒く彼女を睨んでいたが


「ふんっ!」


と言ってきびすを返した。

SP二人が慌ててその後を追う。

理緒は、ソフィーが出て行った後、彼女を叩いた手の平をぼんやりと見ていた。


「汀ちゃん、私、初めて人のこと叩いちゃった……」


眠っている汀に、理緒はそう呟いた。


「誰でも、叩くと嫌な気分だね……」


彼女の呟きは、空調の音にまぎれ、やがて消えた。



三時間後、理緒は暗い表情で、うとうとと半分睡眠状態に入っている汀を乗せた車椅子を押して、施術室に入ってきた。

話しかけても汀の反応はない。


しかし、圭介が「ダイブは可能だ」と言っていたのを信じて連れてきたはいいが、理緒は心の中で葛藤していた。

近づいてきた大河内に、彼女は言った。


「先生、私一人でダイブします」


それを聞いた大河内は、身をかがめて彼女を見て、静かに言った。


「……無茶はやめるんだ。君一人でどうにかなる案件じゃない」

「でも先生……これじゃ、汀ちゃんが可哀想です。汀ちゃんは、道具じゃないんですよ」


その声を、部屋の隅で腕組みをして、壁に寄りかかっていたソフィーが聞いていた。

彼女は馬鹿にするように鼻を鳴らして、視線をそらした。

大河内はしばらく沈黙していたが、黙って車椅子を受け取ると、汀のダイブのセッティングを始めた。


「先生!」


すがるように言う理緒に、大河内は続けた。


「このダイブに移行する前、チームを組んで赤十字のマインドスイーパーが、二十人ダイブしたんだ」

「え……」

「全員、帰還できなかった」


そう言って、大河内は汀の頭にマスク型ヘッドセットを被せて、立ち上がった。


「是が非にでも、汀ちゃんと、君と、ソフィーの力が欲しい。そうじゃなきゃ、赤十字の子供達が、それこそ単なる『犬死に』で終わってしまう」


大河内の目は、いつもと違ってどこか冷たかった。


「それだけは避けてあげたい」

「そんな……私達は三人なんですよ!」

「分かっている。分かっていてのダイブなんだ」


そこで、圭介がポケットに手を突っ込んだまま、白衣を翻して部屋の中に入ってきた。

そして汀の意識がないことを確認して、ソフィーを歪んだ視線で見る。

慌てて視線をそらした彼女から理緒に目線をうつし、彼は首を傾げて言った。


「……どうした?」

「高畑先生。汀ちゃんをダイブさせるのは無理だと思います」


理緒がそう言う。

しかし圭介は肩をすくめて、汀を手で示した。


「こいつがそう言ったのかい?」

「それは……でも……」

「大丈夫。汀はちゃんとやるよ。そういう奴なんだ。伊達に特A級は名乗っていない」


ソフィーにも聞こえるように、大声で彼は言うと、席について、理緒にも準備をするように促した。


「さぁ、二回目のダイブだ。今回は二十分に設定する」

「二十……?」


ソフィーがそこで声を荒げた。


「そんな時間で中枢を見つけるのなんて無理よ!」

「天才じゃなかったのか?」


冷たくそう返され、ソフィーは悔しそうに口をつぐんだ。

その握った手がわなわなと震えている。

大河内が、彼らの間に割って入った。


「口論をしている時間はない。ソフィーも準備をしてくれ。無理だと判断したら、今回も回線を強制遮断する。その点では安心してくれていい」

「ふん……安心ね」


ソフィーが吐き捨てるように言った。


「よく分かったわ。私には安心できる場所なんて、どこにもないってことがね」



ザッパァァァァンッ! と、凄まじい音を立てて、三人は頭から海に落下した。

一瞬何が起こったのか分からず、鼻から、喉からしこたま水を飲み、理緒は必死にもがいて水面に顔を出した。


「……ゲホッ! ゲホッ!」


もったりとした水の感触の中、飲み込んだ水を必死に吐き出す。

小白が風船のように長く膨らんで水面に浮いているのを見て、理緒はそこまで泳いでいって、尻尾に掴まった。


「た……助け! ゲホッ! 私、泳げな……!」


切れ切れに、少し離れた場所でソフィーが叫んでいた。

バシャバシャと水を撒き散らしながら、浮いたり沈んだりしている。


本当に泳げないらしい。

正確には、精神世界で出来ないことはないのだが、彼女の中によほど水に対する苦手意識があるのか、体が上手く動かないらしかった。


「……! 汀ちゃん!」


そこで理緒は汀の姿が見当たらないことに気がついた。

慌てて見回すと、澄んだコバルトブルーの水、底が見えない中、汀の体がゆっくりと下に沈んでいくのが見えた。


彼女は溺れているソフィーと、沈んでいく汀を見て、一瞬躊躇した。

しかし、すぐに膨らんでいる小白をソフィーの方に投げて叫ぶ。


「この子に掴まって! すぐ助けるから、頑張って!」


そう言い残して、理緒は水を蹴って海の中に潜った。

病院服が不快に体に絡みつく。


しかし何とか汀にたどり着き、彼女は背後から汀の体を羽交い絞めにし、力の限り水面に向かって足を動かした。

実に十数秒もかけて水面に顔を出す。

汀はぐったりとして反応がなかった。


「汀ちゃん! しっかりして!」


汀の体を揺らすが、彼女の口や鼻から、飲み込んだ水がダラダラと流れ出すだけで、目を覚ます気配はなかった。

視線を移動させると、イカダのような形になった小白の上に、ソフィーが大の字になって荒く息をついていた。

彼女は小白に向かって叫んだ。


「小白ちゃんこっち! 汀ちゃんの意識がないの!」


イカダの先っぽに小さく猫の顔と、側面に腕と足がくっついている。

小白は器用に尻尾を回して方向を変えると、スィーッ、と理緒たちに近づいてきた。


「汀ちゃんしっかり!」


反応のない汀に呼びかけながら、理緒は何とか小白の上に彼女を持ち上げた。

グラグラと猫ボートが揺れ、ソフィーが水を吐き出しながら悲鳴を上げる。


「高畑先生、聞こえますか! 高畑先生!」


パニックになっているソフィーをよそに、ヘッドセットのスイッチを入れて、理緒は大声を上げた。


『どうした? 状況を説明してくれ』

「海の中にいます! どうして前と場所が違うんですか!」

『前と同じ問題を出題する学者がどこにいるんだい? 汀の様子はどうだ?』

「意識がないみたいです! ソフィーさんも、泳げないみたいで動けないです!」

『……チッ』


圭介が小さく舌打ちをする。


『周りをよく観察するんだ。汀はじきに起きる。それまで耐えられるか?』

「やってみます……!」


頷いて、理緒は周りを見回した。

少し離れた場所に、小島があった。

人二人が寝れるくらいの、小さな浮き島だ。

小白の尻尾を引っ張ってそこまで牽引すると、理緒はソフィーに声をかけた。


「大丈夫ですか? しっかりしてください」

「私水は駄目……駄目なの……!」


震えながら、ソフィーは浮き島に這って進むと、その場にうずくまった。

理緒は意識がない汀を浮き島に移動させると、荒く息をつきながら自分も浮き島に登った。


ポタポタと海水を垂らしながら、彼女は周りを見回した。

そしてその視線が一点を凝視して止まる。

百メートルほど前方の海面に、巨大な穴が空いていた。


穴、としか彼女には形容できなかった。

正確にはダムの排水溝のような光景が広がっていた。

穴の直径は、五メートル前後。

今彼女達がいる浮島よりも、少し狭いくらいだ。

そこに向かって水が流れている。


浮島も流されていた。

近づけば近づくほど、引き込む力は強くなってくる。

小白が吸い込まれていることに気づいたのか、ポンッ、と音を立てて元の小さな猫に戻り、汀に駆け寄って、その頬をペロペロと舐めた。


「何……あれ……」


呆然として、流されている浮島の中、理緒は呟いた。

次の瞬間だった。


浮島がバラッ、と音を立てて崩れた。

それぞれが一抱えほどの立体パズルの形に分割され、流されていく。


『どうした!』


圭介の声に、パズルピースの一つに掴まりがら、理緒は悲鳴を返した。


「私達のいた島が、パズルになって崩れました! このままじゃ、穴に引き込まれます!」

『そこに引き込まれるな。おそらくトラップの一種だ』

「分かっています……でも!」


ソフィーが完全にパニックになって、パズルピースを掻き分けて浮き沈みしている。

小白がまた膨らみ、汀の体を支えた。


彼女達と浮島の破片が流れていく。

理緒は、ソフィーの方に手を伸ばした。

そこで、ソフィーが泣きながら叫んだ。


「結局こうよ! 結局、誰も助けてくれない! 私はずっと独りなんだ! こんなところで……こんなところに来ても……!」

『落ち着けソフィー。ダイブ中だ。正気を保て』

「うるさいうるさいうるさい!」


圭介に怒鳴り返し、近くのパズルピースに掴まりながら、彼女は血走った目で理緒を見た。


「おかしい? おかしいでしょ! この私が、水に入っただけで何も出来なくなるなんて……笑いなさいよ! どうせあんたも……」


そこまで叫んだソフィーの口元に、近づいた理緒が、そっと手を触れた。


「笑わないですよ。誰にだって怖いものはあります」


荒く息をついているソフィーに、理緒は続けた。


「この場を逃れましょう。協力しようとは言いません。でも、お互い『生き残る努力』をしましょう」

「努力……?」

「はい、努力です」


頷いて、理緒は言った。


「ソフィーさんに足りないのは、努力をしようとする気持ちです。人と仲良くしようとする努力、人を信じようとする努力、諦めない心を持つ努力。人のことを言えたものではありませんが、私も同じです。だから、私は生き残るために努力をします」


パズルピースを手に取り、彼女は近くの一つに嵌めた。

浮島の輪郭が一箇所だけ再生する。

ソフィーは、水の中でもがきながら、浮島の巨大立体パズルを完成させようとしている理緒を見て、口をつぐんだ。

そして理緒が中々パズルを嵌められないのを見て、ついに声を上げた。


「……右のピースを、左十字の方向のピースに、下から嵌めて。それから下のピースを、二メートル先のピースとさっきのピースとくっつけて」


理緒が少しきょとんとした後、笑顔になり


「はい!」


と頷く。

ソフィーの指示は的確で、短時間だった。

特に無理もなく理緒が、バラバラになった浮島を元に戻していく。

時間にして、一分もかからなかっただろうか。

驚異的なスピードで、直径五メートルほどの浮島を再構築させると、ソフィーはその縁に掴まりながら、理緒の手を引こうとした。


「早く、こっちに来て!」

「……分かってます……分かってますけど……」


引き込む力が強すぎて、理緒の片足が、穴の淵に入ってしまっていた。

もう完全に浮島は直っている。

しかし最後のピースを嵌めこんだ理緒の位置が悪かった。

丁度、穴の正面に来てしまっていたのだ。


「片平理緒!」


ソフィーが叫ぶ。

理緒の体の半分が、穴に飲み込まれる。

そして彼女を覆うように、浮島が穴を塞ぎ始めた。


穴の底は何も見えない。

暗黒の空間だ。

ソフィーが青くなって、浮島に這い上がろうとし……。


そこで、理緒の手を、浮島に打ち上げられていた汀が掴み、引っ張った。

間一髪で理緒が浮島に引き上げられ、浮島は、穴を塞ぐ形でスポンッ、とそこに嵌った。

海水の流出が収まり、流れが穏やかになる。


「汀ちゃん……?」


理緒が海水まみれに鳴りながら、呆然と呟く。

汀は、熱にうかされた顔で、耳までを赤くしながら、理緒を完全に浮島に引き上げ、しりもちをついて頭を抑えた。


「どこ……ここ……」

「良かった! 目が覚めたんですね!」


理緒に抱きつかれ、汀はきょとんとして、目をぱちくりさせた。


「どうしたの……理緒ちゃん?」

「怖かった……怖かったよ……」


震えながら泣いている理緒の背中に手を回し、汀が優しく撫でる。

左腕は、動かないようだった。

その様子を見て、ソフィーが浮島に這い上がりながら、高圧的な声を発した。


「よくも今まで暢気に寝てたわね……高畑汀。いえ、『アミハラナギサ』……」

「なぎさ……?」


そう呼ばれて、汀はソフィーを見た。


「あなた、何か知ってるの?」

「何も知らない。いいえ、その『何も知らない』ことが問題なのよ……」


荒く息をつきながら海水を吐き出し、ソフィーは続けた。


「世界中のマインドスイーパーで、私が知らない人はいない。でも、あなたの……いえ、正確には、この患者が認識したあなたの『アミハラナギサ』という名前だけは知らない。ということは……」

『暗転するぞ、気をつけろ!』


ソフィーの声を掻き消す形で、圭介が怒鳴る。

そこで、不意に空が暗くなった。

そして、パキパキパキと音を立てて、海水が一瞬で凍りつき始める。


数秒後、今まで温かかった空間は、極寒の北極のような世界になっていた。

どこまでも続く氷の地面に、吐く息が白く凍る、そんな異常な事態になっていた。

病院服一枚の少女達が、身を寄せ合ってガタガタと震える。


「な……何……?」


理緒が汀に抱きつきながらそう言うと、ソフィーが口を開いた。


「い……異常変質心理内面に入れたんだと思う……」

「二人とも離れて!」


汀がそう言って、小白を抱いた理緒とソフィーを突き飛ばす。

そして自分は右手一本で簡単にバク転を何度かして、五メートルほど後ろに下がった。

一瞬の差で、今まで彼女達がいた場所に、氷を裂く音がして刃渡り四十センチはあろうかと言うナタが三本、突き刺さった。


次いで、キチキチキチキチと機械のこすれる音がする。

汀が考える間もなく、地面に刺さったナタを右手で引き抜いて、走り出した。

そして、どこからか現れた「モノ」に対して勢いよく振り下ろす。


火花が散るほどの衝撃が汀を襲った。

歯をかみ締めてそれに耐える。

そして彼女は、四方八方から襲い掛かったナタの嵐を、身を軽くひねってかわした。


一メートルほどその「物体」から距離をとり……そして、汀は硬直した。

ドクロのマスク。

そして、ボールのような体に、ムカデのような足。


腕はでたらめな方向に、体のいたるところについていて、ナタをもっている。

そのドクロのマスクを見て、汀はナタを取り落とし、胸を押さえてよろめき、しりもちをついた。


「あ……ああ……」

「汀ちゃん!」


異物の目の前で座り込んだ親友を、理緒が慌てて呼ぶ。


「いや……いやあああ!」


右手で頭を抑えて、汀は絶叫した。


「いやだ! やだやだやだやだやだ!」


半狂乱になった汀に対して、その「物体」は、幾十ものナタを振り上げた。


「高畑汀! それはスカイフィッシュのオートマトンじゃないわ! それを模して作られたただの幻想よ!」


そこでソフィーが大声を上げた。


『なっ……』


マイクの向こうで圭介が息を飲む。


「しっかりして! あなたは、特A級スイーパーでしょう!」


ソフィーが怒鳴る。

そこで汀は、震えながら、自分に向けて振り下ろされたナタを、拾い上げたナタで受け止めた。

受け止めそこなったいくつかが、彼女の体に食い込む。

一瞬で血まみれになりながら、汀はゆっくりと立ち上がった。


「そう……私は特A級スイーパー……うっ!」


うめいてよろめく。

彼女の脳裏に、笑う白髪の少年の姿が映る。


なぎさちゃん。

僕達はずっと一緒だよ。


彼はそう言って、笑いながら手を私の頭に乗せた。


だから、ね。

二人で記憶を共有しよう。

決して引き離せない二人の記憶。

僕の記憶を、君にあげるよ。


燃える家。

チェーンソーの音。

ドクロのマスクを被った、血まみれの男。

その男が持っていたものは。

人の、頭部。

その頭部は……。


「……いっくん……?」


顔を上げた汀の目の先。

「物体」の更に二十メートル程先に、ポケットに手を突っ込んだ白髪の少年が立っているのが見えた。

彼は、手に長大な日本刀を握っていた。


「あ……」


汀が声を上げるより先に、その少年の姿が消えた。

少年は、ソフィーや理緒が視認さえ出来ないほどの速さで、「物体」を頭から両断した。


そして陽炎のようにその場に揺らめいて消える。

消える一瞬前、彼は汀の方を見て、醜悪に笑ったような気がした。


両断された「物体」が崩れ落ち、丸い、灰色の玉がその中からぬちゃり、と嫌な音を立てて浮き上がる。

血溜まりの中に立ち尽くしている汀に、理緒が駆け寄った。


「汀ちゃん……すごい……私、全然見えませんでした……」

「理緒ちゃん、今あそこに人が立ってなかった?」


少し離れた場所を指差した汀に、理緒は首を傾げて言った。


「誰もいなかったよ。私には、汀ちゃんがこれ……このトラウマを真っ二つにしたようにしか……」

「私が……?」

「片平理緒。時間がないわ。早く治療をして頂戴」


そこで、ソフィーが近づいて、震えながら言った。

理緒が慌てて頷き、浮いている灰色の精神中核に手を入れる。


そして数秒後、彼女はビチビチとはねる、ピラニアのような形の真っ黒い魚を掴みだした。

それを勢いよく地面にぶつける。

黒い墨があたりに飛び散った。


「高畑先生! 治療に成功しました!」


理緒が大声を上げる。


『…………』

「高畑先生?」

『いや、よくやった。三人とも。スイッチを切れ。こっちに戻すぞ』


一瞬の沈黙の後、圭介はそう言った。



びっくりドンキーのいつもの席で、眠っている汀の脇で、理緒はちびちびとメリーゴーランドのパフェを食べていた。

圭介がメモ帳に何かを書き込んでいる。


「あの……」


彼女がおどおどと口を開くと、圭介は顔を上げて、水を口に運んだ。


「どうした?」


聞かれて、理緒は言いにくそうに言った。


「本当は、聞いてはいけないんでしょうけれど気になって……私達がダイブした患者さんは、一体誰だったんですか?」


それを聞いて、圭介はメモ帳をパチンと閉じて、返した。


「もう『患者』じゃない。別に話してもいいことだから言うよ。名前は高杉丈一郎。赤十字の教授だ。君とは、親交が深いんじゃないか?」

「え……!」


それを聞いて、理緒は硬直した。


「え……? え?」


おろおろと周りを見回し、そして理緒は唾を飲み込んだ。

かなり動揺したらしかった。

それを端的な目で見て、圭介は続けた。


「知人の頭の中にダイブするのは、初めてのことかい?」

「そんな……嘘です! あんな世界が、『先生』の頭の中だなんて嘘です!」


理緒が立ち上がって大声を上げた。

汀の隣で眠っていた小白が頭を上げ、驚いたように彼女を見る。

圭介は肩をすくめ、そして言った。


「だけど事実だ。一皮剥けば、人間なんて、そんなもんだ。もっと深くまでダイブしなくて良かったな」


冷たくそう言って、圭介は水をまた口に運んだ。


「そんな……嘘……」


呆然としている理緒に座るように促し、彼女が力なく腰を下ろしたのを見てから、圭介は続けた。


「君も良く知っている通り、自殺病治療薬、GMDの開発者だ。この件は公にはしていないから、口外はしないように」

「先生が……先生がどうして自殺病に?」


すがるように理緒は圭介に言った。


「何かの間違いですよね? 冗談にしては酷すぎます!」

「冗談なんて言う訳ないだろ。俺は聞かれたから事実を述べたまでだよ」


またメモ帳を広げて何かを書きながら、圭介は言った。


「ま、高杉もこれで完治したんだ。意識が戻り次第、新しいGMDの開発に着手して欲しいものだな」

「高杉先生と知り合いなんですか? どうしてそんなに気楽でいられるんですか!」


理緒に声を荒げられ、圭介は息をついて、彼女を見た。


「自殺病には赤ん坊でもかかる。別段、その薬の開発者がかかったとしてもおかしくはないよ」

「そんな……」


そこでオーナーが近づいてきて、圭介に何事かを囁いた。

圭介はまたメモ帳を閉じ、理緒に言った。


「議論は後でしようか。君にお客さんだ。外で待ってるらしい」



びっくりドンキーの駐車場に出た理緒の目に、ソフィーがSP二人に囲まれて、周囲の視線を意に介さずに、花壇のラベンダーを弄っているのが見えた。


「ソフィーさん……」


呼びかけて近づく。

ソフィーは鼻を鳴らすと、腕時計を見た。


「随分待たせるわね」

「すみません……あの、具合はもういいんですか?」


ダイブ先の極寒地獄で、実のところ理緒も体調があまり思わしくはなかった。

精神世界の影響は、現実世界にも多大に及ぶ。


まだ指先が凍傷になっているような、そんな幻の感覚にビリビリとした刺激が走っている。

ソフィーは髪をかきあげると、馬鹿にしたように言った。


「私を誰だと思ってるの? 体調管理も仕事のうちよ」

「はぁ……そうなんですか。それで、どうしたんですか?」


疲れた調子で言った理緒の顔を覗き込んで、ソフィーは言った。


「あなたこそ疲れてるんじゃないの?」

「ちょっと、いろいろありまして……」

「あなたを育てたドクター高杉が患者だったってこと?」


的確に言い当てられ、理緒は目を丸くした。


「どうして……」

「大概のことなら、私は知っているわ。あなたのおよびもつかないようなこともね」

「…………」


俯いた理緒に、ソフィーは続けた。


「インプラントって知ってる?」

「……インプラント?」


問い返した理緒に、ソフィーは頷いた。


「ええ。インプラント。ちょっと考えて分からない? マインドスイープでトラウマを除去できるなら、逆のことも可能なんじゃないかしら」

「…………?」

「つまり、トラウマの植え付けよ。それが心の中で芽を出して、自殺病を発症させる『種』になる。それがインプラント。国際的な犯罪よ」

「もしかして、高杉先生も……」


ハッとした理緒に、腕時計を見ながらソフィーは返した。


「私は、もう行かなきゃ。でもこれだけは言えるわ。あなたはとりわけ馬鹿そうだから、特別に教えてあげる。ドクター高畑と、ドクター大河内は絶対に信用しないことね」

「どうして……?」

「殺されるわよ」


ソフィーは冷たい目で理緒を見た。


「あなたも、あの子もね」


そこで圭介が駐車場に出てきた。

彼は、顔をしかめたソフィーを見て、包帯を巻かれた手を軽く上げた。


「やあ、天才少女じゃないか。具合はもういいのか?」

「あなたと話すことは何もありません」

「つれないな。君に『ご褒美』をあげようと思っていたところなんだが」


そう言って、圭介は持っていたメモ帳を、ソフィーに投げた。

SPの一人がそれを受け取り、ソフィーに見せる。

ソフィーの顔つきが変わった。


「……これ……」

「君はいろいろ知っているようだな。その人物を探してもらいたい。俺からの、個人的な依頼だ」

「あなたから……いえ、元老院からの依頼なんて、私が受けると思って?」

「君にとってプラスにしかならないと思うが。第一、君は知りすぎている。このまま日本に留まり続けるのも危ういくらいだ。眠れないだろう? 『スカイフィッシュの悪夢』を見るからな」


せせら笑った圭介に、ソフィーは顔を青くした。

よろめいた彼女を見て、理緒がおろおろしながら仲裁に入る。


「高畑先生、何だか怖いですよ……」

「ん? 俺はいつも通りだが」


軽く震えているソフィーを見て、圭介は言った。


「あの子はどうかな?」

「……分かった。で、探してどうするの?」


ソフィーが少し考えた末にそう言う。

圭介は軽く笑って、それに答えた。


「それは君の知るところじゃない」



汀は、ぼんやりと目を開けた。


「ん……」


小さく呟いて伸びをする。

そこで、彼女は薄く霞がかかった視界の先に、誰かが座っているのに気がついた。


「圭介……?」


呼びかける。

しかし、その人影は首を振った。


まだかなり眠いため、目が上手く開かない。

その人物は、目深にフードを被っていた。

彼……その少年は手を伸ばし、汀の右手に、何かを握らせた。


そして席を立ち、周りの客にまぎれて消えていく。

しばらくして圭介と理緒が戻ってきた。

汀が大きくあくびをして、圭介を見る。


「圭介、帰ろ」

「ああ、そうだな」

「ん……?」


そこで汀は、自分が何かを持っていることに気がついた。


「あら……! どこでみつけたんですか?」


理緒がそれを手にとって目を丸くする。

それは、四葉のクローバーだった。


「私、知らないよ?」


不思議そうにそう言う汀。

圭介は周りを見回し、舌打ちをした。

そしてオーナーに何事かを言い、汀の体を抱き上げる。


「理緒ちゃんも帰ろう。今日は家に泊まっていくといい」

「あ……はい!」


頷いて、理緒が四葉のクローバーをポケットに入れて、小白を抱き上げ、後に続く。

理緒が泊まっていくと聞いてはしゃいでいる汀の声が、段々聞こえなくなる。


汀の前にあったコップの水が、いつの間にか全てなくなっていた。

氷が溶けてカラン、と音を立てた。

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