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第16話 否定

まだ空が青く見えていた頃。

まだ、全てに色がついて見えていた頃。


俺はあの子の手を握り、握り返された力に対してそっと微笑んだ。

時折このようなビジョンを見る。


時折。

このような、夢ではない記憶を見ることがある。

目の前の骸骨を見つめて、圭介は静かに言った。


「もう俺の前に現れるな。君は死んだんだ」


骸骨は笑った。

ケタケタと音を立てて。

そして崩れて落ちた。


圭介は立ち上がり、服の埃を払った。

白い病院服以外何も纏っていない。

夢の中か……そう思って息をつく。


何が起こったのか思い出そうとするが、頭の中が何かに引っ掻き回されたようにぐちゃぐちゃで、思い返すことが出来なかった。

これは、おそらく……。

誰かのスカイフィッシュと戦闘した後の様だ。


灰色に見える世界の中で、圭介は周りを見回した。

全てが色をなくしたかのように、灰色だ。


町並みだった。

圭介と汀が住んでいる東京都八王子の町並みだ。

人が行きかっているが、それらは圭介が、まるでいないかのように横を通り過ぎていく。


(俺の夢世界の中で目を覚ましたのか……)


自分の夢の中で目を覚ますという矛盾。

誰しもが一度は体験したことがあるだろう。


半覚醒と呼ばれているが、そんな状態になった時、一番危険なのが、スカイフィッシュ、つまり悪夢との遭遇。

対抗手段を持たない場合、致命的になり、自分の夢に食い殺されてしまう危険性も高い。

しかし圭介は、気にしていないかのように首の骨を鳴らし、小さくため息をついて歩き出した。


さかき?」


後ろから声をかけられ、圭介は足を止めた。

そしてゆっくりと振り返った。


数十メートル離れた場所に、一人だけ色がついた女の子が立っていた。

圭介と同じような病院服。


長い赤茶けた髪の毛をくゆらせ、にこにこと微笑んでいる。

圭介は彼女に向き直ると、行きかう人々の中で口を開いた。


「……真矢まや、君は死んだんだ。もう、俺の夢の中には出てこないって、約束したじゃないか」

「死ぬ? 死ぬってどういうこと?」


真矢と呼ばれた女の子は、ニコニコしながら足を踏み出した。

圭介がそれを見て、一歩後ずさる。


「私みたいになること? 記憶の断片になること? それとも……忘れ去られてしまうこと?」


謎かけのように、ポツリポツリと問いかけ、少女は足を止めた。

そして息をついて圭介を見る。


「どうしていつも逃げるの? 榊、私のこと、嫌いになっちゃったの?」

「違う。君の事は絶対に助け出す。だけど、それとこれとは話が別なんだ」


圭介はそう言って歯を噛んだ。


「……ここは、俺の夢の世界で、君がいていい場所じゃない。分かってくれ、真矢。君の優しさは俺を殺す」

「あなたの言っていることは難しくて、私よく分からない……」


真矢は悲しそうな顔を伏せ、そして足元の小石をつま先で蹴った。


「折角榊が困ってるから、私の力を貸そうと思ったのに」

「やめろ。誰も、君に助けてほしいなんて言ってないぞ」

「榊はいつもそう。図星を突かれると慌てるんだ。困ってるんでしょ、今? なら、私の力が必要じゃない?」


圭介は押し黙り、そしてまた一歩後ずさった。


「すまない。真矢。今は……君の相手をしてる場合じゃないんだ」


そのままきびすを返し、圭介は反対方向へ走り出した。

真矢は一瞬呆然としたが、すぐに顔を歪めると右手を圭介の方に伸ばした。


「逃さないよ、榊」


彼女の右腕がボコボコと泡立ち、次いで、肘の部分から先が溶けて飛び散った。

そこから凄まじい勢いで渦を巻いた黒い水が噴出する。


水は辺りの人を巻き込んでゴウッ、と回転すると、周囲の建物や車を飲み込んで、それでも尚増え続け、圭介に向かって巨大な津波となって襲いかかった。


「真矢……」


圭介は立ち止まると振り返り、自分に向かって覆いかぶさってくる津波を見上げ、そして絞りだすように言った。


「……また来る」


彼は右手を広げて意識を集中させると、パンッ、と地面を叩いた。

地面に光が走り、真っ黒い鉄の扉がアスファルトの上に横たわるように出現する。

圭介はその扉を無理矢理引き開けると、その中の漆黒の空間に体を踊らせた。



「ドクター高畑、聞こえますか? 聞こえたら視線を横に動かしてください。私の声が、聞こえますか?」


機械の音。

点滴台。


薄暗い天井の照明。

白い壁、白い天井。

そして、静かだが耳に障る女性の声。


「ドクター高畑?」

「……うるさいな……」


苛立ったように呟き、かすれた声で圭介は続けた。


「聞こえてる」

「良かった……体に異常を感じませんか?」

「…………」


それには答えずに、圭介は少し離れたところに停まっている車椅子の上で眠っている汀と小白、そしてぼんやりとした表情でソファーに腰掛けながら、頭にヘッドフォンをつけて3DSのゲームをやっている理緒を見た。


理緒の顔には、ゾッとする程表情がなかった。

それを感情の読めない瞳で一瞥してから、圭介はベッドの上に体を起こそうとして、右足の痛みに思わず呻いた。

彼をベッドに押し戻しながら、ジュリアが慌てて言った。


「あなたの右半身にはまだ麻痺が残っています。精神がスカイフィッシュに斬られています。いくら回復速度が異常とはいえ、まだ動かない方が懸命です」

「……戻ってくるんじゃなかったよ」


そう呟いて圭介はベッドに体を預け、クックと笑った。


「また戻ってきた。俺の意思には関係なく」

「…………」


ジュリアが少し沈黙してから立ち上がり、圭介にシーツをかけてから問いかけた。


「何か飲みますか?」

「今何時だ?」

「先ほど夜の八時半を回りました」

「汀をベッドで寝かせろ。その子はデリケートなんだ」

「汀ちゃんの心配ですか? いえ、『道具』のお手入れというわけですか?」


ジュリアに冷淡な目で見られ、圭介はそれを鼻で笑った。


「それがどうした? 何だ、汀を壊したら、お前が責任をとってくれるとでも言うのか?」

「この子はそう簡単には壊れませんよ。もう大人ですから」

「違うな。まだ子供だ。これまでも、これからもな」


含みを込めてそう吐き捨てると、圭介はジュリアを瞳孔が開いたような目で見た。


「理緒ちゃんはどうした?」

「予定通り、重度の心神喪失状態ですが、生命活動に異常はないわ。マインドスイーパーの能力も良好。あなたが目覚める一週間前に、特A級スイーパーに昇格してる」

「そうか」


どうでもよさそうにそう返し、圭介はこちらを一瞥もせずにゲーム画面を見つめて指を動かし続ける理緒を見た。

そしてまたジュリアを見て繰り返す。


「汀をベッドで寝かせろ」

「……分かったわ。そうせっつかないで」


頷いてジュリアは汀を抱き上げると、少し離れた場所に設置されていた簡易ベッドにそっと寝かせた。

点滴台を移動させ、彼女の身体に毛布をかけるところまでを確認し、圭介はそこでやっと息をついた。


「状況は?」

「……テロ活動は停止しているわ。でも、日本中のマインドスイーパーが治療を自粛している流れが広がってる。自殺病患者の死亡数が、ここ3日で過去二年の死亡記録を上回ったわ。赤十字病院に対するデモも起きてる」

「いいことだ。供給過多な人口が減る。赤十字も、この機会に馬鹿な一般大衆への対応を考えればいい」

「それが医者の言葉ですか」


呆れ返ったように言い、ジュリアは小さく呟いた。


「変わりましたね……私の好きだったあなたはもう……榊君……」

「俺をその名前で呼ぶな、アンリエッタ」

「……お互い様ではないですか?」

「…………」


どこか淡々とした、冷たい調子で返したジュリアを無視し、圭介は続けた。


「変異亜種は?」

「まだ現れていないわ。機関は、この隙に多数の自殺病患者を治療するために、ナンバーワンシステムを起動することを決めたわ」

「何?」


大声を上げた圭介に驚いたのか、緩慢な動きで理緒が顔を上げる。

それを横目で見ながら、圭介はジュリアに詰め寄った。


「機関は何を考えてるんだ! 元老院は何を言ってる!」

「使えるものは使うというのが、今回の元老院と機関の決定よ。あなたがどうこうできる問題じゃないわ」

「お前……!」


ジュリアの服を掴み上げようとして、圭介が体の痛みに顔をしかめ硬直する。


「それでよくのうのうと機関に尻尾を振っていられるな……!」

「…………」


叱られた子供のように、ジュリアが圭介から視線を離して下を向く。

圭介は歯を噛んで畳み掛けるように言った。


「自分に都合が悪い話になると聞かなかったフリをするのは昔から治ってないな。腐った癖だ」


「……あの事件は……悪かったと思ってる。

あなたと……真矢ちゃんと、健吾君。私が全部悪かった。悪かったと思ってる……」

「…………」


かすれた声で絞りだすように呟いたジュリアに、圭介が押し黙る。


「だから、だから機関の派遣要請を受けたの。あなたにもう一度会うために。榊君、私を許せない気持ち……私と、健吾君に対する憎しみはよく分かるわ。でも、健吾君はもう……それに、真矢ちゃんも……」

「アンリエッタ!」


圭介が大声を上げる。

理緒が顔をしかめて3DSから視線を離し、ヘッドフォンを頭から降ろして首にかけた。

そして圭介に抑揚が感じられない声をかける。


「あぁ、高畑先生、生きてたんですか……」

「理緒ちゃん……?」


彼女の異様な雰囲気に、原因は分かっているものの、圭介は戸惑った声を発した。


「動かないから死んだと思ってました。良かったです。私、あんまりお金持ってないので」

「……心神喪失にしては感情の起伏がなさすぎるな。ちゃんと薬は与えてるのか?」


押し殺した声で囁いた圭介に、ジュリアは小さな声で返した。


「ええ。治療段階で精神の汚染が進みすぎていたと考える他ないわ」

「高畑先生、それよりこれ見てください。汀ちゃんに言われてポケモンやってたんですけど、この先に進む方法が分からないんです」


そう言って立ち上がり、3DSを差し出した理緒と圭介との間に割って入り、ジュリアは彼女を押しとどめた。


「片平さん、高畑先生は今起きたばかりで、ゲームが出来る状態じゃないの。自分の部屋に戻ってもらえるかな?」

「嫌です。私は汀ちゃんと一緒に遊ぶんです」


はっきりと拒否の声を発し、理緒は歪んだ、良く分からない表情で微笑んでみせた。


「……私まだ眠くないので」

「汀さんにはさっき薬を投与したの。落ち着いて聞いて。あなたにもお薬をあげる。よく眠れるお薬よ。だから、今日はもう寝ましょう?」

「嫌です。私は汀ちゃんと一緒に遊ぶんです」


さっきと同じセリフを繰り返し、理緒は面倒くさそうにジュリアを睨んだ。


「邪魔をするんですか?」

「邪魔をしているわけじゃないの。片平さん、落ち着こう?」

「私は落ち着いてます」


そこで圭介は、長袖から除くジュリアの細腕が痣と引っかき傷だらけなことに気がついた。

よく見ると、化粧に隠されているが顔にも傷がついている。


「説得しても無駄だ。GMDの三十五番を投与しろ。早く」


右手で3DSを持ちながら、左手でジュリアの腕を掴もうとした理緒を見て、圭介は声を上げた。

そこでジュリアがハッとして、逆に理緒の腕を捻り上げる。

小さく悲鳴を上げた理緒の首に、ジュリアはポケットから出した小さな注射器の、一ミリにも満たない針を突き刺して、中身を流し込んだ。

問答無用の行動だった。


「……私に何をしたんですか!」


理緒が首を抑えながら後ずさる。

彼女は忌々しそうにジュリアを見て、繰り返した。


「そこをどいてください。私は汀ちゃんと一緒に遊ぶんです!」

「聞く耳を持つな。精神崩壊した人間を説得しても無駄だ」


圭介が上半身を無理矢理に起こしながら口を開く。


「精神崩壊?」


理緒が怪訝そうに繰り返して圭介を見た。


「私がですか?」

「他に誰がいる?」

「私は正常ですよ。異常なのは高畑先生の方じゃないですか?」


あっけらかんとそう言われ、圭介は一瞬言葉に詰まって理緒を見た。


「……何?」

「ですから、異常なのは私ではなく、あなただと言っただけです」


理緒はニィ、と笑って続けた。


「異常者に異常者扱いされたくありませんね。心外です」

「片平さん……! 高畑先生はあなたの命を救った恩人ですよ!」


咎めるようにジュリアが声を荒げる。

理緒はそれを聞いてケタケタと笑うと、小馬鹿にするように彼女に言った。


「何ですか? あなたとは話していません。それとも昔の男の前で格好つけたくなりました?」


ジュリアの顔から血の気が引いた。


「……何ですって?」

「あら? 図星でした?」

「聞いてたのね……この子!」


思わず手を振り上げたジュリアの目に、理緒が不気味な無表情でクローゼットを開け、自分のバッグを開いたのが映った。


「ちょうどいいや。これ買ってきたんです」


ずる、と理緒が嬉しそうに中から肉切り包丁を取り出したのが見えた。


「エドシニア先生、生きてる人間ブッ叩いたらどんな感触なのかな? 教えて下さいます?」


挑発するように包丁をゆらゆらさせた理緒を見て、圭介が歯噛みする。


「……お前はどんな管理をしてるんだ」


呆れたようにジュリアに向けて呟き、圭介はため息をついてから理緒に言った。


「医者に刃物を向けるとは何事だ。少なからずとも、君も医者の端くれだろう。それとも、単なる快楽殺人者に堕落したいのか?」

「でも先生、人を殺すってすごく楽しいんですよ? 知らないんですか?」

「知らんな」


冷たくそう返し、圭介は左手を伸ばしてベッド脇の緊急ナースコールのボタンを押した。

数秒も経たずに、バタバタと足音が聞こえて黒服のSPと白衣の看護師達が病室に駆け込んでくる。


彼らは理緒を見て一瞬ギョッとしたが、さすがに対応が早かった。

すぐに理緒はSP達に取り押さえられ、壁に押し付けられた。


「離してください……! 離して……」


そこで、声を上げた理緒の体から、いきなり力が抜けて、彼女はグッタリとその場に崩れた落ちた。


「……効果が確認できるまで二分三十秒か。かかりすぎだ。もっと強い三十六番を投与しろ」

「で、でも……この子の脳細胞が……」

「それで殺されたら元も子もないだろう!」


圭介に怒鳴られ、ジュリアが小さくなる。

圭介は小さく咳をすると、近くの看護師に言った。


「その子は私がいいと言うまで部屋から出さないでください。心配ない、出れないと分かれば静かにしてる。拘束することはできないから、私の名前を使って至急元老院からマインドスイーパー管理用のSPを四人雇ってください。その子の身の回りの世話をさせます」


頭を下げて下がった看護師を見送り、圭介は連れ出される理緒からジュリアに視線を戻した。


「……呆れてものも言えないな」

「…………」


唇を噛んだジュリアに、彼はかすれた声で続けた。


「大河内を呼んでくれ。話がある」



「……そうか」


片手にコーヒーの缶を持ちながら小さく呟いた大河内に、圭介は珍しく声を荒げた。


「分かっているのか? 聞こえなかったか? 機関を止めろと言ったんだ」

「何故それを私に言う?」


薄暗い病室の中で、ジュリアは腕組みをして壁にもたれかかり、二人の会話を聞いていた。

圭介は横目でチラリとジュリアを見てから、大河内に押し殺した声を発した。


「白を切るつもりか……お前が機関と、いや、『GD』と繋がっていることはもう分かっているんだ」


ジュリアがハッとして息を呑む。

顔を上げた大河内の表情を見て、圭介は言葉を止めた。

大河内は薄ら暗く笑っていた。

その不気味な表情を見て、圭介が色をなす。


「何がおかしい……!」

「いや、何。お前が狼狽したところを見たのは、坂月君が死んだ時と、真矢ちゃんが死んだ時以来だと思ってな」

「この……!」


圭介がいきなり上半身を起こして、大河内の胸ぐらを掴み上げた。

大河内が持っていたコーヒーの缶が床に転がり、中のコーヒーが床にぶちまけられる。

それを気にする風もなく、大河内はゆっくりと圭介に言った。


「お前も私も、病み上がりだ。お互い乱暴はやめようじゃないか」

「答えろ……! お前、知ってたな。テロが起これば、機関がナンバーIシステムを起動させることを、知っていて今まで黙っていたな!」

「お前らしくもないな……落ち着けよ、高畑」

「腐れ外道が……!」


吐き捨てて大河内を殴りつけようとして、圭介は体中の痛みに顔をしかめ、腕を止めた。

大河内は手を放して体を丸めた圭介をしばらく見ていたが、やがて白衣のポケットに手を突っ込んで、軽く喉を鳴らして笑った。


「……私の口からは一言も言っていない。全て、お前の憶測だ」

「……何ィ?」

「だが、汀ちゃんは必ず取り戻す。その言葉は今も昔も変わらないよ。ジュリア先生も、よく覚えておくといい。その子は、私のものだ」


挑発的にそう言って、大河内は冷たい麻痺したような目で、簡易ベッドで眠っている汀を見下ろした。


ジュリアが青ざめた顔で足を踏み出し、大河内を見上げた。


「……どういう意味ですか? あなたは、赤十字病院所属の医師ではないのですか?」

「…………」

「ドクター大河内、答えてください」

「教えてやるよ。そいつはおそらく、お前の所属している『機関』の更に上層部から、数年前に赤十字病院に派遣されてきた、諜報員の一人だ」

「え……」


呆然としたジュリアに、口を挟んだ圭介は苦虫を噛み潰すように続けた。


「組織の名前はGD。元素記号ガドリニウムの略だ」

「GD……あずま機関ですか!」

「知らなくてもいいことを知っているということは罪だな。なぁ高畑?」


大河内は奇妙に歪んだ笑みを圭介に向けた。


「有り体な反論をさせてもらうとすると……証拠はあるのかね? 私が、そのGDとやらの諜報員であるという証拠が」


大河内は汀の簡易ベッドによりかかり、ゆっくりと続けた。


「そもそも機関のマインドスイーパーが知らされていない組織が存在するのかい? そして私は、仮に存在するとして何を諜報させられているんだい? 答えてもらおうか」

「ナンバーIシステムの後釜を探しているんだろう。汀はそのターゲットになっているだけだ」


押し殺した声でそう言った圭介の言葉を聞いて、大河内は発しかけていた言葉を飲み込んだ。

そして引きつった笑みを返して口を開く。


「憶測だ」

「生憎と世の中には親切な人がたくさんいてね」


圭介は冷たい無表情で大河内を見て、鼻を鳴らした。


「その親切な人達は、お前の思っている以上に強い」

「その言葉をそっくりそのままお前に返すよ」


淡々と言った大河内と圭介が睨み合う。

そこでピピピとジュリアが持つ携帯端末から、小さな呼び出し音が鳴った。

彼女が耳にはめていたイヤホンを操作し、口を開く。


「はい……はい。分かりました。準備を進めます」


イヤホンの通話を切り、彼女は大河内と圭介を見た。


「言い争いはそこまでにしていただきましょうか。明日の朝、八時間後の午前六時にシステムの起動を行うわ。重篤な患者十五人の『治療』を行う予定よ」


それを聞いて、大河内と圭介はそれぞれ全く違った表情を浮かべた。

大河内はジュリアの方を見て、ニッコリと優しそうに微笑んでみせた。


「良かった。これで十五人の尊い命が助かる」

「ふざけるな!」


圭介は顔を真っ赤にしてドンッ、と壁に拳を叩きつけた。


「それは治療じゃない! 精神のロボトミーだ! 『殺人』だぞ!」

「汀ちゃんが起きるぞ」

「話をすり替えるな!」

「聞いて、ドクター高畑。ナンバーIシステムの起動はもう避けられないわ。でも、患者の『被害』を最小限にする方法はある」

「…………」


黙り込んだ圭介に、ジュリアは淡々と言った。


「その時のために、汀さんを育ててきたのでしょう?」

「何だと?」


大河内の顔から血の気が引いた。


「何の話をしているんだ? ナンバーIシステムの起動が成功すれば、もう汀ちゃんや理緒ちゃんがダイブをする必要はなくなる! それどころじゃない、世界中のマインドスイーパーが……」

「成功なんてしない。そう出来てるんだ。現に、坂月は死んだだろ!」

「本当の意味では死んでない! 坂月君はまだ生きている!」


大河内と圭介が怒鳴りあう。

今度は大河内が圭介の胸ぐらをつかみ上げ、彼の顔を怒りの表情で覗きこんだ。


「……汀ちゃんをシステムにダイブさせるつもりだな? ……そんなことはさせないぞ! 彼女を第二の坂月君にするつもりだな!」

「吠えてろよ。まだ汀は俺のものだ」

「私の……私のこの五年間を全て無にするつもりか?」


声を震わせながらそう言った大河内に、圭介はニヤリと歪んだ笑みを返した。


「お前の五年間なんて、俺にとっては病室に紛れ込んだちっぽけな蜘蛛ほどの価値もないんだよ」

「やめてください、ドクター大河内。ドクター高畑は先ほど目が覚めたばかりなんです」


ジュリアに手を掴んで止められ、大河内は圭介から手を離した。


「元老院は、システムの暴走を防ぐために、汀さんとの共同ダイブを命じています」

「くっ……」


歯噛みした大河内に、圭介は突然引きつったような奇妙な、甲高い笑い声を投げつけた。


「はは……はははは! つくづく運が無いなァ、お前って男は! だがそれが現実だ。いい機会だ。機関、お前らがそういう形で挑戦状を叩きつけてきたんなら、俺達はそれを叩き潰すまでだ」

「…………」


ドンッ、と大河内が歯ぎしりをしながら壁に拳を叩きつける。


「喧嘩を買ってやるよ」

「この……卑怯者が……!」


睨み合う大河内と圭介。

少し離れたところでバスケットの中に起き上がっていた小白が、爛々と金色に輝く目で彼らを見ていた。



無理矢理に起こされた汀は、白衣を着て松葉杖をついた圭介を見て、しばらく狼狽していたが、やがてボロボロと涙をこぼし始めた。


「圭介……良かった。死んじゃったかと思った……」

「理緒ちゃんと同じことを言う。さすが友達だな」


圭介は淡々と言って、汀の隣の椅子に腰を下ろした。


「まだ右半身に麻痺が残ってるが、大丈夫だ。心配をかけたな」

「うん……心配したよ」

「……話は後からしよう。生憎と俺は、まだ後遺症のお陰でダイブが出来ない。いきなりで悪いが仕事だ。やってくれるか?」


問いかけられ、汀は僅かに憔悴した顔を彼に向けた。


「仕事? でも、私テロリストの子に、精神をかなり傷つけられちゃって、夢でも現実でもまだうまく動けないの」

「何? テロリストと交戦したのか? どうなった?」


身を乗り出した圭介に、汀は少し言い淀んでから答えた。


「……精神中核を捕まえた」

「何だって? 早く情報を抜き取るんだ!」


圭介に押し殺した声で言われ、汀は首を振った。


「警察の人とか、病院の人にもそう言われたけど……断った」

「え……?」

「私、医者だから。患者の情報は守秘義務があるから」

「そんな事言ってる場合じゃないだろう? 医療機関のラインを狂わせてるサイバーテロリストの情報だぞ。一刻も早く情報開示するべきだ」


圭介がゆっくりと諭すように言う。

しかし汀は、またふるふると首を振った。

こうなった彼女は頑固だ。

ため息をつき、圭介は肩を落とした。


「……分かった。だが、病院側がお前を告訴したら、裁判所が仲介に入って強制的に情報開示を迫る場合がある。その時は、お前の身が危ない。素直に引き渡せ」

「嫌だよ。そうなったら私はもう、ダイブをやめる」

「…………」


圭介は歯噛みして、しかし口をつぐんだ。

そして壁の時計を見て、汀の顔をのぞき込んだ。


「瞳孔の拡散はないな。その話も後だ。今からダイブできるか?」

「ダイブはできるけど、役に立つかどうかはわからないよ……」

「できればいい。理緒ちゃんもつける。お前に、治療中枢エリアにダイブしてもらいたい」

「治療中枢エリア?」


問い返した汀に、圭介は頷いて続けた。


「マインドスイープは全て、一つのコンピューターから伸びたネット回線を使って行われている。今回ダイブするのは、そのすべての回線をまとめているコンピューターの中に作られた、仮想夢空間の中だ」

「そんな所があるの?」

「ああ。そこに、ウィルスが入り込む。お前と理緒ちゃんには、それを破壊してもらいたい」

「圭介、話が早すぎて何が何だか分からないよ」

「簡単に言おう。赤十字病院は、コンピューターに多数の患者の脳を接続して、中にウィルスを送り込もうとしている」


「え……どうして?」


圭介は低い声で言った。


「ロボトミーって知ってるか?」

「うん、前頭葉を物理的に切り離して、患者の精神病を治療する方法だよね……でも、患者は前頭葉がなくなるわけだから、障害を持っちゃうっていう……」

「それと同じだ。ウィルスは患者の夢の中で、自殺病に汚染された『区画』をそれごと破壊する。精神を欠損させて自殺病を消し去る。それが今から赤十字が行おうとしてる『治療』だ」

「…………」

「赤十字は止まらない。お前にはそれを、出来るだけ阻止してもらいたい」

「……どうして?」


単純な疑問を投げかけられ、圭介は引きつった表情を彼女に返した。


「どうしてって……そんな施術、理に反してる。患者の人格までもを否定して……」

「圭介達が理緒ちゃんにやったことと、何が違うの?」


圭介が、言葉に詰まった。


「答えて圭介。どうして理緒ちゃんは助けてくれなかったのに、今回は助けようとするの?」

「理緒ちゃんを助けなかったわけじゃない。最善を尽くした結果だ」

「嘘。圭介は何かを隠してる。私に何かをさせたいんだ。だから理緒ちゃんを見捨ててまでも私を呼び戻したんでしょ?」


圭介は少し言い淀んでから、何ともいえない悲しげな、それでいてやるせなさそうな瞳を汀に向けた。


「全てお前の憶測だ。汀、お前は人を助けたいんだろう? なら、マインドスイーパーとしての役割を果たせ」

「友達一人救えないのに……ダイブする意味ってあるのかな?」


ポツリと汀が呟いた。

圭介はしばらく沈黙した後、汀の隣にそっと資料を置いた。


「ダイブは今から一時間後だ。その気があるなら目を通してくれ」

「…………」

「お前に任せる。来るも、来ないも。ダイブをするも、やめるもお前の自由だ。勿論今ここでリタイアしたって、俺はお前を責めたり怒ったりはしない。これからも、お前のサポートはし続けるつもりだ」


汀は口をつぐんで圭介を見た。

その目に涙が盛り上がる。


「卑怯だよ……」

「俺は昔から卑怯なんだ。すまないな……」


圭介は何ともいえない表情のまま、汀をそっと抱き寄せて頭を撫でた。


「俺は行かなくちゃ。残念だが、お前とゆっくり話してる暇はない」

「ダイブするの?」

「お前が出来ないなら、俺がダイブしてでも止める」

「……少し、考えさせて」

「分かった。来る気があるなら、資料には目を通しておいてくれ。その方がいいと思う」


圭介は立ち上がると、松葉杖を鳴らしながら病室に鍵をかけ、出て行った。

汀は隣で眠っている小白の頭を撫でてから息をついた。


少しして、病室の鍵がゆっくりと開いた。

汀が顔を上げると、薄暗い廊下から、ひょろ長い影が滑り込んだのが見えた。

圭介ではない。


「……誰?」


まだ頭がぼんやりしていてはっきりしない。

うすけた視界でそう呟くと、人影は懐から煙草の入った金属製の箱を取り出し、蓋を開けて中身を一本つまみ上げた。


「すまないね……どうも習慣づいてしまって、くわえておかなければ落ち着かない。安心したまえ。病床のレディーの前で火はつけない」

「誰なの!」


馴れ馴れしいしゃべり方にゾッとして、汀は大声を上げた。

そしてナースコールのボタンに手を伸ばし……大股で近づいてきた男に、自由な右手と口をそっと抑えられて、目をむく。


「静かに。私は、君のためになることを教えに来たんだ」

「…………」

「静かにしてくれるなら、要件だけを伝えて二分でここを去る。煙草も吸わない。この手も放そう。君は聡い子だ。分かるね?」


煙草臭い息。

咳き込みかけた汀は、慌てて何度も頷いた。

男は手を放し、安心させるように汀から数歩距離をとった。

そして椅子に軽く腰を掛ける。


「……誰?」


押し殺した声で問いかけた汀に、男は言った。


「喫煙者と呼んでくれ。名前は教えるに値しない」

「ここは関係者以外立入禁止よ。出てってくれるなら、人を呼んだりしないわ」


右手を伸ばしてナースコールのボタンを掴み、脅すように汀は言った。

喫煙者と名乗った男は、息をついて軽く肩をすくめた。


「私は君の主治医、高畑君といささか旧知の仲でね。簡単に言うと友達のようなものだ」

「圭介と……?」

「ああ。何度か会ったこともある」


フゥー、と息を吐いて喫煙者は続けた。


「昔話をしよう、何、簡単な昔話だ。一分で終わる」

「…………」

「今から十年前、赤十字病院に数人の優秀なスイーパーがいた。そのうちの二人はS級に達するほどの、非常に強力な適性能力を持っていた」

「…………」

「一人の名前は坂月健吾、もう一人の名前を松坂真矢と言う」

「坂月……」


繰り返してハッとする。

理緒が呟いていた言葉。

自分の夢の中に出てくるスカイフィッシュと同じ顔をしているという、赤十字の医者。


「坂月君と仲が悪い特A級スイーパーもいた。犬猿の仲というわけだ。その子の名前は、中萱榊なかがやさかき。君の、よく知る人だ」

「私の……?」


頷いて微笑み、喫煙者は続けた。


「中萱君と、坂月君は同時に松坂君のことを好きになってしまった。しかし間の悪いことに、松坂君は自殺病を発症。マインドスイーパーとしての任務を行うことができなくなるばかりではなく、日常生活や、会話でさえも困難な生ける屍になってしまった」

「…………」

「中萱君と坂月君は必死になって松坂君を治療する方法を探した。先に治療法を見つけたのは、坂月君の方だった。彼は松坂君の治療に独断であたり……失敗した」


淡々と続け、喫煙者は息をついた。


「失敗して坂月君は死んだ。そして同時に、松坂君も死んだ。中萱君は悲しんだ……とても、とても悲しんだ。そして憎んだ。私達、原因を作った大人を」

「…………」

「しかし大人は、松坂君と坂月君、S級能力者がそのまま『死んだままでいる』ことを許さなかった。ここまで喋れば、君ならこの後どうなったか、想像がつくんじゃないかな?」


いつの間にか、汀は真っ青になっていた。

彼女はガクガクと震える肩を動く右手で強く抑えた。


床に音を立ててナースコールのボタンが落ちる。

クククと笑って、喫煙者は立ち上がった。


「ナンバーIシステムの正体が分かったかい? 変異亜種と言われるスカイフィッシュの正体が分かったかい? 汀君。君はどちらにもなれるし、どちらにもならなくてもすむかもしれない。そして同時に、君は選択しなければいけない」

「…………」

「君は一体、何になりたいんだね?」

「私は……」


汀は、額に大粒の汗を浮かべながら呟くように言った。


「私は……大きくなって、普通に結婚して……」

「…………」

「大河内せんせと結婚して……子供は三人以上つくって……」

「…………」

「小さな病院開いて……沢山の人を助けてあげて……」

「…………」

「幸せな……生活を……」

「無理だな」


汀の言葉を端的に打ち消して、喫煙者は息をついた。

汀はそれを聞いて、目を見開いた。

停止した彼女に、静かに、畳み掛けるように彼は言った。


「『運命』がそれを許さないさ」

「…………」

「覚えてないのかい? 汀君。いや、網原汀あみはらなぎさ君。君が何をしたのか。坂月君、松坂君、そして中萱君に対して何をしたのか、まだ思い出せないのかい?」

「私は……」

「…………」

「沢山の人を助けて……」

「…………」

「幸せに、なるんだ……!」


ギリ……と歯を噛み締めて汀は振り絞るように言った。

その必死の視線を受けて、喫煙者は息をついて懐からサングラスを取り出した。

そして薄暗い中だというのにそれを顔にはめ、立ち上がる。


「長居をしてしまった。汀君。君の贖罪を全うするために。いや、『沢山の人を救うために』……行くんだ。君は、ダイブを続けなくてはいけない」

「…………」

「私からの助言は、以上だ」


喫煙者が去った後も、汀は大分長いこと呆然としていた。


葛藤。

恐れ。

苦しみ。

混乱。


様々な状況と感情が彼女の頭の中を引っ掻き回していた。

しかし。

彼女は時計の針が朝六時を指すのを見て、ハッとした。


そして資料を引き掴む。

汗を振り飛ばし、汀はかたわらの小白に叫ぶように言った。


「行くよ、小白。私達は、人を救うんだ……!」

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