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第13話 涙

燃える家の中に、理緒は座っていた。

その瞳は見開かれてはいたが、光を失い、焦点が合っていない。


彼女は崩れ、倒壊してくる家の中、壁に背中をつけて小さくなっていた。

しばらくして、ドルンというエンジンの音が聞こえた。


うつろな瞳のまま顔を上げた彼女の目に、ドクロのマスクと、ボロボロのシャツにジーンズ、そして巨大なチェーンソーを持った男の姿が映った。

しばらく、男と理緒はただ見詰め合っていた。


「……殺して」


理緒はそう呟いた。


「早く私を殺して……」


光を失った瞳のまま、彼女は押し殺した声で叫んだ。


「どうしたの? どうしていつも、近づいてこないの? どうしてそこでじっとしてるの? 殺してよ、早く私を殺してよ!」


男は動かなかった。

ただチェーンソーを回転させて、こちらをマスクの奥の黒光りする瞳で見つめている。

理緒は頭を膝を抱き、そこにうずめてすすり泣いた。


「死にたいよ……死にたいよぉ……」


絶望しきったその声が、倒壊する家屋に響く。

顔を上げた時、そこには男の姿はもうなかった。

理緒はぼんやりとした表情のまま立ち上がり、燃える家の洗面所まで歩いていった。


そして、カミソリを手に取り、左手首に当てる。

そこには、沢山のためらい傷や、一文字の切り傷があった。

縫った痕もある。


彼女は腕に力を込めて、刃を細い肉に力いっぱい押し込んだ。

ブツリという嫌な音がして、皮、肉、血管、筋が断裂する。


何度も、何度も行ってきた行為。

もう慣れてしまった熱い感触。

血がたちまち溢れ出す。

意識が段々と薄れていく。


「やだ……やだよ……」


彼女はカミソリを取り落としながら、火が落ち着き始めた周囲を見て狼狽した。

そして腕から血を流しつつ、頭を抑える。


「やだ……もう起きたくない……起きたくない!」


火が段々と消えていく。

まるで、テープを逆再生するかのように。

理緒はその場にうずくまり、そして絶叫した。



理緒は目を開いた。

そこは、いつもの変わり映えがしない病室の中だった。


明るい照明。

そして自分を囲んでいる機器と点滴台。

点滴を刺され過ぎて、肘の内側が真紫になっている。


「もう駄目かもしれない」


カーテンの奥から、圭介の声が聞こえた。

ああ、私のことを言っているんだなと理緒は、ぼんやりとした思考の奥でそう思った。


「マインドスイーパーの適正がなかったと考えるしかない。スカイフィッシュに打ち克つ力が、彼女にはない」

「だが、見捨てるにはまだ早すぎる」


大河内の声も聞こえた。

圭介はそれを鼻で笑い、押し殺した声で言った。


「使い物にならない道具に興味はない。お前が欲しいんなら、やるよ」

「大概にしろよ、高畑!」


椅子を蹴立てて大河内が立ち上がる。


「今の言葉は聞かなかったことにする。最後まで責任を持て! お前が原因なんだぞ!」

「声を荒げると、また起きるぞ」

「……ッ!」


歯噛みした大河内が、落ち着きなく部屋の中を歩き回る。

そこで、聞き知らない女性の、ゆったりとした声が聞こえた。


「喧嘩をしている場合? お二人とも、少し休んだ方がいいわ」

「ジュリアさん……」


大河内がそう言って深くため息をつく。


「……その通りだ。お見苦しいところを見せてしまった」

「あなた達がここでいくら喧嘩をしても、患者が良くなるわけではないわ」


ゆったりとした声だった。

患者?

それを聞いて、理緒は少し疑問に思ってから、

すぐに合点がいった。


そうだ。

私は今、患者なんだ。


「自殺未遂十一回。夢の中でも何度も死んでいるようね。自殺病の発症を確認。もうこの子の精神はボロボロよ。早々に手を打たなきゃ」

「ミイラ取りがミイラになるとは、まさにこのことだな」


圭介の声に、大河内の影が圭介の影の胸倉を掴み上げたのが、理緒の目に見えた。


「お前があの時に、あんなことを教えなければ……」

「お二人とも、出て行ってくださる?」


ゆったりと、ジュリアと呼ばれた女性がそう言う。


「もう起きているみたい。少し二人でお話をさせて?」


背の低い女性の影が、こちらに近づいてくる。

カーテンが開き、その隙間から、長い金髪を腰まで垂らした女の人が中を覗き込んだ。


二十代前半だろうか。

理緒と同じくらいの背丈だが、妙に落ち着いた雰囲気をかもしだしている。


白衣だ。

青い瞳。

日本人ではないらしい。

目が大きく、人形のような女性だった。


彼女……ジュリアは落ち窪んだ目をした理緒と視線が合うと、ニッコリと微笑んで見せた。

大河内と圭介が黙って病室を出て行くのが見える。


ジュリアはカーテンの中に入ってくると、理緒の隣の椅子に腰を下ろした。

体を起こそうとした理緒にそのままでいいとジェスチャーで伝えてから、彼女は口を開いた。


「私はジュリア・エドシニア。あなたを助けるために来た、マインドスイーパー治療班の一人よ」

「治療班……?」


理緒はかすれた声でそう言った。


「私、もう治療なんていい……いいです……」


泣き出しそうな顔でそう言って、理緒は血のにじむ左腕の包帯を見た。

ぐるぐる巻きにされている。

全て、ここ数日で切ったものだ。


ガラスを割って刺したこともある。

鏡を割って切り裂いたこともある。

鎮痛剤を投与されているので、あまり痛みは感じなかったが、所狭しと縫われている腕は、ジクジクと異様な感触を与えた。


衝動的に。

いや、そう言ってはおかしいかもしれない。


実に自然に。

理緒は、生きることがとても辛くなった。


理由という理由はないのかもしれない。

ただ、つらかった。

その原因を考えるまでの余裕は、彼女にはなかった。


大河内をはじめ、周囲は自殺病の発症だといった。

どこから感染したのか、何が病因なのかは分からない。

心当たりが多すぎて、どうしようもなかったのだ。


汀が意識を失ってから、僅か三日で、理緒の心と体は、既に衰弱してボロボロになっていた。

ジュリアは理緒の手を握り、優しく語りかけた。


「死にたいの?」

「はい……」


頷いて、理緒は薄く目に涙を溜めながら続けた。


「夢の中に……あの人が出てくるんです。でも何もしない……私が死ぬのを待ってるんです……私もう疲れました。もう駄目……殺してください……お願いします……もう私を、これ以上苦しめないでください……」

「それはただの夢よ。現実ではないわ」

「現実か夢かなんて……誰も分からないじゃないですか。私、今ここにいることが現実かどうかも……分からなくなってきました」


理緒の目から涙が流れる。


「分からない……分からないんです……」


両手で顔を覆い、涙を流す理緒の頭を撫で、ジュリアは続けた。


「よく聞いて。あなたは自殺病にかかっているわ。無理なダイブを繰り返したせいで、スカイフィッシュ症候群に感染したの。即急に治療をしなければ、命が危ない」

「治療なんて……いいです……」

「生きる気力を、患者が持たないといけないわ。しっかりして」

「本当にいいんです……もう許してください……」


ひく、ひくと泣いて、理緒は体を脱力させた。


「薬なんて効かない……私もう眠れない……」

「あなたを絶対に助ける。そのためには、あなたの協力が必要なの」


ジュリアはそう言って、ベッドの上に腰を移すと、理緒の頭を抱いて引き寄せた。

久しぶりの人間の感触に、理緒が小さく息を吐く。


「…………」

「落ち着いた? あなたはまだ戻れる。戻れるうちに、帰って来なさい。私達が待ってるから……」

「私……帰れる……? 戻れる……?」

「ええ。あなたは帰れる。お家に、帰れるわ」

「あなたに……何が分かるんですか……」


落胆した声で、理緒は小さく呟いた。

言葉を飲み込んだジュリアに、彼女はかすれた声で続けた。


「私のお家は、赤十字病院です……お父さんもお母さんも死にました。親戚もいません……私は、一人ぼっちなんです……」

「そうだったの……」


ジュリアは強く理緒の顔を抱きしめると、ささやくように言った。


「でも、絶対に助ける。諦めないで。あなたも、あなたの友達も、私達が助けるから」

「私の……友達……」


光がなかった理緒の目に、少しだけ活力が戻った。


「私……友達がいる……」

「そう、あなたには友達がいるでしょう? 大事な友達。あなたが、命がけで守った友達がいる。見捨てて逃げることは出来ないんじゃなかったの? 聞いたわ。あなたは優しい子なのね……」

「ジュリアさん、私……」


理緒はジュリアの胸にしがみついて、涙を流した。


「汀ちゃんに会いたい……」



「……以上が今回のプランです。S級のスカイフィッシュに対抗するために、私もダイブに同席します」


ジュリアがそう言って、息をつく。

元老院と赤十字病院の医師達が集まっている、薄暗い会議室の中を、彼女は見回した。


後ろの方の席に圭介はいた。

興味がなさそうに足を組んで、ボールペンをカチカチと鳴らしている。

前の席に座っていた大河内が、咳をしてからかすれた声で言った。


「……テロリストの進入も考えられる。安易なダイブは危険を招く」

「しかし即急に救わないと……少なくとも片平理緒さんの命は、長く見積もっても、あと三日もつかもたないかです」


それを聞いて、医師達がざわめく。


「……沢山のマインドスイーパーがここで命を落としている。病院の見解としては、マインドスイープに対してかなり慎重にならざるをえないことは理解してもらいたい」


赤十字病院の医師の一人がそう言うと、同調するざわめきが広がった。

ジュリアは頭を抑え、軽く髪を手で梳いてから圭介を見た。


圭介は一瞬彼女と視線を合わせたが、すぐに視線をそらして横を向いた。

彼を睨んでから、ジュリアは元老院の方を向いた。


「ご老人方はどうお考えですか?」


問いかけられた元老院の老人の一人が、少し考えてから重苦しく口を開いた。


「……高畑汀と、片平理緒を失うのは、今の日本の医療業界にとって、重大な損失だ。できることなら……いや、確実に二人は治療しなければいけない」

「ありがとうございます」


ジュリアが頭を下げる。


「そのために私は、日本に来ました」

「しかし……テロリストの件が表立ち、今の日本ではマインドスイープを行える医師が、治療を自粛する流れになってきている。聞けば、テロリストの狙いは、高畑汀だそうではないか、なぁ高畑医師」


部屋の隅に立って、タバコを吸っていた初老の男性が口を挟んだ。

深く掘りが入った顔に、くぼんだ目をしている。


表情が読めない男性だった。

圭介は彼をちらりと見ると、資料をテーブルの上に投げてから口を開いた。


「その件に関しては、お話しする義務がございません」

「高畑医師! それはあまりにも粗暴がすぎないか!」


赤十字病院の医師の一人が、顔を真っ赤にして立ち上がり、怒鳴った。


「あなたの……いや、お前のせいで、何人のマインドスイーパーが死んだと思っている! いくら元老院所属とはいっても、これ以上の協力は我々としても……」

「静粛に」


大河内が低い声を発する。

彼が手を叩いたのを聞いて、医師達は圭介を睨みつつ、歯軋りしながら口をつぐんだ。

元老院に頭を下げ、大河内は続けた。


「お見苦しいところをお見せしました。ご老人方、どうか気分を悪くされないでいただきたい」

「良い。この度の一件に関しては、こちらにも非がある」


元老院の老人がそう言う。

圭介は興味がなさそうに、軽くあくびをして、椅子に肘をついた。


「……議題を戻してもよろしいでしょうか?」


ジュリアが周りを見回し、おっとりとした声で続けた。


「高畑汀さんの精神中核を持っているのが、片平理緒さんである以上、汀さんを助けるためには、理緒さんをまず救わなければいけません」

「何……?」


そこで初めて、圭介が狼狽したような声を発した。

彼はジュリアを見て、噛み砕くように言った。


「あの子が、汀の精神中核を持っているのか……?」

「先ほど本人から聞きました。ある程度落ち着かせて、断片的に聞いた内容ですが、間違いないと思われます」

「そんな重要なことを、何故今まで黙っていた……?」


押し殺した声で呟くように言った圭介を冷めた目で見て、ジュリアは続けた。


「目の色が変わりましたね、ドクター高畑」

「質問に答えて欲しい」

「聞かれなかったから答えなかったまでです。あなたは、あの子達に信用されていないのでは?」


公の場で嘲笑にも等しい侮辱を受け、圭介は軽く歯を噛んだ。

そして背もたれに体を預け、足を組みなおしてから口を開く。


「それは、そちらのご想像にお任せしましょう。議論の余地はありません」

「……そうですね。軽率な発言でした。とにかく、汀さんの精神中核を、理緒さんの精神内から抜き取って、元に戻さなければいけません。その施術を行いつつ、スカイフィッシュの相手をしなければいけません。私のチームが力をあてますが、卓越した技量を持つマインドスイーパーの力が必要です」


彼女がそう言うと、医師達の間にざわめきが広がった。

一人の医師が声を荒げた。


「私は協力を辞退させていただきます。これ以上、ラボから人員を消すわけにはいかない」


それに同調する人々の声を聞いて、ジュリアは手を上げて声を制止した。


「ドクター高畑、協力していただけますね?」


含みをこめて聞かれ、圭介は一瞬視線を揺らがせたが、狼狽したように彼女に言った。


「……私が?」

「はい。元特A級能力者、対スカイフィッシュ戦闘用マインドスイーパーの、あなたの力が必要です」


医師達が目を見開く。

元老院の老人達は目をつぶり、息をついた。

くっくと笑うタバコの男を横目に、圭介は苦々しげに言った。


「……どこからその情報を入手したのかは分からないが、私はもうマインドスイープを止めました。ダイブは無理です」

「あの子達を、助けたくはないんですか?」


ジュリアに問いかけられ、圭介は発しかけていた言葉を飲み込んだ。

そして、しばらくして頭を抑え、目を隠す。


まるで、殺気を込めた視線を隠すように。

圭介はメガネをテーブルの上に置き、深呼吸してからジュリアに言った。


「……分かりました。ただし、ダイブの時間は五分とさせていただきます」

「ご協力感謝いたします。それでは今回のダイブの説明を始めさせていただきます」


ジュリアが頭を下げ、ホワイトボードを手で示した。

大河内が横目で圭介を見る。

圭介は爪を噛みながら、瞳孔が半ば開いた目でジュリアを睨んでいた。



薬で眠らせている理緒を囲むようにして、ヘッドセットに機器を接続したマインドスイーパー達が椅子に腰掛けていた。

ジュリアと圭介の頭にも接続がしてある。

暗い表情をしている圭介をちらりと見てから、計器を操作している大河内が口を開いた。


「第一段階のダイブは、時間を十分に設定します。いいですね、ジュリア女史」


問いかけられ、ジュリアが頷いた。


「時間が300秒を突破しましたら、何が起こっても強制的に回線を遮断してください。たとえ、この中の誰が帰還不能になってもです」


機器が接続されているマインドスイーパーは、黒人や西洋の人間など、いろいろな人種が混ざっているが、一様に二十代前半から後半の者達だった。


「目的はスカイフィッシュの排除。精神分裂を防ぐことです。また、外部からのハッキングが考えられます。防御手段を持たないので、スカイフィッシュ共々、この機会に駆逐します」

「分かりました。幸運を祈ります」


ガラス張りの部屋の向こう側には、沢山の医師達が腕組みをしながらこちらを見ている。

タバコを吸っている男も、無機質な目で圭介を見ていた。


「高畑、いけるのか?」


大河内に小声で問いかけられ、圭介は鼻を鳴らして、自嘲気味に笑った。


「さてな」

「さてな……って……お前、遊びではないんだぞ」

「また俺をあそこに送り込むのか。鬼畜共め」


くっくと笑い、圭介は大声を上げた。


「ダイブを開始してください!」


その右手が、かすかに震えている。

圭介は左腕でそれを押さえ込むと、大河内を見てニヤリとした。


「やるよ、俺は。お前みたいな役立たずとは違うからな」



理緒は目を開いた。

あたり一面血まみれだった。


そうだ、私は。

さっきまた腕を切って。

血が段々となくなって、体が段々と冷たくなっていくのを感じながら、気持ちよく眠りについたんだった……。


でも、どうして……。

どうして私はまた、起きてしまったんだろう。


そこまで考えて、理緒は左腕の深い切り傷から流れる血液を、必死に止血しているジュリアの姿を見た。

ジュリアは、彼女を守るように立っている他のマインドスイーパー達と目配せをすると、理緒のことを強く抱きしめた。


「私達が来たから、もう怖くないわ。大丈夫。早くこの悪夢から抜け出しましょう」


そこは、燃える建物の中だった。

病院の中だった。


理緒が現実か夢か区別がつかなかったのも無理はない。

彼女の病室と全く同じ景色。


しかし、窓の外の暗闇は、赤々と燃える、巨大なキャンプファイヤーのようなものに照らされていた。

豚の丸焼きのように、沢山の人間が足から吊るされて火にかけられている。


あたりには据えた悪臭が充満していた。

病室のいたるところも欠損して、燃えている。


「ドクター高畑は?」


ジュリアがヘッドセットのスイッチを入れて声を上げる。

ブツリ、という音がして大河内の声が返ってきた。


『ダイブにはあと二、三分ほどのイメージ構築の時間が必要だそうです。それまで、彼女を保護してください』

「何ですって……?」


絶句してジュリアが息を呑む。

彼女に、英語で他のマインドスイーパー達が口々に何かを言っている。


「……議論はあとでしましょう。とりあえず、ここを脱出します」


ジュリアはそれを手で払い、理緒を抱いたまま、病室から外に出た。

他のマインドスイーパー達も、ジュリアを囲むようにして部屋を出る。


そこで、ドルン、というチェーンソーの起動音が聞こえた。

ビクリとして振り返った全員の目に、暗い病室の廊下の向こう側に、ドクロのマスクを被った、大柄な男がゆらりと立っているのが見えた。


「いやあああああああああ!」


理緒が絶叫したのとほぼ同時に、ジュリアは無言で走り出した。

他のマインドスイーパー二人がしんがりを守るように立ち、壁に手をつける。


壁のコンクリートがぐんにゃりと変質して刃渡り十八センチほどのナイフに変わった。

スカイフィッシュがチェーンソーを振りながら走り出す。


黒人の男性が、壁を殴った。

コンクリートが砕け、手首までが中に入り込む。

そこから彼は拳銃を掴み出すと、スカイフィッシュに向けて数発、発射した。


飛び上がったスカイフィッシュが、もんどりうって床に転がる。

深追いはせずに、全員病院の出口に向かって走り出した。


「もうやだ! もうやだよう!」


理緒が首を振って泣きじゃくる。

ジュリアは病院の出口に到達すると、ロビーに出たことを確認して足を止めた。

そして息を切らせながら理緒に言う。


「よく聞いて、片平さん。私達大人は、あなた達ほど長時間、夢の中で動くことは出来ないわ。だから、お願い……あなたを助けさせて!」

「助かりたくない! やっと……やっと死ねるところだったのにどうして邪魔するの! やっと私、楽になれたところだったのに!」


癇癪を起こしたように喚く理緒の口に指を当てて黙らせ、ジュリアは言った。


「友達の精神中核。あなたが持っているんでしょう? 一緒に、友達を治しに行きましょう。死ぬのはそれからでも遅くはないわ」


理緒はそれを聞いて、押し黙った。


「汀ちゃんの……中核……」


理緒はポケットに手を入れた。

病院服の、血まみれになったそこから、ビー玉のような黄色く光る玉を取り出す。


「これ……」

「それを絶対に離しちゃ駄目。あなたの大事な友達は、それを壊されたら生きる屍になるわ」

「汀ちゃん……」

「高畑汀さんに会うんでしょう! しっかりしなさい!」


ジュリアがそう言ったときだった。

彼女らの背後の天井に、ビシッと音を立てて亀裂が走った。

そして轟音を立てて崩れ落ちる。


慌てて距離をとったジュリア達の目に、無傷のスカイフィッシュが、床に着地して立ち上がったのが見えた。

恐怖のあまりに、声も出せずに理緒がジュリアにしがみつく。


不意をつかれた形で、拳銃を持っていた黒人の男性が、スカイフィッシュのチェーンソーに頭をカチ割られた。

あたりに絶叫と、血液と、脳漿と、よく分からない物体が飛び散る。

スカイフィッシュは倒れた男を蹴り飛ばすと、ドルンドルンと、血まみれのチェーンソーを鳴らした。


「ドクター高畑を早く!」


ジュリアが外に逃げながら、大声を上げる。


『今転送を開始しました! ダイブ開始まで十秒、九、八……』


スカイフィッシュが人間とは思えない動きで移動し、大きくチェーンソーを振った。

ナイフを持っていたマインドスイーパー達が、腹部を両断されて、驚愕の表情のまま二つになり、床に転がる。

一拍遅れて、あたりに噴水のように血の雨が降った。


スカイフィッシュは、ジュリアを守るように固まったマインドスイーパー達に向かって飛び上がり、チェーンソーを振り下ろそうとして……。

そこで、突っ込んできた人影に体当たりをされ、そのまま背後の壁に、ひびが入るほどの衝撃でブチ当たった。


人影……病院服を翻した圭介は、押し付けられたまま、チェーンソーの刃を回転させこちらに向けたスカイフィッシュの腕を、体全体で力を込めて押さえ、地面に転がっていた拳銃を蹴り上げた。

そして空中でそれをキャッチし、スカイフィッシュの眉間に当てて、何度も引き金を引いた。


そのたびに、ビクンビクンとドクロの男の体が跳ねる。

圭介は返り血でびしょ濡れになりながら、無言で、弾が切れた拳銃を横に振った。

それが刃渡り三十センチはある長大なサバイバルナイフに変質する。


彼はスカイフィッシュの喉にそれを突き立て、壁に磔にすると、一歩下がって、殺されたマインドスイーパー達が持っていたナイフを蹴り上げた。

そして一瞬でサバイバルナイフに変質させ、一気に二本、スカイフィッシュの両腕に突き立てて壁に縫いとめる。


ガラン、とエンジンが切れたチェーンソーが床に転がった。

スカイフィッシュは、それでも体を刺すナイフの痛みが気にならないのか、ゆっくりと壁から体を引き剥がしにかかった。

圭介はその一瞬を見過ごさなかった。


彼は考える間もなくチェーンソーを拾い上げると、ロープを引っ張って起動させた。

そしてスカイフィッシュに回し蹴りを叩き込み、また壁に縫いとめると、その胸にチェーンソーを叩きつける。


凄まじい高音の叫び声が、あたりに響き渡った。

あたりを骨片や血液、よく分からない生物の内臓が飛び跳ねる。


チェーンソーは時間をかけてスカイフィッシュの胸を貫通すると、コンクリートの壁に突き刺さって止まった。

それでもなお、スカイフィッシュはガクガクと震えながら、かすかに動いていた。

圭介は息をつき、汗だくになりながらその場に膝をついた。


「ドクター高畑!」


呼吸が困難になっている圭介に、マインドスイーパーの一人が駆け寄り、横にしてから何度か人工呼吸を行う。

しばらくして圭介は、自分に唇を合わせていた女性を押しのけ、ジュリアに目をやった。


「理緒ちゃんを……降ろせ!」

「え……ええ、分かってる。分かってるわ……」


ジュリアは頷いて、理緒をそっと床に降ろした。

腰を抜かして、ペタリとしりもちをついた理緒に、圭介は立ち上がって近づいた。


「時間がない……やるんだ、理緒ちゃん」


問答無用に彼はそう言うと、足元に転がっていたガレキを一つ手に取った。

それが拳銃に形を変える。

理緒に拳銃を握らせ、圭介はしゃがんで、まだ動いているスカイフィッシュを見た。


「いいか、心臓を狙うんだ。君が殺さないと、君のスカイフィッシュは死なない」

「先生達……どうして……」

「俺達もマインドスイーパーだったという話はしただろう」


理緒を突き放し、圭介は無理やり彼女の手を引いて立たせた。


「早く撃て! 何をしてる!」

「ドクター高畑! 乱暴はよして!」


ジュリアが間に割って入る。

それを鼻で笑い、圭介は言った。


「何だ、役立たずの一人か。ジュリア。仲間を盾にしてまだ生きているとは、見上げた根性だよ」

「あなた……! どうしてすぐにダイブしてこなかったの!」

「スカイフィッシュが動きを止める瞬間を狙っていた。何せ、俺は……」


そこまで言ってから言葉を飲み込み、圭介は理緒の手に自分の手を添えた。


「撃てないか? 引き金を引くだけでいい」

「で……でも……でも、あの人……まだ生きて……」


ブルブルと震えている理緒に、苛立ったように圭介は言った。


「あれは生き物じゃない。ただのイメージだ」

「私そんな風に割り切れない……割り切れないよ……」

「じゃあ君を助けるために死んだマインドスイーパーはどうでもいいっていうのか? 君は、それでもいいのかい?」


問いかけられ、理緒は動かぬ躯となったマインドスイーパー達を見回した。

そして彼女はぎゅっ、と目をつむり。


引き金を引いた。


スカイフィッシュがビクッと跳ね、動かなくなる。

銃を取り落とし、両手で顔を覆った理緒を抱きしめ、ジュリアが口を開く。


「よくやったわ。よく……」

「ジュリア、他のマインドスイーパーに理緒ちゃんを守らせろ。外に出るんだ」


しかしそれを打ち消し、圭介が言った。


『外部からのハッキングだ! 止められない、転送されてくるぞ!』


大河内の声が聞こえる。

息を飲んだジュリアの目に、先ほど殺したスカイフィッシュと同様の格好をした、しかしマスクはつけていない白色の髪をした少年の姿が映った。


一貴だった。

彼はチェーンソーを肩に担いで、動かなくなったスカイフィッシュを見てから唇を噛んだ。


「……何てことを……」


一貴は、地面のガレキを二本のサバイバルナイフに変え、前に進み出た圭介を睨みつけた。


「分裂精神を自分の手で殺させたのか!」

「それが『治療』だ」


圭介は淡々とそう言い、ナイフを構えた。


「あれが……ナンバーX……」


ジュリアはそう呟いてから、理緒を抱きかかえて病院の外に向かって走り出した。

他のマインドスイーパー達もそれを追う。


横目でそれを見て、一貴はパチンと指を鳴らした。

病院の出口がグンニャリと形を変え、コンクリートの壁になる。

足を止めたジュリア達の方を向いて、彼は言った。


「逃がさないよ。なぎさちゃんの精神中核は僕がもらう」

「それをさせると思うか?」


振り返った一貴の目に、二本のサバイバルナイフを振りかぶった圭介が飛び掛ってくるのが映った。

チェーンソーを振って日本刀に変え、一貴はそれを弾いて何度かバク転をして後ろに下がった。

そして地面に膝をついて刀を構えながら、苦々しそうに圭介に言う。


「ヤブ医者が……! 分裂精神を殺させるなんて、聞いたことがない!」

「少なくとも俺の方法はそうなんだよ」

「自分の精神の半分を喪失するってことだぞ! 患者を強制的に心身喪失させるのが、お前達のやり方か!」


理緒はそれを聞いて、呆然としてジュリアを見た。


「心身……喪失……?」


ジュリアが目をそむける。

彼女の服を掴んで、理緒は真っ青になって言った。


「どういうことですか? 私に何をさせたんですか!」

「教えてあげるよ、片平さん。こいつらは、君の感情の何かを壊させた。スカイフィッシュと一緒にね」

「どういう……こと……?」


一貴は歯を噛んで、サバイバルナイフを手に切りかかってきた圭介の攻撃を、軽くいなしながら続けた。


「スカイフィッシュは、その人の精神が分裂したものだ。だからそれは、感情そのものだといえる。スカイフィッシュを殺すっていうことは、確かに自殺病を防げるかもしれないけど、感情が変化したスカイフィッシュを自分の手で殺すということは……」


一貴が圭介に日本刀を振り下ろす。

圭介はそれを、二本のサバイバルナイフで受けた。

そのまま刀を押し込みつつ、一貴は怒鳴った。


「こいつらのような、『不完全な』人間になるっていうことなんだ!」

「言わせておけば……! 人間は元来不完全なものだ! 不完全なものを不完全に戻して、何が悪い!」


圭介がそう怒鳴り返し、一貴の腹に蹴りを叩き込む。


「ジュリア、何をしてる! 帰還の扉を構築させろ!」


怒鳴られたジュリアがハッとして、周囲のマインドスイーパー達と目配せをする。

数人のマインドスイーパーが目を閉じて、意識を集中し始めた。

それに合わせて、コンクリートの壁に、木造りのドアのようなものが浮かび上がってくる。

それを見て、一貴は舌打ちをした。


「させるかあ!」


叫んで起き上がり、圭介の足に日本刀を突き立てる。

太ももを貫通した日本刀は、そのまま肉を両断して、外側に抜けた。

圭介の太ももから凄まじい勢いで血が流れ出し、彼は膝をつき、そして……。

頭を抑え、髪をかきむしった。


「うああああ! うわあああ!」


突然恐慌を起こしたかのように叫びだした圭介を、ジュリアは青くなって見た。


「ドクター大河内! ドクター高畑のシナプスが危険域です、遮断してください!」

『やっているが、もうすこしかかる! あと三十秒ほど耐えてくれ!』

「はは! あははは! 時間切れか!」


日本刀をゆらゆらとさせながら、一貴は立ち上がって、圭介の頭を思い切り蹴り上げた。

舌を噛んだのか、地面に転がった圭介の口から、盛大に血が溢れ出す。


「若い頃にマインドスイープさせられすぎたせいで、脳みその伝達機構がイカれちまってるんだ! こうなればもう形無しだね」


もう一度一貴は圭介の腹に蹴りを入れ、うずくまって動かなくなった彼に、日本刀を向けた。


「待って!」


そこで理緒が声を上げた。

彼女はジュリアの手を振り払い、圭介に駆け寄ると、彼らの間に割って入り、手を広げた。


「……何してるの?」


一貴が呆れたように言う。


「理緒さん、戻って!」


ジュリアが叫んでいる。

理緒は震えながら一貴を睨みつけた。


「私の夢の中で、これ以上好き勝手しないで。もう、そっとしておいて。お願い」

「こいつは、君の大事な記憶か感情を殺させた奴だよ。庇う必要はないだろ」


そこまで言って、一貴は理緒の手をひねり上げた。

悲鳴を上げた彼女のポケットに手を突っ込み、無造作に汀の精神中核を掴みだす。


「これはもらっていくよ」


そこまで彼が言った時だった。

理緒は無言で一貴の日本刀を奪い取ると、力いっぱい横に振った。


一瞬、一貴は何が起こったのかわからないといった顔でポカンとしていた。

ボトリ、と何かが落ちた。

一貴が、汀の精神中核を握っていた手が、上腕から両断されていた。

加えて脇腹が斬られていて、噴水のように血が流れ出す。


「へぇ……」


一貴はクスリと笑うと、理緒から手を離し、よろめいた。


「君は……いざとなればやれる子なんだね……」


理緒はそのまま、一貴の胸に日本刀を突きたてた。

彼女のひ弱な力でも、簡単に刃は貫通して向こう側に抜けた。


「ごめんなさい……工藤さん……」


理緒の目から涙が落ちる。

一貴はゆっくりと後ろ向きに倒れながら、倒れ際、理緒の目を手で拭った。


「今のうちに泣いておくといい……」


ドサリ、と鈍重な音を立てて一貴が倒れる。


「多分もう、君は泣けない」


ゴポリと一貴が吐血する。

理緒は震えながら自分の肩を抱き、そして扉が構築されたのを見て、ジュリアに言った。


「治療完了です」

「……あなた……」


返り血で濡れた理緒は、どこか無機的な目でジュリアを見ていた。


「私の夢から、出て行ってください」


そこで、彼女達の意識はブラックアウトした。



理緒は目を開けた。

何度も何度も切り刻んだ左腕が、ジクジクと痛む。


右腕には点滴が沢山つけられていた。

体が重い。

頭が痛い。

右手で頬を触ると、泣いていたのか、濡れていた。


悲しい?

悲しかった?

何が?


よく分からなかった。


何が悲しくて、何をどう苦しくて、何故泣いていたのか、彼女は分からなかった。

そもそも、悲しいということはどういうことなのか。

苦しいというのは、どういうことなのか。

分からなくなっていた。


ぼんやりとした、霞がかかったような思考のまま上半身を、やっとの思いで起こす。

そこで、カーテンの向こうにいたらしいジュリアが、勢いよくカーテンを開けた。


「目を覚ましたわ!」


彼女が満面の笑顔で、理緒に駆け寄って抱きつく。

ジュリアは泣いていた。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


何度もそう呟くジュリアを、不思議そうに理緒は見た。


「何が……」


かすれた声でそう呟き、理緒は首を傾げた。


「どうしたんですか?」

「覚えてないの……?」


問いかけられ、理緒はまた首を傾げた。

部屋にいた大河内が、息をついて立ち上がる。


「……君は自殺病にかかったんだ。高畑がダイブして、その元凶を破壊した。もう大丈夫だ」

「高畑先生が?」


抑揚のない声でそう言った理緒を、大河内は沈痛な面持ちで見た。

そして、小さな声で言う。


「高畑は今、意識混濁状態になっている。集中治療室に入ってるよ」

「そうなんですか」


頷いて、理緒はニッコリと笑った。


「……で、汀ちゃんはどこですか?」


その、どこか壊れたような笑顔は、何故か狂気を感じさせるものだった。

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