表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/25

第12話 アメ横地下商店街

パラシュートのようになった小白が汀の背にしがみつき、汀が理緒を抱いたまま、二人はふわりふわりと夢の中の町に降り立った。

完全に腰が抜けた理緒がペタリと尻もちをつく。

茫然自失としている理緒に、汀はポンッ、と音を立てて元にもどった小白を肩に乗せながら言った。


「この人の煉獄に入って、中枢にロックをかけるよ。圭介が時間を稼いでる間に、行くよ。多分二、三分も保たない」


それを聞いて、理緒は電柱にしがみつきながら、何とか立ち上がって答えた。


「汀ちゃん……あの子達、助けなくていいの?」

「どの子達?」

「工藤さん達! あんなに沢山のマインドスイーパーに囲まれて、殺されちゃうよ! 高畑先生、酷すぎます!」

「理緒ちゃん、何か勘違いしてない?」


汀はそう言って、押し殺した声で続けた。


「あの工藤とかいう男の子は、ナンバーXって呼ばれてるサイバーテロリストよ。意味不明なこと言ってるけど、私の知り合いなんかじゃない。ただ話を合わせただけ」

「でも……汀ちゃん、彼のこと『いっくん』って……!」


理緒にそう言われ、汀は頭を抑えた。

不意に、右即頭部に頭痛が走ったのだった。

そして脳内にある光景がフラッシュバックする。


なぎさちゃん。

僕達はずっと一緒だよ。

だから、記憶を共有しよう。


夢の中の一貴が笑う。

彼は近づいてきて、閉じていた右手を開いた。

小さい頃の彼の姿が、大きくなった彼の姿とブレて重なる。


入れ替えよう。

僕と、君の……。


「汀ちゃん!」


そこで汀は、理緒に強く肩を揺さぶられて、ハッと目を覚ました。

いつの間にか地面に四つんばいになり、頭を抑えてうずくまっていたのだった。


「どうしたんですか? 大丈夫ですか?」


度重なる意味不明な事態に頭の処理速度が追いつかず、泣きそうになっている理緒の肩を掴んで、汀は荒く息をつきながら立ち上がった。


「大丈夫。やれる……」

「汀ちゃん……?」

「私は……人を助けるんだ。絶対に……誰も死なさない。誰も……一人も死なさない……人を助けるんだ……」


うわごとのように呟き、汀は唇を強く噛んだ。

血が、彼女の口元から垂れて地面に落ちる。


「行こう、理緒ちゃん」


そう言って理緒は、目の前に広がる東京都上野駅の光景を見回した。


「私たちは、人を助けるんだ」



そこは、東京都上野駅の、ヨドバシカメラがある、アメ横に繋がる通りだった。

沢山の人たちが行き来している。


一様に顔がない。

皆、携帯電話に向かって何事かを喋りながら移動しており、顔に当たる部分にはブラウン管がくっついていた。

ニュースや、この夢の主の記憶なのか、いろいろな情報が映し出されている。


歩いている人達も、一様に服装はばらばらだ。

共通しているのは、土砂降りの雨の中、片方に同じ赤い雨傘、そしてもう片方に同じ型番の古い携帯電話を持っているということだった。


汀は手近な一人を蹴り飛ばして傘を奪うと、理緒に手を貸して、ヨドバシカメラの中に入った。

店員も携帯電話に向かって何事かを話している。


蹴り飛ばした人は、しばらく倒れたままだったが、やがて、どこから出したのか、また赤い傘を懐から取り出し、何事もなかったかのように歩き出した。


「ズブ濡れになってばっかりだな……」


汀がぼやいて、傘をたたむ。

理緒は右足の痛みに耐えることが出来ずに、その場に崩れ落ちた。

そして汀に言う。


「汀ちゃん……私歩けない。足が、痛いんです……」

「私がおんぶしてあげる。掴まって」


そう言って汀は、軽々と理緒を背中に背負うと、立ち上がった。


「スカイフィッシュにやられた傷は治りが遅いの。下手したら治らないこともあるわ」

「…………」


理緒の脳裏を、左腕を両断されたソフィーの姿がフラッシュバックする。

口を開いた彼女を遮って、汀は歩いている人々の異様さを無視すれば、日常光景と変わらない中を見回した。


「ここ、どこ? 日本?」

「上野駅近くの、ヨドバシカメラの中です。どうして、こんな限定的な……」

「普通の人の心は大概整理されてるの。自殺病に冒されてないんなら、普通はこれくらいしっかりしてるものよ」

「中枢に繋がる道はどこでしょう……」

「それより、どうして上野なのか、心当たりはある?」


汀に問いかけられて、理緒は首を振った。


「分からないです……この人のこと、私達何も教えられてないから……」

「田中敬三だっけ。汚職で逮捕されかけたっていう……」

「うん……」


濡れている理緒が僅かに震えだす。


「寒い……」


体の調子が思わしくないのに加えて、彼女達は病院服一枚だ。

寒くないのは通常の理としておかしい。

理緒がダイブできるような状態ではないことを確認して、汀は彼女を背負い直し、ヨドバシカメラの脇から顔を出して、外を見回した。


「……多分、この人にとって思い出が深い場所なんだ。だからこんなに鮮明に再現されてる」

「この人たちは何なんですか……?」

「記憶の投影。前にDIDの患者にダイブしたときにいた人間と同じようなものだよ。気にしなくてもいいけど、今回は自殺病を発病してないから、むやみに殺すのは止めた方がいいね……」


震えている理緒を背負ったまま、汀は傘をさしてアメ横の通りに出た。


「あいつらと私が次に遭ったら、かなり激しい戦闘になると思う。理緒ちゃんは、早く中枢にロックをかけて」

「いいの? 汀ちゃん……」


理緒は言いよどんで、そして意を決したように言った。


「高畑先生は何かを隠してます。いえ……赤十字病院もです。あの子達、本当は……」

「味方だとでも言いたいの?」


汀は淡々とそれに返した。


「人殺しに親戚はいないわ」


言われて理緒がハッとする。

人の命を救うことに、汀が異様な執着を見せていることには、理緒も薄々感づいてはいた。


アメ横に出ると、強い雨の中、小白がクンクンと鼻を動かし、地面に降り立った。

そして二人を誘導するように、アメ横センタービルの中に走っていく。


「待って、一人で行っちゃ駄目、小白!」


汀がそう言って、傘を放り出し、慌てて後を追う。

センタービルの地下デパートに入っていく小白。


汀はそれを追って中に入った。

そこは、マレーシアなどの南国系統の輸入食品が売られている場所だった。

携帯電話に何事かを話している人たちが行き来している。

小白は、その中で一人だけ、砂画面のモニターを顔につけた人……店員だろうか、の前に座っていた。


「小白!」


汀が理緒を降ろして、慌てて小白を抱きかかえる。

目の前の砂画面の男は、ダラリと体を弛緩させて椅子に腰掛けていた。


「匂いだ」


理緒がそう呟く。


「小白ちゃんが、この人の匂いを感じ取ったんですよ! 多分、この人が煉獄に繋がる道です」

「でも、どうやって道を開けばいいんだろう」


汀がそう言って、砂画面の男を小突く。

反応はなかった。

しかしそこで、周囲を歩いていた人々の動きがぴたりと止まった。

そして携帯電話をゆっくりと降ろす。

一瞬後、どこから取り出したのか、全ての人が自動小銃を構えていた。


「変質……? 田中敬三さん、対マインドスイーパー用のトラップを作ってます!」


理緒が悲鳴のような声を上げる。

そこで、全員の顔のモニターが切り替わり、一貴と岬の顔が映し出された。

そこに赤いバツ印が表示される。


「圭介がやられたんだ……チッ。役に立たない……!」


汀が舌打ちをする。


「嘘……」


理緒は壁に寄りかかりながら、荒く息をついた。


「工藤さん、みんな殺したの……?」

「理緒ちゃん急いで! 私、あいつらと戦う!」


汀がそう言って、近くの人の自動小銃を奪い取って脇に挟んだ。


「急ぐって……どうしたら……」

「その人を『起動』させて!」


汀がそう言った途端だった。

凄まじい爆風が、地下デパートの中に吹き込んできた。

理緒が床を転がって悲鳴を上げる。

ソフィーが手榴弾を変質で形成した時の、三倍にも四倍にも当たる爆風だった。


次の瞬間。

その場の人全員が自動小銃の引き金を引いた。

凄まじい炸裂音と、薬きょうを飛び散らせながら銃弾が吸い込まれていく。

理緒が耳を塞いで体を丸くする。


十数秒も爆音は続き、やがて硝煙が収まり、周囲がクリアになる。

汀が自動小銃を構えながら、前に進もうとした時だった。


銃弾が集中していた場所にしゃがんでいた人が、ゆらりと立ち上がった。

四方八方から浴びせられた銃弾は全て、その人の体に当って、まるで鋼鉄にぶち当たったかのようにひしゃげて床に転がっていた。

その人を見て、汀は


「……ひっ……」


としゃっくりのような声を上げて硬直した。


スカイフィッシュだった。

ドクロのマスク。

ボロボロのシャツにジーンズ。

血まみれの服。

そして、手にはチェーンソー。


スカイフィッシュはマスクを脱いで、脇に放り投げた。

その中にあったのは、一貴の顔だった。

一貴は震えている汀を見て、ニッコリと笑った。


「無理しなくてもいいよ。なぎさちゃん。君の中にある恐怖は、どうあがいても拭い去ることは出来ない。だってそれは、『僕が植えつけた』んだから」


一貴の背後から、岬が顔を出して、震え始めた汀を見る。


「なぎさちゃん……? あなた騙されてるよ。一緒に行こ。いっくんも、たーくんもいるよ」

「いっくん……たーくん……」


汀はズキズキと痛む頭を片手で抑えながら、呟いた。


「……みっちゃん……」

「とりあえずこれを渡しておくよ」


一貴が、血まみれになったヘッドセットを投げてよこす。

汀はそこにくっついていた刀で両断された耳を横に弾いてから、ヘッドセットを装着してスイッチを入れた。

そして押し殺した声で言う。


「役立たず。一瞬でも期待した私が馬鹿だった」

『……弁解はしない。汀、その人の心を守れ。そいつらの侵入元が特定できない』


圭介が憔悴しきった掠れた声で言う。


「分かってる」


汀はそう言うと、震えを押し殺して小銃を一貴と岬に向けた。


「最後の通告よ。ここから出て行って。私、人は殺したくない」


それを聞いて、一貴は一瞬きょとんとした後、疲れたようにその場に腰を下ろし、胡坐をかいた。


「まぁ、話でもしようよ。ゆっくりとさ。そんなに震えてちゃ、いくら夢の世界でも、僕らに弾は届かないよ」


彼がそう言った時、周囲の人々が弾倉を交換し、また一斉に銃撃を始めた。

一貴がマスクを被り、岬を守るように立つ。


そしてチェーンソーを回転させ、大きく横に振った。

空中で銃弾がひしゃげ、バラバラと床に落ちていく。


一貴が一回転する頃には、銃撃が止んで硝煙が収まってきていた。

無傷の、スカイフィッシュの格好をした一貴と、岬がゆらりと立っている。

首の骨をコキコキと鳴らし、一貴は


「外野が煩いな」


と呟き、チェーンソーを振った。

それが長大な日本刀に変わる。


岬が壁にかかっていた鉄パイプを手に取った。

それがグンニャリと形を変え、ショットガンに変形する。


次の瞬間、二人が動いた。

夢の人々が銃撃をするよりも早く、一貴は日本刀を振って彼らの首を両断していく。

たちまちにあたりが血に染まる。

背後の人々をショットガンでなぎ払いながら、岬が声を上げた。


「なぎさちゃん、早く目を覚まして!」

「うるさい……うるさい!」


汀は頭痛を怒声で振り払うと、小銃を、手近な人を斬り飛ばした一貴に向けて引き金を引いた。

連続した射撃音と衝撃。

銃弾がばらけて、壁に当たり、一貴は悠々と体をひねってそれをかわした。


「仕方ないな……少し遊ぶとするか。ねぇ、久しぶりだね、なぎさちゃん!」


日本刀で周囲の一般人を斬り殺しながら、一貴はたちまち汀に肉薄した。

小白を理緒の方に投げて、汀は小銃で、振り降ろされた日本刀を受けた。

ギリギリと金属が削れる音がして、大柄な一貴に汀が押される。


「私はみぎわだ! 私をなぎさって呼ぶな!」


絶叫した汀に、一貴は裂けそうなほどマスクの奥の口を開いて笑ってから答えた。


「いいや君はなぎさちゃんだよ。これまでも、これからもね!」

「何してるの理緒ちゃん、早くして!」


汀が怒鳴って一貴を弾き飛ばし、壁を蹴って体を回転させながら、彼に向けてためらいもなく引き金を引いた。

一貴が目にも留まらない速度で日本刀を振る。

バラバラと両断された銃弾が床に転がった。

一面の血の海に呆然としていた理緒は、小白に指を噛まれて


「痛っ!」


と叫んで我に返った。

そして小白を抱きあげ、足を引きずりながらまだダラリと弛緩している砂画面の男に近づく。


「起動……起動させなきゃ。起動させなきゃ……」


顔の脇についている丸いスイッチを回転させる。

それは金庫のダイヤルのようになっていた。


「上野……金庫……そうだ!」


理緒の脳裏に、数年前騒がれた事件がフラッシュバックする。

裏金取引。

それが行われたと雑誌に報じられたのが、上野。


その日付は、四月十七日。

四、一、七とダイヤルを合わせ、理緒はボタンを強く押した。

ガピッ、という音がして、男の体が硬直し、モニターに白い球体が映し出された。


「核……見つけた……! この中だ!」


理緒はモニターに手を突っ込んで、水面のように手を飲み込んだそこから、中核を抜き出した。


「どうしよう……どうしよう……!」


パニックになりながら、彼女は這って出口に向かって逃げようとした。

そこで理緒は、汀が一貴の日本刀に肩を刺し貫かれ、悲鳴を上げたのを目にした。

そのまま壁に磔にされ、汀は激痛に歯軋りしながら、一貴を睨んだ。


『どうした? 汀がやられたのか!』


圭介の声に、一貴が喉の奥を震わせて笑う。


「だから無理だって。なぎさちゃんは僕には逆らえない。『そうできてる』んだ」


日本刀を手放し、一貴は悠々と理緒に向かって歩いてきた。

岬が、日本刀を手で掴んで抜こうとしている汀にショットガンの銃口を向ける。


「ごめんね、なぎさちゃん」


パンッ! と軽い音がした。

小白が鳴き声を上げたのとほぼ同時だった。


顔面を銃弾の嵐に打ち貫かれた汀が、ビクンビクンと痙攣し、原形をとどめていない頭部を揺らす。

パン、パン、と体に向けても岬は発砲した。

魚のように汀の体が跳ね、やがて動かなくなる。


『汀のバイタルが消えた……? 理緒ちゃん、どうした!』


圭介がマイクの奥で大声を上げる。

そのヘッドセットを踏み潰し、一貴は震えている理緒の前で、血まみれの姿でしゃがみこんだ。


「さ、それ渡してくれないかな?」


理緒がブンブンと首を振って、中核を強く胸に抱く。

ため息をついて、困ったように頭を掻き、一貴は手を振った。


パン、と理緒が頬を張られ、単純な暴力に唖然として床を転がる。

彼女が倒れた拍子に手放した中核を、岬が拾って、そしてニッコリと笑った。


「いっくん、もう帰ろ」

「そうだね」


頷いて一貴は、壁に縫いとめられた汀の前でおろおろしている小白に目を止め、そして視線を、頬を押さえて呆然としている理緒に向けた。


「殴られるのは初めて?」


嘲笑するようにそう言って、彼は肩をすくめた。


「なぎさちゃんの精神はもらっていくよ。本当は君の夢座標も知りたかったんだけど、今回はなぎさちゃんだけで満足する。そろそろ僕達のハッキングも逆探知されるだろうし」


そう言って、一貴は動かない躯となった汀の、滅茶苦茶に破壊された胸に手を伸ばし、グチャリとかき混ぜた。

そしてかろうじて原形をとどめている心臓を掴みだす。


「どうして!」


理緒はそこで大声を上げた。


「どうして汀ちゃんを……」

「まだ殺してない。一時的に黙らせただけさ」


心臓をいとおしむように手でもてあそんで、一貴はニッコリと笑った。


「じゃ、そういうことで」


岬が一貴と目配せをして、手に持った田中敬三の中核を握りつぶす。

途端、精神世界がグニャリと歪んだ。


理緒はそこで、意味不明な声を上げながら、転がって近くの自動小銃を手に取った。

そして無我夢中で引き金を引く。


奇跡的に一発、銃弾が一貴の肩を貫通した。

彼が手を揺らし、汀の心臓を床にべシャリと落とす。


「あ……」


拾おうとした一貴に体ごとぶつかり、理緒は心臓を拾ってゴロゴロと地面を転がった。

そして踏み潰されてピーピーと音を立てているヘッドセットに向かって大声を上げた。


「回線を遮断してください! 早く!」


小白が走って来て、理緒の肩に掴まる。

歪んだ世界の中で、一貴が慌ててこちらに向けて手を伸ばし……。

そこで、理緒の意識はブラックアウトした。



肩を抱いて震えている理緒に近づき、圭介は彼女に温かいココアの缶を渡した。


「少しは口に入れたほうがいい」


そう言われて、缶を受け取り、プルトップを開けようとするが、理緒はそこでそれを取り落とした。

圭介が息をついて缶を拾い上げる。


「すまなかった。テロリストをこっちで抑えることが出来なかった。大損害だ」

「そんがい……」


理緒はそう言って、隣で鼻にチューブを入れられ、沢山の点滴台に囲まれている汀を見た。


「高畑先生はどうしてそうなんですか……汀ちゃんが、夢の中で殺されちゃったんですよ……」


理緒の言葉には覇気がない。

彼女は椅子の上で膝を抱えて、頭を膝にうずめてから呟いた。


「もうやだ……もうやだよ……」

「…………」


沈黙した圭介の後ろから、そこで聞き知った声がした。


「理緒ちゃん、無事だったか……!」


顔を上げた理緒に、看護士に支えられた大河内の姿が映った。


「大河内先生……!」


思わず椅子から降り、彼女は大河内に近づいた。


「起き上がって大丈夫なんですか? とっても心配したんですよ……!」

「もう大丈夫だ。多少声が掠れているがね……」


苦しそうにそう言い、大河内は、椅子に座ってココアの缶を開けて、中身を喉に流し込んだ圭介の胸倉を掴み上げた。


「お前……」

「先生、お体に触ります!」


看護士が慌ててそれを止める。

圭介は、しかし大河内に掴み上げられたまま、深くため息をついた。


「離してくれないか? 一度に三十人のマインドジャックをして、今尋常じゃないほど疲れてるんだ。これにこの失態だ。お前の相手をしている気分じゃない」

「この……外道め……!」


大河内が看護士を振り払い、圭介の頬に拳を叩き込んだ。

そして激しく咳をして床に崩れ落ちる。


殴られた圭介は、飛んだメガネを拾い上げると、頬をさすって起き上がった。

そして無表情のまま、固まっている理緒を見る。


「……今日はここに泊まっていきなさい。君の分の病室を用意させる。大河内も、部屋に戻った方がいい」

「高畑先生……!」


理緒はそこで圭介に言った。


「何だ?」

「訳が分からないんです……ちゃんと説明してくれませんか……?」


おどおどとそう聞いた彼女に、圭介は向き直ってから答えた。


「そんな義理はないね」

「高畑、卑怯だぞ……!」


大河内が肩を怒らせながら立ち上がる。

そして汀を手で指した。


「お前がいながら、どうしてここまで追い込んだ……! 罠にかけるつもりが、逆に撃退されるとは恐れ入ったよ! 元特A級スイーパーとは思えないな!」


それを聞いて、理緒は呆然として圭介を見た。


「元……特A級……? 汀ちゃんと同じ……」


圭介は眉をひそめて立ち、大河内に向き直った。

そして白衣のポケットに手を突っ込んで彼を睨む。


「部外者の前でその話をするな」


部外者呼ばわりされ、理緒が歯を噛んで口を挟もうと声を出そうとした。

それを手で制止し、大河内は息をつきながら圭介を睨んだ。


「何人犠牲にした? 何人の子供を殺した!」

「やっていることはお前と何ら変わりはない。俺はその確立を上げただけだ」

「何だと!」

「大河内先生やめて!」


理緒が青くなって、殴りかかろうとした大河内を止める。


「誰がやってもこの結果になっていただろう。ナンバーXは、『変異亜種』だ」


圭介が淡々とそう言ったのを聞いて、大河内は手を止めた。


「何……?」

「俺達じゃ止められない。同じ変異亜種が必要だ。坂月のような」

「ふざけるな! スカイフィッシュへの人体変異なんて、もう起こらないと、当の坂月君がそう言っていたでは……」

「その坂月はどこにいる?」


口の端を歪めて笑い、圭介は目を細めて大河内を見た。


「あの男を信用したいお前の気持ちは分かるが、無駄だと何回も言っただろう。人間はスカイフィッシュに変わる。それが、あの正体不明の物体の正体だ」

「お二人とも……一体何の話をしているんですか……?」


理緒が青くなってそう問いかけた。


「坂月先生が関わっているんですか? 私にも何が起きているのか、説明してください!」


悲鳴のような声を上げた理緒を、淡々とした目で圭介は見た。

そして椅子に腰を下ろす。


「……いいだろう。教えるよ。大河内も座った方がいい。死ぬぞ」


看護士に促され、大河内は息をつきながら、汀の脇に腰を下ろした。

圭介は看護士に出て行くよう、目で追い出すと、扉が閉まったのを確認して、理緒を見た。


「さて、何から話せばいい?」


唐突に問いかけられ、理緒は口ごもって下を向いた。


「え……あの……」

「さっき、俺もマインドスイーパーだったのかと聞いたな。その通りだ。大河内も、坂月もマインドスイーパーだった。それどころじゃない。今の赤十字病院を動かしている医者のほとんどが、マインドスイーパーの『生き残り』だ」

「生き残り……?」

「ああ」


テーブルに置いた、ぬるくなったココアを喉に流し込んで、

圭介は息をついた。


「生き残ってしまった者達の集まりさ。赤十字ってのは」

「お前は……あの時に全滅していれば良かったとでも言うつもりか……?」


大河内が押し殺した声を発する。

圭介は一瞬沈黙してから、大河内を見ずに淡々と言った。


「そうすれば、自殺病がここまで拡大することもなかった」

「…………」


大河内が言い返そうとして、しかし失敗して深く息を吐く。

そして彼は、頭を手で抑えた。


「図星を突かれたか? だから、俺はお前達を許さない」


圭介は裂けそうなほど口を広げて、笑った。

その顔に理緒がゾッとする。


「許せるか? 許せるわけがない。俺は、お前達を、絶対に、許さない」


舐めるようにそう呟いて、圭介はココアを喉に流し込み、クックと笑った。


「理緒ちゃんが遭遇したのは、紛れもないスカイフィッシュだ。もう既に人間じゃない」

「ど……どういうことですか?」

「スカイフィッシュは、元は人間なんだよ」


圭介はそう言って、理緒を見た。


「そもそも君は、あの得体の知れない化け物を、何だと思う?」

「何だとって……汀ちゃんは、トラウマの投影だって言ってましたけれど……」

「そういう認識なのか。だからやられるんだ」


圭介は小さくため息をついて、缶をテーブルに置いた。


「スカイフィッシュとは、DIDで分裂した人間の精神だ。分かるかい? マインドスイーパーは既に、DID(精神分裂病)にかかっている患者なんだよ」

「え……?」


呆然とした理緒に、抑揚なく圭介は続けた。


「君のような特殊な温室育ちとは、汀達が違うことは、いい加減理解できているだろう。マインドスイーパーは他人のトラウマに接触すると、それだけ要因不明のトラウマ……つまり、データで言うとデフラグし忘れたエラーのようなものを心に蓄積させていく」

「高畑……それは、実証されていない仮説だ」

「だが現実だ」


椅子をキィ、と揺らして、圭介は続けた。


「蓄積されたエラーは、されればされるほど強力なトラウマとなって心を侵食する。だから、強力なマインドスイーパーの夢に出てくるスカイフィッシュほど、夢の持ち主がかなうわけはないんだ。自分自身の恐怖心が分裂した、と言えばより分かりやすいかな」


「じゃあ……私が汀ちゃんの夢の中で見た坂月先生は……」


理緒がそう言うと、圭介は表情を暗くして声を遮った。


「それは君の見間違いだろう」

「でも、確かに私……」

「坂月の分身は俺が殺した。この手で確かに破壊したんだ」


そこで言葉をとめた圭介から大河内に、理緒は視線をシフトさせた。

大河内も俯いて、苦そうな顔をしている。


「……あの……じゃあ、工藤さん……」

「工藤?」

「あ、いえ……」


口ごもってから理緒は言った。


「ナンバーXという人は、どうして夢の中で自由に、スカイフィッシュになれるんですか?」

「精神が分裂しないまま、トラウマに侵食されたパターンだ。やがてはトラウマに食われて死ぬだろう。だが、それだけに力は強大だ。ありとあらゆる恐怖心の塊なわけだからな。夢の世界で、その変異亜種にかなうわけがない」

「じゃ……じゃあ、またハッキングされたら……」

「防ぐ手はないな」


圭介が息をついて、立ち上がった。


「そろそろいいかい? 俺も大分疲れた。休ませてもらいたい」

「高畑先生が操っていた、マインドスイーパーの子達はどうなったんですか……?」


恐る恐る理緒がそう聞く。

圭介は、ゾッとするほどの無表情で理緒を見下ろし、そして言った。


「全員、さっき息を引き取ったよ」

「……!」


言葉にならない悲鳴を何とか飲み込んだ理緒に、圭介は続けた。


「スカイフィッシュにやられた傷は治りにくい。それは、トラウマを直接マインドスイーパーの精神中核に注入されるからだ。毒のようなものだな。だから、スカイフィッシュに殺された人間は、もう元には戻れない」

「じゃあ……汀ちゃんは……」

「汀は、君の話によるとスカイフィッシュの変異亜種の攻撃でやられたわけじゃないんだろう? 連れていた女の子が撃ち殺したらしいな。なら大丈夫だ。あいつは『痛み』に対して頑丈だ。もうじき目を覚ますだろう」

「高畑先生! それでいいんですか!」


理緒が叫ぶ。

圭介は不思議そうに首を傾げた。


「何がだい?」

「沢山死にました! 汀ちゃんも酷い目に遭いました! 私もです! 患者さんも殺されてしまいました! 先生はそれでいいんですか? それでいいんですか!」

「いいわけがないだろう」


淡々と、圭介は無表情でそう返した。


「君はそれでいいのかい?」


逆に問いかけられ、理緒は肩を抱いて小さく震えた。


「私は……」

「…………」

「もう、やだ……」

「…………所詮子供か」

「馬鹿にしないでください! 高畑先生に、私の気持ちなんて分からないです!」


噛み付いた理緒を、ポケットに手を入れて見下ろし、圭介はメガネの奥の冷たい瞳で言った。


「ああ分からないな。道具に感情なんてないからな」

「道具……?」


理緒は顔を青くして立ち上がった。


「私は道具じゃない!」

「じゃあ何だ?」

「私は……私は人間です! 汀ちゃんも……人間です! 私達は、あなたと同じ人間です!」

「違うな。道具だ」


鼻でそれを笑い、圭介は続けた。


「俺達の庇護がなければ何も出来ない餓鬼の分際でよく吼える。世間も、常識も、何も分からないくせによく言う。俺達がいなければ何も出来ない存在のくせに、言うことだけは一丁前。要求することだけは一丁前」

「そんな……酷い……」

「酷くなんてないさ。ただ、そんな赤ん坊同然の君達が、出来ることはダイブだ。だがそれさえも、俺達の補助がなければ出来ない。汀に至っては、俺の介護がなければ生きていくことさえも出来ない。君達は人間になる前、それ以前に、道具なんだよ。まだ君達は、人間にはなっていない」


圭介の暴論を、理緒は足を震わせながら唇を強く噛んで聞いていた。

大河内がそこで歯軋りして立ち上がる。


「いい加減にしろよ……子供になんてことを……」

「だがそれが真実だ。『真実だった』だろ?」


肩をすくめた圭介から視線を離し、理緒はすがるように大河内に聞いた。


「大河内先生、何とか言ってください! この人……この人おかしいです!」

「…………」

「大河内先生!」

「……理緒ちゃん、今日はもう休むんだ。高畑と議論するのは時間の無駄だ」

「先生まで……そんな……」

「高畑、お前の気持ちは分かるが、理緒ちゃんに聞かせるべき話じゃない。子供を追い詰めるな! 同じてつを踏みたいのか!」

「そのてつを踏んだ俺から言わせてもらえれば、擬似愛情ごっこ程あくびが出るものはないね」


また鼻で笑い、圭介はよろよろしながら病室を出て行った。

黙り込んだ大河内に、すがるように理緒は言った。


「同じてつって……何ですか? 高畑先生はおかしいです! 大河内先生、何とか言ってください!」

「…………」

「愛情ごっこって……そんな、嘘ですよね? そんなのあんまりです……酷すぎます!」

「いいか、よく聞くんだ理緒ちゃん」


大河内はそう言うと、理緒に向き直った。

そして低い声で言う。


「君は、これ以上汀ちゃんと高畑に関わらない方がいい。赤十字に、私から申請しておこう。戻っておいで」

「質問に答えてください!」

「興奮しないほうがいい。お互い体力もかなり低下している」


理緒をなだめてから、大河内は続けた。


「今は元老院の方が力が強いが、君の意思が重要だ。赤十字も、人の意思を曲げることは出来ない。もとはといえば、この二人と君は他人なんだ。入れ込む必要はない」

「先生まで……そんな……」


愕然として理緒は、両手で顔を覆った。


「今更、汀ちゃんを見捨てることはできません……私、一人で逃げるなんてことできません……」

「君は優しいからな。だが、それとこれとは別の問題だ」


大河内はか細い理緒の声を打ち消し、続けた。


「逃げではない。自分の身を守るんだ。ソフィーも、高畑の計画で手痛くやられてしまっている。沢山の命も失った。安全な場所に避難するんだ。自分から、最も危ない場所に飛び込んでいくことはない」


大河内は息をついて立ち上がり、壁に寄りかかった。


「よく考えて決めてくれ。このままだと、君まで高畑に殺される」


ソフィーと同じ台詞を口にして、大河内は病室の出入り口に手をかけた。


「とにかく、私が来たからには高畑の好きにはさせない。今のところは落ち着いて、ゆっくり休みなさい」

「先生……」


理緒は顔を上げ、そして両目から段々と涙をこぼし始めた。

そして汀の手を握り、呟くように聞く。


「汀ちゃんは……ソフィーさんは、目を覚ますんですか……?」

「ソフィーは先ほど目を覚ましたと聞いたよ。面会できるほど回復はしていないが……汀ちゃんは、しばらくの間無理だろう」

「無理……?」

「精神が殺されると、肉体も一時的に仮死状態になる。それを投薬で無理やり生きながらえさせたのが、今の汀ちゃんの状態だ。頭の中でトラウマの整理がついて、ちゃんと現実が現実だと認識できるようになるまで、いくら頑丈だといっても相応の時間がかかる」


それを聞いて、理緒はあることに気がついて青くなった。


「あの……」

「何だい?」

「あのテロリストの子……ナンバーXさんは、汀ちゃんのことを狙ってました。でも、言ってたんです。私の夢座標も欲しいって……」


それを聞いて大河内は顔色を変えた。


「何だって……?」

「私も……狙われているんですか? 私の夢の中に、あの人たち、侵入してくる可能性もあるってことですか?」

「…………」

「先生!」

「……君は私達が全力をもって守る。安心して、ゆっくり休みなさ……」

「休めないです! 私の夢の中にもスカイフィッシュが出てきたら、私どうすればいいんですか? 汀ちゃんも……マインドスイーパーの子達もいない……小白ちゃんも私の夢には入ってこない……私、一人ぼっちじゃ……」


そこで理緒は、圭介がソフィーのことを


『眠れないだろう』


とせせら笑ったことを思い出した。

大河内は少し考えた後


「少し強いが……夢を見なくする薬ならある。汀ちゃんにも投与している薬だ。服用しすぎなければ副作用はない。それを急いで処方しよう」


と言った。


「怖い……怖いです……」


肩を抱いて震えだした理緒の頭を撫で、大河内は息をついた。


「君がちゃんと眠れるまで、私がそばについていてあげよう。大丈夫だ。マインドスイーパーは誰もが経験する。少し待っていなさい。すぐに戻ってくるから」


そう言って大河内は、足を引きずりながら部屋を出て行った。

理緒が、椅子の上で足を抱いて小さくなる。


しばらくして、彼女の泣き声が静かな部屋の中に響いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ